女の子は毎日人形(お友達)と楽しく遊びました。
 お喋りをし、おままごとをしました。鬼ごっこもかくれんぼもしました。
 女の子は今までの寂しい日々が嘘のように、一日一日が幸福でなりませんでした。
 人形(お友達)はお父さんやお母さんと違って自分に構ってくれます。自分だけを見てくれます。
 女の子が望むままに動き、望みどおりのことをしてくれます。
 だから女の子は毎日幸せでした。
 人形(お友達)が傍にいてくれるだけで、彼女の世界は満たされてしまったのです。
 いつしか彼女は十本の指全てに勝手に拝借したお母さんの糸を巻きつけ、それを人形に繋げました。
 女の子が軽やかに歌い、人形が自在に踊る。

 踊れ 踊れ 蝶のように
 歌え 歌え 小鳥のように
 いつまでも いつまでも …… 

 小さな家の狭い部屋で、一人と一つはゆっくりと世界を閉ざしていきました。

 

 


 ◆

 

 

 

幻想世界の古道具屋 第二幕 ブレス・ブレス・ドール

 

Ⅴ 動き出す暗躍者と始まりゆくサーカス

 

 

 

 ◆

 


「街が騒々しいな……祭りでも始まるのか?」

 

「……まつり?」

 

「人が大量に群れて集まって、ぱーっと催し物したり、とにかくまぁいろいろやるどんちゃん騒ぎだよ。どうせお前には理解できねぇだろうけどな」

 

「ふぅん……ひとが たくさん ……ねぇ ぜんいん ころしていいの?」

 

「おっと待て待て。そうしたいのはやまやまだけど、今日の任務は虐殺じゃねえよ。人探しだ。まったく……人使いが荒いよな〝あいつ〟も。めんどくせぇ……」

 

「むー……」

 

「大好きな〝あいつ〟の命令だろ?従えよ」

 

「……でも すこしくらい ころしてもいい でしょ?」

 

「形容範囲内で、だ」

 

「……はやく おしごと して かえりたい …… 〝ふらんしす〟 ほめてくれるかな …… 」

 

「行くぞクソ犬。足引っ張んなよ俺の責任になるからな」

 

「……あそこにいる やつら ころしたい ころしたい ……ころしたいな ……」

 

 

 ◆

 


『サーカス団が街にやってきた!』

 

 噂は事実に、飛語は現実となり、サーミの街に本物の移動サーカス団がやってきたその日、未だかつてないほど大騒ぎに街中は包み込まれることになったのです。
 大型のカラクリに七色の天幕、一際目を引くのが巨大な〝移動型防魔装置(ムーヴ・シス・マテリア)〟の存在であり、子供から大人まで寄って集ってサーカス団の様子を一目見ようと、街の広場は大勢の人混みでぎゅうぎゅう詰めになりつつありました。
 多種族混同のサーカス旅団〝ドミナ・ドゥミナス〟。
 団員は亜人や異人であろうが種族関係なく集まっている珍しい形式であり、閉鎖的な世の中に娯楽を提供しながら世界各地を旅して回っているサーカス団です。 
 街の長とサーカス団の団長の対談やら開演の許可やらの話もあったようだが、知らぬ間に事は終わり、数日間サーカス団はサーミの街に滞在し、舞台を開くことになったようです。
 もちろん街の人々は大歓喜で、もはや盛大なお祭り騒ぎです。
 ただでさえここは東の孤島の田舎町なので、街全体を揺るがすほどのイベントは貴重なのです。
 言い方が悪いですが、街の人々の大半が楽しい騒ぎが大好きな自由人、変人で構成されているため、皆ノリ良く宴の支度まで始めていました。

 ―――――それが二日前のお話です。


 そして今日がサーカスの開幕の日です。
 


 同時に物語―――――〝サーカス〟と〝人形〟の狂おしくも愉悦なる戯曲が始まろうとしていたのです。

 

 

 ◆

 


~サーミの街 東街道にて アネットとミル~

 

