そこに星があるように

 

※妄想満載

 

 

―――――

 

 

 

―――――宇宙の迷子


 ☆


 深い深い森の奥からしくしくと泣き声が聞こえてきました。
 鬱蒼と生い茂る木々は密集して、太陽が高く昇っている時でも光を僅かにしか通してくれません。だから今の森はただでさえ夕刻を過ぎた時間帯であり、とても暗いのでありました。
 空を見上げようにも草木が邪魔で星や月は見えません。
 明かりは精々淡い光を放つ少々不気味なキノコくらいで、後は真っ暗。真っ暗闇です。
 聞こえるのは風の音。風に揺すられてごうごうと踊る植物の音。遠くの川のせせらぎ。動物達が時折唐突に上げる鳴き声。
 そんな中で一人の小さなワドルディは恐怖に怯えながら切り株に座って、すすり泣いていました。
 悲しそうに嗚咽混じりに

「帰りたいよぉ……帰りたいよ……!」

 何度も何度もそう言葉を発していました。
 足元さえはっきりとは見えないほどの暗さ。闇に包み込まれた森の中。
 彼は怖くて進めないのでしょう。
 向こうが見えないから。暗闇が恐ろしいから。自分がこのまま永遠に独りぼっちになってしまったかのような錯覚さえ覚えていました。
 ずっとずっと、こんな暗くて怖い場所に取り残されて
 誰にも会えずに
 大好きな人とももう二度と会えない
 自分はこのまま死んじゃうんじゃないか
 そんな嫌な未来想像さえしてしまいます。
 脳裏に浮かび上がる幾つもの見たくない未来予想。考えたくないのに考えてしまう。目を逸らそうにも頭の中のことだから逃げることもできない。
 暗い暗い闇の、怖い怖い圧迫感と圧力感に押しつぶされそうになっていました。
 泣くことでしか、自分の身を守れないように。

「どうして泣いているの?」

 突然誰かの声が目の前から聞こえてきて、ワドルディは驚きのあまりか細い悲鳴をあげてしまいます。
 もしかしたら森に隠れ住む悪魔なのかもしれない。そんな考えが脳内をよぎり、ワドルディはぎゅっと目を瞑りました。
 きっと自分を食べにきたんだと、身を震わせながら叫ぶこともできずに、ただ耐えるように縮こまりながら。
 そんな彼に与えられたのは呪いの言葉ではなく、鋭い牙でもありませんでした。
 優しい。温かな温もりでした。
 
「恐れないで。大丈夫。私は貴方に何もひどいことをしないわ」

 語りかけるように目の前の人物はワドルディの頭を撫でながら言うのです。
 美しい声音で。聞く人の心を癒すような、優しげな声。
 そこでようやくワドルディは恐る恐る顔を上げて、目を開けるのです。
 瞼を下ろしていたせいか溜まった涙が一斉に零れ落ちていきます。ぽろぽろ。ぽろぽろと。
 目の前の人物の姿は暗くてよく見えませんでした。しかし長い髪の毛だけはぼんやりと確認できました。さらさらできめ細やかな髪の毛。さすがに色まではわかりませんでした。
 目の前の人は女の人なんだと、ワドルディは何となく悟ります。
  彼女はそっとワドルディの目元に指を寄せ、流れ出る涙を拭ってくれました。

「貴方はどうして泣いてるの?」

 彼女はまた訪ねます。
 ワドルディはしゃくりあげながらもかすれた声で

「迷っちゃってお家に帰れなくなっちゃったんだ。お家に帰りたいよ……」

 と答えました。
 「そう」と彼女は頷きました。
 そしてワドルディの手を取り言うのです。

「どうか泣かないで。私が貴方を外まで連れて行ってあげる」

 彼女が引く手を、ワドルディは握り返しました。
 この手を離しちゃいけない気がしたから
 この手を離したくなかったから
 ワドルディは彼女に導かれるまま、ついていきます。
 暗い暗い夜の森。
 夜風はまるで何かの囁き声のようで、揺れ動く樹木が奏でる音は唸り声のよう。
 足元は悪く、どこを歩いているのかがわからなくなり、黒曜石の上を進んでいるかのよう。 頼りになるのは自分を案内してくれる存在の手だけ。
 離したら闇にぱくりと飲み込まれてしまう気がして、ごくりと落ちていきそうな気がして、ワドルディはやっぱり怖くなって泣いてしまうのです。

