夜空に願いを



※グロ有り鬱有り 四万文字近くあるので長い カビマル、マルカビ描写含みます

   

――――― 
 



―――――夢を見た



 一週間後の夜、星が近年稀にとても美しくはっきりと観測できるらしい。
 風の噂でそんなことを聞いた。
 聞いたからと言って、別に気になったりはしなかった。
 馬鹿みたいにはしゃいだりもしない。
 星なんていつも観てるじゃないか。
 早くも一週間後の天体観測を楽しみに待つプププランドの住人達が、手当たり次第に望遠鏡などを掻き集めて、準備をし始めていた。
 ボクは随分とまぁ単純で愚かな奴らだな、と見下していた。
 田舎で呑気で、いちいち大したことないことで大喜びなんかしちゃって。
 バッカみたい。
 そんなボクに天真爛漫に、アイツは話しかけてきた。
 「一週間後の星空はとっても綺麗なんだよ!」ってアイツは憎たらしいほどの眩しい笑顔でそんなことを言った。
 知ってるよそんなことくらい。
 アイツは一緒に星空を観ようとはにかんで、言ってきた。
 もちろん即行で断った。
 だけどずうずうしいアイツは、ボクの拒みも押し切って「一緒に観ようね」と、勝手な約束を取り付けた。
 相変わらずしつこいやつだ。
 ボクは行くなんて一言も言ってないのに。
 でも、ちょっとだけ
 ちょっとだけ、嬉しかったかもしれない。
 まぁ、鬱陶しいとは思ったけど。
 悪くはないなって、ちょっとだけ。

 でも内心で―――――ボクはものすごく怯えていたんだ。

 ―――――太陽と月が喧嘩しだしたのは、そんな何気ない会話を交わした翌日からだった。



 ◆



―――――夢を見た

 
 ものすごく強烈で重い衝撃が直撃し、道化師はなすすべもなくバランスを崩して無限に終わり無く思える宇宙空間を墜落する。
 一瞬だけ視界が真っ赤に染まり、白になり、陰がかかった。
 無重力であるはずなのに背後でぎこちない機械音を鳴らしている絡繰り仕掛けの星に吸い寄せられるように―――――マルクは落ちた。 
 大きくごつごつした翼につく多彩な羽根がぶつかり合い、しゃらんと鈴の鳴るような繊細な音を奏でた。
 それはさながら天界から追放された天使のようにも見えた。
「かは……ッ」
 強引に息が吐き出され、肺が悲鳴を上げる。
 真っ逆さまに落下したことで受け身も取れず、どんどん進行スピードを遅くさせていた大彗星ギャラクティック・ノヴァの額部分に全身をしたたか打ちつけた。
 固い機械の願い星に叩きつけられた瞬間、そこらじゅうから骨の折れるような嫌な音がする。
 体中に鋭いナイフが突き刺さったかのような激痛が奔る。
 痛みのあまり意識が吹っ飛びかけるが、こんなところで気を失うわけにはいかないと、マルクは気力を振り絞って暗む視界を必死に凝らした。
 起き上がろうと翼と足を踏ん張るが、両足はかろうじて動いたが両翼は微動だにしなかった。
 羽が一番痛みが強い。
 マルクは戦慄した。
 右翼も左翼も醜くひしゃげて、折れてしまっている。
 とてもじゃないが飛行はできないほどまでに。 
「……!」
 焦りと苛立ちが苦痛によって余計に膨張し、マルクぎりりと歯噛みした。
 口腔内も不味い鉄の味に満たされ、不快だった。
 そこらじゅうの傷から溢れ出た血が流れて、ノヴァを小規模に染める。
 それでも必死にマルクはもがくが、体がノヴァにめり込んでしまっていてそう簡単には抜けそうがない。
 〝この、ポンコツが!〟と、マルクは壊れかかっている大いなる彗星に怒鳴りたくなる衝動にかられるが、喉が焼けるように熱く、思うように声が出せなかった。
 本来の大彗星ギャラクティック・ノヴァならばマルクが激突しても傷一つつかないだろう。
 しかし今のノヴァは動力源であるコアの運動を止められてしまっている。
 意思を持つ星は弱り、ちょっとの攻撃を食らっただけでもかなりの損傷を受けてしまう。
 マルクは嫌というほどそれを理解していた。
 だからこそ一層の憤りが身の内で暴れる。
「うぇ……っ……」
 猛烈な吐き気が喉元までせりあがってくる。
 だけど吐き出せない。
 呼吸が苦しすぎて、息を求めて喘ぐことで精一杯だった。
 胃液をぶちまけてしまえたらどれほど楽だっただろうか。
 しかしぽたぽたと口元からどんどん零れてくるのは血。
 深紅の、真紅の、赤い、紅い、朱い、あかい、アカイ―――――生命の証。 
「…………ぁ」 
 マルクの瞳に、鮮烈な赤色が映る。
 一度見たら忘れられないような、扇情の色、情熱の色、魂の色。 
 マルクは多くの者を傷つけた経験がある。 
 だから必然的にこの赤い水を何度も見ている。
 だけど―――――自分自身のものを見たことは、ほとんど無い。
 否、無い。
 彼は傷ついたことなんて、無いのだから。
 マルクの脳裏に、ある一つの単語が駆け巡る。
 それは
 〝死〟 
 痛い。
 痛い、痛い、痛い、痛い。
 痛くて。 
 痛くて。
 何も考えられないくらい、痛くて。 
 苦しくて。
―――――これが、痛み?
 マルクは身を引き裂かれるような痛みに悲鳴をあげるが、それは声にもならなかった。
―――――ボクは、生きてる?
 どうしようもなく、マルクは震えた。
 初めての感情に、表情を引きつらせる。
―――――ボクは……死ぬ?
 それは、恐怖。
―――――死ぬ……死ぬの? 
 どろりとした熱い液が、依然として全身から流れ出ている。
 そのあまりの赤さに、吸い込まれそうになる。
「こんな……」
 もう体は動かない。
 仮に動かせたとしても、戦うことは不可能だろう。
 すでに魔力は尽きて、ろくな呪文も紡げない。
「こ……んな……はずじゃ……!」
 こんな、こんな。
 馬鹿みたいに繰り返す。
 驚愕と困惑。
「こんなはずじゃ……こんなはず、じゃ……ッ!」
 どこが間違っていたのか、何が失敗だったのか。
 マルクは死ぬ物狂いで考える、思考する、記憶を探って検索する。
 でもわからない。
 何もわからない。
 とにかく痛みがひどくて。
 激しく脈打つ心臓の音がとても大きく聞こえて。  
 震えが止まらなかった。
「ちくしょう」
 底知れないほどの憎悪心が身を蝕む。
 叫びたかった。
 ありとあらゆる負の感情を言葉に変えて、吐き散らしたいという欲が生まれる。
 まるで自分は縛り付けられた愚かな存在だ。
 マルクはぶつぶつと百通りの呪詛を唱えるように、嗄れてしゃがれた声で、ひたすら押さえきれないほどの悔しさを外に出す。
 荒れ狂う感情はいつしか激情となって、彼を狂気の淵に突き落とした。
 体温は下がってきているはずだったのに、今や燃え上がりそうなほど熱い。
 熱くて、熱くて、爆発してしまいそうなほど。
 パンクして、跡形もなくなってしまいそうなほどまでに。
「ちくしょう。ちくしょう。ちくしょう。ちくしょう。ちくしょう。ちくしょう……!!」
 駄目だった。駄目だった。
 失敗だ。失敗だ。
 最悪だ。最悪だ。
 情けない。情けない。
 悔しい。悔しい。
 憎い。憎い。
 許せない。許せない。
 痛い。痛い。
「―――――マルク」
 取り返しのつかないほどの激情に満ち溢れた形相をしたマルク目の前に、ふわりと光塵を散らして―――――カービィは現れた。 
 ソードをコピーしているのか、緑色のつばの無い帽子をかぶり、剥き身の剣を握っている。
 黄色の刀身が何らかの光を浴びて、煌めいている。
 きらきらと。
 きらきらと。
「あ、ぐ、ぅ」
 地の底から這い上がる亡者の呻きにも似た低い唸り声で、マルクは殺意を剥き出しにして動き出そうとする。
 折れてしまっているはずの羽が、ぴくぴくと痙攣した。
 動けない。
 もう動かない。
 すでに限界はとうに越している。
「……」
 カービィは何も言わず、辛そうにそんなマルクから眼を逸らさなかった。
 自分の死を心底望んでいるであろう道化師の、敵意を真正面から受け止める。
 カービィの体も傷だらけで、激戦の跡が見受けられた。
 それでも毅然として、ふらつきさえもしない。
「ち、く、しょ……ぅ……」
 満身創痍のマルクの声は蚊の鳴く声よりも小さく、弱々しい。
 だけども戦意だけは失せておらず、悍ましいほどのオーラだけは衰えていない。
 いったい、何をどうやったら、ここまでの殺気を発せるのだろうか。
 もはやこれは化け物の領域だった。  
 濁った大きな瞳は暗く淀み、穴のよう深い色をしていた。
 カービィの顔も、そこに鏡のように映っている。
 剣を手にし、結末を与える役目である、星の戦士の悲痛そうな表情が。
「……マルク」
 金色の刀身には血糊がべっとりと付着していた。
 誰の血であるのかはもはや説明するまでもない。
 カービィは、斬ったのだ。
 大事な友人の身を、何回も。
 制御がきかない友を、止めようと。  
 必死に。
「ごめんね」
 ぽつりと口から洩れたのは、謝りだった。
「ぼくは、マルクのこと、助けたいのに。傷つけてる」
 ごめんね。
 ごめんね。
 許してなんか、くれないよね。
「だけど、マルクのやってることは間違ってる。ぼくはプププランドを守らなくちゃいけない」
 だから、と。
 カービィは柄をぎゅっと強く握った。
「だから―――――君を、倒さないと、いけない」
 瞳を潤ませて、カービィは憎らしげに己が構える得物を睨んだ。
 怯えているようにも見えた。
 嘆いているようにも捉えられた。
「ぼくは、ポップスターを、守らなくちゃいけないから」
 マルクは瞬きさえせずに、ただそれを見ていた。
 カービィが振り上げた剣を、他人事のように。
 あぁあの刃は、自身を貫いて殺す。
 震えているけれども、確実に自分を狙っている。
 まるで死神の鎌だ。
 どこでどう間違えてしまったんだろう。
 マルクは思考した。
 自分はカービィに会うべきじゃなかった、と思った。
 彼は結局、自分を殺すんだから。
 身も心も、全部。
 でも―――――それで間違っていないのかもしれない。
 間違って……
 間違って間違って間違って間違って間違って??
 マチガッテ……?
「ぼくは―――――」
 カービィがそうやって悲しそうな顔になるから、困る。
 困ってしまうんだ。
 困ってしまうようになった自分は、もうとっくに腐ってたんだ。
 どこかが決定的に終わっていて、確実に崩壊していたんだ。
 カービィがカービィがカービィが
―――――ボクを好きだって、言うんだから。
 幸福なんて知るべきじゃなかったと叫びたいほど、絶望した。