 街は色とりどりの旗やら花で飾り立てられ、いかにも〝祭り〟らしい雰囲気に一転していました。
 いつもの東街道も華やかさが増し、行き交う住民達も心なしか期待と楽しみに心を躍らせているように見えます。
 東街道名物の天才音楽家ヴォルフと、その相方ツェペリンによるヴァイオリンとオルガンの路上演奏もいつになく気合が入っており、人々はたちまち足を止めて二重奏にうっとりと聴き入ってしまいます。
 この様子だけを見ると本日サーミの街にて初開演となる〝ドミナ・ドゥナミス〟に対抗しているかのようですが、〝街一番の根っからの優男〟とさえ囁かれているヴォルフにはそんな野心があるはずありません。
「はぁ……」
 このように街は活気に溢れ、浮かれ気分が蔓延しつつありますが、唯一落ち込んでいる人物がアネットでした。
 石畳に散らばる花吹雪の跡を踏まずに歩くように、地面ばかりを見て俯いています。
 そんなアネットですが、今日のサーカスには行くつもりでいます。何故なら友人のミルと約束をしてしまっているのですから。
 無論、数日前までのアネットも見たことの無いサーカスを楽しみに想像を膨らませていましたが、この数日で精神を削るいろいろな出来事が起こりすぎたせいで楽しむ気力が消失しかけているのです。
「えーっと……ア、アネッさん?」
 憂鬱と不安感をこれ以上に無く凝縮した溜め息を吐くアネットに、隣を歩くミルは何とか元気づけてあげようと必死になっていました。
「どうしたんっすかアネッさん。元気ないっすよ。今日はサーカスっすよサーカス!サーカスって言ったらあれっすよ!えーっとえーっと何だっけ。ジャ……ジャーマンスープレックスじゃなくってえーっと……」
「……ジャグリング?」
「そうそうそれっす!」 
「そもそも何よジャーマンスープレックスって。魔物の名前?」
「旧世界にあった〝プロレス〟っていうポピュラースポーツの必殺技らしいっす!お父さんがロミさんのところでそれ関連の本をもらったらしくて、ちょっと覗いたんっす」
「へー……そう」
 長らくサーカスを楽しみにしていたウキウキのミルとは違い、アネットは当分気分が晴れそうにあれませんでした。
 理由は二つあります。
 一つは先日の清長との口論―――――あれ以来チャールズとも話すことができず、もちろん清長と仲直りすることもできていません。
 チャールズの心の傷を更に抉ってしまった清長のことは許し難いですが、それでも清長にひどい言葉をかけてしまったことは事実です。アネットはずっとそのことを気にして悶々としているのです。
「本当にどうしたんっすかアネッさん。風邪っすか?腹痛っすか?そういえば今日はタロさんがいないっすね」
「タロは、最近あんまり調子が良くないの……」
 しばらく前から調子が良くなかったタロでしたが、数日前から本格的に調子が悪くなってしまったようで、ロミがつきっきりで整備をしなけばいけない状態になってしまいました。
 ロミは「時間はかかるけど必ず元気になるから、せっかくのサーカスなんだからアネットだけでも楽しんできなさい」と送り出してくれましたが、アネットは心配で心配でなりません。
 小さいころからタロはずっと傍にいてくれた親友であり家族です。もしものことがあったらと想像するだけで涙が出そうになってしまいます。
 自分に笑いかけてくれて、叱ってくれて、困ったり、励ましてくれるタロがいないとこんなにも空虚な気持ちになるのだと、アネットは改めて痛感するのです。
 ますます沈んでいくアネットの手を、これはいけないと言わんばかりにミルが強引に掴みます。
「大丈夫っすよ。そんな落ち込まなくてもロミさんが何とかしてくれるに決まってるっす!だってロミさんは街一番のえーっとえーっと……」
「道具屋」
「そうそう街一番の道具屋さんっすから!それはアネッさんが誰よりもよく知ってることっすよね?」
「うん……」
 ロミの凄さは誰よりもアネットが一番知っています。
 道具たちを導き、心を読み、どんな物でも治してしまう、素晴らしい道具屋の店主だと―――――。
「だったら何も心配いらないっすよ。むしろ、今日のサーカスを思いっきり楽しんで、タロさんを悔しがらせるくらいのお土産話を持って帰りましょ!」
「……そうね。ありがとうミル」
 ミルの励ましが身に沁みる中で、アネットはふと上空を見上げます。
 黒い人影が高速でアネットの視界を過りましたが、人影の正体をかろうじて視認することができました。


