―――――おいで おいで
―――――私を××して
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名も無き勇者の冒険 第一幕 飛べない勇者と死ねない愚者
XIX 98番目の失敗作
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祈り場の裏の更に奥。
鍵を回して解放された小扉の先は暗闇に包み込まれていた。
それでも一寸先が闇、というわけでもない。
時折宙をなぞるように駆け抜けるけばけばしい彩光によって、広大な室内は申し訳程度に照らされる。
光源と言う光源はほとんど無いけれども、薄闇を歩き続けれていれば自然と眼は慣れてくる。
少し先をマーシアが最小限の足音を立てながら歩いている。
ソウリュウはそれについていく。無理無理に布を巻き付けて止血した腕を抑えながら、続いていく。
「へんてこな場所だな。ここ」
西洋造りの館から一気に異世界に迷い込んだと勘違いしてしまうほど、内装の意匠の差が激しい。
見たことも無い素材でできた床と壁は滑らかで、だからといって大理石のような材質でもない。更にそこを蔦のように縦横無尽に張り巡らされているコードは蛇のようで、気を付けていないと足を取られそうになる。踏みつけていいものなのかわからず、とりあえずソウリュウはマーシアに習って極力踏まないように隙間を縫うように進んだ。
思い出したようにどこからともなく電子音が鳴っては止み、鳴っては止みを繰り返す。
点滅する目に痛いランプ。明滅する液晶。
あちらこちらに設置されている機械の全てがソウリュウにとっては馴染みの無いモノで、警戒心以上に新鮮味さえ湧いてきていた。
長らくの山暮らしを終えて世界各地を旅をしてきたが、このような文明的な意味で珍しい場所に訪れるのは初めての経験であるがゆえにだ。
しかし好奇心に浮かれている場合ではないということは本人が一番理解している。
戦線からは離脱しているものの、怪我人であるフレイを早いところ適切な治療を受けさせなければならない。
ソウリュウが焦る中で、マーシアはどこまでも抑揚のない声を発する。
「ここは、ご主人様の実験室です」
「ここ全部が?」
案内されるように導かれ、ソウリュウは圧巻とも言える光景を目の当たりにする。
「なんだぁこりゃ……」
水槽を想起させる筒状の巨大な入れ物が、数えきれないほどたくさん等間隔に設置されている。そのどれもに無数のコードが侵食するように根付いており、さながら不格好な木の幹を思わせる。
入れ物の中には緑色の液体が並々と注がれており、ぷくぷくと銀の空気泡が上へ上へと浮上してはシャボン玉のように消えていく。
それ以外中には何も満たされていない。入っていない。
魚もいなければ海草も無い。そもそもこの得体の知れない水は何なのか。
ソウリュウは知らない。
これが俗に言う〝培養器〟という実験用の大型機器であることを。
それもそのはず、今の時代にはこのような機械類は普及していないのだから。
ここまで高度な代物になれば一般普及どころか良くて秘密裏で厳重に管理されているか、悪くて〝失われし科学技術(ロストテクノロジー)〟の産物の一つとして永久紛失しているか、どちらかである。
新世界では機械類はほとんど発達していない。機械の力を頼ろうにも製造技術や知識の不足だったり、使用法に関しての問題などと様々な困難の壁に道を阻まれることになってしまう。
何よりも旧世界は人間が生み出した機械という名の栄華の一端によって滅亡したとも語られている。
ゆえに、新世界においては機械は多くの種族から嫌われている。
科学よりも魔法の力が上回り、非科学なる存在が人間の勢力を凌駕している今では、機械はもはや一部を除けば忘れさられていても等しい物。もしくは畏怖の念を抱いてしまう物でもある。
使用法がわからない物、得体の知れない物には誰もが恐怖する。不安を覚える。
