名も無き勇者の冒険 第一幕 飛べない勇者と死ねない愚者

 

Ⅲ 開始地点

 

 

 ◆

 

「―――――とても面白い見世物が始まるような予感がします」

 

「見世物ですか」

 

「ええ、見世物です。それもとびきり愉快で滑稽な。ようやく私を楽しませてくれる駒が現れそうですよ」

 

「そうですか」

 

「そうですとも。随分と長い間待ち続けていたような気がします。あれからもう何年ですか?何十年?何百年?貴女は覚えています?」

 

「覚えていません」

 

「ですよねー。やっぱりどんな時でも物語の接続部分、もしくは序章部分を知っているのは私だけなんですよね。はたまたは省略されている場面や削除されている回想まで。更にはその先まで―――――これは非常に厄介なのです。厄介と表するよりも、面倒なのです」

 

「何故面倒なのですか」

 

「物語を最初から全て理解しているだなんて、つまらないじゃないですか」

 

「つまらないのですか」

 

「無知な貴女の為に説明してあげましょう。例えばここにAという本があると仮定します。表紙や本の厚さ、題名とかは適当でいいです。だけど貴女は今までの人生で一度もその本を読んだことが無いという設定にします。次に貴女はAの本を読もうとする。読もうと思っているとします。机の上にそのまま置かれているだとか、書館の書棚の隅に入れられているだとか、本が存在するシチュエーションもまた適当でいいです。貴女の目の前にAの本があり、尚且つ貴女はAの本を読みたいと思っているということだけが重要なのですから」

 

「はい。私の目の前にはAの本があり、私はAの本を読みたい」

 

「物わかりがいいですね。まぁこのくらい猿でもわかりますよね―――――そして貴女はAの本を手に取って読もうとします。ここまでならどこにもおかしい点はありませんよね。ただ単純に貴女は読みたいAの本を読もうとするだけなのですから」

 

「はい」

 

「だけど、もしも―――――貴女は貴女の指がAの本に触れるよりも早く、ページをめくる前に、唐突に全ての内容を知ってしまったら、どうしますか?」

 

「わかりません」

 

「もう、このくらいは答えられるようにしましょうよ。まったく、だから貴女は可愛い子なんです」

 

「どうして唐突に全ての内容を知ってしまうのでしょうか」

 

「どうしてでしょうね。だけど深くは考える必要はないです。私の発言をそのままに、貴女はAの本を読む前にAの本の内容の全てを理解してしまうのです。先端から末端まで。登場人物の思考やら作者の工夫も何もかも、この本のありとあらゆる面を完璧に把握してしまうのです―――――普通の人ならば、とりあえず急に脳内に流れ込んできた盛大なネタバレに驚愕するところから始まるでしょうね」

 

「そうなのですか」

 

「そうなのです。その後は人それぞれの反応があるでしょうけれど、大抵の人は慌ててAの本を開いて内容を確認するでしょうね。間もなくして自分の知る本の内容と、本に書かれている正真正銘紛れもない真実の内容との一致具合に余計に混乱するでしょうね」

 

「本を読む手間が省けたのですね」

 

「ああ、そういう考え方もありますね。だけど生憎、多くの知的生命体は貴女のように〝無垢〟ではないのです」

 

「そうなのですか」

 

「さぁここからが本番です―――――先ほどの普通の人が本を読む前に本に触れずとも本の内容を全て理解できるようになってしまったら……。Aの本だけではなくこの世のありとあらゆる本の中身が一瞬にして認知できるようになってしまったら。世間に出版された本だろうが、生涯作者以外の目に触れることが適わなかった本でも、例外なく何もかもをパーフェクトに頭の中に取り込めるようになってしまったら……。その特異的な力を制御することは不可能。停止させることもできません。無差別に無作為に、目の前にある本に込められた〝あらすじ〟から何までわかってしまうようになったら―――――普通の人はまず間違いなく、二度と手にとって本を読むことが無くなるでしょうね」

 

「何故でしょう」

 