 ◆



―――――どうしようもなく幸せな夢を



 本当に本当に幼いころは、信じていた。
 〝星に頼めばなんでも願いをかなえてくれるんだよ〟と
 誰かが言った言葉を、馬鹿正直に。
 だから願った。
 だけど星は何も叶えてくれなかった。 
 それどころか、ボクを助けてくれさえしなかった。
 それ以来、何かを信じて頼ることはやめた。
 
 どんな願いを頼んだのかさえ―――――もう忘れてしまったけど。

 

 化け物、と罵られた。
 石を投げられた。
 ボクはそれを魔法で弾いた。
 石は音を立てて一瞬で塵になった。
 驚く相手をボクは心の底から思い切り嘲笑ってやった。
 
「できそこないのクズが」

 本当にできそこないだったのはどっちなのだろうか。


 物心ついたときから独りだった。 
 だからそれが当たり前なんだと、ずっとそう受け止めていた。
 自分には力があった。
 他の者とは違う、選ばれし魔法の才能を。
 それは磨けばより一層綺麗に輝くような代物だった。
 探究心と好奇心に押されて、たくさん勉強して魔術を学んだ。
 多くの技を習得し、幾多の知識を吸収した。  
 成長するにつれ強くなり、賢くなった。
 そしてはっと気が付いたら、もう取り返しがつかないほど周りとは格差が生まれていた。 
 自分の目に映るものすべてが、下等で無知なものにしか見えなくなった。
 周りは自分を恐れた。
 力を持ちすぎた自分は、崇められるのでも湛えられるのでもなく、恐怖の対象として見られるようになった。
 自分は独り。
 どうあがいたところで独り。
 決して誰かとは繋がれない。
 永遠の孤独。
 周囲が自分に怯えていることが、不思議と悲しくなかった。
 むしろ心地良かった。
 自分はあんな馬鹿なやつらとは世界が違う。
 そう思えたから。
 そう思うことができたから。
 自分に反感を抱いてるやつは、容赦なく傷つけた。
 愉快だった。
 みっともなく取り乱しながら必死に懇願する哀れな姿を見下ろすことが、たまらなく楽しかった。 
 悪戯したり、傷つけたり、壊したり、潰したり。
 気が付いた。
 そして、確証した。 
 自分には世界を支配出来うる力があると。
 もっともっと力をつければ、こんなくだらない退屈で怠惰な世界を、独り占めできると。
 好きなだけ遊んで、好きなだけ破壊して、好きなだけはしゃげる。
 ―――――独りで。 
 きっととても気持ちが良いんだろう。
 自分が信じられるのは自分だけ。
 だからどこまでもいける。
 どこまでも永遠に、永久に、どこにでも。