事実ソウリュウは乱れなく行儀よく立ち並ぶ培養器を目視して「気味が悪い」と、端的ながらも最もな感想を心の内で呟いていた。
「これは、何だ?でっかい魚が飼えそうだな。水が嫌な色してるけどよ」
「魚はどうでしょう。可能かもしれませんね。いいえ、可能でしょう」
「……?」
曖昧な回答にソウリュウは怪訝そうに眉をひそめる。
「これは〝疑似子宮〟です」
「ぎ、ぎじし……?」
「ここでいろいろな者が生まれます。ソウリュウ様も、母親なるお方の胎から生まれたでしょう。それと同じような物です」
ふっとソウリュウは過去のことを思い返す。
物心ついたころから師匠であるショウインの下で育ち、自分の本当の出生先のことさえ知らなかった。ショウインが死するその時まで―――――。
自分は実の親から捨てられ、殺されかけたのだということだけしか、今はわかっていない。
「……よくわかんねぇ。母親なんて覚えてねえし。そもそも親のこと自体よくわかってねえし―――――竜は卵から生まれんのか?」
「どうでしょう」
鶏が先か卵が先かのようなどこか不毛な疑問のぶつけ合いになりそうな予感がしたため、ソウリュウは話を変える。
正直、今は昔のことをあまり思い出したくなかった。
「まぁいいや……機械から生まれたら、機械の子供ができるのか?この機械は、生きてるのか?」
〝培養器〟の壁面に触れながら訊ねる。壁面はひんやりとしており、もともとの体温の高いソウリュウには冷たくて心地が良い。
しかしマーシアはその問いに返答をするどころか返事さえせずに、そのままさっさと歩きだしてしまい、ソウリュウは慌ててその後を追った。
「教えてくれてもいいだろ……」
マーシアの歩く速度は女性とは思えないほど早く、少し眼を放していたらすぐに見失ってしまう。
ぶつくさと文句を言いながらも、ソウリュウは〝培養器〟の森を抜ける。
「うわ……」
その先に待っていたのは、一面に広がる紙の海。降り積もった雪のように、床を隙間なく覆い尽くしている。
紙、紙、紙、紙、紙。紙の絨毯。全て揃えて重ねていけばとてつもなく標高のある巨山が築けそうだった。
その一枚一枚のどれにもびっしりと文章やら数式やら図形が書き散らされており、筆跡も多種多彩だった。
これほどの量、これほどの枚数。夥しいほどの証明や計算式。解析と分析。推測と仮定。どれもが難解でいて複雑であり、並の者では意味を理解することは不可能だろう。
それ以前に今の新世界において、この文書に記された智慧の二次世界を解読できる者は果たして存在するだろうか。
全て読み解くにはそれこそ数百年単位の時間を有するのは避けられない。
「これ全部お前の主人が書いたのか」
「はい。すべてご主人様がお書きになられました」
「……館の壁やら日記やらを書いたのは、主人か」
「はい」
「お前じゃ無かったんだな」
「マーシアは日記を書くことを許可されていません」
「一階のどっかの部屋の本置き場で、そいつの日記を読んだぞ」
「そうですか」
「……〝死にたい〟って書いてあった」
「そうですか」
マーシアの無感情な言葉に、ソウリュウは苛立ちを露わにしてしまう。
「どうしてそんなに冷たくいられるんだよ。お前の主人なんだろ?あの日記を見るからに、相当参ってるぞ」
「マーシアはソウリュウ様ほど熱くなれませんので」
「け、喧嘩売ってんのかよ。普通、誰かが困ってたら助けるもんだろ?」
「……ソウリュウ様は、お優しいのですね」
「そうか?」
「はい。ソウリュウ様は、やっぱり早死にしそうなタイプですね」
「うっ……その言葉、さっきもフレイに言われちまったよ。
「きっと、ソウリュウ様のそのような性格が、〝あの人〟を突き動かしてしまうのでしょうね」
「あの人?」
きょとんとするソウリュウに、マーシアは口を噤んだ。
「いけません。私の口からは洩らしてはいけません。これは命令違反に値する行為。後でご主人様に罰してもらわなければ」
ソウリュウ様、と
マーシアは続ける。
「短い冒険は、楽しかったですか」
