※同人処女作です。思い入れのある話です。
若干ディメーン×ルイージ、Mr.L×ディメーンです。
最後におまけあります。
―――――
何を犠牲にしても叶えたい願いがあった
その結果何もかもを失った
0
「ごめんね」
黒白の仮面をつけた道化師は静かに謝りの言葉を口にして、とても寂しげに微笑んだような気がした。
隠された表情は全く覗けないが、気配は申し訳なさげで、何故だか晴れやかで、儚げだった。
「どうやらボクは負けてしまったみたいだ」
無限に終わり無いように思える真っ白な世界で、彼は独り立ち尽くしている。
誰に語りかけているのだろうか、わからない。
歌うように、詠うように、聖書の一節を滑らかに唱えるように、彼は話し続ける。
「ボクはこの世界が大嫌いで、恨んで、憎んでいた。だから滅ぼしてやりたかったし、めちゃくちゃにしてやりたかった。もっともっと混沌を渦巻かせて、この世界の人間たちに地獄な苦しみを死ぬまで味あわせてやりたかった」
―――――だけど駄目だった。
空も地面も地平線の彼方も無垢な白の、産まれたばかりの世界、もしくは滅びたばかりの世界で、道化師は呟く。
それはさながら、風もなく、空気の流れも感じず、寒くも無く暖かくもない、何も存在しない零の空間の静寂の支配者のようだった。
「失敗しちゃったよ……あんなに長い間待っていたのに。あんなに、あんなに……―――――あの人の為なら、どんな罪深いことだって犯してやるって決めてたのに……」
ははは、と道化師は力なく笑った。
ふらりとおぼつかない足取りで数歩進んで、跪くようにへたり込む。
不思議な形状をした衣装がふわりと舞い上がり、柔らかなカーテンのように広がった。
心なしか道化師の呼吸は荒く、発作でも起こしているのか苦しそうに胸元を押さえている。
げほげほと激しく咳き込み、空気を求めて喘ぎ、小さく声を洩らす。
「……あはは。もう時間みたいだね……情けないなぁボクも……」
明らかに弱ってきており、声音はだんだんとか細くなってきていた。
仮面の向こうの瞳が、宙を見据える。
そこには何もない―――――けれど、道化師には〝何か〟が見えたのかもしれない。
そして「あ~ぁ」と心底つまらなそうに溜息をつく。
「―――――つくづく馬鹿だな……ボクは。でも……ボクは〝キミ〟を殺せない」
何かが割れるような繊細で甲高い音が響き渡り、空間を揺るがした。
歪んで閉じていく世界に対して恐れをまるで感じていないのか、道化師は驚く様子を一切見せない。
「ここまでして言えることじゃないけど……〝キミ〟だけは―――――殺せない」
―――――殺したくないんだ。
ガラスの破片、もしくはポリゴン片なのか、その類に似た歪が生じ、空間が粗方崩壊していく。
白の向こうには星の無い夜空よりも暗く深い、死を思わせる暗黒が広がっていた。
このままでは道化師は闇という名の牢獄に、永久に閉じ込められることになってしまうだろう。
道化師はそれを充分把握していた。
これから自分はどうなってしまうのか、どうなるべきなのか、全て。
道化師はふっと安堵するかのように息を吐いて、崩れていく次元の中で終わりゆく虚無の景色を、愛おしげに見つめる。
すでに闇の浸食は取り返しがつかない範囲まで迫ってきており、逃げることはもう不可能であろう。
亀裂が奔る様に、黒色の蜘蛛の糸が張り巡らされていくように、乗っ取られていく。
最悪の状況に陥っているというのに、それでも道化師は不気味なほど落ち着いていた。
否、もう諦めてしまっているという表現のほうが適切だろうか。
常人ならば気が狂ってしまいそうな現状でこれほどまでに冷静でいられるのは、覚悟を決めているからだろう。
自分の消滅も、もしくは一生続く地獄の拷問のような苦しみも。
たとえどのような困難が待ち受けていようとも、道化師は受け入れるつもりなのだろう。
それが大罪を犯した罪人の裁きにはふさわしい、と。
他人事のように、否、もう自分のことさえ彼はどうだっていいのかもしれない。
全てを投げ打つ思いで、越えてはならない禁忌のラインの向こう側に到達してしまった道化師は、達観してしまっているのだから。
「ボクはここで終わるべきなんだろうね。〝キミ〟を殺すことをためらわなければ、もっと別の道は見つかっただろうけど……でも、ボクはもう満足したから、いいよ」
ピシリと残酷な音をたてて、ついに道化師が座り込んでいる部分の床までが壊れ始める。
道化師は絶望になど暮れない。
光が途切れる最後の最後まで、彼は笑っていた。
不敵でもなく沈痛な表情でもない、実に穏やかで屈託の無い、断頭台で死を待つ死刑囚が神の慈悲に触れた直後の様に、安らかなものだった。
「ボン・ボヤージュ……―――――さよなら〝〇〇〟」
僅かに唇を動かした瞬間、真夜中の海に吸い込まれていくように道化師の身体は真っ逆さまに落下していった。
糸を切られた操り人形の如く、逆らうこともできずに転落する。
死に絶えてそのまま放置されてしまった宇宙のように、永遠に終わりも始まりも無い、底無しの闇黒へ。
何のしがらみもない虚無に。
落ちていく。
落ちて。
墜ちて。
堕ちていく。
果てしない―――――無。
そして、何も聞こえなくなった。
◆
―――――思い出せ!
―――――早く!取り返しがつかなくなる前に!