 殺されかけたことも
 汚らしい呪いの言葉を吐かれたこともあった
 それに対して何も感じなくなった時
 ボクはもう、どうしようもなくおかしくなってしまった。
 誰かの不幸を願い、実行する悪意の塊みたいな存在に成り果てていた。
 でも、いい。 
 気分が良くて、良くて、良くて。
 侮蔑の眼も、嘲りの眼も、絶望の眼も、悲痛の眼も、受け止められる、受け入れてあげられる。 

 さぁもっと怖がれ、怯えろ、恐れろ、泣き叫べ、絶望しろ。
 負の思いが生きる糧。
 もっともっと嘆け。
 この世界で最強の存在に。
 この宇宙で最凶の存在に。 
 なりたい。
 なれる。
 ならなければ。 

 実に変わり映えの無いこの世界を〝ボク〟だけのものに!!



 どんな時でも目に映ったのは宝箱に大切にしまわれた宝物のように、美しくて儚い大宇宙の星々だった。
 
 そしてボクは―――――アイツに偶然出会ってしまった。

 それがボクの〝お終い〟の合図だったのかもしれない。

 取り返しのつかない、終わりの始まり。
 


 ◆



―――――どうしようもなく悲しい夢を



 まるで君は子供のまま成長した大人みたいだ
 
 君はちょっぴり意地っ張りで、意地悪なやつだけど
 本当はとっても優しいって知ってるんだ
 普段は冷たい顔でにやにや笑いばっか浮かべてるけど
 時折浮かべる温かい微笑が素敵で
 ぼくはそれがすごく好きだった

 だから何かの間違いだと思ったんだ 
 きみが―――――こうなることなってしまうなんて

 
 それは永遠にも思える、静寂だった。
「……」
 マルクは沈黙したまま自分のすぐ真横に突き立った剣に目も向けず、ひたすら目の前の存在を虚ろな瞳で映していた。
 わずかに刃が掠った頬は、皮が破れて細く血が流れていた。
 糸のように、赤い血液。
 黄色の刀身のソードがそれによって染まっている。
 マルクを貫く目的で振り下ろされた直剣は、彼を掠めてギャラクティック・ノヴァに突き刺さっている。
 もちろんその程度ではノヴァはうんともすんとも言わないが、随分と力が込められた突きだったせいか、かなり深くまで剣が埋まってしまっていた。
 蜘蛛の巣のように亀裂が奔ってしまっているその状況は、いかにして使用者が勢いをつけて得物を振り落したのかを示唆していた。
「……」
 凍り付いたままの厳しい表情は、今にもヒビがはいって粉々に砕け散ってしまいそうだった。
 柄に両手をかけたままのカービィは、ぶるぶると身を震わせて自分が振った武器をひたすら凝視している。
 凝視していると言っても、晴れ渡った春の空を想起させる瞳は揺らぎ、焦点があっていなかった。
 この世の終わりの局面の真っただ中に立っているかのような、青ざめた顔色で。
 窺える感情は、悲。
 凍った面はだんだんと溶けて崩れて、どうしようもなく壊れていく。
「ううう……」
 悲愴な面持ちで、カービィは唸った。
 緩んできていた手の握力に鞭を打ち、再び力を込めて柄を握る。
 両手でしっかりと、ノヴァから刺さった剣を抜こうと宙で踏ん張る。
 だけども抜けない。
 カービィの赤い両足がばたばたと空を踏む。
 本気の力で剣を引き抜こうとあがいても、ぴくりとも動かない。
 微動だにしない。
 ノヴァと同化でもしてしまったのかと錯覚するほど、微塵にも。 
 唇を噛み締めて空回りする自身のパワーを必死に落ち着かせながら、カービィは何度も挑戦する。
 それでも目の前の光景に変わりはなかった。
 残酷なまでに、何も。
 マルクもまた、瞬きするのも忘れてカービィの足掻きを見つめていた。
 ただ静かに、絶望に暮れていく戦士の形相を、ただ静かに。
「ううううううぅぅ……!うううううううぅぅうう!」
 迷っているようにも見えた。
 惑っているようにも捉えられた。
 嘆いているようにも感じられた。 
 悲鳴にも似た星の戦士の唸り声は、誰にもとどかず受け止めらず、暗闇に落ちていった。
 やがて抜けないソードは―――――粉々に砕け散った。
 カービィのコピーは自然に解除され、すっぴん状態に戻る。
 コピーエネルギーの詰まった星模様の物質が体内から排出され、カービィはうつむいた。
 うつむいたまま、目の前にいるボロボロのマルクと対面する。 
 明らかな戦意喪失だった。
 頬がどんどん熱くなるのを遠い神経で知覚しながら、マルクは戦う気を失くしたカービィの眼を見る。
 そこには―――――やっぱり傷だらけの自分が映っていた。
 ひどく惨めな姿で。
「―――――……どうして?」
 しゃがれた声で、マルクは問うた。
 瞳は濁って、もはや光を映してなかった。
 墨汁をどろどろになるまで煮詰めて、固めたかのような眼。
 とっくに破綻してしまっている、ぞっとするような眼差しで。
 感情が一切籠っていない、死にきった視線で。
 だけどもどこか―――――泣いているように思えた。
「ボクを殺すんじゃ、なかったの」
 淡々としたその言葉に、カービィはびくりと震えた。
 聞きたくなかった言葉を聞いてしまったのか、カービィは耳を塞ぎたい衝動を堪えて拳を作った。
「ぼくは」
 その口から発されたのは、悲痛と決意が入り混じった決断だった。
 胃の中のものを吐き出しているかのように途切れ途切れだけども、それでもしっかりと思いを伝えていた。
「ぼくは……君を……殺せない……」
 殺せない。
 星の戦士にあるまじき宣言だった。
「殺せない……殺せないよ……!だって……だってぼく達……友達じゃないか……仲間じゃないか……!」
 ノヴァの歯車が噛みあう音だけが、虚しく響く。
 機械の恒星。
 マルクがカービィを騙してまで、呼び出したかった願い星の、言葉の無い声。  
「ぼくは、なんて、ひどいことを」
 つい数瞬前に、カービィはマルクの息の根を止めるために剣を振り下ろした。
 殺そうとした。
 確実にその命を刈り取ろうとしていた。
 その事実にカービィは驚愕し、自身に尋常じゃない憤りと恐怖を覚えている。
「君を、こんなにも、傷つけて」
 そう言うカービィの体もマルクほどではないけれども、かなりの傷を負っていた。
 どちらとも怪我をしていて、血に塗れていて、赤い。
 輪郭をなぞるように滴る血液が、ノヴァの光の反射のせいで一際目立った。 
 なんて眩しい、鮮烈な深紅。
「マルク。一緒に帰ろう?」
 今ならまだ、間に合うよ。
 それは間違いなくカービィの本音だった。 
「責任ならぼくが全部取るから……怪我のこともノヴァのことも全部……!だから……一緒にプププランドに帰ろう…………?」
 そっとマルクに近づいていく。
 手を伸ばす。
「こんなの……何かの間違いだよ……おかしいよ……だってマルク」
 ―――――ポップスターやそこに住む皆が好きって、言ってたじゃないか。 
「―――――アハ」
 マルクは血に濡れた口元に、確かな笑みを浮かべた。
 口が裂けるんじゃないかというほどの―――――歪んだ狂気の笑顔を。 

「アハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ」

 狂い狂い狂いきった
 壊れ壊れ壊れきった
 歪み歪み歪みきった
 曲がり曲がり曲がりきった
 捩れ捩れ捩れきった
 欠けて欠けて欠けきった
 
 けらけらとけたけたときゃらきゃらと
 哄笑をする。
 
 おかしくてたまらないと言いたげな様子で、身の毛がよだつほどの笑い声を上げる。
「マル、ク?」
「ハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ」
 全身に悪寒が駆け巡る。
 カービィは急に自分が吹雪く極寒地帯に投げ込まれたような気分に陥った。
 先ほどの沈黙が嘘だったかのように、大音声で高笑いする友に、動揺が隠せない。
 なんて、冷たい。
 人斬り包丁のように尖った空気。
 冷たいを通り越して、凍える。 
 狂っている。
 目の前の仲間はすでに狂っている。
 カービィは嫌でも察した。
 自分が今味わっているものの正体を、悟った。気づいた。
 それは


 恐怖。 

 
 この友人に対して初めて抱いた、恐れの感情だった。


「おっかしいなァ仲間だから殺せない?友達だから殺せない?コロセナイ?おっかしいよ……おかしくておかしくておかしくておかしくて―――――――――――――――ふざけてんじゃないのサァッ!!」
 怨恨に満ち溢れた睨眼が、鋭くカービィを刺した。
 鋭利な言葉の礫。
「仲間だから殺せないだって!?友達だから殺せないって!?馬鹿みたい!ボクは!ボクはボクはボクはこれからポップスターを独り占めして!支配するんだよ!?説得すれば止められるとでも思ったの!?言葉で伝えれば何とかなるとでも思ったの!?バッカじゃないの!?ボクはボクは!ボクの信念はそんなに脆くなんかないッ!!」
 傷が疼いて余計に血を溢れさせるけれども気にせず、喉が潰れそうなほど声を張り上げて、目の前で愕然とするカービィに呪いとも呼べる
 あぁ滑稽だね。
 あぁ無様だね。
 もうこれしか―――――方法がなかったんだよ。
 今 思 い つ い た
「で、も君は……ポップスターが好きだって……!」
「―――――そんなの嘘に決まってるのサ」
 氷で精製されたナイフを腹部に突き込まれたように、残酷な言葉がカービィを抉っていた。
「え……?」
 茫然とカービィはその場から一歩ほどおぼつかない足取りで、無意識のうちに下がる。
 信じられないと言いたげに見開いた瞳が、邪悪にほくそ笑むマルクを捉えている。
「あは……ははははははっはははは!カービィ……本当にお前は馬鹿なやつなのサ。簡単に騙されて簡単に裏切られて……!ボクが……お前らなんかを好きになるわけ……ない、じゃん……!」
 苦しげに咳と共に血を吐きながら、マルクは狡猾そうにひひひと嘲笑し続ける。
 だけども心なしか、その笑顔が余所行き用の作り笑いにも見受けられた。 
 口調だけはぎらぎらと肉食獣を連想させる獰猛な色を放っていたが、肉体はずたぼろ。
 それでも、マルクは確かに笑っていた。
 どうしようもなく、欠陥のある欠落した微笑で。
「嘘だ」
 そんなわけがない。
 そんなわけがあるはずない。
「じゃあマルク……あれは全部嘘だったの……?」
 プププランドが好きだって言ったことも。
 ここに住む人たちが嫌いじゃないって言ったことも。
 こんな穏やかな生活は悪くも無いって言ったことも。
 あれも
 あれも
 あれも
 あれも
 あれもあれもあれもあれもあれもあれもあれもあれもッ!
「全部……嘘だったの!?」
 カービィの絶叫に、マルクは―――――
「嘘だよ。全部」
 冷酷なピリオドを付けた。 
 何かが壊れた音がした。
 それは心だったかもしれない。
 カービィは声にならない叫び声をあげた。
 あの時の頼みは、偽りだったのか。
 太陽と月を仲直りにさせるために協力してくれたことも、全部この結末に繋がる策だったのか。
 ずっとずっと前から、考えていたのか。
 カービィを騙すことを。
 ポップスターを奪うことを。 
「ボクは嫌いだった」
 これは本音なのか、虚言なのか。
 もうカービィにはわからなかった。
 ズタズタになった心情では、何も。 
「ポップスターが嫌いだった。そこにあるものもそこに住むやつもみんなみんな!全部大っ嫌いだった!」
 大嫌いだから壊したかった。
 大嫌いだから崩したかった。
 大嫌いだから潰したかった。
 跡形も残らないくらい、破壊して。
「中でもお前が一番、大嫌いだったのサ―――――カービィ」
 それを聞いて、カービィが一体どんな表情をしたのか。
 それは怒りか、悲しみか。
 もう何も、わからない。
「お前のせいで―――――ボクは……」
 弱りきったマルクは視界いっぱいに広がる宇宙の星々を眺めた。
 幾億もの銀河。
 無限の惑星。 
 永遠の空間。
 昔聞いたお話。
 願えば星は望みを叶えてくれる。
 だからこそ人々は胸の内に願いを秘めて、星空を見上げるのだと。
 今のマルクには、ひどく滑稽なことに思えた。
 こんなにも星は存在しているのに、どれも願いを叶えてくれないのだから。
 ノヴァもじきに止まる。
 動力をカービィに破壊されてしまったから、ポップスターまでもたないだろう。
 結局はもう、どうあがいたところでマルクの望みは叶わない。
 それは明らかだった。
 何も―――――変えられない。
「こんなはずじゃ……なかったのに……」
 嘲笑から自嘲に変化した笑みは、とても不安定だった。
「何もかも……なかったことにしようと思ったのに……サ……」
 マルクはもう一度翼をちらりと横目で確認する。
 相変わらず醜くひしゃげていた。
 痛みはだいぶ麻痺して、感覚があまりなかった。
 逃げることは不可能。
 魔力もほとんど尽きている。
 非常にわかりやすい王手の状態。
 チェック・メイト。 
「……カービィ。お前のことはずっと前から嫌いだったのサ。初めて出会った時からずっとずっと……大嫌いだった」
「……」
「鬱陶しいしうるさいし、何よりもお人よしなお前は見てて苛々したのサ」   
「……」
「ボクはお前が嫌い……」
 だから
「徹底的にぶっ潰したかったのサ……!」
 それだけ。
 ただそれだけだった。