「……清長?」

 

 人影は防魔装置(シス・マテリア)の結界の天蓋外を飛行する清長のものでした。  
 脳裏を掠める数日前の出来事に嫌気がさし、アネットは思いを振り払うように首を振りました。
(知らない知らない!清長のことなんて……今日のわたしはミルと一緒にサーカスを楽しむんだから!)
 そのまま歩き出そうとしたところで、妙な感触。
「きゃ!」
 気づけばアネットは何かに足を取られ、ひっくり返って転倒しそうになります。
 悲鳴を上げて目を閉じたところで―――――再び妙な感触。
 柔らかく、ふよふよとしていてぶよぶよとしている得体の知れない感覚に背中を支えられ、アネットはきょとんとしてしまいます。


「ダイジョーブ ?」

 

 聞き覚えの無い声に恐る恐る目を開けると、アネットの目の前には見たことの無い不思議な子供がいました。
 不定形に動く濃い緑色の髪に、真ん丸の翠の瞳。腕も足もどろどろとしており、液状にとろけている手であろうものがアネットを優しく抱えています。 
 かろうじて人型をしているけれど普通の人間とは到底思えない子供は、にっこりと可愛らしい笑顔を見せてくれます。
「え、え?貴方は……」
 言葉を失うアネットに、不思議な子供は破顔したままじっと彼女の顔を覗き込んでいます。
「アナター ? ヨラン ノ コトー ?」
 ヨラン。
 これがこの子の名前なのかと思ったその時、どこからともなく女の子の声が響いてきます。
「ヨランー!ヨランどこー?」
「アー ! ココダヨー」
 ヨランはそっとアネットを地面に降ろしてから幼子のようにはしゃぎ、駆けてきた女の子に液体の手を振ります。
 女の子は奇抜な衣装に身を包んでおり、一目でサーカス団の関係者であることがわかります。
 頭から生えた獣耳は猫を想起させ、スカートの裾からはみ出ている細長い尻尾が揺れるたびに、先端についている鈴がちりんちりんと澄んだ音色を奏でます。
「もー勝手に独りで行かないでって何度も言ったでしょ。もうじき講演なんだから、準備しないと。団長も探してたよ」
 アネットと同い年くらいでしょうか、猫魔獣の亜人の女の子はヨランを叱りつけます。
「ハーイ アノネー ヨラン コノヒト ニ ブツカッチャッテ」
「え!?」
 ヨランの衝撃の告白に、女の子は血相を変えてアネットに目をやります。
「怪我はない!?大丈夫!?服とか汚しちゃってない!?」
「あ、大丈夫よ。むしろこの子が支えてくれ……」
 たから、と言い切ることができなかったのは、服がぐっしょりと濡れていたからです。
 それもヨランに触れられた箇所だけが、水を吸い込んでいるのです。
「濡れ、てる」
「きゃあああああごめんなさい!ヨーラーンーッ!だから余所見しちゃ駄目って言ったじゃない!あんたにその気が無くてもあんたに触れたらびしょ濡れになっちゃうのよ」
「ゴメンー ?」
 ヨランはにこにこしたまま謝罪しますが女の子の言葉の意味を全く理解しておらず、申し訳なさも全然感じていないようです。
 ヨランの代わりに女の子が申し訳なさそうに何度も頭を下げます。
「本当にごめんなさい!ああ、でも時間が……誰か時間がある人は……!」
「こ、このくらい大丈夫よ。今日は温かいから、すぐ乾くわ」
 あんまりにも必死に謝られるものだから、アネットはぎこちなくなりながらも平気だと苦笑します。
「ご迷惑かけてごめんなさい……舞台が終わったら時間あるかな?その時改めて謝罪させてもらうから……今は急いでいるので、また後で!―――――ほら、行くよヨラン!」
「アリャー ? バハハーイ ?」
 本当に急いでいるのか女の子は無理やりヨランを引き連れて全力疾走でテントへと向かっていきます。 
「あー!言い忘れた!」
 その途中、急に何かを思い出したのか、濡れた服をどうしようかと考えていたアネットに女の子は大きな声で言い伝えます。
「あたしの名前はカトラ!今日のサーカス、来てくれてありがとう!思いっきり楽しませるから!退屈させないよからね!」
 カトラと名乗った女の子はそのまま振り返ることなく、亜人特有の身軽な動きであっという間に立ち去ってしまいました。
「吃驚したっすね。今の緑の子液体っすよね?あんな亜人も異人も見たことも聞いたこともないっす。もしかして魔獣?それとも手品師っすかね?」
「あ」
 興味津々のミルを横に、アネットは小さく声を洩らしてしまいます。
「どうしたっすか?」
「今の子が落としたのかな、これ」
 アネットは地面からそれ―――――花の髪飾りを拾い上げます。
 淡い桃色の花は本物ではなく、木でも石とも違う奇妙な素材で作られてます。
「わあ、綺麗な髪飾りっすね。でもすごい古めかしいというか……アネッさんのお店で取り扱っててもおかしくないような代物っすね」
「裏に何か彫ってあるけど、読めないわ」
 花飾りの部分を裏返すとそこには短い文章が彫られていましたが、見たこともない言語と古びた文字痕の劣化のせいで解読はできませんでした。
「……後で返さなくっちゃね」
 ひとまずアネットは髪飾りをスカートのポケットにしまい、女の子の後を追うようにサーカスのテントへと歩き出しました。 

