――――そして、あの人は失われた。

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 ソウリュウは不思議な空間を歩いていた。
 どこに行きたいと望むこともなく、どこを目指すでもなく、ぼんやりと夢現に足を進ませる。
 様々な場所を通過したような気がする。過ぎ去りしあの日に訪れ、離れた地点。
 懐かしい場所、かつて訪れた場所、知らないはずなのに知っているような場所、幾つもの場所を渡る。

 ここはどこだ。

 この世界でありながらこの世界ではない滅亡したはずの古の大地がそこには広がっており、奇妙な壊れかけのカラクリが幾つも設置されている。
 それらは全て大衆用の娯楽遊具であり、言わばここは遊園地であった。ひどく老朽化した観覧車やコーヒーカップ、蔦を巡らせている回転木馬など種類は豊富であった。
 しかし本来ならば夢と希望を求めてやってくる子供達は一人としておらず、人の気配が無い。そもそも客寄せの機能を果たせないほど荒廃しているため、まるで廃棄処分を待つゴミ捨て場のようでさえある。
 夢も希望も捨てられ、忘れさられていく。
 これはいつの日かの幻想だろうか。それともただの夢物語に過ぎないのか。

「世界は何かを作り、何かを捨てることで成り立つのよ」

 回転木馬の白馬に腰かけている彼女は、冷めきった淡々とした声でそう言った。その声には聞き覚えがあったが、名前を呼ぶことができなかった。
 何故ならそこにいたのは彼女であり、彼女でなかったのだから。
 顔や体つきこそは彼女と瓜二つだが、着ている衣装や髪型、何よりも纏う気配がまるで違う。それこそ別人のように差異が生じている。
 三つ編み混じりの艶やかな長い黒髪。紫水晶を想起させる瞳。一風変わった衣装のドレスに同種の三角帽子。赤い薔薇の装飾。
 赤薔薇――――どこかで見たことのある花だ。

「古きは忘却され、新しきは歓迎され、いずれはまた同様のことを繰り返す。人はこれを循環と言うのでしょうね。古い機械に最新版の情報を書き込まなければならないように、不要は淘汰される。まるで墓に埋められる死者のようね」

 彼女はつまらない詩の一節を朗読するように気怠げに独り呟く。

「貴方は死者?それとも彷徨うだけの生者かしら」

 どうやら彼女はソウリュウの存在にとっくに気づいているようで、ちらりとこちらに目をやった。

「俺は」

 ソウリュウは自身の胸に手を置く。
 鼓動の音が聞こえ、脈打つ。

「生きている」

 そう答えると彼女は特に面白くもなさそうに、だからと言って落胆することもなく、変わらぬ態度のまま「そう」と息を吐いた。
 白い指が魂の篭らない無機質な馬の背をおもむろになぞる。

「なら、ここに留まらないほうがいいわ。この先は冥府への入り口。淡水の川を越えるに等しい。生きているのなら迷わず帰りなさい。貴方はまだ、〝舞台〟に立っていなければならないのでしょう?」

「なぁ、どっかで会ったことあるか。お前」

 くすりと、彼女は微笑する。

「さて、どうでしょう。でもそっくりさんのことは見知っているでしょう」

「そうだな。でも、〝お前〟じゃない」

 ソウリュウの知っている〝彼女〟は髪を下ろしていなかった。ここまで豪華な服でも無く、何よりこんな風に笑わない。
 意志の強さは似ているかもしれないが、それでも違う。
 同じだけれど、別人だ。