 それしか―――――術がなかったから。




 ◆




―――――大嫌いなやつを、好きになる夢を

 


 誰も信じられなかった
 何も信用してなかった
 一つも信頼してなかった
 それが生き様だって
 生き方だって
 割り切って生きてたけど 
 本当は怖かったんだと思う
 恐れてたんだと思う

 だから逃げ出した
 温もりから

 そんな自分は臆病者だった
 取り返しのつかないほど
 狂っていた


「君、大丈夫?」

 ふいに後ろから声をかけられて、ボクはびくりと身を震わせて緊張した。
 今は怪我をしていてうまく動くことができない。
 攻撃でもされたら一巻の終わりだ。 
 だけども背後の相手に対応する魔法を使うには魔力がたりない。
 そもそもボクは魔力の使い過ぎが原因で、このよくわからない星型の惑星に落ちてきてしまったのだから。
 瞬時にそんなことを思考した。
 声をかけてきた主を撃退する方法を。
 でもここを突破する策は浮かんだものの、今の身では実行できない。
 心の中で舌打ちする。
 焦りが動悸を激しくする。
 それに比例して苦しさが増す。
 恐る恐る何とか振り向く。
 あまり深く考えることはできなかった。
「怪我してるの?」 
 青空の眼。
 深くどこまでも広がっているけれども、水のように澄んでいる、そんな瞳色。
 不思議と心配を混ぜ合わせたような表情で、そいつはボクは見ていた。
 一瞬だけ、その顔に目を奪われる。
 そいつはボクに駆け寄ってくる。
 普段ならすぐに跳ね飛ばすけど、ぐったりしてしまっているので無理だった。
「疲れちゃったの?」
 話すのも億劫だった。
 尋常じゃない気怠さに耐えて、やっとのことで立っているのだから。
 どうやら相手は敵ではなさそうだ。
 だったらさっさと追い払ってしまおう。
「……ち」
「?」
 目障りだ。
 そのきょとんとしたマヌケそうな顔が。
「あっち……行け……近寄るな……」
 睨んで脅すように警告する。
 するとそいつは困ったように「う~ん」と唸ってから、その場を去った。
 所詮は偽善だ。
 うんざりする。
 さて、これからどうしようか。
 動けないからやはりここで休むしかないだろう。
 幸い気温は温かいし、この草原の木の下は心地良くて寝心地がよさそうだった。  
 久しぶりに穏やかな木漏れ日を浴びて、眠たくなってきた。
 警戒をしながらもうとうと微睡始めたその時に
「リンゴ食べる?」
 そいつはいきなり真上の木の葉の中から顔を出した。
 吃驚してぎょっとする。
 追い払ったはずだったのに。
 そいつは向日葵みたいに晴れやかな明るい笑顔で、手にたくさん抱えたリンゴと一緒にボクの隣にまで跳び下りてきた。
 この木はリンゴの木だったのかと、今更知る。
「リンゴ食べると元気出るよ!」
 眩しいくらいの破顔に、ボクは苛立ち以上に呆れを覚えた。
 先ほどの警告にビビらずに戻ってきたのか。
 まったく、面倒くさい。
 足元に転がったリンゴを蹴り飛ばしたい衝動に駆られたけれども、そんな体力はなかった。
「ぼくはカービィ!君は?」
 変なやつだ。
 このボクに警戒さえせずに近寄ってくるなんて。 
 純粋無垢な、天真爛漫の微笑に、ボクはたじろぎながらも少しくらい相手にしてやってもいいかなと、珍しく思った。
「……マルク」
 マルク。
 それがボクの名前。
 誰かからもらった名前だったかもしれないし、自分でつけた名前だったかもしれない。
 どちらにしても、覚えていないけど。
「マルク。いい名前だね!」
 パクパクとおいしそうにリンゴを口に放り込んで食べながら、カービィというやつははにかんだ。
 初めてだった。
 良い名前だなんて、初めて言われた。
 初めてのことに衝撃を受けて、驚きを隠すのが大変だった。 
「はい!」
 赤色の新鮮なリンゴを渡される。
 反射的に受け取ってしまった。
 これをカービィに思いきり投げつけたらさぞかし楽しいんだろうなと考えたりもしたけど、そうはしなかった。
 妙に―――――あの笑顔が目裏に張り付いて、印象付いてしまったから。
「よろしくね」
 これが、ボクと星の戦士の出会いだった。     