1
「!」
かっと眼を見開いて、ルイージは背筋力だけでベットから勢いよく起き上がった。
掛けていた毛布を引き剥がすように掴み、はあはあと百メートルを全力で疾走した直後のように、息を吸って吐くことをしばし等間隔に繰り返す。
季節は冬が終わったばかりの、ほのかに温かな陽気の春。
だというのにもかかわらずルイージは全身に汗をかいており、燃えるような熱さを感じていた。
無意識のうちに向けた窓からは太陽の光が室内に差し込んでおり、外からは鳥の鳴く声が聞こえ、朝がきたことを告げていた。
べたべたした汗がパジャマにくっついて非常に不快だ、と思う以上にルイージは困惑を露わにして額に手をやった。
「まただ……またあの、変な夢だ」
ここのところ毎日ルイージは不思議な夢を見るようになっていた。
ここのところというのは、とある別次元の世界の冒険を終えてこの家に帰還してからのこと。
世界の平和の為に戦い、戻ってきてからずっと謎の夢を日々見てしまうようになってしまっていた。
「しかもまた何か怒鳴られたし……まったくなんなんだよ……いったい」
夢の内容は毎回同じで、ルイージが正体不明の誰かに大声で催促される、というものである。
相手が何を言っているのかは目覚めるとすぐに忘れてしまうし、何よりも問題なのは自分に何かを伝えようとしている誰かの姿が確認できないということだ。
だけど声音の雰囲気だけは、ルイージはわずかに覚えていた。
「声だけは……僕に似てる、気がする」
自分の声に、声帯に近しいものを感じる。
「だけど僕なら口調はあんな荒っぽくないし、何よりもなんで僕が僕と会話しなくちゃいけないのさ」
わけがわからなくなって頭がごちゃごちゃになり、ルイージは体育座りの状態で前に体重をかけ、膝に顔を埋めた。
こうも連続して意味深な夢を見るということは何か大変な事件に自分はまきこまれているんじゃないかと不安になり、ルイージは真剣に悩んでいる。
たかが夢、されど夢、と割り切るには難しく、何よりも彼はとても臆病で心配性である。
本当は誰かに相談したくてたまらないのではあるが
「だけど、こんな変なことで相談するなんてなんか恥ずかしい……子供じゃないんだし」
と、羞恥心が湧いて言えそうにもないのだ。
ふいに二段ベットの上の階を見上げる。
毛布に包まっているので顔は見えないが、特有ないびきが聞こえる。
ルイージの実の兄、マリオはどうやらまだぐっすりと眠っているようである。
すやすやと気持ちよさそうに寝ているマリオのうるさいいびきにしばし耳を傾けながら、ルイージは困りきったように唸る。
「困ったことがあったらすぐに兄さんに相談しちゃうのがいつもの僕だけど、たまには自分で悩みや事件を解決したいと思うし……ていうかいちいち兄さんばっか頼るのはいけない気がするし……!」
ぐぐぐと腕を胸の前で組んでそのまま数分間黙し、ようやくルイージはベットから抜け出す。
「何にしても起きなきゃ。それでお茶でも飲んで考えるか。それに朝ごはん作らないといけないし」
何故自分がこんなにも奇異な夢を見るのだろうか。
そんな胸の内に引っかかる疑問を抱えながらも、とりあえずルイージは独り「おはよう」と一日の始まりの挨拶をした。
♪
「不思議な夢を見始めるのようになったのは、あの世界から帰ってきてからすぐで間違いない」
あの世界。
ルイージ達が連れ込まれた、こことは全く違う別次元。
そこに存在する物質も生命もどことなくチープで愛嬌のある、薄いようで厚い世界のこと。
ルイージは知恵を絞りながら、自身の記憶を探りながら外で洗濯物を乾していた。
起床した時よりもだいぶ気温は上がり、ぽかぽかとした洗濯日和になっている。
しかしルイージの表情は少々険しく、眉間には皺が刻まれており、洗濯物を物干し竿に掛けるスピードもいつも以上に遅い。
朝ごはんを食べている最中も、歯を磨いている最中もずっと考え込んでしまい、マリオから心配されてしまったが、何でもないよと話を逸らすばかりで何の解決もなかった。
「本当に帰ってきてから見るようになったんだよね……だって向こうでは全然そんなもの見なかったし」
ぱんぱんと大きめのタオルを軽く振って伸ばし、竿に引っかけて洗濯バサミで固定していく。
ぱちぱちぱちとリズム良く止めていっていたと思ったが、次の瞬間にはルイージは自分の指を洗濯バサミに挟んでしまう。
しかもかなり挟む力が強い物だったせいか、結構指に食い込んでしまった。
「痛いッ!」
血管が集束している部分に突然の激痛が奔り、悲鳴を上げて跳び上がりしばし指を押さえて悶絶する。
「考えちゃって集中できない!」
じんじんとちょっと腫れて赤くなってしまった指先に息を吹きかけながら涙目になって、ルイージは彼にしては珍しく苛立ちを露わにした。
「……やっぱり、あの世界と関係があるのかな」
こんな状態じゃ洗濯物なんて乾してられない、とルイージは一旦休憩するために傍に生えている切り株に腰かける。
慣れた木の質感が彼の落ち着きを取り戻し、ゆっくりと思考する機会を与えてくれた。
「あの世界……そういえば僕はディメーンに取り込まれて奇跡的に助かったみたいだけど、あんまり覚えてないな」
手入れされた髭をいじりながら、あの時に意識を遡らせる。
暗黒城でディメーンとタイマンで戦い、勝利を収めたものの結界に閉じ込められ……。
そこから先の記憶は途切れており、結局ディメーンがマリオ達に倒されて消滅するまでの間の記憶だけはすっぽりと意図的に抜かれたように喪失している。
「他にも……いろいろと大幅に覚えていないことがあるような……」
いつかにナスタシアに捕らえられて何かをされたと思ったら、自分はいつの間にかアンダーランドに来ていた、などという曖昧でおかしな記憶。
「今更だけど、考えてみると随分とおかしいよね」
明らかな矛盾が生じている、異常な思い出。
まるで誰かにごっそり記憶の中身をごちゃ混ぜにされてしまったかのような、自分が脳の記憶機関に取り込んだありとあらゆる内容の上から下まで覗きこまれたかのような―――――。
ぶるりと悪寒が奔る。
非常に不快な気持ちに陥り、切り替えるためにもルイージはぶんぶんと激しく首を振った。
「それについては今度詳しく兄さんたちに尋ねてみよう」
深く考えてもろくなことが浮かばなそうだと呟き、そのまま体重を後ろにかけて切株の上に寝そべる。
空は青く澄んでおり、綿菓子のようにふわふわとした白雲がちらほらと小さな群れを作って、風に乗って旅をしている。何にも縛られてもいない、妨害されていない大空は自由の象徴そのものだった。
ルイージはしばらく何も言わず、景色をぼんやりと観賞する。
温かな日差しを浴びながら見る天空は美しく、自分が現在悩んでいることがとても矮小で大したことのないように思えてくる。
だけども全てがさっぱり洗い流されるということはなく、涼しげな微風で揺れる周辺の木々の音色に耳を傾けながら、ルイージはもう一度過去を振り返る。
まず最初に脳裏に浮かんだのは、黒のヨゲン書に従ってあの世界に滅びを与えようとしていたノワール伯爵のこと。
続いて彼の配下達であるドドンタス、マネーラ、ナスタシアのこと。
最後に、とある一人の道化師のこと。
「……ディメーン」
自分たちはおろか仲間である伯爵ズをも裏切った、真の巨悪。
ルイージは釈然としない表情で、宙の一点を見据える。
「あいつ、何がしたかったのかな」
マリオ達曰くディメーンは新世界の王になる、と宣言していたようだが、ルイージはそれに対して妙に納得がいかなかった。
新世界を作るにしても、いったい何のために?
自分の野心や欲望のために?