 ―――――もしもこの時、アネットが髪飾りに掘られた〝竜語(リンドラ)〟を解読できたとしても、浮かび上がるのは疑問だけでしょう。
 今の彼女にはかつての〝髪飾りの持ち主〟のことも〝過去の物語〟のことも知らないのですから。
 彼女が全てを知るのはしばし先のことですが、この時点で伏線はすでに張られていたのです。
 

―――――髪飾りには〝竜語(リンドラ)〟で

 
 『我が恩人〝ルーナ〟に捧ぐ』


 と、刻まれていました―――――。

 


 ◆

 


~サーミの街 サーカス広場にて メルルゥとジョイ~


「うわー……お客さんたくさん来てますね」
「そりゃそうだよメルちゃん。催し物なんてめったにやらないんだから、みんな興味津々になるに決まっているじゃないか」
「それはそうですけど、まさかここまでとは思わなくて」
 サーカスを心待ちにする人々で溢れた人混みの中で、メルルゥは慣れない騒ぎの新鮮さでいっぱいになっていました。
 本日の『ノーゼア』の任務は、人々の安全を見守ること―――――いわば警備員です。
 魔物狩り専門の組合(ギルド)には本来ならばありえない仕事内容ですが、サーミの街の町長から直接頼まれてしまえば断りようがありません。
 メルルゥとジョイはこの件に関して特に不満はありませんが、リーダーであるシアンは相当不機嫌なようです。
 それもそのはず、魔物を狩る仕事以外は極力受け付けたがらない(それ以前に魔狩りしか受け付けない)というのに全く関係ない当番を押し付けられてしまったのですから。
 現在シアンは別の場所で警備を行っていますが、間違いなく嫌々やっていることでしょう。
「……チャールズ君も来れればよかったんだけど」
 不意にメルルゥは『ノーゼア』の新入りチャールズのことを思い出し、表情に陰を落としてしまいます。
 数日前から塞ぎこむようになってしまったチャールズは顔も出さなくなり、自宅に機械工房に引き篭ってしまったのです。
 何度かメルルゥは心配して様子を見に行きましたが、結局会うことは叶いませんでした。
「メルちゃん。気にすることはないよ。彼は君のせいで出てこなくなったんじゃなくて別の理由で出てこないんだよ」
「何でそんなことがわかるんですか?」
「おじさんの勘ってやつ♪」
 満面の笑みで自信満々に言われ、メルルゥはさすがにげんなりしてしまいます。
「ま、何はともあれメルちゃんが気にする必要はないよ。シアンの旦那が言うとおり、放っておくのが一番いいよ。今はね」
「そうなんですかね……」
「そう暗い顔しないでくれたまえよ。今日はせっかくのサーカス日和なんだから、ほら、元気出してくれないとおじさん悲しいぞ?」
「精進します……」
 ジョイに励まされ、メルルゥは呆れながらもありがたさを感じます。
「さて、おじさんちょっとあっちの様子も見てくるよ。少しの間ここの警備任せたよ」
「はーい。迷わないでくださいよ」
「おじさんを誰だと思ってるんだい!天下無敵の―――――あてっ」
 ノリノリで宣言するジョイでしたが、悪気なく人にぶつかってしまうという迷惑行為を繰り返し、最終的に「あーれー!」という情けない声と共に人ごみに呑まれてしまいました。
「だ、大丈夫かな……」
 はらはらしてしまうメルルゥでしたが、そこで自分もよそ見していたことに気づけず―――――衝突。
「きゃ!ごめんなさいっ―――――あら?」
 誰かとぶつかってしまい、メルルゥは慌てて謝りますが、相手が見当たりません。
 はっとして下を見ると、メルルゥよりもずっと小さな女の子がじっと彼女を凝視していました。
 その瞳の底知れなさ―――――真っ黒の瞳はどろどろに溶かした墨汁を固めたかのようで、まるで光を帯びていません。ぞっとするほどの冷たさと闇を秘めたその目に見据えられ、メルルゥはぎくりとしてしまいます。
 