 ―――――終わりの始まりだった。



 あいつは本当に変なやつだ。
 ボクを家に連れてきてたと思ったら強引にプププランドに引っ張って、しかも無理やりそこで暮らす住民たちに紹介された。
 まったく、慣れ合うつもりなんて毛頭ないのに。
 プププランドの人々はボクを快く受け入れてくれた。
 でもそれもすぐに終わるだろうと、いつも通りに自覚していた。
 ボクを受け入れてくれる場所なんてこの世界のどこにもないって、知ってるから。
 青空の下、ボクはカービィの家でカービィと一緒に暮らすことになった。
 もちろん断ったけどカービィに勝手に決められた。
 ムカつく。
 こんな呑気な星なんて大嫌いだ。
 魔力が元通りになればこんな星からとっとと出ていける。
 それまでの辛抱だ。  
 ボクは悪戯をする。
 カービィに、住人たちに。
 困らせたかったから、怒らせたかったから。
 戸惑う顔を見たかったから。
 あたりまえの、ボクの行動。
 普通なら追い出されてもおかしくない。
 否定されたり罵倒されてもおかしくない。
 だけどもやつらはそうはしなかった。
 多少は怒ったけれども、必ず許してくれた。
 そのたびに居心地が悪くなる。
 なんてのろまで愚鈍なやつらなんだろう! 
 いつの間にか悪戯好きのマルクなどという呼称までできていた。
 皆親切だった。
 優しかった。
 ボクは心底不愉快だった。
 この星の奴らは危機感が無さ過ぎる、と。
 魔力が戻ってその気になれば、ボクはもっともっと派手な悪事を働けるっていうのに。
 そもそも得体の知れないボクを受け入れてくれるだなんて、どうかしてる。
 本当は恐れてほしいのに。
 怖がってほしいのに。
 困ってほしいのに。
 笑顔なんて見たくないのに。
 ボクなんかを受け入れやがって。 
 今まで散々悪いことばっかやってきたんだから。
 今更そんなおせっかいは不要だ。
「マルク!」
 それは負の感情の籠った呼び声じゃない。
 ボクを優しく迎えてくれるやつらの声だ。
 虫唾が走る。
 気持ち悪いったらありゃしない。
 そんな声でボクを呼ばないでよ。
 そんな温もりはいらないんだから。  
 必要じゃ、ないんだから。
 一刻も早く出ていきたかった。
 ポップスターにいたら頭がおかしくなってしまいそうだ。
 おかげで悪さもろくにできやしない。 
「マルク」
 隣にはいつもカービィがいた。
 うざったいやつ。
 後ろから蹴飛ばしても、リンゴをぶつけても、嫌われて当然のことを仕出かしても、全部許してくれる。
 いったい何なんだよこいつは。
 ムカつく。
 ムカつくムカつくムカつく。 
 嫌いだ。
 お人よしは大嫌いだ。
 だけどもこいつがあんまりにもしつこいから、ボクもついつい許してしまう。
 いつの日か、あいつがボクに
「マルクがこれからもずっとこの星にいてくれたらな」
 寂しげにそんなこと言うもんだから、たまったもんじゃない。
 ずっといる?この星に?
 そんな馬鹿なことあるはずがないじゃないか。
 ボクはこの星が―――――嫌いなんだから。 
 空も
 海も
 人も
 カービィも
 大嫌いなんだから。
 そのはずなんだから。
 だけどどうしてだろうか。
 いつからだろうか。
 ここが心地よく感じるようになったのは。
 誰かを傷つけたり嘲笑ったりする日々よりも、ずっと良いと思うようになってしまったのは。 
 気が付けば、後戻りはできなくなっていた。
 ボクはおかしくなってしまった。
 ボクは―――――嫌いなものが本当に嫌いなのか、よくわからなくなっていた。
 

 心の奥底で警鐘が鳴っていた。
 これ以上近づいては駄目だと。
 戻れなくなってしまう、と心の中のボクがそう叫ぶ。 

 そうやって―――――思いはボクをゆっくりと殺していった。




 ◆



―――――大好きな子を、傷つける夢を



 身も
 心も
 怪物に 
 な れたら
 よかっ た



「嘘だ」
 その声は、静かに猛っていたマルクの心にやけに凛と響いた。
 響く以上に、貫いた。
「う、そ……?」
 怪訝そうに眉間に皺を寄せて、今のカービィの発言を繰り返す。
 唇の端から滴り落ちる血液が、マルクが身に着けている赤色のリボンを更にどす黒い色合いに染め変えていく。
 より一層、血塗られたものに。
「嘘だよ。マルク。それは、嘘だ」
 少しも怯まないカービィの言葉は、まるでマルクの固めていた意思を論破していくようだった。
「なに、を」
 逆に、竦んでいたのはマルクだった。
 先ほどの強情はだんだんと薄れ、表情を軋ませていく。
 狂気の笑顔はとうに崩れ、心の底から見たくないものを突きつけられているような、戦慄なものに変貌していった。
「ぼくは知ってる」
 それでもカービィは話し続ける。
 この状況を打破するためなのか、それともマルクを救うためなのか―――――それとも
 無自覚のうちに、マルクを徹底的に絶望の淵に叩き落とすためか。
「マルクがどんなにポップスターやプププランドが好きだったか」
「な、にを……言って……」
「マルクがどんなに皆のことが好きだったか」
「そ、んなこと……!」
「マルクがどんなにあの星の自然が好きだったか」
「……ろ」
「だって……君が見せてくれてたあの笑顔は……!」
「やめろ……」
「全部―――――本物だったよ……!」
「黙れえええええええええぇぇぇぇ!!」
 マルクは爆ぜた。
 「さっきから何を、何を言ってるのサお前はぁ!!知ったような……知ったような口ぶりすんじゃねえよおぉぉ!ボクは!ボクはボクはお前らなんて大っ嫌いだったんだよ!心の底からうんざりしてた!呑気でマヌケで平和で疑いも知らないグズな奴らなんて死ぬほど嫌いなんだよ!吐き気がするんだよ!ぶっ潰してやりたいくらい嫌いなんだよぉ!!なのになんでなんでなんで!嘘なんて言ってんじゃねえよクズがぁ!わかったようなこと言ってんじゃねえよ!お前なんて大嫌いなんだよ!!」
 触れてほしくなったキーワードに触れられてしまったかのように、マルクは烈火の如く激情を露わにしていた。
 猛り狂った意識を押さえようともせず、噛みつくように吠える。
「嘘に見えないよ……見えなかったよ……それに例え嘘だったとしても―――――ぼくは、ぼく達は誰も君を……」
「うるさい黙れッ!やめろやめろやめろやめろぉぉぉぉ!!」
 震えているのは武者震いなのだろうか、それともただ単なる拒絶なのだろうか。
「そんなもの……そんなモノォッ!ボクには必要ないっ!ないんだよおおおおおおおおぉぉ!!」
「マルク……!」
 カービィは一瞬、垣間見た。
 マルクの瞳が、涙色に揺らいだのを。
 絶望に、壊れていくのを。
「優しさなんて!温もりなんて!愛なんてッ!!そんなものいらないんだよッ!!だって!だって……だって……だ、って……ボクは…………―――――キミ、を……」