「どんなに幼稚だろうとも知識を取り込むということは、即ち時間をその分使用するということです―――――言うならば時間を溝に捨てなければ、知恵はつかないのです」

 

「そうなのですか」

 

「一度完全に習得したコトを何度も繰り返すコトを嫌うのと同じです。わかってしまったのだから、媒体であるその本はもう不必要。簡単でしょう?初心に帰るという言葉をここに当てはめるのとでは訳が違うのです」

 

「そうなのですか」

 

「そしていつしか普通の人は普通ではなくなるのでしょう。長生きであれば長生きであるほど、時間は山ほどありますからね。普通ではなくなった人は―――――世の中の物語の大半を知り尽くしてしまった。これは実に退屈なことなのです。本が誰かの記憶と知の結晶ならば、いつしか知的生命体の心でさえ見えてきてしまうのですから。そんな人が最後にすることは何でしょうね。■■■■。貴女にはわかりますか?」

 

「わかりません」

 

「くだらなく単調で、惨めなほど退屈で、残酷なほど阿呆な物語を書き換え、自分自身が作家となり、脚本家になるんですよ―――――〝私〟のようにね」

 

 


 ◆


―――――空気が変わっている?

 

 深い暗い意識の底で、空気の流れと匂いの変化を察知した。
 環境が一転したなどと言う劇的な変貌ではないが、先ほどまでの外気とは違った空気に自分は晒されている。
 ここまではほとんど本能的でいて無意識な反応だった。
「……?」

 ぼんやりと意識を取り戻したソウリュウが薄っすらと目を開けると、細い視界に映ったのは板張りの天井だった。質素ではあるものの、しっかりとした造りをしている。
 ひとまず起き上がるが相変わらず半分以上眠っている頭のせいで思考は朦朧としており、ソウリュウは眠い朝に起きる時のように両頬をぱちんと打った。体に馴染んでいる習慣のおかげで、ソウリュウはここでやっと意識を完全に引き戻すことに成功した。

「お、お?―――――どこだぁここ!?」

 開口一番に出たのは疑問の声だった。
 それもそのはず。目が覚めたら全く見知らぬ部屋で寝ていたのだから。
 あまり広いとは言えないがそこまで狭いとも言えない中くらいの部屋の造りは一見すると宿場の一室のようで、現在進行形でソウリュウが座っているベッドやチェストなどと言った簡易的な家具が設置されている。
 つまりはソウリュウは今、木造の謎の家の謎の部屋の独りでいるということになる。

「えーっと……思い出せ……確か俺は、街が見えて入ろうとして……いや、入ろうとする前に急に体が重くなって……」

 必死にうろ覚えの記憶を引きずり出そうとソウリュウは唸る。
 確かに謎の症状によって意識を失って倒れたところまでは覚えている。

 

―――――ん?入口の前で倒れたってことはつまり? 

 

「ここはカシスの街なのか?防魔装置(シス・マテリア)の気配を感じるし……」

 とりあえず妥当な結論を出し(ソウリュウは難しいことを考えるのが苦手なのだ)、立ち上がる。ベッドに綺麗に敷かれたシーツは染み一つなかった。

「怪我はないしどこもおかしくない。ひとまずは安心だ」

 軽く身体の様子を確認しながら、問題が無いことに一安心する。

「誰かが俺をここまで運んでくれたのか?そもそも何で俺は倒れたんだ?……ややこしい」

 こんがらがりそうな頭を掻いて、すぐ傍のカーテンのかかった窓の方へと歩く。状況と現在位置がわからなければ何も始まらない。

「そもそも今何時だ……」

 体内時計が狂ってやがる……と呟いて、カーテンに手をかけたその時だった。

「あ、よかった。気がついたんだね」

 見知らぬ少年が、部屋の中に入ってきたのだ。
 黒みがかった緑の髪を持つ少年の年は、だいたいソウリュウと同じくらいだろうか。彼よりも細身で身長も低いが、理知的な顔立ちをしているせいか大人びて見えた。 
 手には水の入ったコップがあり、ソウリュウの為に持ってきてくれたのだろう。