戦うことを楽しいと言ったソウリュウに、誰も死なない戦いが好きだと言ったソウリュウに、マーシアは語りかける。
「他者のために親身になって進むのは楽しかったですか。
他者のために真剣になって歩むのは楽しかったですか。
他者のために一心になって考えるのは楽しかったですか。
他者のために身を粉にして戦うのは楽しかったですか。
他者のために命を懸けるのは、楽しかったですか」
誰かの、ために。
命懸けで、尽くす。
「ソウリュウ様。貴方様はこの冒険において〝誰か〟のためにしか戦っていませんでしたね―――――貴方様は御仲間の方のために戦い、メイドのために戦い、そして―――――ご主人様のためにも戦おうというのですか?」
「……主人は、倒すんだよ」
「全てがご主人様の望む筋書きに流されているだけだとしても、ですか?」
「さっきから本当にお前はややこしいことしか言わねえな」
「―――――他者のために親身になって進むのは苦しかったですか」
マーシアは、問いかける。
「他者のために真剣になって歩むのはつらかったですか。
他者のために一心になって考えるのは険しかったですか。
他者のために身を粉にして戦うのは厳しかったですか。
他者のために命を懸けるのは、哀しかったですか」
「……わかんねえよ。そんなこと」
ソウリュウは、答えられなかった。
そんな細かい感情、わかるわけがないのだ。
わかっていたら―――――こんな風に苦悩する必要などどこにもないのだ。
「―――――主人のこと、教えろよ」
しばしの無言の果てに、ソウリュウは言う。
「何だか知ってるようで知らないようで、この館に来てから変なんだよ俺。何も知らないままじゃ後味が悪いというか、気分が悪いというか」
「本当に、話してしまってもいいのでしょうか―――――後悔はしませんか」
「街の奴らを攫ったり閉じ込めたり変な研究してたり、逆に気になってきたんだよ。それに、知らなきゃいけないような気もするんだ。よくわかんねえけど」
「―――――〝貴方〟に話すというのも、実に因果なことなのでしょうね」
マーシアはぽつりとぽつりと、歩きながら語り出した。
彼女にしては珍しい、流暢な喋り方で。
視界の脇を過ぎ去るのは、長い年月をかけて積み上げられ、組み上げられた虚ろな成果。
―――――昔々あるところに、悲しい過去を背負った怪物がいました。
―――――怪物はとても長生きで、彼よりも長く生きられる者はこの世のどこにもいませんでした。
―――――怪物は長い長い果ての無い一生の中でたくさんの人々と関わりました。時には友として、時には敵として、時には恋人として、時には家族として、幾つもの人生を辿りました。
―――――例えば、愛しい仲間と家族と共に小さな集落で。
―――――例えば、奇妙な仲間達と海の見える王国と黒い塔で。
―――――怪物は幸福であり、たまらなく不幸でした。
―――――何故なら誰も自分と共に一生を過ごせる者がいなかったからです。誰もが怪物よりも先にこの世を去ってしまうからです。
―――――やがて怪物は他者と交流することをひどく恐れるようになりました。関わること、親しくなること、愛着を持ってしまうこと、そのどれもが恐ろしくてたまらなくなりました。怪物は傷つくのが嫌だったのです。愛する人を失うたびに涙することに疲れてしまったのです。
―――――それから怪物は独りで生き続けました。極力他者と関わることを控えて、傷つくのを恐れ、誰かを傷つけることも恐れて、それでも生き続けました。
―――――ある時、怪物は一人の黒い薔薇の魔女に出会いました。運命の出会いでもありました。
―――――そして、誰も愛さないと決めた怪物は魔女に恋をしてしまいました。
―――――魔女は怪物を受け入れ、二人は共に生きることを誓い合いました。
―――――……悲劇的な死が、二人を分かつまで。
―――――魔女に寿命が訪れるその時まで、傍に寄り添うと約束を交わしたのです。
―――――二人はそのまま幸せな人生を送るはずでした。
