<dream>ようこそ!【夢】のナい世界へ</dream>

 

 

 

 見上げずとも視界いっぱいに広がるのは、幾千幾億の星が溢れる銀河だった。
 天蓋は言わずもがな、地もまた白星を想起させる花々が咲き乱れ、それこそ星の海のように地平線の彼方まで続いている。
 ふわりと風が吹く。花の鱗粉は星砂のような光を帯びて、宙を舞う。
 まるで絵画の中の幻想風景をそのまま具現化したような、現実味の無い光景であった。
 「綺麗だね」と、誰かは花弁のような燐光に手を伸ばしながらそう言った。
 「そうね」と、もう一人の誰かも天の星を見つめながら笑った。
 「だけどそろそろ戻らないと」と、どちらかが後ろを振り返る。
 「そうだね」と、どちらとも手を重ねて、そっと握り合った。
 二人は花の野を駆けていく。その姿を追いかけるように幾多の燐光が尾を引いては夢のように霧散する。飛び散った無数の光は白だけではなく瑠璃や翡翠の色をちらつかせては夜の闇へと溶けていく。
 そして二人が野から離れた頃には、全ての光は失せ、花園は底無し沼の更に奥底を彷彿とさせる黒に包まれていく。
 がらりがらりと、数多の色素に構成されていた空間は、砂の城が倒壊するように崩れ落ちていく。  
 だが、それを目視する者は誰一人としていない。
 誰一人として。
 誰一人―――――

 

 


 *

 

 

 ぱちりと、少女は目を開ける。
 いつの間にか眠りにおちていたのか、腰掛けていた椅子に力無くもたれていたようだ。少し身じろぐと、膝の上でページを開いていた読みかけであろう本が床へと滑り落ちる。
 ああ、いけないと、少女はゆっくりと立ち上がって本を拾い上げる。文庫ほどの大きさのそれは、幸いにもページが折れることはなかったようだ。少女は本から埃を払うように軽く手で叩くが、埃を含めて汚れの類は一切ついていなかった。
 よく言えば合理的、悪く言えば殺風景、それでも高級感と清潔感が保たれた執務室のような室内で、少女はひとりだった。
 彼女はしばしの間本の表紙をじっと見ていたが、やがて何かを察知したのか本を胸に抱え、急に意気揚々とベランダに繋がる大きなガラス窓のほうへと小走りで向かう。
 少女は無邪気な幼子のように微笑んで、窓を迷うことなく開け放つ。
「ああ、ついに」
 それは紛れもなく夢見る乙女の顔。
「あの子が逢いに来てくれるのね!」
 瞳に宿っているのは純粋な妄執と狂気の色。
 
 窓の外に広がるは巨大な国。その街景色。この位置から見下ろせば、全てがミニチュアの王国だ。
 くすりと微笑し、少女は地平線を見据える。
 そして―――――彼方から轟音が鳴り響いた。

 

 

  *

 


【Astraea】

   ~ Ⅰノ物語 星の魔女は落ちていく  01  ~ 

 

 


  *

 
 思い返すのが誰であれ、この物語の始まりは刃にも似た突風からであったと言うだろう。
 穏やかに照る真昼の太陽。抜けるように澄んだ蒼穹。煉瓦造りの家屋が連なる美しい街並み。大勢の人々が平和に行き交う街道。
 世界統一国家の中心地である王都は、普段とは何一つ変わりない平穏に包まれていた―――――突如、誰もが予想だにしなかった展開が訪れるまでは。
 
 青い空を斬り裂く、一筋の〝夜〟が飛来した。

 それは何の前触れもなく、凄まじい猛風を巻き起こしながら、街の上空を高速で突き進んだ。
 生じた風によって民家の屋根の一部は剥がれ、花や家財道具は吹っ飛ばされ、異常な事態に悲鳴を上げる人々は頭を押さえたり、信じがたい表情で今しがた真上を通過した何かを呆然と見送るしかなかった。
 何かを懸命に目視しようとした人々のうちの一人は、ぽかんとしながら呟く。
「……女の子?」
 その者は己の目を疑う。ありえないと、直後に否定しようとする言葉すら喉奥から出てきてしまう。
 だが、脳裏に焼き付いたのは―――――奇妙な箒に跨った、雪のように真っ白な髪の少女の姿だった。

 

 

 *

 

 