「怖いの?」

 彼女は心配そうにきいてきます。
 逆にワドルディはか弱い声できき返すのです。

「あなたは怖くないの?」

 すると彼女は困ったように笑うのです。笑い顔は見えないけれども、笑ったような気がしました。

「怖くないわ。もう慣れてしまったもの。それに、夜はとても美しいわ」

 「どこが」と眉をひそめると、彼女は木に覆い隠されてしまった宵闇の空を見上げました。

「たくさんのものが眠りにつく、この静けさ。青空の向こうからやってくる星空が綺麗だもの」

 朝におはよう。昼にこんにちは。夜におやすみ。
 朝に太陽が顔を出すように
 昼に太陽が高く昇るように
 夜に太陽が沈むように
 月が現れるように
 太陽の光を反射して瞬くように
 星々が煌めくように
 世界が眠りにつくように 

 世界はいつだって動いているのです。

 だから、夜はやってくるものなのです。 
 当たり前のことで、奇跡のようなこと。
 暗い暗い世界が、やってくるように。

「でも、ここは暗くて星も見えないんだよ」

「確かに星は見えないけれど、星はちゃんとあるのよ。隠れて見えないだけで、向こう側で輝いている」

 向こう側は空のことで、そこに星はあると言うのでしょう。

「隠れてちゃ意味ないよ」

 やっぱりしくしく泣くワドルディをなだめながら、彼女は手を広げて宣言するように言うのです。

 泣かないで。

「それなら―――――私が貴方のために星を描きましょう」

 にわかにぱっと、世界が澄んだ光を放ち始めました。
 ワドルディがあっと声を上げる間もなく、たちまち森は不思議な光に包まれていきます。
 あちこちに光源として点在し始めた光の粒。それはさながら星を想起させました。
 ふわりふわりと舞い上がるように、煌めく粒子が宙を踊り、空間ごと世界を塗り替えていきます。  
 森は姿形を変え、星空そのものへと変化を遂げました。
 幾百、幾千、幾奥もの粒のような星。星屑が集まって流れる天の河。壮大な宇宙。幻想的な天空。二人はそこに浮かんでいました。
 慌ててワドルディは落ちないように隣の彼女にしがみつきました。それを見た彼女はくすくすと笑って

「大丈夫。落ちないわ。これは夢だもの」

 それだけ言いました。
 相変わらず彼女の顔ははっきりとは視認できませんでした。 
  
「これでもう寂しくないでしょう?さぁ、行きましょう」

 再びワドルディの手を取って、彼女は進み始めます。
 夜空を歩く。星空を飛ぶように、歩んでいく。
 奇妙で不可思議で―――――なんだかワドルディは楽しくなってきてしまいました。
 見惚れるような神秘的な光景に目を奪われながら、暗闇を照らす星に安心しながら、目の前の人物の存在に安堵しながら―――――進んでいきます。

「もう少しで帰れるわ。心配しないで」

 彼女は言います。

「あなたはここに住んでいるの?」

 ワドルディは言います。
 すると彼女は少しだけ寂しそうに、答えるのです。

「私はどこにも住んでいないわ」
 
 その問いが予想外で、ワドルディは茫然としてしまいます。どこにも住んでいないだなんて。

「でも平気よ。私には想像が味方をしてくれているから」

「想像?」

「そう。恐ろしくなって、怖くなって、どうしようもなく悲しくなったら想像してみなさい。きっと、心の平穏を見つけられるから。でも何よりも大切なのは―――――その後の行動」

 歩きました。
 長い間歩いたような気もします。
 短い間歩いたような気もしました。
 星が指さす方向へ、吸い込まれるように、誘われるように進んでいきます。 
 散りばめられた星の光。目に焼きつけるようにワドルディは見ていました。  
 長い長い時を歩行するように。
 永い永い夢を渡るように。
 ただただ、歩きました。
 そして―――――終わりへとたどり着くのです。 

「あとは真っ直ぐ行けば森の出口まで行けるわ。独りでも大丈夫?」

 彼女は立ち止まってききます。
 少し先の正面。本物の星の光が差し込んでいる出口がありました。
 ワドルディはおどおどしながらも頷きました。
 彼女は微笑んで、ワドルディの手を離しました。