それとも他に理由があって?
考えても考えても、出てくるのは疑問点だけだった。
「あいつ―――――本当に悪いやつだったのかな」
何故かルイージは、ディメーンを〝悪〟と表することに抵抗を覚えていた。
それどころかやつは心の底からの悪者だったのか?と思うようにさえなっていた。
一度マリオ達にそう聞いてみたが、かの大魔王クッパには「あたりまえだろう。お前は馬鹿か?悪意を持ってお前を乗っ取ろうとしたやつが悪いやつじゃなかったらなんなのだ?」と叱られてしまった。
ピーチもマリオもクッパほどあからさまではなかったが、言いずらそうにルイージの意見を否定した。
一緒に戦った三人からそう言われてしまったので、ルイージもそれで解そうとしようとしたのだが、やっぱり違和感が抜けきらない。
「ノワール伯爵がエマのために彼女を傷つけた世界を滅ぼし、捧げようとしたっていうのはまだわかるけど。いや、本当はわかっちゃいけないんだろうけど。でもディメーンはいったい何のために新世界を作ろうとしたんだ?」
結ばれるはずの無かった虚偽の愛が強引に結びついたことによって精製された、禍々しき混沌のラブパワー。
あれが持っている力は凄まじいもので、使用すれば文字通りあの世界を征服するということも容易いことだっただろう。
本当に世界を支配して、思うがままの世にしようと企んでいたのならば、いちいち新世界を作る必要など皆無なはずなのに。
「そういえば僕、あいつと最後に何か話した気がする」
記憶を掘り起こそうと探る。
が、何も発掘されない。
ルイージは後頭部を撫でて、う~んと考えるポーズをとる。
「何か言ってた気がするんだけどなぁ……気のせいかな?」
気のせいだよねぇと立ち上がった瞬間、ルイージの視界がぐるりと回転した。
ぐにゃりと歪曲する。
「え?」
どさりと何かが地面に落下するような音がすぐ耳元で聞こえた。
いつの間にか頬が庭の草に直接触れている。
全身が鉛にでもなってしまったのか、ひどく重く、気怠い。
「な、なに?」
驚愕の声が喉奥から洩れる。
だけどそれ以降発しようとしても声が出なくなる。
息が上手く吸えない。
全身の重量がどんどん増していくかのような感覚に陥り、比例して気分の悪さと吐き気も悪化していく。
ルイージは悲鳴を上げるが、その叫びは誰にも届かない。自分にも届かない。
頭が痛い。
バットで殴打されているような鈍痛。
遥か地中の深淵に墜落してしまいそうな恐怖心が湧き上がり、必死にもがくが肉体は凍り付いてしまったが如く指一本も動かない。
狭まっていく視界。視野も安定せず、近距離の風景もぼやけて霞む。
逆らえないほどの眠気がルイージを襲い、目を開けていられなくなる。
―――――……い!
幻聴なのか聞き取りずらい誰かの声が、聞こえたような気がした。
―――――……おい……!……聞こえ……るか……?
その言葉を最後に、ルイージは意識を手放した。
◆
2
「あ、れ?」
ぬるま湯にでも浸かっているかのような、無重力の空間に投げ出されたような奇妙な感覚に、ルイージは覚醒する。
目を覚ました瞬間に、急に重力が肉体に戻ってきたかのごとく、背中に何らかの固い感触があった。
それは、緑色をした自然物ではない素材の床だった。
「え?あれ?僕は……」
そこは緑一色の狭い世界だった。
葉脈のように張り巡らされた深緑の糸が結界の様に天井や壁にツタじみた陣を張っている。そのどれもが視認するのも一苦労なほど細かい。
この空間を形成し、固定する役割を果たしているのであろう緑色の糸はあちらこちらで収束し、束になって構築式を崩さないよう安定を保っている。
ルイージは仰天し、頼りない力で立ち上がる。
「え、嘘だ。ここは……」
ありえない、と言いたげな顔色。
ルイージはこの空間を知っていた。
否、実際に直視したのは今回が初めてである。
本人も入ったことのない場所を何故知っているのか不思議でならなかったが、そう考える以前にルイージは驚きを隠せなかった。
「ディメーン空間……!」
自分が現在いる場所が、華麗なる魅惑の道化師の魔法によって作り出された魔法空間であったのだから。
「そんな、なんで。あいつは消えたんじゃ……」
「そう。アイツは消えた。消えたけどまだ、確かに存在している」
「!」
突然背後から声が聞こえ、ルイージは慌てて振り返って反射的に身構える。
「……ッ!」
後ろにいた人物を見て、我が目を疑った。
これ以上にないほど驚愕する。
何故なら。
そこに鏡があったからだ。
「ぼ……僕ぅぅぅぅ?」
鏡に映るはずの鏡像が実体となって、そこにいたのだから。
ルイージの代名詞。緑のL帽子のLの字が鏡文字になっており。顔には覆面、着ている衣装は漆黒で、ライダースーツのようにぴっちりとしている。
それ以外は全くルイージと同一の瓜二つの姿を、正面の者はしていた。
先ほどの声も外見も、双子どころのレベルではなく、同じ。
同一。
酷似。
冗談ではなく、類似。
「なんで僕がいるのさ……!」
戸惑うことしかできないルイージは、数歩その場から後退する。
幻覚ではない。幻像ではない。幻想ではない。
だけどもルイージは現実を受け入れることができなかった。
それもそのはず。いきなり自分のそっくりさんが何の前触れもなく現れたのだから、納得できるわけがない。落ち着けるわけがない。
自分のドッペルゲンガーを三人見たら死ぬという都市伝説があるが、めでたくないことに奇しくもルイージは初の一人目と対面してしまった。
半ばパニック状態に陥ったルイージは、よくあるテンプレ通りに自身の頬を抓ってみる。
痛い。
「痛い。ということは夢じゃない!」
「おいおいまだ思い出してねぇのかよ」
目の前の〝ルイージ〟は人を小馬鹿にしたようなシニカルな笑みを刻む。
「とことんのろっちい奴だな」
そっくりからの嘲りに、さすがのルイージもカチンときたのか、きっと眉を吊り上げる。少々頼りないが。
「ぼ、僕にのろっちいだなんて言われたくないよ!ていうかなんだよこの状況!確か僕は庭で倒れて……なのになんで僕はディメーン空間にいて、なんで僕がいるんだよ!さてはお前……ディメーンか?実はあれからどこかに隠れてて僕に化けて僕のことからかってるんだろ!」
「生憎だが、オレはあいつじゃないぜ?」
「じゃあお前はいったい誰だ?」
ビクつきながらも強気で押してくるルイージを見下すように、くつくつと邪悪な笑声を喉奥から洩らしながら、〝ルイージ〟はルイージに指を差す。
「オレはお前だ」
「どういう意味……?」
「そしてお前は、ルイージだ」
「何、訳のわからないこと言ってるのさ!」
攻撃的な雰囲気。
荒い口調。
意志の強い瞳。
本物、オリジナルとはまるで違う、性格。
本来のルイージはもっと臆病で温厚で、内気だ。
「お前……僕にそっくりだけど、よく見たら僕じゃないだろ!僕はそんな態度悪くないし。だいたい目つきが違う!」
姿形はルイージと同じだが、中身は全くの別物。
外身はそのままにして中身だけ挿げ替えたかのような、圧倒的な差。違い。
本物とは別の個性が、生じていた。
「ご名答だぜ。オレはお前だけど、お前はオレじゃない」
「いい加減にしてよ!頭がゴチャゴチャになってきた!答えてよ。いったい僕はどうなっちゃったのさ!」