「お前が、あいつの好きだった奴か?」

「どうでしょうね。貴方がそう思うならそれが正解よ」

「すげえやばいやつだぞあいつ」

「そうね。でも、あれでもだいぶ丸くなったはずよ」

「おいおい」

「何にしてもあの人は永遠に死なないから。貴方が死んでも、永久に生き続ける。」

 謎に満ち溢れた死が無い偽紳士のことを思い返しながら、ソウリュウは訊ねる。

「……お前の名前、何だっけ」

「――――マリーベル。マリーベル・マーシアナ。別に覚えなくていいわ。隠蔽され、抹消された名だから」

 マリーベル。
 その名前はすでに知っている。ただ確かめる意味で訊いただけだった。
 それでも確証が持てて安堵する。

「覚えとくぜマリーベル。そうじゃねえとマーシアとごっちゃになっちまう」

 そう言うとマリーベルであるはずの女性は少しばかり驚いた様子で目を丸くするが、やがて面白いと言いたげに口元に手をやった。

「変な炎竜ね。ソウリュウ」

「何で名前知ってんだよ。教えてないぞ」

「ずっと見てきたから。命尽きた瞬間から、この星の辿る命運と共に。一つの〝物語〟を観賞し続けているから」
 
 その言葉に秘められた意図や意味はまるっきり理解できなかったが、ソウリュウにでもわかることは一つだけあった。
 明確でいて悲劇的、もしくは嘆くことも必要ないほど当たり前のことだ。

「お前――――もう死んじまってるんだな」

「何を今更。言ったでしょう。ここは生者がいるべき場所ではないと。存在が許されるのは、死者だけ。役目を終えた人物が落とされる〝舞台裏〟でもあるのよ」

「じゃあ、何で俺はここに」

 刹那、黒薔薇の花弁の吹雪が起こる。
 突発的なそれはたちまちソウリュウの視界を覆い、幻想的な世界さえも霞ませる。
 同時に意識が霧がかかるように朦朧としてくる。
 目蓋がやけに重く、目が開けられなくなる。
 最後に垣間見たモノは、木馬の上で微笑む彼女だった。
 魔女の姿とメイドの姿が幻影のように重なり、ソウリュウに穏やかな眼差しを向けていた。



「あの人のこと、適度に構ってくれたら助かるわ」

 「あの方のことを、どうか呪わないであげてください」



 途切れていく意識の中、歌が聞こえてくる。
 笑い出したくなるような旋律。
 泣き出したくなるような音程。
 どこかに帰りたくなるような歌詞。
 愛しさを抱きながら眠れるような、歌声。


 ああ、これは。

 

 

 


 優しくも切ない、星の子守唄――――。

 

 

 

 

 


 ◆

 

 

名も無き勇者の冒険 第一幕 飛べない勇者と死ねない愚者

 

 

 End.誰も正しくないセカイ

 

 

 

 ◆

 

 


 事態の終息、波乱の終結はいつだって呆気ないものだと、ショウインに言われたことを思い出す。
 何事においても喜劇の大団円のような誰もが納得し、笑い飛ばせるような結末にはなれないと、幼いソウリュウに語りきかせてくれた。
 当時は意味が上手く理解できなかったが、今なら確かにそれは正しいと頷ける。登場する人物全員を平等に救済することなど不可能に近い。
 師匠は知っていたのだろうか。誰かを救い、誰かを不幸にする、残酷な世の仕組みを。
 知っていたとしても、詳しい話は決してしてくれなかったことだろう。あの人はいつも、最後まで語らない。ちんぷんかんぷんのまま首を傾げるソウリュウを嘲笑うことも罵倒することもなく、ただ静かに頭を撫でてくれた。
 長年の修業で岩のように硬くなった大きな手は温かく、その感触はつい昨日のことにように思い出せる。時に優しくソウリュウを撫で、時に厳しくソウリュウを殴る手。
 鬼のようであり父のようであった、存在。
 もう二度と感じられない。
 あの人は、死んだのだから。
 それでも、なかったことにはならない。
 死んでいなくなったとしても、〝あの人〟と過ごした記憶が失われるわけではない。