―――――ですが、魔女はそれよりもずっと早くに死にました。十字架に貼り付けられ、業火に焼かれて死にました。
―――――怪物は壊れました。
―――――全てに希望を失い、絶望し、嘆き悲しみました。
―――――怪物に残ったのは憎悪と、〝愛〟だけでした。
―――――怪物は世界に復讐をしました。魔女を奪った世界に、反旗を翻しました。
―――――例え、世界が凍てつく氷で包まれようとも。
―――――例え、世界が慈悲深い黄昏で満たされようとも。
―――――例え、世界が血の海に沈もうとも。
―――――怪物は、世界を呪い続けました。何年も、何十年も、何百年も、何千年も、何万年も
―――――怪物は望んだのです。もう一度愛する人に会いたいと。もう一度やり直したいと。
「だから怪物は―――――ご主人様は、禁断の命を創造したのです」
そしてソウリュウは―――――最後の〝培養器〟の前に立った。
「―――――…………………あ」
―――――仄暗く――――――――――――――映し――――出され――る―――――シルエット―――――
――ぼんやり―と―――――浮かび―――――あがる――――ように―――
―――さ――ら―け―――だ――さ――れ――
―――――〝マーシア〟が中に、入っていた。
「そのように―――――〝私達〟は生まれました」
〝培養器〟の中で眠る〝マーシア〟を何てこと無さそうに瞳に映しながら、マーシアは説明口調で言う。
ソウリュウは驚愕のあまり、絶句している。
液体の中で眠る〝マーシア〟は一糸纏わぬ姿で、背中から伸びる無数のコードで機械と肉体を繋ぎ止められている。
長い黒髪、雪のように白い肌、ほっそりとした少女と女性の狭間に位置する柔らかな体つき。
深く瞑っている目は、間違いなく黒紫色をしているのだろう。
人形ではない。微弱とはいえ、確かな精気を感じた。
マーシアと全く同じ容貌、体躯を持つ人間が、この中にいる。
「……なん、で……何でお前が、もう一人、いるんだ……?」
「これは〝私〟ではありません。コピーのコピーです。でも、大差はないのでしょうね。同じ成分で作成されていますから―――――ですが、〝99番〟はもうじきに死ぬでしょう。個体差の問題と言うわけではなく、ご主人様が投げ出してしまったから」
これは破棄対象の揺り籠でいて墓場ですと、マーシアは答える。
「マーシアは、〝ご主人様の愛する人〟を模した、偽物(レプリカ)です」
「お前は、〝作られた〟、のか……?」
「そうです。〝クローン〟……同一起源と均一遺伝情報とそれに属する核酸と細胞とその他もろもろの成分や材料で、私は〝製造〟されました。私は〝98番目〟……〝98人目〟です」
98。
必然的に、マーシアの前のナンバリングの〝マーシア〟は97人存在することになる。
「嘘だ!そんなことができるわけねえ!そんな、そんな……機械的に人間を作るだなんて、おかしいだろ!」
「いいえ、おかしい話ではないのです。事実、遥か古にはごく普通に使用されていた技術です」
「そんなの、許されるわけねえだろ。お前と同じ顔した別の人間が物みてえに作られてるってことなんだろ!?許されていいわけがねぇ!」
噛みつくように腕を振ったソウリュウに、マーシアは動揺することなく問いかけた。
「……ソウリュウ様は思ったことはありませんか。愛する人、好意を寄せる人、信頼する人を失って、もう一度会いたい。もう一度やり直したい―――――そう思ってしまうこと。そうは思わないと絶対に断言できる自信はありますか?」
「じゃあ、主人は……もう一度、お前の〝元〟のやつに会いたくて……何年もここで、実験してたのか……?」
日記に殴り書きされた慟哭も、壁に描かれた絶叫も、散らばる紙片の文字の一つ一つが全て、復元と再構成を唱えていたのだと、ソウリュウは気づく。気づいてしまった。
「私は。マーシアという名のメイドは、ご主人様の愛する人―――――〝マリーベル・マーシアナ〟様になれなかった失敗作の欠陥品です」
「まりー、べる……?」
それが〝愛〟する人の名前?