混乱が解けないルイージに「お前がオレの基なのがにわかには信じられねぇ。ナスタシアのやつ何考えてたんだ」と 愚痴めいたことを口にする。
「ナスタシア?ナスタシアって、伯爵ズの?」
「お前、まだ思い出せないのか?てっきりオレを見たらすぐ思い出すかと思ったぜ」
「思い出すって何を……―――――え?」
発言が途中で切れる。
ルイージはぽかんとし、膝をがくんと折って跪いた
眼を見開いて、茫然と緑広がる壁面を見据える。
瞳孔まで開いているように思えた。
「こ、の」
途切れ途切れに、ルイージは問う。
信じられないものを直視し、何の反応もできなくなった時のような状態のまま、静かに。
微かに声を震わせて。
「この記憶、は」
「そう。〝お前〟の中にいた時の、オレの記憶だ」
全てに合点がいった。
ところどころに致命的な穴が開いていたり、抜け落ちていた記憶のピースが、余すことなく盤に嵌りきった。
矛盾していた内容。
不可解な点を残した思い出。
不気味に感じられるほどの危うい記憶の中身が、繋がる。
「そんな……まさか……」
ルイージは思い出す。忘れていた、消されていた真実を。
自分がナスタシアに捕らえられ、洗脳されたこと。
別人格になってマリオ達と戦闘、衝突をしたこと。
伯爵ズの仲間たちと交わした、他愛のない会話。
最後にディメーンに裏切られ抹消されるまでの、記憶を。
思い出してしまった。
「やっと思い出したか。そう。お前はナスタシアに操られ、ディメーンに排除されるまで伯爵ズのメンバーだった」
―――――もっとも、排除されたのはあくまでお前じゃなくて、オレだけどな。
「これが……真実なのか……?」
「真実だ。こんな形で接触しない限り永遠に死ぬまで思う出すことなかった記憶の断片だがな」
うつむいたまま顔をあげもせず、ルイージは身動き一つしない。
自分がそんなふうに操られていたという事実を目の当たりにして、ショックを受けているのであろうか。
「君は……Mr.L……なのかい……?」
弱々しい声に〝ルイージ〟―――――Mr.Lは頷く。
「そうだ。オレはMr.Lだ。面と向かって話すのは初めてだな、本物さんよ。オレはお前が心に秘めている強の面から生み出された存在だ。お前の体がなければ生きていけない意識だけの存在だ」
「……」
黙り込むルイージに、Mr.Lはけっと鼻を鳴らす。
「何落ち込んでるんだよ。いや、考え込んでんだよ。一回でもお前の仲間に敵対してたってことが信じられねえのか?」
「それもあるけど……どうして?君はディメーンに消されたんじゃなかったのかい?」
Mr.Lはとても不機嫌そうに靴の踵をとんとんと揃える。
不愉快極まりないと言いたげな表情だ。
「オレも最初は死んだと思ったよ。でも死んでなかった。あの野郎手を抜きやがってな……オレを殺さなかったんだ」
「!」
「どんな理由でだかは知らねえが、殺さないでお前自身でも気づかない心の深層にオレの意識を封じ込めやがったんだ。まったく器用なやつだぜ。おかげでオレは今の今までお前の中で外に出ることもできず、呼びかけることしかできなかったんだぜ?」
「呼びかける?」
そのワードを聞いてルイージはピンとくる。
「もしかして……」
「そうだよ。お前、夢見てたんだろ?」
最近嫌というほど見ていた夢の中で毎回聞こえた、ひたすら自分を呼ぶ声。
声音や声質が非常に似た、怒鳴り声。
「あの声は君だったんだ」
「今更気づいたか。おっせーんだよのろま!こちとらどんだけ努力して辛抱したかわかるか?お前は鈍感でボケでよォ……こちとらさっさとお前に記憶を思い出してほしくてたまらなかったっていうのによ!」
自分と同じ姿で暴言や罵倒を吐き捨てるMr.Lに、ルイージはたじろいてしまう。
「まぁようやくここまで来れたんだからいいんだけどよ」
「ここまで来れた?というかそもそも君は僕の中のもう一つの人格なんだろ?どうして実体を持ってるんだい?だいたいなんで僕たちはディメーン空間に……」
「さっきから質問ばっかりうるせえな」
「そんな鬱陶しそうにしないでよ!僕は全然今の状況がわからないんだから!記憶を思い出して疑問は多少解決したけどさ……」
「……ま、そりゃあそうだろうな」
Mr.Lは軽快なステップで、空間の端まで一気に移動する。
ルイージでも吃驚するくらいの俊敏な動作だった。
「お前にはどうしてもオレのことを思い出してもらわなければならなかった。理由は簡単だ。お前がオレのことを思い出さない限りあいつの所に行けないからだ」
「あいつって?―――――まさか!」
「お察しの通り、ディメーンだ」
予想外の名前が出てきて、ルイージは戸惑う。
「なんで君があいつの所に行かなきゃならないんだ?というかあいつ……まだ生きてるのか?」
「生きてるけど、死んでも無いって状態が適切だな」
「……意味がよくわからない」
「あいつは混沌のラブパワーを使ってこの世界を滅ぼそうとした。だけどお前たちによって阻止された。そこまではわかるか?」
「さ、さすがにそれはわかるよ」
「その後、あいつは混沌のラブパワーと共に消滅した……けどよく考えてみろよ。世界一つを滅ぼすことが出来うる魔力を秘めた塊が、そう簡単に消えると思うか?」
「確かに……」
「混沌のラブパワーは完全には消滅せずに、この世界のはるか深層にカスだけを残した。膨大過ぎるパワーが抜け落ちた、ただの抜け殻だけがよ―――――ディメーンはその中にいる」
「なんだって?」
聞き間違えじゃないかと、ルイージは自身の耳を疑った。
「混沌のラブパワーに取り込まれたあいつは死ぬこともできず、永遠に閉ざされた混沌の闇の中にたった独りでいる」
Mr.Lは人を食ったような意地の悪い笑みで、とんとんと跳ねた。
「まあ自業自得だよな。世界を滅ぼそうと目論んだ首謀者がそう簡単に死ねるわけがない。当然の罰だ」
「で、でも……じゃあなんで君は……」
「まどろっこしいのは無しだ」
―――――質問された順に答えてやるぜ。
緑の空間の壁にMr.Lは手を乗せた。
「この空間を作ったのはオレだ。お前の心層の中に物は試しと作ってみたんだが、結構上手くいったんだぜ。お前がだいぶオレのことを思い出してきたからこそ、できた代物なんだけどよ。ん?なんで君が使えるのって?理由は単純だぜ」
Mr.Lは再びルイージを指さした。
「オレ……というか、お前はディメーンと混沌のラブパワーに一回取り込まれている。その際にあいつの力とオレたちの力が連動しちまったんだよ」
「混ざり合っちゃったってこと?」
「その通り。物わかりがいいと話がスムーズに進むってこういうことを言うんだな。だからこんな風にあいつの力を使うことも、できる……時期にできなくなるけどな」
覆面の向こうの瞳が、怪しげに光る。
「まだ連動してる……だからまだ、繋がっているってことだぜ。今ならまだ、間に合うんだ」
「ねぇ君はもしかして」
ルイージはごくりとつばを飲み込んで、もったいぶらずに尋ねた。
「君は―――――ディメーンを助けたいのかい?」
ルイージの言葉にMr.Lはピクリを肩を震わせた。
そして少し恥ずかしげに
「悪いかよ……」
言いづらそうにMr.Lは話し始める。
「本当はオレ達――――あの時死んでたはずなんだぜ?」
「え……」
ルイージは愕然とする。
自分たちが、死んでいた?