 だからこそ、忘れてはいけない。



 ◆


 ――――言わばこれは、後日談だ。

 ソウリュウが目を覚ませば、そこはカシスの街の医療施設だった。
 医療施設と言っても他家屋と大して変わらない構造のため、ソウリュウは最初に世話になった宿屋でずっと眠っていて今の今まで長い夢を見ていたような錯覚に陥りそうになる。
 しかし、あちこちに包帯を巻きつけられた痛む体を見下ろして夢ではなかったということを文字通り痛感する。
 それにしても夢のような何かを見ていたような気もするが、捻り出してみようにも思い当たる節を発見できず、結局その件に関しては保留にした。
 焦る必要はない。街の人々を脅かす危機は解決したのだから。
 館での怪奇な出来事から丸三日が経過していた。丸三日も眠っていたのかと思うとなかなか衝撃的だが、怪我がかなり重傷であるがゆえに仕方がないことなのかもしれない。医者からは常人ならば全治半年、左手は後遺症が残るかもしれないと言われたがさすがは竜人。二週間もあれば痛みは引き、傷痕自体は一ヶ月程度で消えるという見立てだった。
 最初の最初からろくでもなく、最後の最後まで破綻していた事件だった。
 この事件に外から介入してきたソウリュウと、頼りなくも知恵を振り絞ってくれたフレイによって一応は脅威は去り、街は解放された。
 延々の鳥籠状態だった閉鎖は失くなり、街の外にも自由に出られるようになったと聞かされた時はソウリュウも安堵した。
 実感が沸かないものの本来の目的は呪縛からの解放と街の娘を取り返すことであったのだから、ひとまずはそれらが片付いて何よりであった。
 聞くところによれば激闘を繰り広げた後、ソウリュウはどのような方法でかは本人にもわからないが、フレイ曰く「君は僕とリズを背負って街まで戻ってきたらしいよ」とのことだった。血みどろのソウリュウに背負われたフレイとリズ。ミーシャとロゼラとイリアナは森の中に倒れており、事前にソウリュウが彼女らの居場所を街の者に教えたらしい。当の本人は全く覚えていないが、そう言われればそうだったような気もする。
 あの時はとにかく必死で、フレイ達を連れて帰ること以外何も考えられなかった。
 あれからフレイもソウリュウと同じく入院しているが、純人間の治癒力は竜人よりもずっと低いため、腹の傷の完治は当分かかるようだった。
 フレイは何らかの弊害の影響か館で起きたことの記憶が幾つか抜け落ち、朧げにしか覚えていないと言う。
 館の主人のことについても、記憶していない。
 それに関してはメイド戦隊として操られていた四人も同様もしくはそれ以上で、街の人々から何が起きたのか詳しい事情を訊かれても首を捻るだけだったとのこと。
 ただ黒幕はソウリュウによって倒されたという事実だけを受け入れている。
 何よりも決戦の地とも呼べる館自体が――――跡形もなく消えていたのだから。

 「助けてくれてありがとう」と、フレイは感謝を述べて笑った。
 それに対してソウリュウも笑い、握手をした。
 起き上がれるようになったばかりでまだ握力は本調子ではなかったが、「痛いよ」と苦笑されてしまった。

「――――生還って、いいことだね」
「そうだな」

 これからもそう思って生きていてねと言われれば、お前もなと、笑いながら返した。


 ◆


 かつてのメイド戦隊であった少女達は何度もソウリュウの見舞いに訪ねてきた。
「あの時のことは全く覚えていないのですが、貴方にとても迷惑をかけてしまったのは確かでしょう。本当にごめんなさい」
 一番の年長者であるブルーガ(それでもソウリュウよりは年下だろうが)を筆頭に、四人は申し訳なさそうに頭を下げる。
「い、いいっていいって謝らなくて。頭上げろよあれはしょうがないことだったじゃねえか」
 こうも改まって年下の少女に謝罪されると逆にソウリュウのほうが申し訳なさを感じてしまう。
「いいえ。それでも非はこちらにあります」
「ううう……何だか私すごくご迷惑をかけてしまったような……」
「まあでも実際ロゼラちゃんってブスだからしょうがないよね」
「ふえぇ……ひどいよミーちゃん……わたしだって頑張ってるのにぃ」
「こらミーシャ!言い過ぎよ」
「はーい。イリ姉厳しすぎ〜冗談なのにぃ」
(こいつらの変な性格は元からか……)
 年相応の女の子同士のはしゃぎあいならぬからかいあいに新鮮味を覚え、しばしソウリュウは目をぱちくりさせてしまう。
「もう皆さん勇者様の前で恥ずかしいですよ!」
「勇者様ぁ?」
 そんな大層なやつが来ているのかときょろきょろと周囲を見回すが、病室にはソウリュウを含めた五人しかいない。