「お前ここの家の人か?」

「察しが早くて助かるよ」

「いや、そうじゃなかったら困るし」

「はは、だよね―――――水飲む?」

 温和な人柄であろう少年にコップを差し出され、ソウリュウは迷うことなく受け取った。

「サンキュ」

 そしてそれを一気に飲みほ―――――


「ぐふっ!?」


 水が喉を通過した瞬間に、ソウリュウはその身に凄まじい衝撃が奔るのを理解した!
 水を吐き出さなかったことが奇跡とも言える。
 この水は水のようでただの水ではなく、致命的に水ではなかった。水ではなくなっていた。
 喉を焼くような痛み(?)と、食道を壊すような破壊力(??)が、数瞬だけソウリュウの中を暴れ回った。

「な……なんだこれうぁ……ッ!?」

 しかし毒ではない。例え毒物であろうともソウリュウは毒に強いため、毒を飲んで死ぬということは基本的にはない。
 だけどこれは毒を連想させるような、毒でさえ到達できない域にまで達した得体の知れないモノを想起させるような……。

 一言で言えば致命的に不味かった。
 
「ああ、これは僕が調合した〝意識がしゃきっとする薬〟を混ぜた水だよ!寝起きが辛いって人にはオススメするし、気を失っていた君にもピッタリだなって思って!」

「……」

 言うならば気つけ薬である。
 悪気一つない人の良い笑顔を向けられて、むせるソウリュウは何も言えない。そもそもむせているので喋る余裕がない。
「薬と言っても副作用とかは一切ないから安心してね」


―――――副作用以前の問題で味で死ぬかと思ったんだが!? 


 大抵のモノなら何でもペロリと食べれるソウリュウをここまで追い詰めた薬。一般人に飲ませたらはたしてどうなってしまうのだろうか。

「うう……お、主に味のせいだが……元気が出てきたぞ……」

 青ざめながら言う台詞ではないが、元気が出てきたのは本当だった。
「それならよかった。僕はフレイ。フレイ・リント。カシスの宿屋の息子で、見習いだけど薬学専門の魔術師をやってる。ここはその宿の二階の部屋だよ。父さんが君をここまで運んでくれたんだ」

「そうなのか。あとでお礼を言いに行かないとな。俺はソウリュウ、旅人だ。それじゃあここはカシスなんだな」

「うん。君は街の入口の門の下で倒れていたんだ」

「ん?門の下?―――――俺は門の手前で倒れたはずなんだが」

「……やっぱりそうか」

 ソウリュウの言葉で何かを察したのか、フレイは表情を曇らせた。

「そうかって、何がそうなんだ?」

「それがね。信じがたいことかもしれないけど―――――」 

 言いずらそうにフレイが口を開きかけたところで、とてつもなく奇妙な音が室内中に響き渡った。

「……腹、へったな……」

「お、お腹の音?」

 今更自分の空腹を思い出したかのように、ソウリュウは力無く腕を振り子のように揺らした。 
 未だかつて聞いたことの無いような腹の音を聞いてフレイはしばしぽかんとしてしまうが、やがてふふっとおかしそうに笑った。

「そうだね。君、父さんに運ばれてる最中にずっと『腹へった』って言ってたらしいしね」

「まじかよ……!」

「それじゃあ何か食べれるモノを母さんに作ってもらうから、食べながら説明しようか」 

「説明?」

 形容しがたい味を帯びた水しか入っていない腹をさすりながら、ソウリュウは首を傾げた。
 フレイは部屋の扉を開けて廊下に出ながら、彼の方を振り返った。

「君が何故倒れていたのか、今この街に何が起きているのかを、知っている限りで説明するよ」

  

 

 

 

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ソウリュウは人間じゃないのに何故防魔装置内に入っても平気なのかはいろいろな事情があったりします。

多分そのうち設定のほうでまとめます。