想像だにしていなかったことを暴露され、稲妻に射抜かれたような衝撃を受ける。
「オレ達はあのまま混沌のラブパワーの崩壊に巻き込まれて、死んでいた……もしくはディメーンと同じ命運を辿るはずだったんだぜ。でも今ここで生きてられてるのは、ディメーンが……オレ達を助けてくれたからなんだぜ?」
「……!」
疑問に思っていた。
ディメーンは本当に悪いやつだったのかと。
皆はそうだと肯定していたが、自分だけは納得できなかった。
何故だか、無性に、本当に、理由はわからないけれども。
もし、Mr.Lの発言が間違っていないのならば、ルイージは、ディメーンに命を救われている。
断定、確定できる。確実に。
更に、Mr.Lを殺さなかった訳も、明らかになっていく。
「あいつはよ……うっぜーやつだ。うるせーし余計なことに首突っ込んでくるし。道化で猫被ってて、嘘つきなペテン野郎で。あんなに人を騙して、散々人を振り回してきた最低な野郎だけどよ。最後に―――――〝キミだけは殺せない〟とかほざきやがったんだ」
辛そうな表情で、Mr.Lはそっぽを向く。
拗ねているのか、それとも憤っているのかは定かではない。
「キミだけは……殺せない……」
同調したルイージが、一文字一文字を噛み締めるように繰り返す。
あのディメーンが。
殺せないと言ってくれただなんて。
にわかには信じがたかった。
「だから―――――助けなきゃいけねぇんだよ」
機敏にルイージの正面まで跳躍し、Mr.Lがルイージの鼻先に拳を向けた。
「え、な……なに?」
Mr.Lはルイージの不審な眼差しをスルーし、手を開いた。
手の平の上で、ほのかに黄緑の光が灯る。
「それは!」
「やっと出てきたぜ」
それはいつの日かルイージの頭頂部に埋め込まれていた、キングハナーンの芽だった。
摘みたてのように瑞々しく艶めく双子の葉は、目に優しい色をしている。
「これが最後の可能性だぜ?オリジナル」
不敵な笑みを湛えて、Mr.Lはぎゅっと大事そうに芽を握る。
そして難問を与えるかのように、謎々を繰り出すように、息を吸った。
「オレは、お前だ。だけどお前は、お前だ。だけどオレはオレになりたい。オレ自身になりたいんだ。ナスタシアはあくまでオレを意識だけの存在として生み出したけど、オレは―――――オレになりたかった」
「Mr.L……君は……」
「訳わかんねぇこと言ってんのは自分でもよくわかってるぜ。なんせ喋ってる本人が何もわかっちゃいねえんだから」
もう一度手を開く。
芽の光がますます強くなっていた。
時間が迫ってきている。
何の時間なのか、何となくわかってしまった。
「オレは精神だ。実体がないからこそディメーンの場所まで行けるってことだ」
「ちょっと待ってよ!じゃあ君も混沌のラブパワーの闇の中に行くってことなのかい?それだと君は永遠に出れないんじゃ……!」
「えいえんだぁ~?」
なんだそれ、美味しいのか?