「誰だよ勇者は。隠れてんのか?気配一つしないんだが」
「「「「ん」」」」

 ここで四人の少女は一致団結するように息を合わせ、全員ほぼ同時にソウリュウを指さす。
 指をさされた当の本人はきょとんとしつつも、自分で自分のことも指さしてしまう。
「俺が勇者だっての!?」
「そう。勇者様!」
「何でだよ!俺はただの通りすがりの旅人で……」
「何を言っているんですか勇者様。貴方はこの街や私達を救ってくれたじゃないですか!」
「みんな貴方に感謝しているんですよぉ」
「勇者様がいなかったら今頃アタシ達も街もどうなっていたかわからないし」
「ちょっとちょっとみんな!フレイ兄様のことも忘れないでです!」
「えー別にリズの兄さん大して活躍してなさそうじゃーん」
「むー!兄様は頑張ったんですよ多分!えーっとえーっとはっきりと覚えてないけど、リズのこと必死になって助けてくれたですっ」
「ねぇ実際のところどうなの勇者様ぁ」
「貴方達喧しいですよ!ここは病室なんですよ?」
「そう言うイリ姉が一番うるさい〜」
 女子達の起こす生き生きとした喧騒の中で、ひたすらソウリュウは勇者という名称を頭の中で反芻するように唱えていた。
(勇者ねぇ。そういえばあの野郎にもそんな風に呼ばれたな)
 勇者は英雄に匹敵する名誉な称号であるとは思っているが、まさか自分がそのように呼ばれる日が来るとは思わなかった。
 そう呼ばれるとどこかむず痒く、気恥ずかしくもなるが、不思議と嫌悪感は湧かなかった。
(悪い気はしないから、いいか)
 勇者の称号はともかく、こうしてフレイや少女達が無事で、街の平和を取り戻す力添えができて満足だと、ソウリュウは心の内で頷いた。
 それからしばらく少女達にちょっとした話をしたり聞かされたりと平凡な雑談を行ったが、不意にリズがソウリュウに質問を切り出してきた。
「勇者様。一つお尋ねしたいことがあるです」
「何だよ」
「もしかして薔薇がお好きなんです?」
「な、何で俺が薔薇なんか!」
 ぎょっとするソウリュウに、リズはぽかんとしてしまう
「だって、勇者様から薔薇の良い匂いがしますです。リズはフレイお兄様にお花についてお勉強しましたからわかるです」
「まじかよ……!」
 思わず自分の腕に手をやって匂いを嗅げば、消毒薬特有の清潔な匂いと独自の体臭に混ざり、かすかに薔薇の甘い香りがした。長らく眠っていたせいで鼻に馴染んでしまっていたのかと、ソウリュウはぞっとしてしまう。
 正直、二度と薔薇の匂いは嗅ぎたくない。
 薔薇には嫌な思い出しかないのだから。
 げんなりするソウリュウの前で、リズは首を傾げる。
「薔薇の香り……どこかでたくさん嗅いだような嗅いでないような」
「……当分薔薇関連には近寄るなよ。お前だけじゃなくて全員」
「何故です?」

「あれはとんでもねえ毒花だ」


 ◆


 それから一週間後。医者が止めるのも聞かずに、ソウリュウは街を出ていくことに決めた。
「もう全然痛くねえし、これ以上寝てたら体がなまっちまう。それに、旅人は旅してるのが一番落ち着くんだよ」
 そうしてすぐにそのまま出ていこうとしたがさすがに街の人々に止められ、様々な食べ物やら道具やらを貰った。今用意できる精一杯の感謝の気持ちだとのことで、ソウリュウは少々照れ臭くなりながらもそれらを受け取った。ソウリュウにしては珍しく、布袋を持った出立となる。
 馬車を出すかとも言われたが、ソウリュウにしては丁重に断った。
「服縫ってくれたりいろいろとありがとな。街の復興頑張れよ」
 それだけ言って早めに立ち去ろうとしたところで、思いがけない言葉をかけられた。
「旅の勇者さん。あんたは人間じゃあないが、人間以上に素晴らしいお方だ」
 人間ではないことを恐れたり、咎めたりして申し訳なかったと口々に謝られ、ますますソウリュウは狼狽してしまう。
 こんな風に誰かに感謝されるのは初めてかもしれない。未知の感覚はどうにも照れ臭く、上手く返事をすることができなかった。