「ははは。最っ高」
 障害を吹き飛ばし、ただひたすら全力で特攻する猪突猛進の飛行は、アスタリスカの心をこれ以上なく高揚させた。 
『ちと、飛ばし過ぎじゃないか?』
 真下で起こってはすぐに遠ざかる街中の数多の混乱をしり目に、〝絵筆の形をした箒〟はそんなことをぼやく。
 それに対して、箒に跨っているアスタリスカは気分を害されたかのように忌々し気に短く舌打ちをした。
「うるさい。これくらいやらないと、注目されないってさっきも言ったじゃん」
 眼下を顧みず、ただひたすらに前方を注視するアスタリスカのその姿は、十代半ばほどの外見の少女のものだ。
 汚れ一つ無い雪原のような短髪。右には蒼の瞳、左には眼孔を覆いつくす二輪の白花。身に纏うは奇抜なのか斬新なのか、はたまたはその狭間に位置するような青と白を基調にした衣装。可憐な声音を台無しにする棘のある口調。意志の強い表情。
 猛スピードの飛行に臆せず、むしろ愉しんでいるようで、明らかに口の端が上がっている。
「あいつは目立つ行動さえすればすぐに釣られてくる。すっごい不快だけどさ」
 浮かび上がる表情は可愛らしい顔にはあまりにも不釣り合いな代物であり、邪悪とすら表せる。
「あんたも付き合ってよ。というか、付き合わせるから。拒否権無いからね、〝星ノ夜〟」
 〝星ノ夜〟と呼ばれた箒は口こそ無いものの、呆れの溜め息を思わせる声をどこからともなく洩らした。
『相変わらず横暴で我儘な奴め。お前がそうしたいのならばそうすればいい。ただ、策はあるのだろうな?』
「あるよ。さっきも言わなかった?」
『言っていた。言っていたが、あまりにも突拍子も戦略も無い策だったがゆえに、今一度お前の正気を窺う意味も含めて、もう一度言ってくれ―――――お前はそこまで馬鹿だったか?』
 好ましくない言葉に一瞬、アスタリスカは反射的に〝星ノ夜〟を罵倒と共に叩こうと手を動かしかけるが何とか平静を保ち、逆に自信満々で悪魔的な笑みを作る。
 その頃には、この世界で最も巨大な建造物である王城が目前に迫ってきていた。
 城でありながら天を穿つ塔のように高く、一つの芸術品のように美しい白亜が陽光を反射して煌めいている。
 周辺には蒼玉や翡翠、紅玉や瑪瑙を彷彿とさせる色とりどりの魔力の結晶が等間隔に宙を巡回しており、驚くほど分厚く広範囲な結界を展開している。しかし、それらは視覚的にはほんの薄らとしか認知できないため、はたから見れば城自体が淡くも多彩な色を帯びているように感じることだろう。
 世界の中心であり、世界統括の支柱であり、世界の何よりも堅牢で厳重な砦であり、世界で一番の戦力と叡智の集合体である城を指さし、アスタリスカは嘲笑うように言ってのける。

「正気も正気さ―――――とりあえず、この城を突撃してぶっ壊そう」

『そうか。やはりお前はいつも通り大馬鹿で、正気も無ければ理性も無かったな』
 呆気にとられながらも、どこか安心したように〝星ノ夜〟は人の姿があるのならば肩を竦めていたことだろう。
 アスタリスカは得意げにふんと鼻を鳴らす。
『だが、この大きさの城を直接破壊するのは私でもさすがに骨が折れる。何より、城と接触するには結界を突破しないといけない―――――さあ、人も集まってきたぞ。こちらもどう突破するのだ』
 〝星ノ夜〟の言葉にちらりとアスタリスカが地上や城の壁面を見やると、蟻のように兵士や魔法使いが溢れ出てきていた。
 その数の多さときたら!思わずアスタリスカが吹き出してしまうほどの大人数だ。
「ふふん。このアタシにすでに恐れをなしてるってわけじゃん」
『あまりの恐れ知らずゆえに警戒しているのだろうよ』
 〝星ノ夜〟の冷静な返しを無視しながら、アスタリスカは間近に迫った結界の前でくるりと旋回する。
「突破、ね。面倒だからこれも貫いて割っちゃわない?」
『無茶を言うなと言いたいところだが、お前は進むのだろう?』
「当たり前なこと聞かないで―――――ま、城の破壊も結界の破壊も、今はあんまりする必要ないんだけどね」
『……ほう?』
 ならば今までの下りはいったい何だったんだと言いたげな〝星ノ夜〟に、少女は忌々し気に吐き捨てる。
 
「あのド変態だよ?結界の外まで出てくるに決まってんじゃん」

 

 刹那、城の最上階のほうからどよめきの声が聞こえてくる。
「月ノ君。月ノ君!どうしたのですか」
「月ノ君は御下がりください」
「何故あなたが表にいるのですか」
 離れているアスタリスカにまで聞こえるほどの騒ぎの中、人混みの奥から何者かが室内からバルコニーに向かってゆっくりと歩いてくる。
 最初は引き留めようと躍起でいた兵士達だが、いざその人物が進行方向に近づくと怯えたように道を開けてしまう。そのため、必然的に兵士の群れは海を真っ二つに割るように道を作り、何者かの歩みを制止することさえ適わない。
 バルコニーに現れたのは―――――アスタリスカに瓜二つの顔をした少女だった。
 汚れ一つ無い雪原のような長髪。左には蒼の瞳、右には眼孔を覆いつくす二輪の白花。身に纏うはシンプルな意匠だが豪華さも合わさった青と白を基調にした衣装。
「まあ。まあまあまあ……」
 可憐な声音に相応しい甘い口調。おっとりとした見る物を魅了する表情。
 彼女はアスタリスカを真っ直ぐ見つめ―――――恍惚とした表情で両手を広げる。
 まるで、抱きしめてと言わんばかりに。
 相対した二人はほぼ同時に、そして同様に、真逆に、鏡の向こうの自分に話しかけるように口を開いた。

 

「会いたかったわ。アッちゃん!」
「全然欠片も会いたくなかったけど、会いに来てやったよ。アポストロフィカぁ!」

 

 どちらが先に動いたのか、定かではない。 
 ただ第三者が見ていたとして、アスタリスカが全てを貫く勢いで瓜二つの少女に向かって特攻していったということだけははっきりとわかるだろう。
 さながら、落ちる流星のごとく。ごうと、風が鋭く青空を裂く。
 そして硝子が割れ、砕け散るようなけたたましい音が響けば―――――導入は終わる。
 豪語する声が最後に高らかに徹る。

 

「聞け!このクソ女に踊らされている馬鹿野郎共!」

「アタシはこいつを殺しに来た星の魔女!アスタリスカ!」

「邪魔をするなら、全員首を夜の下に並べてやる!」

 

 この瞬間、〝アスタリスカ〟なる名を持つ恐れ知らずの少女は、物語の主人公になったのだ。