全ての発端、元凶とも言えるのかもしれない。
「ご主人様はこの館に来る前に〝いろいろ〟なことを行ったようですが、結局飽きてしまったようでした。ここに籠って、実験をする日々を送っていました―――――そして、貴方様があの街にやってきた」
森を抜け、行き倒れるようにカシスの街へと―――――。
「ご主人様は大層ソウリュウ様にお会いしたかったようで、事前に準備をしたのです。街に呪いをかけ、街の人を攫って、正義感の強い貴方を焚き付けてここに来るように誘導したのです。何週間も前から、ここに招き入れようと計算していたのです―――――全ては貴方一人の為だったんですよソウリュウ様」
「……!?」
「貴方様はご主人様から欲されている。理由は、ご主人様本人が話してくれるでしょう。マーシアはただの案内役です。マーシアはご主人様のメイドなのですから」
マーシアは、と
付け足す。
「マーシアは紛い物なのです。貴方様が今までに見て、聞き、戦ったマーシアは、失敗作なのです。偽物なのです。もうお気づきでしょう―――――この館がどれほど壊れているか。どれほど、狂っているか」
〝愛〟する者を蘇らせるように、創り出そうとした怪物の館。
我儘とも思える狂気によって囚われ、実験道具にされそうになった街や人々。
一人の竜人を招待するために用意された、狂った舞台。
人為的に創られたメイドに誘われ、辿りついた先。
「マーシア」
ソウリュウは、偽物の名前を呼んだ。
「俺独りの為だとか、偽物だの本物だの、よくわかんねえ。ややこしい理論やら理念?……とにかくけったいなことは全然わかんねえ―――――でも、お前は、今ここにいるんだろ?俺の知ってるマーシアってやつは、お前だけだよ」
マーシアは驚くことも、特に変わった反応を見せることも無い。
ただ静かに、ソウリュウの言葉に耳を傾けていた。
「お前がひたすら機械みたいに喋るのは何でだって思ってたけどよ、機械から生まれたんじゃ、そうなるよな。でも、何も感じないわけじゃないんだろ?」
「私には感情がありません。喜ぶことも悲しむことも、苦しむことも嬉しく思うことも、尊く感じることも憎いと叫ぶこともできません。ご主人様に従うことが生きがいと言えばそうなのかもしれませんし、そうではないのかもしれません。それしか生きる術がない、己を存在を実感できないから、ご主人様につき従っているだけなのかもしれません。マーシアは機械人形のようなモノですから。死んだところで別のマーシアは作れます。替えは利くんです」
このような〝生物〟は、人間とは到底認めてもらえないのでしょうねと、マーシアは無表情のままで呟いた。
その呟きがどこか自虐的な響きを秘めているようにも思えた。
「……〝愛〟とは何なのでしょう」
〝愛〟があれば、マーシアはご主人様の気持ちが理解できたのでしょうか。ご主人様の苦悩を分かち合うことができたのでしょうか。ご主人様の心を癒すことができたのでしょうか。
〝愛〟があれば、マーシアは誰も殺めずに済んだのでしょうか。
〝愛〟があれば、マーシアも死なずに済んだのでしょうか。
〝愛〟があれば、マーシアはマリーベル様に成れたのでしょうか。
〝愛〟があれば、マーシアは人間に成れたのでしょうか。
マーシア。
機械人形に等しい、主人に忠実な人造人間。
言われるがままに人を殺し、命じられるままに尽き従う。
どれほど残虐な行為だろうとも涼しい顔で行える。
どれほど非道な結末だろうと掃除をするように片づけられる。
彼女は戦うだけの、戦闘人形。
失敗作でしかない。
人間に成れなかった―――――何者にもなれなかった哀れなメイド。
「―――――なぁ、マーシア。それじゃあ、俺もお前と一緒だよ」
ソウリュウは寂しげに苦笑しながら呟いた。
「俺もちっともわかんねえよ。〝愛〟なんて。どんなものなのか、どんな色なのか、どんな味がすんのかも、全くわかんねえよ」