「いつでもまたお越しください。歓迎します。我らの街の救世主」


 ◆ 


「また来てくれ、ねぇ」
 自分を歓迎してくれる場所があるだなんて、想像さえしたことがなかった。
 カシスの街を出て数刻、ソウリュウは草木が疎らに生える平地の一本道を歩いていた。
 陽はまだまだ髙く、街の者に教えてもらった次の街まではそう遠くはない。陽が沈む前に徒歩で到着できれば御の字だ。
 空は抜けるように青く、綿雲は穏やかな風に流れて旅をしている。こうものんびりとしていると魔物などの脅威が無ければこの世界はどれほど美しいか、柄でもない空想に浸ってしまう。
「俺にも、誰かを救うことはできる」
 今回街の人々を救ったように、誰かを助けることができる。こんな自分でも、人間に力を貸してやれるのだと思っていたい。思っていたかった。
 自然と自信が沸く中で、ソウリュウは歩みを止めずに気だるげな溜め息をついた。
「……こそこそ隠れてないで出てこいよ」
「隠れてませんよ。忍んでいるだけです」
 どこからともなく声が聞こえてくる。透明感のある少年の声だ。
「同じじゃねぇか」
「それにしても聞き捨てならないですよ。薔薇を毒花扱いだなんて」
「俺からすればガなんとかの花よりよっぽど悪質な花だよ」
「ガズネの花くらい覚えてくださいよ」
 不意にソウリュウのすぐ隣で靄が立ち込めたかと思えば、一人の少年が姿を表す。
「んん〜100年近くぶりの直射日光はさすがに眩しいですね。日焼けしちゃいそう」
 人を食ったような掴めない笑みに服装や気配は館で対面した時と同一だが、手に持つ得物が増えていた。
「その斧……」
「ご覧の通りマーシアが使っていた斧ですよ。私が自作したモノなので、こうして使用主が私になっても大して問題にはならないでしょう?」
 漆黒と灰銀の大振りの斧を杖のように持ち運ぶフランシスは、ソウリュウを挑発するような態度で目を細めた。
 マーシア。
 彼女のことを思い出しては、ソウリュウは複雑そうな表情を浮かべる。
「――――私のこと、恨んでないんですか?マーシアを殺したに等しい私を。いつでも殺しに来てくれて構わないのですよ」
「……殺さねぇし、今はそういう気分じゃないんだよ」
「あらあら残念。てっきり本気でかかってくると胸を弾ませて楽しみにしていたのに」
「やることはもうあの時やりきったからよ」
「私としては物足りなかったです」
 ソウリュウはフランシスの眼前にまで怒りを秘めた拳を突き出し、睨みつける。
「勘違いするなよ。俺はお前を許すつもりはない。お前なんか大嫌いだ。顔も見たくないくらい嫌いだけどよ」
「けど?」
「……頼まれちまったんだよ。お前に構ってやってくれって」
「……それは、マーシアにですか?」
「教えねぇよ。教えてたまるもんか」
 不愉快そうに拳を下ろすソウリュウに、フランシスは「そーですかー」と大して興味無さそうにスキップをした。厚底の高級な皮靴が気持ちのいいリズムを刻む。
「それよりもお前に話してもらわねぇといけないことが山ほどあるんだよ。炎竜ってなんだよ。約束とか宿命だとか、ちゃんとわかるように説明しろ」
「ふふ、貴方にわかるように説明するとなるとなかなか難儀ですね。隕石を砕いですり潰して砂山にするくらいに」
「お前俺のこと馬鹿だと思ってるだろ!」
「え!?違うんですか?てっきり今世紀稀に見る大馬鹿野郎だと認識していましたよぉ」
「怪我が治ったら一発ぶん殴らせろ!」
「ご自由に。やれやれ、しばらくの間は退屈しないで済みそうですねぇ――――さて、私を外に出してしまったということは必然的にどのような災を生むか、わかっていますか?私は世界で一番退屈を嫌う紳士なので、おとなしく黙ってることなんてできませんよ」
 私は超が無量大数積み重なるほどの根っからのワルなのでぇと、おちゃらけてくる。
 するとソウリュウはそこまで動じずに息を吐く。
「お前がまた胸糞悪くなるようなことしたら、今度こそコテンパンに倒してやる」
「さすがソウリュウさん。頼もしいですねぇ。対立する相手がいるってなると悪の親玉としては張り切っちゃいます」
「張り切るな!」
「……私がこの斧で誰かの命を奪う前に、貴方が私を止めてくださいね。あ、斧限定じゃないですけどね」
 今となっては彼女の唯一の形見である斧の棒部分をぎゅっと抱きしめながら、フランシスは何か思いついたのかソウリュウに露骨に斧を見せびらかしてくる。
「そうだ。この斧の名前知ってますか?」
「知るわけないだろ。そもそも名前あんのかそれ。触るたびにびりびりするから防魔製ってやつだろ」
「あ、よくわかりましたね。日常的に竜人としての力を抑えているソウリュウさんの致命的な鈍さでもわかるのなら、一介の魔物なら瞬殺できますね」
「褒めてんのか貶してんのかどっちだよ!」
「まあまあ落ち着いて。この斧の名前はヘーレガディア。〝冥府の番人〟ですよ」
 冥府。
 死の国。 
 死者の堕ちる世界。
 死の無い怪物が所持する、メイドの少女の形見。