 嫌だ。
 
 嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ。
 
 もう何もかも全て嫌だ。
 
 こんな思いになるくらいだったら、何もかも

 何も か も


「駄目だ!マルク!!」


 もう いい
 もう いい
 これで 終わりに する
 最後に 力を 全部
 何もかも もう


「マルク―――――ッ!!!」


 終わらせてしまおうか


 何かが壊れる音が聞こえたような気がした。

 金切声にも似た絶叫を上げて、マルクは魔法を展開した。
 本来ならもう使用できないはずの強力な大魔法を。
 魔力はすでに粗方消費してしまっている。
 ならば今、彼の魔法のエネルギー源となっているのは
 彼の生命エネルギー。
「!」
 ぞわりと、カービィは全身にとんでもない悪寒を感じた。 
 今までとはまるで違う、マルクの気配に対して。
 眩い光を放つ魔法円が幾重にも重なり、それがカービィを含めた広範囲にまで一気に広がる。
 轟音とともに陣から生まれるは、鋭き棘を飾り付けているツタ。
 毒々しい巨大なレッドローズが魅惑的な大輪の花を咲かせ、ツタを張り巡らせていく。 
 薔薇、薔薇、薔薇、薔薇、薔薇、薔薇、薔薇、薔薇、薔薇、薔薇、薔薇、薔薇、薔薇、薔薇、薔薇、薔薇、薔薇、薔薇、薔薇、薔薇、薔薇、薔薇、薔薇、薔薇、薔薇、薔薇、薔薇、薔薇、薔薇、薔薇、薔薇、薔薇、薔薇、薔薇、薔薇、薔薇、薔薇、薔薇、薔薇、薔薇、薔薇、薔薇、薔薇、薔薇、薔薇、薔薇、薔薇、薔薇、薔薇、薔薇、薔薇、薔薇、薔薇、薔薇、薔薇、薔薇。
 薔薇の空間。
 薔薇の世界。
 薔薇の庭園。
 いつしかマルクはカービィに話してくれた。
 自分が一番好きな花は―――――赤い薔薇であると。
 咆哮と同調して、更に加速を増して薔薇の檻は完成していく。
 周囲を蹂躙しきってしまう。
 気付けばマルクとカービィは薔薇の結界に閉じ込められてしまっていた。
 否定するように、全てを跳ねのけるように、叫ぶマルクを中心に。
 それと同時に発生する爆風。
 カービィは咄嗟に両手をクロスして防御姿勢をとり、とてつもない風速を何とか耐えしのぐ。
「ッ!?」   
 そんなカービィを取り囲むように、無数の矢が出現する。
 淡い電光を思わせる青色の矢。
 マルクの技の一つである、アローアローの矢。
 それらが暴力的に、カービィに向かって飛来する。
「うわっ!」
 何とかカービィは飛び交うそれらを回避するが、避けきれず数か所尖った矢を掠らせてしまう。
 荒々しい、マルクらしくない直情的な攻撃。 
 幾多の矢がぶつかり合って、鉄と鉄がぶつかるような耳障りな旋律を奏でる。 
 気が付けば闇のローズガーデンには多数の魔法陣が張られていた。
 しかもどんどんと力を増幅させて、より強力なものに進化を遂げていく。
「マ」
 カービィは呼吸さえ忘れて、眼を見開いてその姿を凝視した。
「マ、ルク」
「そ、う、や、っ、て」
 途切れ途切れにマルクの口元から洩れてくる声は、計り知れないほどの邪気を帯びていた。
 折れて動かないはずの両翼がぴくぴくと、操られているかの如く動き出す。
 発されるオーラは、もはや猛毒に等しかった。
 この世のありとあらゆるの感情をドロドロになるまで煮詰めて塗りたくったような、怨念と憎悪の塊でしかなかった。
 光さえ取り込んで二度と外に出さないブラックホールよりも禍々しく、悍ましい、邪悪の根源の怪物のように濁りきっている。
 汚れきっている。
 淀みきっている。
 穢れきっている。
 どうしようもなく。
 死んでいる。 
「な、ん、で」
 いつしかマルクの姿は変貌していた。
 化け物じみた、否―――――化け物にしか見えない、見る者が自らの目を潰したくなるほどの、醜い形態へと。
 圧し折れている翼は歪んでいるまま、骨格さえ組み替えていく。
 時空の概念がねじ曲がる。
 圧倒的な力を吸って、薔薇はより一層美しく色づき、魅惑的を越えた蠱惑的なものになっていく。
 血のように赤く染まっていく。
 鮮烈で艶やかな、破壊の色に。
「お、ま、え、は」
 呪力がマルクの周りを踊り狂う。
 一度解放されたらもう止められない、禁忌の発動。
 ここはもう、完全にマルクに支配されていた。
 いつしかカービィは、マルクの攻撃魔法に囲まれている。
 逃げるなどという行動そのものを、踏み潰すように、拒むように。  
「い、つ、も    ボ    ク   ニ」
 ギラギラと恐ろしく怪しげな光を帯びた巨大な眼が、カービィを捉えている。
 血みどろだというのに、大怪我を負っているというのに
 マルクは―――――それでも戦場から降りていなかった。
 もはや自暴自棄とも言っていいだろう。
 本能なのか、それとも本望なのか
 殺意の先を―――――カービィただ独りに向けていた。
 彼の眼中にはもうノヴァは存在しなかった。
 ただ映しているのは星の戦士。
 全ての思いの矛先を、カービィだけにぶつけようとしている。

「ボ ク ニ ヤ サ シ ク ス ル ン ダ  ヨ  !  ! 」

 背後から成長して伸びてきたツタに、カービィは体を絡め取られる。
 その際に棘が彼の柔らかな肉体に突き刺さり、苦痛を与えた。
 だけども抵抗はしなかった。
 されるがままに、締め付けられる。
「……マルク」
 カービィは咳き込みながらも、彼に精いっぱいの思いを伝えようとする。
 それはさながら、泣きじゃくる子供をあやす母親の様にも見えた。
「泣かない、で……?」
「ナ、ン、デ、ダ、ヨ……ナンデダアアアアアアアアアアアアアァァァァ!!!!」
 マルクは叫ぶ。
 叫び続ける。
 やがてマルクの口に巨大なエネルギーの波が生まれる。 
 砲光のチャージ。
 この近距離で食らったら、カービィはひとたまりもないだろう。
 だけどもカービィは―――――穏やかだった。
 眩しい光が集まりゆく光景を、瞳に映してもなお逸らさなかった。
 死を、覚悟している。
 否、死と向き合っている―――――表情をしていた。
「いい、よ……マルク」
 カービィは微笑んだ。
 屈託のない、慈悲深き聖母の様な笑顔だった。
「それで、君の気が済むのなら……君が、悲しまなくて済むのなら……いいよ―――――」