「……」
「知らねえよ。んなもん。このMr.L様の辞書に、そんな馬鹿げた単語は乗ってねえよ!―――――まぁ確かに最初はお前の体をもう一度乗っ取って好きに生きようとかも考えなかった訳じゃあないぜ?」
「ええええ!そんなの困るよ!」
「だろ?だから止めたんだ」
「え」
「お前の体はお前だけのものだ。オレは所詮お前の無駄な意識の一部でしかねぇからな」
「Mr.L……」
Mr.Lは前触れもなく腕を高々と上げた。
そして堂々と胸を張って笑んだ。
だんだんと、その存在が薄れてきているのがわかった。
「そんじゃあ。あばよオリジナル。精々末永く幸せに生きやがれ」
「待ってよMr.L!」
ルイージはしがみつくようにMr.Lの腕を掴んだ。
「君は消えるのかい?」
「消えねえよ。ただ迎えに行くだけだ……お前がオレのことを思い出したおかげで、こうやって意識を渡ることができる。そこだけはちぃとは感謝してるんだぜ?」
どんどん薄くなっていく体。
黄緑の光の渦に巻かれて、溶けていく意識。
「これで最後だオリジナル。お前はお前だけになれる。オレは出ていくからな」
「そんな勝手に……!」
ルイージが握力をかけている腕も、ゆっくりと名残惜しむように消失していく。
「お前はオレのことを思い出す。それだけでよかったんだ。充分だぜ」
「……じゃあ、じゃあ最後に聞かせてよ……」
オリジナルは問いかける。
「どうしてそこまでディメーンを助けたいんだ」
偽物はしばしきょとんとし、やがてにやりと邪悪そうな笑みを作った。
「決まってるじゃねえか―――――仲間だからだよ」
世界を滅ぼそうとした危険な存在でも。
仲間だから、助ける。
簡単なことだぜ?オリジナル。
「う……?」
ぐらりとルイージの視界が揺れる。
それはだんだんとひどくなり、立っていられなくなってその場にしゃがみ込む。
猛烈な眠気が、襲った。
「もうおねむの時間はおしまいだぜ。短い間だったがまぁ、あれだ。楽しかったぜ」
「な……勝手……すぎる……よ……!」
Mr.Lの声が遠ざかっていく。
物理的に遠ざかっているのではない。ルイージの意識が閉じてきているのだ。
「お前がもし、ディメーンのこと恨んでて、このまま放っておくことを望んでいるとしても、オレには関係ないぜ。これはオレの独断の行動であって。そう。勝手。お前の言うとおりの勝手、だ」
「ぼ、くは……ディメーン……を……」
「あばよ―――――お前みたいなノロマはうっぜーけど、嫌いじゃなかったぜ」
Mr.Lは飄々とした態度で、歩き出した。
ルイージの霞む視界に、わずかな暗黒色が映った。
Mr.Lはあれに入るつもりだ。
あそこに入ったら最後、おそらく二度と脱出できなくなる。
言葉を交わすのは、今がラスト。
ラストチャンス。
「くぅぅ……!」
ぎりりと、ルイージは思い切り唇を噛んだ。
飛びかける意識を渾身の力で抑え込み、拳を作って踏ん張る。
みっともなく汗をかきながらも、過呼吸に近い状態になりながらも、それでも叫んだ。
「Mr.L!」
「!」
ぎょっとしたMr.Lがこちらを振り返る。
手にしている葉が、揺れた。
「Mr.L……君は、君は僕なんかじゃないよ!」
喉が潰れるんじゃないかと思ってしまうほど力を込めて、ルイージは大音声で喋り出す。
「僕はそんな意志の強いやつじゃないし、決断力のあるやつでもない!人を見下した態度もしないし皮肉屋でもない!君は……君だよ!僕が僕なら!君は君だ!姿は同じでも心が違う!君は僕じゃない!僕も君じゃない!君は……君だけだ……っ!」
「……!」
一瞬だけ、ほんの一瞬だけ。
瞳を潤ませたMr.Lを、垣間見たような気がした。
「―――――なぁんだ」
トレードマークの緑の帽子のつばを引き下げて、Mr.Lは愉快そうに、静かに微笑した。
泣くのを必死に堪えているようにも、見えた。
「案外、そうかもしれねぇなぁ」
その言葉を最後に、Mr.Lは消えた。
雪のように儚く、強さで固められた次元を出て行った。
◆
3
ここは闇に満ちている。
闇しかない。
闇だけが、ここに君臨している。
残酷で冷酷な、冷たい冷たい黒の世界。
「~♪」
道化師はそんな場所を行くあても無く、たった独りで散歩するように歩いていた。
柔らかなフレーズの歌を口ずさみながら。
黒と白の仮面はいつも通り凍った笑顔で、変わらぬままそこにあった。
「~♪」
掴みどころのない声音は、感情を喪失していた。
笑い声なのか怒り声なのかさえ、曖昧だった。
気が狂いそうなほどの終わり無き混沌の世界。
進んでも進んでもひたすらな闇が続くここは、地獄以上の地獄だろう。
不変の世界ほど、恐ろしいものはないのだから。
「~♪……」
奇妙な言語の歌詞は途中でぴたりと止む。
道化師は電源が切れたロボットの如く、その場に座る。
耳を澄ませても何も聞こえない。
目を凝らしても闇しか見えない。
香りを探しても匂いなど一つもしない。
暖かさや冷たさを求めても、肌に伝わってくるものは皆無。
ここは無だった。
何もない。
何もかもを拒絶した。
永遠の牢獄。
何も無い。
何も。
何も。何も。何も。何も。何も。何も。何も。何も。何も。何も。何も。何も。何も。何も。何も。何も。何も。何も。何も。何も。何も。何も。何も。何も。何も。何も。何も。
「ボクにピッタリの場所だねぇ」
壊れかかった機械を思わせる、声。
叩けば生命活動を永遠終了してしまいそうなほど、脆い。
「でも、もしかしたらこれって、ボクの願い、叶っちゃったのかもね」
誰もいない。
何もない。
つまり何の穢れも無い。
……新世界。
世界の奥底に人知れず誕生した、王しかいない孤独の王国。
「んふふ。だったらもう、いいじゃないか」
世界なんて大嫌い。
世界に存在する全ての物が大嫌い。
ありとあらゆるものが大嫌い。
万物も概念も性質も秩序も因果も法則も原理も何もかも。何もかも。何もかも!
大嫌い。
特に―――――フェアリン。
過去に犯した過ちを懺悔しようともしない、愚かな民達。
「ボクだけの、平和な世界」
こんにちは、新しい世界。
さようなら、汚らわしい世界。
初めまして、永劫の暗闇。
「ずっとここで独り。それも悪くないかな。あんな罪を犯しちゃったんだし」
空を仰いでみる。
もちろん太陽も月も、惑星も衛星も、星雲も無い。光さえもとどかない。しかし明かりがなくとも道化師の体だけはくっきりと窺うことができる。
ペンキで塗り潰したように、真っ黒。
ダークマターで構築されたブラックホールの中から外を観測しようとしているみたいだ、とと道化師は滑稽にそんなことを想像した。
今更こんなところで諧謔を弄ろうとする気も、戯言や洒落を考えるつもりもなかったけれども、道化師は夢と笑いのある空想に浸り始めていた。
さすがは道化。ここに誰かがいたら哀れと蔑みの視線と共に拍手とチップをプレゼントされるだろう。
もっとも、今の道化師は見世物などではないが。
「どこで間違えちゃったんだろうかな」