 遠い昔にこんな目を幾つも見ていた記憶が、走馬灯のように蘇ってしまったからです。


―――――汚れた檻、冷たい床、死んだような目、死んだような体、腐臭と汚臭、鎖と枷、悲鳴と絶叫、飛び交う野次と跳ねかえる激痛、怨嗟と憎悪、悲痛と絶望……


「……じゃま」
 幼女の抑揚の無い不服の声にメルルゥははっとします。
「ご、ごめんねお嬢ちゃん。余所見してて……」
 そして―――――メルルゥは雷に打たれるような衝撃を覚えるのです。
 ぼさぼさの黒髪、死人と見間違えそうになるほど精気の籠っていない瞳、不健康に痩せ細った体、首と四肢についた黒光する重量感のある枷、身なりこそリボンとフリルをふんだんにあしらった可愛らしいワンピースだが―――――見紛うはずがありません。

 

 目の前の幼女を―――――メルルゥは知っていました。
 これ以上になく―――――記憶に刻まれ、焼き付いていたのです。

 

「嘘」
 愕然とするメルルゥは咄嗟に不審そうに睨んでくる幼女に手を伸ばしてしまいますが、その刹那、幼女の体はンロングコートを羽織った男に軽々と持ち上げられてしまいます。 
「気をつけな姉ちゃん。〝大火傷〟したくなかったらな」
 今の時代ではもはや骨董品に等しい保護眼鏡ことサングラスをつけ、金髪の長髪を一本に結った背の高い男はにやりと笑んで、そのまま幼女を肩に乗せて歩き去ってしまいます。
 独特な容貌と異様な気配にしばし目を奪われてしまうメルルゥでしたが、我に返るように叫んでいました。
「ね、ねえ!待って!貴女は……」
 しかし、時すでに遅し―――――もう男の姿と幼女の姿はどこにもありませんでした。
(見間違い……ううんそんなわけがない。あの子のこと、アタシは間違いなく知ってる!)
「どうしたの。メルちゃん」
 戻ってきたジョイに肩を叩かれ、メルルゥはびくりとしながらも急いで首を横に振ります。
「い、いいえ。何でもないですジョイさん……」
 それでも一向に収まらない胸騒ぎに、メルルゥはぎゅっと拳を強く握りしめてしまいます。


(どうして……?何故貴女がここにいるの……?貴女はあの時死んだんじゃなかったの―――――マーシー……!)

 

 

 ◆


~サーミの街 サーカス広場付近にて ?と?~

 


「……あの野郎。やっぱり生きてやがったか」
 先ほどメルルゥと衝突した黒髪の幼女と、少女を肩に乗せたサングラスの男は、人混みを縫うように歩いていました。
 男の忌々しげな呟きは不思議と他の誰にも聞こえず、幼女だけが興味なさげに耳を傾けています。
「あいつだけは絶対に斬り刻んでやる。上から下までズタズタにしねぇと気がすまねぇ―――――どうしたクソ犬。さっきの女にガン飛ばされてたみてぇだが、そういうの気にする達じゃねえだろ?」
 随分とひどい呼び名で呼ばれた幼女ですが、特に反発することもなく男の髪を軽く引っ張りました。喋る時の合図なのかもしれません。
「あいつ……」
「あいつ?」
 何かを言おうと幼女は小さな口を開きかけますが、発する前に口は閉ざされてしまいます。
「…… なんでもない」
「んだよ。お前は別に誰かと因縁持ってるわけじゃねえんだろ。それよりも仕事だ仕事。さっさと済まさねえとクビどころか首が飛ぶからな」
 あー忙しい忙しいと怠そうに連呼する男の肩で、幼女は後ろを振り返ります。