「――――最悪の名前だな」
「ええ。最悪です」

 

 ソウリュウは笑わなかった。
 フランシスは、嗤った。
「……なあ、一つ訊いていいか?」
「何なりと」

「――――お前、本当はマーシアのこと大事に思ってたんじゃないか?」

 その問いにフランシスは驚くことも困惑することも無く、ふっと失笑する。
「まさか。あれはただの失敗作のメイド。特別な感情など抱きませんよ。抱くだけ滑稽な話です」
 それにと、フランシスは続ける。
「道具に愛着を持ったところで、虚しくなるばかりですよ――――本当に、ね」
 完成することなく処理された98体の失敗作。目覚めることさえなかった99番目。
 不死者が残された右目に何を映し、どのような思いを抱いていたのかは定かではないが――――それは決して愉快な物ではないということだけは、断言できた。
 愛した人の模造品。
 失われた抜け殻。
「彼女の死は夜のように。彼女の生は朝のように」
「何だよそれ」
「何でもないです。ただの独り言ですよ――――それよりもこれからどこに行くんですか?」
「ニホン。知り合いがそこにいるから会いに行こうかなって。そいつには随分世話になったから」
「もしかしてロミのことですか?」
「お前ロミを知ってんのか!?」
 仰天するソウリュウに、フランシスは頷く。
「知っていますとも。彼は先の大戦でいろいろありましたから。250年……いや150年?とにかく少し前に会ったきりですから今の彼がどうなっているのかよくわかりませんが」
「……お前らは長生きだな」
「お互いに死にぞこないですよ」
 この時のソウリュウは知らない。先の大戦と言うのが歴史を揺るがし世界を震撼させた新世界人間種の最初でいて最大の大戦乱〝ヴィスヴァルツ大戦〟であるということを。
 そもそも世界事情に非常に疎いソウリュウは、この世界に生きる者ならば誰もが知っている〝大戦〟の存在時代知らなかった。
 この世界の謎も、紡がれてきた血族の繋がりも連鎖も――――まだ、わからない。
「まぁ、積もる話はこれから……過去の話をしてあげます。貴方が知りたいこと知りたくないことを含めて、世界一優しい私が語ってあげましょう」
「どの口が言うんだ」
「この口だから言えることですよ」
 フランシスは得意げにウインクをし、唄うように語り出す。
 今は亡きマーシアの斧を手に、炎竜であるソウリュウを隣に、昔語りを始める。