ちゃんと何百年も前から計画を練っていたのに。
計算して証明して試案を作成して、確実な方法にまで辿りついて、実行する実力も会得したはずだったのに。どこでどう間違えてしまったのだろうか。
「所詮、復讐なんて考えるべきじゃなかったってこと?」
投げやりに、自問してみる。
「だけどボクにはそれしか道がなかった」
全てを失い、全てを壊された、道化師には。それしか生きる道がなかった。
何千年も昔。
裏切り者と愚鈍者達によって、何もかもを奪われてしまった。悲劇のクラウンには、それが唯一の可能性だった。
復讐。
それがたった一つ残った道しるべだったのに。
「……あはは」
道化師は力無く笑った。
「あはは。あははははははははははは」
げらげらと哄笑する。
高らかに、狂気的に、狂おしいほどまでに。
泣いていた―――――
「あははははははははははははははははははははははははははは」
悲しいよ。
「はははははははははははははははははははははははははははは」
苦しいよ。
「はははははははははははははははははははははははははははは」
痛いよ。
「はははははははははははははははははははははははははははは」
辛いよ。
「はははははははははははははははははははははははははははは」
寂しいよ。
「はははははははははははははははははははははははははははは」
こんな場所で永遠に独りぼっち。
「はははははははははははははははははははははははははははは」
嫌だよ。誰か。
「はははははははははははははははははははははははははははは」
誰か。助け
「はははははははははははははははははははははははははははは」
「見つけたぜ。道化野郎」
………………………。
「どう、して」
「よぉ。久しぶりだな」
「エリリン……なんでここに……」
「助けに来たぜ」
仰天している道化師に、Mr.Lは手を差し伸べた。
「どうして……どうやって……こんな場所に……」
「お前が面倒臭い物残してくれたおかげでな」
Mr.Lの帽子の上に、一本の芽が生えていた。
新緑の息吹。
かつてディメーンがキングハナーンと交渉して手に入れた芽に間違いなかった。
「なんで……ボクなんかのために……!」
「なんでかって?そりゃぁ決まってるじゃねえか。仲間だからだよ」
お前はうっぜーやつで。うるせーし余計なことに首突っ込んでくるし。道化で猫被ってて、嘘つきなペテン野郎で。あんなに人を騙して、散々人を振り回してきた最低な野郎だけどよ。いつも感情を仮面の奥に隠してて、傷ついてないようなふりして、無茶ばっかするやつで。放っておけない。
それに。
「お前は〝オレ〟のことを好きって言ってくれたからな」
「……」
「なぁにが、さよならだよ。おまけにオレのことも生かして、オリジナルも生かしやがった。恩を売られちゃあ今度はこっちが売るってもんだぜ?」
素っ気ないけれども、依然として手は差し伸べ続けている。
道化師は茫然とそれを見つめている。
「……馬鹿だね」
声を震わせて、道化はMr.Lを侮蔑するような態度をとる。
「馬鹿だねエリリンは。本当に馬鹿だよ。何を思ってこんな罪人のところにやってくるんだい。一度入ったらもう二度と出てないのに」
「勝手に決めつけてんじゃねーよボケ」
Mr.Lはせせら笑った。
「出口がねぇなら作るだけだぜ」
「……それにボクは、別にここにずっといてもよかったんだよ」
「嘘つき。悲しい悲しいってピーピー泣いてるくせによく言うぜ」
「……」
「オレはよ、オリジナルのルイージの意識の一部でしかないけど、感情はある。思考も判断も記憶もできる。肉体はないけど生きることはできる。お前は体も心もちゃんとあるんだから、まだやり直すチャンスはあるんだぜ?」
「心はもう、殺した。ボクは、道化だから」
「じゃあ道化師サン。オレが手伝ってやるから心を一から直していこうぜ」
眩しい笑顔に、道化師は目を合わせられない。
「重罪人と存在するはずのない意識だ。どこまでも行けるはずだぜ」
「……ボクは、復讐がしたかったんだ」
呪詛を唱えるように、憎悪に満ちた声音で道化師は話し出す。
「ボクから全てを奪った世界に。大切な人を奪った……あの世界に……フェアリン達に……人間たちに……!でもそれに失敗した今、ボクは……存在する意義なんてないんだ。ずっとそれの為にしか、生きてなかったんだから」
復讐の為だけに。
仇を討つためだけに。
何年も。何十年も。何百年も。何千年も。
「生き方なんて、変えようと思えば変えられるものだぜ」
「ボクには……変えられなかったんだよ。何一つ。何も」
あれだけ人を傷つけて、騙してきたのに。何も手に入れられなかった。
それがどれほどの苦痛であったか。
「―――――一つ言い忘れてたぜ」
長い長い沈黙の後、Mr.Lはぼそりと呟く。
「?」
「伝言だ。オリジナルから」
一息置いてから、伝言を告げる。
「〝僕は君のこと、嫌いじゃなかったよ〟だとさ」
「……!」
仮面の奥の瞳が、大きく揺らぐ。相当の衝撃を受けたのか、道化師はしばらくの間一言もしゃべらなくなる。
「は、ははは」
道化師は手で仮面を覆った。
もともと隠されている顔を、更に二重に隔てた。
「何だいそれは。てっきり相当恨まれてると思ってたのに……何なんだい。いったい」
泣き顔を見られないようにしているようにも捉えられる。
「ボクが一番傷つけた存在なのに」
「さぁてね―――――おい、さっさと行こうぜ」
「どこにだい」
「どこにでも行けるぜ。オレ達なら」
Mr.Lは道化師の腕を半ば強引に掴み、そのまま引きずるように歩きだす。
道化師も抵抗せずに、それについていく。
「なんだ」
Mr.Lは道化師の顔を見て、やれやれと安心の溜息を零した。
「お前もちゃんと、涙、流せるんじゃねえか」
心が生きてる証拠だぜ、とぶっきらぼうに言ってのける。
道化師ディメーンはそれに対して「うるさいよ」と多少のいら立ちを露わにしながらも、どことなく嬉しそうに頷いてみせた。
「あとよ―――――永遠にさよなら、みたいなこと、二度と言うんじゃねえぞ」
次に行ったらぶっ飛ばす。
わかったよ。エリリン。
闇の中を進む。
出口どころか扉も無い、宇宙の始まりのような虚ろな時空を、旅する。
どこまでも。罪人と意識は手を繋いで、前を向いて歩んでいく。
緑の温かな光だけが、そこにはあった。
◆
4
「……?」
誰かに揺さぶられ、ルイージは目を覚ました。
視界に飛び込んできたのは眩しい陽光と、心配そうな兄の顔だった。
「あれ?兄さんそんな顔してどうしたの?」
むくりと起き上がったルイージは、全身草塗れだった。
草。緑。心に優しい色
「うわっ草塗れだ」
ルイージは顔をしかめて草を払う。マリオもそれを手伝った。
「ありがとう兄さん。え?お前が倒れてたから吃驚しただって?嘘、僕倒れてたの?」
気を失っていたことにも気づいていなかったのか、ルイージは頭上にクエスチョンマークを浮かべる。