「……」
 
 視界に映るのは、見知らぬ人間達ばかり。
 その群れの中に、さっきぶつかった赤髪黄目の女性は紛れていませんでした。

 


 ◆


~サーミの街 サーカス広場上空にて 清長と?~


「―――――おいコラ。女」
 天狗の翼を大きく広げた清長は、不敵な笑みを讃えたまま空中で静止しました。
 眼下には目が痛くなるような彩色でいて配色のテントが傘のように広がっているが、視線はあくまで正面だけを捉えています。
 清長の眼前―――――数メートル離れた中空地点に、不自然な濃い桃色の霧が発生していました。
 霧の発生源、発生者であろう人物は霧をクッション代わりに、優雅な素振りで扇子を仰いでいます。
「ふふふ。よくここがわかりましたね」
 筆舌し難いほど美しく、魅力的な女の声音。
 魅惑的でいて蠱惑的。この世の者とは思えないほど美しい絶世の美女がそこにはいました。
 きめ細やかに波打つ霧よりも淡い石竹色の長髪。シンプルながらも美貌を引き立てる役割を充分に果たしている和装。口元に浮かべる笑みは艶めいており、異性どころか同性まで心惹かれそうになるほどの美しい表情でした。
 そんな彼女を前に興奮にも似た感情を胸の内に帯びながら(清長は綺麗な女性が大好きであり、人間ならば食的な意味でも大好物です)、己を主張するように名乗り上げます。
「空は天狗の庭だぜ。何よりここらの空は俺様のテリトリー……異変がありゃすぐ気づくんだよ。馬鹿な人間共と違ってな―――――俺様は清長。お前は?人間だけど人間臭くないお前、なかなか好みだぜ」
 はたから聞けばナンパにしか聞こえない台詞ですが、女性はくすりと笑んだまま答えます。
「私は夢浮橋芙蓉(ゆめうきばしふよう)。仙人……否、邪仙をしておりますわ」
「邪仙ねぇ。仙の道に歩む奴ってまだいるんだな。つまりお前ははるばる海を渡ってきたんだな。ご苦労なこった」
「ふふふ」
 仙人。
 魔法使いや錬金術とは全く異なる〝仙術〟を扱える存在。
 人間が仙人になるべく過酷な修行を積んだ先にようやく手に入れられるその力は謎が多く、そもそも仙人の数が非常に少ないため仙人自体の詳細も世間に明らかにされていません。
 邪仙は聖なる存在でもある仙人の道を踏み外した者の総称であり、悪道に奔った仙人が堕ちる悪職でもあります。
 恐ろしく美しい目の前の邪仙が仙人時代に過去に何を仕出かしたしまったのかは―――――何となく想像がついてしまいます。
「それにしてもお前、本当に良い面と体してんな。最初に見つけたのが俺様でよかったな。お前は上物だ。食うのが惜しいくらいな―――――普通なら俺様のテリトリーでそんなに邪気を出してる奴がいたら、すぐにぶっ殺すのが通例なんだぜ」
「ふふ、とても怖い持論ですわね」
「ま、お前は気にいったから俺様の愛玩物にしてやってもいいぜ。俺様みたいなイイ男、そうそういないぜ?」
 挑発するような態度と誘うような素振りを兼ね備えて、清長は手招きしました。
 すると夢浮橋は笑顔は湛えたまま、氷のように冷たいな言葉を返します。
「それは結構。ですがお断りしますわ。私は貴方様には何の興味も抱けませんから―――――何よりも私、汚らわしい獣の雄は吐き気を催すほど嫌いですの」
 はっきりと切り捨てられ、清長は数旬呆気を取られてしまいますが、すぐにいつもの強気な調子を取り戻します。少なからずの苛立ちは浮かべていますが。
「……随分な物言いだなオイ。なめてんのか。あ?上級天狗の俺様に対してその態度、いい度胸じゃねえか!俺様は強気な女は好きだし、ますます気にいったが―――――お前みたいなプライド高そうな奴をぶっ潰すのは最高に愉快だよなぁ!」
 そう言って殺気を剥き出し、夢浮橋に飛びかかる清長だったが、その動きは数瞬で停止してしまう。