だから、俺も
「俺も―――――人間には成れなかったよ」
どれだけ人間のふりを重ねても、本性は隠しきれない。本質を殺しきれない。
人間ではないことをどれほど苦悩したかだなんて、覚えていない。
数多の種族から向けられる畏怖の目にどれほど心が痛んだかなんて、思い出したくもない。
誰かを守ることで正当性を見出そうとしても、意味がない。
人間と竜の血が混ざってしまっているのだから。
「マーシアは、ソウリュウ様が人間のようには見えません」
「そうだよ。だって、俺は竜人なんだから。人間には、どう足掻いたって成れねえんだ。でも、人間じゃなかろうが偽物だろうが何だろうが、お前はマーシアなんだろ?俺には、お前がお前のままに見えるよ。マーシアって強いメイドに、ちゃんと見えるよ。あの時、お前と戦って楽しかったし、また戦いたいんだよ。偽物だろうが何だろうが関係ない。俺はお前と戦いたいんだ」
だから。
「だから、お前は〝マーシア〟のままでいいんだ。いいんだよ。俺は、難しいこと……わかんねえから……」
わからないままでいい。
この時、とても、悲しげな顔をしていたのかもしれない。
ソウリュウとは思えないほど、悲観的な表情をしていたのかもしれない。
「ソウリュウ様は、やっぱり、お優しいですね」
いつしか、研究室にも果てがやってくる。
「ごめんなさい。こんな時に笑えないのが、マーシアなのです」
二人はやがて―――――巨大な両開き式の扉の前に到達する。
重々しくも堅牢な扉には一切の装飾が無く、ドアノブも無ければ鍵穴も無い。
「残念なお知らせを申し上げます。ソウリュウ様―――――貴方にはこの先で、死んでもらいます」
「……」
「マーシアは、貴方様を殺さなければいけないのです」
「それは、主人の命令か?そうだとしたらここまで散々迷惑かけて誘っておいて、ひどい主人だ。ぶん殴りたくなるぜ」
「ソウリュウ様はマーシアに殺されて死ぬのです。貴方の提唱する決闘規則(ルール)には、もう従えません」
死にたくはねぇなぁと、ソウリュウは静かに微笑んだ。
「それも、お前の意志なのか?」
「はい。マーシアはご主人様のメイドですから。それに失敗作ですから、戦闘不能になったところでご主人様にご迷惑はさほどかかりません」
「そうかよ」
がこんと、扉の内側から急に何かが外れるような音が響く。
そのまま扉はソウリュウを招き入れるかのように横開きに、ゆっくりと開いていく。
薄暗い研究室に眩しい光が差し込み、ソウリュウは目を細めた。
隣にはマーシアもいる。
人間に成れなかった竜人と、人間に成りきれなかった人造人間。
「マーシア」
訪れるであろう戦いを受け入れることを決心し、拳を打ち鳴らすソウリュウは、最後にマーシアに言った。
彼なり精一杯の思いを、そこに込めながら。
「失敗作だから死んでもいいだなんて、そんな悲しいこと言うなよ」
フレイの言葉が、少しだけわかったような気がした。
◆
―――――そして八つ目の物語は始まりの終着点へと切り替わる(シフトする)―――――
―――――薔薇。
血を塗りたくったように鮮烈な赤い薔薇が、室内を花園代わりに咲き乱れている。
薔薇、薔薇、薔薇の世界。薔薇の箱庭。薔薇の楽園。
舞い散った花弁は床に模様をつけ、紅の絨毯を作り上げ、血河のような長い道を築く。
床は白と黒のチェックであり、まるでチェスの盤上を想起させる。
噎せ返るような甘い香り。
薔薇だけではない。甘い菓子類の匂い。
薔薇園の隙間を縫うように設置された幾つもの小テーブルの上には、いかにも高級そうなケーキやらクッキーやらが置かれている。
おとぎの国のパーティ会場を思わせるテイストで拵えられた部屋の世界観。
そのくせ高い天井からは幾多の首吊り縄が伸びており、狂気的でいて歪な雰囲気を醸し出している。
茨の垣根で阻まれるように朦朧だった視界は一気に開け―――――ソウリュウはその先で待つ者の姿を見た。