「そうですねぇ始めるのならばあそこから――――昔々、あるところに――――」

 果てなき蒼穹を見上げながら、ソウリュウは思う。
 彼の言葉を忘れずに
 彼女の存在を忘れずに
 厄介者はあしらいつつ、何とかやっていこうと。
 勇者ならば勇者らしく、困っている者を助け、世界を少しずつ知っていこうと。



(――――行けるところまで、行こう)




 冒険はまだ、始まったばかりなのだから。

 

 

 

 

 

 

 



 ◆

 

 

 

 

 


 ――――月明かりの恩恵がひどく少ない宵闇に包まれた荒涼とした湿地帯にて、肉を断つ音と濁った断末魔が微風に混じる。
 水気を帯びた地面や岩に鮮血が飛び散り、直後にぼとりと肉片も落ちてはじわりと血池を生んだ。
 地に転がる四人の死体は全て亜人であり、人型でありながらどこか野生感のある容貌をしているが、惨殺された今となっては何の種族なのかはっきりと判別ができない。身につけている衣装から辛うじて夜目の利かない人間の旅人を狙って生計を立てている達の悪い賊であるということは察しがつく。
 しかし彼らは襲いかかった旅人に返り討ちにされ、無残な死を遂げた。
 弱肉強食なこの世界においてはありふれた話だが、異様なのは賊をたった独りで退治し、死に至らしめた旅人だった。
 四人分の死体を冷酷に見下ろすのは屈強な男でもなければ魔法を自在に操る魔法使いでもない。珍しい見て呉れをした少女だったのだ。
 癖の無い藍色の長髪を高い位置で結い、男物の着物と袴や草鞋を身につけ、竹皮で編んだ三度笠を被っており、この地には極めて珍しいニホンの古式ゆかしい和装備であった。
 手にしている刀に付着した真新しい血を振り払い、流れるような手つきで腰につけた鞘に収める。
 そして斬り殺した賊達の亡骸に冷徹な視線を向ける。その目には年相応の少女らしさは欠片も含まれておらず、憐憫も後悔の色も無く、ただひたすらに賊達への憎しみに染まっている。
 当然の報いだと侮蔑し、突きつけるように。
 賊の一人が背負っていた破れた布袋から盗品であろうものがはみ出てくる。今でこの賊達が外道なやり方で殺めてきた者の遺品でもあるそれらは女子供の衣服からろくな値打ちがつきそうにないガラクタ同然の玩具まで押し込まれていた。
 何の罪も無い者達の命の残骸のようにさえ思えた。
 少女は静かに目を閉じて、小さな声で唱えた。

「悪しき咎人には断罪を。奪われし命には解放を」

 しばし祈るように立ち尽くし、やがて目を開けては歩き出した。
 少女は夜闇の中、身を隠せる場所を求めて進む。血が流れればすぐに魔物が集まって屍肉を喰らい出す。囲まれる前に移動しなければならなかった。
 血を踏みしめて汚れた草鞋が歩を進めるたびに点々と赤い痕が残る。
 
 それらが全て浅水に吸われ、跡形もなく溶け消える頃には、人斬りの少女の姿も闇に溶けるように失せていた。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

                                   GAIA八章一節一幕 END

 

 

 

                                    二幕へ続く

 

 

 

  

 

 

 

目次へ

 

 

 ◆

 

  休止期間を合わせても丸半年間ありがとうございました。

 GAIAシリーズで一番最初に書き始めたのが八章からと言うのもあり、至らぬ点はたくさんあったと思いますが今後とも精進しますのでお付き合いしていただけたら幸いです。

 

 マーシアはGAIAシリーズで特に好きな子でもありましたが、この章だけでの形ある出番でした。

 少しだけ寂しいです。

 

 ソウリュウの冒険はまだまだ続きます。

 次章ではとある剣客の女の子と運命的な出会いをしたり!

 

                    2015年5月31日