「いっ……!?」

 

 空中戦においてはほぼ無敵を自称する清長だが、この状況では身動き一つ取れなくなってしまいます。
 
 ―――――上も下も横もどこも、自分を取り囲むように多種多彩な武器が浮かんでいたのですから。

 

 細剣から長剣、短剣や短刀、武骨な斧や巨大な鎌、数えきれないほどの鋭利な武器が清長に狙いを定め、閉じ込めていたのです。
「いつの間に……!?」
「ふふふふふふ。口だけは達者なようですね。天狗なのですからもっと機敏に俊敏に飛行なさりなさいな。もっとも、今どこを飛んでも貴方は醜い肉片になってしまうでしょうけれど」
 夢浮橋の笑顔が柔らかなものから邪悪極まりないものに変貌したことに気づき、清長はぞっとしてしまいます。
 人間をぞっとさせるはずの天狗が、邪仙とはいえ人間種にぞっとさせられてしまうのは―――――想像を絶する屈辱でした。
「まさか飛んでここまでくる方がいるとは思わなかったので。情報ではロミなる方が一番の危険人物だと聞いていたので、正直貴方の乱入は予想外でしたわ。清長様でしたっけ?ですが、貴方はちっともお強くないのですねぇ」
「なめやがって!」
 怒りに任せて武器を風で吹き飛ばそうとする清長でしたが、がしゃんと鍵がかかるような音を聞いてしまいます。
「!?」
 ぎょっとして手元を見ると、いつの間にか清長の両手首に拘束用の腕輪がはめられていました。
 何の予兆も無しに、それこそ魔法のように。
「あんまり暴れないでくださいな。これから〝私達〟はお仕事をしなければならないので。下では〝ティドさん〟と〝ガズネちゃん〟が働いてくれてくださっているからいいけど、あの二人は喧嘩っ早いから―――――死人が出てないといいんですが
「て、テメェ……!何を仕出かすつもりだ……!?」
 嫌な予感に早打ちする心臓を押さえつけることもできず、清長は吠えるように尋ねます。
 夢浮橋はにこりと笑んで、瑞々しい唇で言葉を紡ぎます。


「〝フランシス様〟からのご命令を実行するだけですわ。あの方、今は〝橙髪の竜人〟にご執心のようだから、こっちでの仕事は私達が済ませなければならないの」
「フ、フランシス……?」

 

 余談ですが、清長は数か月前に一度〝橙髪の竜人〟ことソウリュウに出会っていますが、因縁のある彼よりも最初に出てきた〝フランシス〟という名前に意識を持っていかれてしまいます。
「その名前―――――前にもどこかで……?」
 恐怖とはまた違う驚愕に目を見開く清長に、夢浮橋は不思議そうに首を傾げます。
「あの方の名前に聞き覚えがあるということは……―――――もしかすれば、貴方様の〝祖先〟の記憶が意志として受け継がれているのかもしれませんわね
「そ、祖先?はぁ?何を言ってるんだテメェ……!」
「ただの推測ですわ。机上の空論と解釈していただいても一向に構いませんわ―――――貴方様はどうでもいいので
 夢浮橋は見惚れるような動作で扇子を掲げ、残酷に振り下ろします。

 

「さようなら。生まれ変わるなら、可愛い娘様として転生なさいな」
「―――――ッ!」

 

 

 抵抗できない清長を突貫せんとばかりに、無数の武器達が一斉に放たれ―――――。

 

 


 ◆

 

 

 


―――――「レディースアンドジェントルメン!紳士淑女の皆々様!今日の舞台を心行くまでお楽しみください!」

 

 サーカスの舞台は、歓声と共に幕を開けます―――――。

 

 

 

 

 

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――――――――――

 

 祝 フランシス(株)登場。 

 伏線バリバリな回になりました。