一目で、心臓を鷲掴みにされたかのような気分に陥る。
「―――――随分と昔に、欲張りな錬金術師は〝最強なる存在〟を自身の手で創り上げようと目論みました。多くの犠牲者を積み上げながら、錬金術師は研究の末にようやく真理へと辿りつきました」
歌うように
「―――――実験の結果は大成功。ですが、その過ちによって今も尚、人間種は苦しむ羽目になり、全人類は仲良く隣人同士で首を絞めあっている。馬鹿げた話だと思いませんか?利益を得るため、名声を轟かせるため、願望を叶えるため、正義の名を語って〝大罪〟を犯し、罪の名の下に生まれた残骸を受け入れようともしない。許そうともしない。自らの欲望によって生まれ堕ちた生命に手を差し伸べようともしない……ほんと、哀しい話ですよね。蟻だってきりぎりすを救済してくれたというのに、人間はそれをしない。世界で一番強欲で、傲慢で、狡猾で、怠惰で、愚鈍で、偽善的な種族。嘆かわしいのですよ私は、人間の血を含んだ竜を見るだなんて」
唄うように
「でも、これも約束の一つです。貴方は忘れ形見。黒き炎竜と黄昏の聖女の、意志を引継ぎし唯一の〝破壊者〟なのですから―――――ああ、ああ。長かった。二百五十年。二百五十年は待ちましたよ。否、もしくは五千と二百五十年?久しぶりに心が躍り出してきましたよ。とっくの昔に踊る足も腐り堕ちたかと思っていたのに」
謳うように、愉悦の笑みを刻んだ口から、不気味なほど滑舌の良い声が流れ出る。
豪華絢爛な玉座に深々と腰掛けながら、その者は紅茶を淹れたティ―カップを手にして唖然としているソウリュウを見下ろしている。
身の毛がよだちそうになるほどの気配。オーラとも言うのだろうか。
悍ましいほど甘ったるいそれは殺気とも闘気とも表せないが、全身と言う全身を鋭利な針で刺してくるような鋭さを帯びている。
その者は幼子であり、少年であり、少女であり、青年であり、初老、老人であり、老婆であり、何者でもあり、何者でもなかった。
人間なのか亜人なのか異人なのか妖精なのか亡霊なのか魔獣なのか魔物なのかその他の種なのかさえも判別できない。判断がつかない。確定できない。
不確定要素。
不確定因子。
声音もまた幼子であり、少年であり、少女であり、青年であり、初老、老人であり、老婆であり、何者でもあり、何者でもない。
わからない。
わからない。
誰。
誰だ。
誰なんだ。
彼(彼女)がいったい何者なのか、存在自体もわからない。
それでも、知っているような気がした。
どこかで出会ったことがあるような予感がした。
そんなことは絶対に無いはずだというのに、何故か結びつくものがあった。
確信ではなく、本当に微弱な予感でしかないけれど。
「お前、は」
―――――ざわりと、血が騒いだ。
「お前は、〝誰〟だ」
「―――――ようこそ、ソウリュウさん。余興は楽しんでいただけましたか?」
何者でもなく誰でもない彼(彼女)だが、ソウリュウは一つの形を〝幻視〟する。
玉座に腰掛けてはケーキを頬張る奴は―――――〝幼い中性的な少年〟。
何色とも表せない艶やかな髪は、肩に届くか届かないかの位置まで伸びている。
何色とも説明できない瞳は猫を思わせ、ぞっとするほど美しい。
陶器のように滑らかな白い肌。華奢な体躯。
左目は失明しているのか分厚い黒の眼帯が厳重に巻かれている。
人を食ったような邪悪な笑み。馴れ馴れしい態度。道化めいた口調。演技めいた仕草。
魅惑的でいて蠱惑的。
こいつが、諸悪の根源。
この事件の、主犯。
館の、主。
―――――見惚れなかったといえば、嘘になる。
「おや、何だか非常によろしくないお顔をしていますね。不満?憂鬱?悲壮?何て言ったらいいんでしょうね、お疲れ様?とかですかねぇ」
降りかかった声にはっとしたソウリュウだったが、すぐに気を取り直して〝少年〟にびしっと指を向けて宣言する。