「ありがとう」

 ワドルディはお礼を言いました。

「どういたしまして」

 彼女は笑いました。
 幸せそうに、笑うのでした。
 
 振り返らずにお行き。

 ワドルディは振り返ることなく、森を駆けて行きました。
 もうそこには夢で描かれた星空はどこにもありませんでした。
 でも、寂しくはありませんでした。
 どこか切なくもありましたが。

 長いようで短い、数奇なお別れでした。


 ☆

 

「子供は見つかったのか!?」

「はい!怪我もなく無事の様子です」

「はぁー……まったくこの森で独りで入るなって親からもさんざん言われてたはずだろ?」

 煌々と火が灯っている松明を手にしているデデデ大王は少々の呆れと心底安堵した様子で溜息をつきました。
 夜遅くのプププランド。早寝の習慣がついているこの国の住民たちは基本こんな夜更けまで起きて活動などはしません。
 しかし今日は例外でした。
 城で働いているワドルディ達の中の幼い子供がいつまでたっても家に帰ってこないので、皆心配になって必死に今の今まで捜索をしていたのです。
 全員が全員それなりに疲労していましたが、子供の無事を確認できて一安心していました。
 
「ごめんなさい大王様……」

 とても申し訳なさそうに謝るワドルディの子供の頭を、デデデ大王はぽんと軽く叩きました。

「ま、これで懲りたらもうしないことだ。みんな心配してたんだからな―――――さぁてお前ら撤収するぞ。このままじゃ夜が明けて太陽とご対面することになっちまうからな!」

 大王の手。
 ワドルディは思わずその手を握ってしまいました。
 急に手を掴まれ、大王は「どうした?」と彼の顔を覗き込みました。

「……ぼくのこと、助けてくれた人がいたんです」

「お前を?森の中でか?」

「その人はぼくの手を引いてくれて、外まで導いてくれたんです。とても素敵なものも見せてもらったんです」

「……あの森には誰も住んでないはずなんだがな」
 
「でも、あの人帰る場所がないって―――――」

 ワドルディの言葉にデデデ大王は何か引っかかったのか、うーんとしばし唸りました。
 やがて何かを考え付いたのか、ゆっくりと口を開きました。

「もしかしたら、そいつもお前と同じ迷子だったのかもしれないな」

「え……あの人も迷ってたの?」

「わかんねぇけどな。でも、お前の話を聞く限りじゃ悪いやつとは思えない」

「それじゃあ……今もあの人は迷ってるのかも……」

「どうだろうな―――――まぁもしもまたそいつに会った時はこう言ってやれ」

 にやりと大王は快活そうな笑みを浮かべました。

「居場所がなければプププランドに来ればいい。ってな」

 ワドルディはしばしぽかんと目を見開き―――――そして「はいっ」と元気いっぱいに返事をしました。

「それにしても今日の星空はやけにくっきりと見えるな。吉兆の前触れか?」

 空に広がるのは星海でした。
 天蓋に飾り付けられた数多の瞬きに、一同は目を奪われていました。
 美しい空。空の幻想。
 暗い暗い闇の中で命を燃やす、無数の星々。
 その星空の下を、ワドルディ達は歩いて城へと帰還していきます。
 歩きながら、ワドルディの子供は

 あの人も今、この空を見ているのだろうか。

   
 そんなことを考えていました。 

 

 ☆

 


「―――――やっぱり本物の空は描けないわ」

 長い空色の髪を風に遊ばせながら、魔女は空を飛んでいました。
 星の下を飛ぶ。彼女の髪が星光を受けてきらきらと光を帯びていました。
 
「本当の世界はもっともっと美しくて、儚いものだから」

 何か思いはせるように、遠い昔の記憶を呼び覚ましているかのように、彼女はふっと目を細めました。
 月を連想させる瞳はどこか切なげで、彼方の夜空を映していました。
 
 この世界は広くて
 大きくて
 貴くて
 儚い

 だからこそとても美しくて、たまらなく切ない。

 そんなことを、考えていたのかもしれません。

「さて―――――どこに行こうかしら」

 私はもう自由で、どこにでも行ける。
 でも、帰る場所はない。 
 だから―――――見つけられるのならば、見つけたい。

 この星空の下のどこかに、きっとそんな場所があると信じているから。
 そこに星があるように、帰る場所もあるはずだから。

 額縁から飛び出した魔女は飛翔し―――――夜の闇に溶けるように姿を消しました。

 

 

 夜空に溶けて 一つの幻想になるように。

 

 

 

 

 

 

 

 

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