ちらりと視線を横に移動させると、洗濯バサミがちゃんと留まってなかったのか、たくさんの洗濯物が地面に落ちて汚れてしまっていた。
「うわあ洗濯物が!せっかく洗ったのに」
慌てて立ち上がったルイージであったが、眩暈にも似た症状を起こし、しばしふらふらとおぼつかない足取りで歩いたと思ったら尻餅をついてしまう。
「いたたたた……なんだろう。体がやけにいうことを聞かない」
困惑しているルイージにマリオはより一層不安そうになってしまう。
「具合が悪いんじゃないのかって?う~ん……特にそんなことなかったはずなんだけどな。あれ?でもなんかついさっきまで何かに悩んでいたような気が……」
具体的にどんなことで悩んでいたのか?あるなら相談してくれよ。とマリオに言われるが、幾度考えても自分が何に悩んでいたのか思い出せなかった。
「思い出せない。というか忘れたのかも。というかそもそも悩み事なんてあったっけ……う~ん……」
ルイージは軽く頭を叩いてみたが、何も出てこない。
「まあいいや。大丈夫そうだよ兄さん。ちょっと休めば平気そう。それにしてもなんで倒れてたんだろうね僕。とにかく起こしてくれてありがとう兄さん」
悠久な風が吹く。
穏やかな気候に似合う、爽やかな草の香りが小さな花弁と共に風に乗って、舞う。
「……え?」
どうしたんだルイージと、マリオに言われ、ルイージは自分が両目から涙を零しているといるということを初めて知覚した。
「あ、あれ……なんで?」
別にルイージは悲しいわけでもない。どこかが痛くて生理的に涙を流しているわけでもない。
何故か、泣いていたのだ。
「兄さん。僕、どうかしちゃったのかな。どこも痛くないのに」
どこにも痛みは無い。だけども、どうしてだろうか。
胸の奥がやけに苦しい。
「どうしよう。止まらないよ」
拭っても拭っても指の隙間から零れ落ちてくる雫に、ルイージは戸惑いを隠せない。
抉られていたり、刺されているような苦しさではない。
うまく言葉では言い表せない切なさやいたたまれなさを、無性に感じていた。
そんなルイージの様子に少々混乱していたマリオであったが、ズボンのポケットから清潔なハンカチを取り出し、涙や鼻水を拭いてあげた。
「ありがとう兄さん」
親切にもマリオはそのままルイージの腕を自身の首の後ろに回して、背負ってあげた。
「どうしちゃったんだろうね。こんなに良い天気で、悲しいことなんてないはずなのに」
瞳を潤ませて笑う弟に、マリオはさあなと微笑んで、短く返事をした。
見上げれば青い空。
抜けるようなほど、憎たらしいほどまでに自由で美しく、眺めていたらどこまでも行けそうな、そんな気持ちにさせてくれる力を持った天空。
翼がなければ自力では決してたどり着けないはずの縛り無き楽園に。
道化師と緑の男は、手を繋いで静かに別れを告げて、消えていった。
◆
―――――〝さよならルイージ〟
―――――〝ボクが唯一この世界で好きだった、君〟
―――――――――――――――
~After story~
「はいカットー!」
カーンッ!とカチンコの鳴る音と同時に響いたキノピオの声に、一同はほっと安堵の表情を浮かべて肩の力を抜いたのだった。
「お疲れ様~!」
「お疲れ様でした~!」
「お疲れ!いや~長かった長かった!」
先ほどまでの撮影モードとは打って変わって、役者たちは全員フレンドリーな様子で笑い合っている。
撮影場の壁には―――――〝ハザマタウン映画撮影所〟と大きく書かれた紙が貼られていた。
「いやぁルイルイ君ったら名演技だね!ボクちょっと危うく惚れかけるところだったよ」
「よせったらもうー!」
ディメーンとルイージは楽しげにふざけあっている。
「しかしあれだな!ドドンッと完成が待ち遠しいな!」
「ドドンタスのところ全部カットされてないといいわね~」
「な、なんだとぉ!?」
「二人とも大きな声出したら周りの迷惑ですよ!」
わいわいと騒ぎ合うドドンタスとマネーラ。それを注意するナスタシア。
「そういえばマリオ。貴方がMr.Lの役を兼ねたって本当?」
「ああ。ルイージに一人二役っていうのも難しかったらしくてな。双子だったのが幸いしてかちょっと化粧してもらうだけで済んだよ」
「そうなの(ちょっと化粧であの再現率ってすごいわね……)」
舞台の裏方で頑張ってくれていたピーチに、Mr.Lまで演じ上げたマリオがにっこりと笑む。
「それにしてもクオリティの高い映画になりそうね。ほら、台本まで黒のヨゲン書みたいだから」
ピーチが手にしている映画の台本は作中に出てくる黒のヨゲン書を再現しているのか、漆黒の表紙に不思議な装飾が施されている。まるで本物のようだった。
「―――――はい!OKです!これで全ての撮影は完了です。皆さん本当にお疲れ様でした!」
映画監督を務めているキノピオが全ての作業確認をし終え、誇らしげにOKサインを一同に向けた。
一同は歓声を上げて喜んだ。
「やったあ!よーしそれじゃ打ち上げ行きましょうか!」
「バーのマスターがこの日の為にとっておきのドリンク出してくれるってよ!」
「料理はどうするの~?」
「楽しかったわね。だけど次は役者としても出番が欲しいわ」
「そういえばこれの脚本を作ったのって誰?」
「そういえば……」
「確か―――――あ、ちょうど来ました」
ナスタシアが眼鏡の奥の瞳で撮影場の入り口からやってきた人物―――――ルミエールを映した。
「伯爵様がこの脚本を書いたんですよね?」
「おいおい、伯爵はもうよしてくれ」
「まだまだ皆、役になりきっちゃってるねぇ」
「そうよ。これはルミエールが書いた脚本よ」
ルミエールの隣に立っている美しい女性―――――エマは微笑んだ。
「何ていうか、その割には伯爵の出番は少なくて裏で語られるだけだったね」
ルイージの言葉にルミエールは苦笑する。
「だけど物語の重要人物には変わりないさ」
「影の主人公って感じみたいでしたね!」
「はは、ありがとう」
一同は笑い、そして温かな会話を絶え間なく行いながら外へと出ていく。
そんな中でディメーンはじっと机に残された一冊の脚本を見下ろしていた。
「どうしたのディメーン?」
彼の様子が気になったのか、ルイージは立ち止まり後ろを振り返った。
「ううん、なんでもないよ。ただねぇ―――――」
「ただ?」
「―――――終わりよければ全てよし。ハッピーエンドもまた、一興なのかもね」
「ん?ごめん今なんて言ったの?よく聞こえなかったや」
「なんでもないよ~♪」
陽気にルンルンと鼻歌を歌いながら、ディメーンはふわりと浮かんでそのまま撮影場から出て行った。
「相変わらず役から普段から変なやつだなぁ」
肩を竦めて笑いながら、ルイージもその後ろ姿を追った。
部屋には誰にもいなくなった。
そして、風一つないというのに脚本が独りでにぱらぱらとページをめくる。
始まりから終わりまで、ゆっくりとゆっくりと時を刻むように―――――。
やがて、最後のページに辿り着く。
そこに記されていた言葉は
『THE END』
それでは また いつか どこかで