「お前が諸悪の根源ってやつだな!俺はお前を倒しに来たんだ。俺をここまで呼んだだかなんだかしんねぇけど、こっちはすんげえ迷惑してんだよ。それ以外にもいろいろ苛立ってるし文句言いたいんだよ!観念しろ!」
ソウリュウがそう言っている間にもマーシアはすたすたと彼の横を通過し、主人の元へと戻っていく。
〝少年〟は自分の傍に控えたマーシアには目もくれず、妙な声を出したかと思えばいきなり腹を抱えて大爆笑し始めた。
手に持っていた食べかけのケーキを載せた皿と銀のフォークは、いつの間にか消失している。
「あはははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははは!はははははははははははははははははははははははは!はははははははははははははははははははは!ははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははは!ははははははははははははははははははははははは!」
足をばたばたばたつかせ、大きな口を開けて笑う光景はもはや異様を通り越して珍妙であり、ソウリュウは呆気を取られてしまう。
「な……何がおかしいんだよ!」
「ははははははははは……いやいやすいませんねぇ。本当に貴方〝炎竜〟なのか本気で疑っちゃいまして……!だって今までこんなに元気いっぱいで、馬鹿そうな人いなかったんですもの!」
「はぁ?」
「それに貴方はクロイツさんの意志を引継ぎし者なのでしょう?それなのに、あの人と性格もギャップも真逆なんですもん!そりゃあ面白くて笑っちゃうのも無理ないですよ!ふふ……本当に長く生きていると数奇な運命を目撃し、垣間見るものなのですねぇ―――――ギィはもっとおとなしかったですし、モエギさんはおしとやか。肝心のクロイツさんに至っては冷酷……だったのかどうか微妙ですけど、少なくとも貴方みたいな熱血ではなかったですね」
「何を言って……?」
ギィ。モエギ。クロイツ。
どくんと、心臓が高鳴る。
「ああ、嬉しい。やっと私を壊しに来てくれたんですねソウリュウさん!嬉しい、嬉しい、嬉しくて涙が出そうです!ずっと、ずっと、ずーっとルーナさんの言葉を信じて、待っていたんですから私は!―――――私の名前は何でしたっけ。えーっと……あ、思い出しました。すいませんねぇ名乗ることなんてもう何百年もしていなかったもので。残酷な時の流れを憎んで私を恨まないでくださいねぇ」
「ルー、ナ?」
「ああ―――――貴方の黄昏の色の髪はルーナさん譲りですねぇ。懐かしいです」
ルーナ。
その名前には聞き覚えがあるようで、無いようで、だけれども心を打つ何かがあった。
誰―――――。
知らないはずの、存在達―――――。
「私はですねソウリュウさん。先ほども言いましたがずっと貴方を待っていたんです。貴方の何世代も前のご先祖様の更に昔の昔から、ずっと待っていたんです。貴方は知らなくても、私は知っているのです。貴方の血の出で先も、誰のモノなのかどうして生まれ落ちたのか全部全部ぜーんぶ、知っているのです!」
「お前は、いったい……!?」
「さて、前置きはこれくらいにしてとっとと始めますか。メイド遊びも神ごっこも王様ごっこに飽きましたか、次はもう少しスリリングな遊びを堪能しようと思います」
魔法でも使ったのか、ふわりと玉座から降りた〝少年〟は、恭しくお辞儀をしながら実に社交的な微笑をソウリュウに見せた。
新たな物語の開幕を告げる、自己紹介をしながら。
「私の名前はフランシス。しがない紳士です―――――早速ですけど、私を殺してくれませんか?」
――――― Welcome! To king's garden of a 〝Red Rose〟! ―――――
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