 ―――――君を殺すくらいなら

 ―――――君に殺されるほうが

 ―――――ずっと、いい。


「大好きだよ、マルク」


 天を穿つ光線が放たれる。
 カービィはゆっくりと目蓋を閉じた。



 そして―――――










 

 ◆

 

 

 

―――――でもそれは所詮夢で、叶わないことだって知っていた

 


 たぶんずっと、惹かれてたんだと思う。
 いつからどんな経緯でそこに至ったのかは思い出せないけど、そう。たぶん。好きだったんだと思う。
 一緒にいて心地良かったし、会話を交わして楽しかったし、鬱陶しくなんかなかった。本当は自分みたいなやつの傍にいてくれて、感謝してた。自分が気づきたくなかっただけで。今思い返すとそんな予兆がいくつもあった。
 バッカみたいだなぁって、嘲笑うのも本心なのかそうじゃないのか曖昧になってきてた。
 普通とかあたりまえとか、平凡とか大嫌いだったはずなのに、案外そういうのも悪くないのかなとさえ思い始めていた。
 そんなこと―――――望んでなかったはずなのに。
 でも、望んでいたの?それとも望んでないの?どっち?
 そう考えたらとても恐ろしくなった。
 恐ろしくて、何も言えなくなった。
 そしてたまらなく消えたくなった。
 ボクが〝ボク〟でなくなる瞬間が迫ってきている。
 自分で自分を殺す時が。
 それとも―――――? 

 

 そしてあの時がやってきた―――――

「お月様とお日様が大喧嘩を始めちゃった!」

 ポップスター中に広まった大事件。 
 原因は不明だが月と太陽が熾烈な争いを勃発したとのこと。
 おかげでポップスターの朝や夜はめちゃくちゃ、空は数瞬ごとに色を変えて、目まぐるしいことになってしまった。
 これでは数日後に訪れる絶景の星空が観賞できないどころか、日々の生活にさえ困ってしまう。
 プププランドの人々は落胆した。
 カービィも困ったように、表情を暗くしていた。
「どうしようマルク……これじゃあ今度の星空が観れないよ」 
 残念そうに溜息をつくカービィ。
 だけどもすぐにぶんぶん身を振って「ううんあきらめちゃだめだ!」と自分に言い聞かせるように宣言した。
「何とかして喧嘩を食い止めなくちゃ!」
 その言葉に周りの人は「でも方法はあるの?」と質問する。
 それに対してカービィは唸りながら足をバタバタさせて「方法はまだわかんないけど、でも絶対に何とかしなくちゃ!」と言う。
 星の戦士カービィ。
 ポップスターの英雄っぽくない英雄。
 やはり戦士として、カービィは星を守りたいという強い意志があるのだろう。

 ボクは―――――そんな彼を見ながら、とても嫌なことを思いついてしまった。

 とてもとても嫌な、最悪な策を一つ。  
 それは今までの関係性をすべて破綻させる、唯一の手段だった。
 たぶんこれが最後の術。ラストチャンスであると悟った。
 言ってしまったらどうなんだろうか。
 きっとカービィのことだから喜んでそれを実行に移すだろう。
 そして最終的に待っているのは―――――……。
 怖いと、思った。    
 この一言で全てが変わってしまう。
 全てが、終わってしまう。
 でもこうしなければ。
 こうしなければこうしなければこうしなければこうしなければ――――― 

 ボクが〝ボク〟でなくなってしまう。

 だからボクは芝居がかった口調で、彼に笑ってこう言ったんだ。

 ヘイ、ヘイ、ヘーイ。

「お月さんとおてんとさんを仲直りさせたいんだろ?なら、銀河の果ての大彗星にお願いするのサ」

 そうしたらカービィは笑った。

「教えてくれてありがとうマルク!ぼく、やってみるね」

 ごめんカービィ。
 
 たぶん、いや、絶対に、ボクは、君を、裏切る。

 

 

 

 

 ◆

 

 


―――――お願いどうか、こんな夢、嘘だと言って!

 

 
 死んだかと思った。
 消し炭になるかと思った。
 死ぬこと、消えること、抹消されること。どれも恐ろしいことだと思っていたけど、不思議と自然に受け入れることができた。
 むしろこれが正しかったのだと、滑稽な自己完結をしていた。
 自分があの子を殺すより、あの子を傷つけるよりも、自分が殺されて、自分が傷つけられるほうがずっとずっと良いと、本心から望んでいたのだから。
 自分はあの子のことが大好きで、あの子とはずっと友達でいたかった。 
 これは紛れもなく正直な気持ちで、揺るぎない思い。

 そう―――――だから今、目の前の現実に言葉を失くした。

「―――――」

 高火力の光線に焼かれたはずなのにちっとも痛くも熱くも無いことを不審に思い、二度と開けられないとまで覚悟した目蓋を恐る恐る開けたら―――――一度たりとも望まなかったことが、視界に映ってしまったのだ。

「―――――ぁ」

 何かが

 壊れる音がはっきりと聞こえた。

 何かが

 終わる音が静かに響いた。 


―――――あ~ぁ……


 怪物の翼についた宝玉を思わせる羽根が、砕け散っていく。
 しゃらんしゃらんと、透明な澄んだ音色を悲しげに奏でて、宇宙の闇に消えていく。

 時間がゆっくりに、ただただ遅い。 
 カービィの目に映るものすべてが、スローになっていく。
 スローモーション。
 先ほどよりもずっとずっとゆっくりで、弾丸に刻まれた文字さえも視認できてしまいそうなほど、時間の流れが狂ってしまったかのように感じられた。
 星の瞬きも、流れる流星も、何もかもが、何もかもが等しく平等に遠く、本当に夢に迷いこんでしまったかのような錯覚を受ける。
 でもそれは夢ではなく、現だった。


―――――やっぱり……ダメ……か


 吐血する。
 喉が焼ける。口腔内が鉄の味で満ちる。
 力が暴発した。
 コントロール不能に陥り、やがては強制終了のプログラムが施される。
 傷がより一層深く大きく開き、大量の血液が溢れ出る。
 こんなにも生命の体内には血が循環していたのかと驚愕するほどの量が、一斉に残酷に流れ落ちる。
 血管が音を立てて切れる。筋肉が引き千切れていく。全身のありとあらゆる関節が悲鳴を上げる。骨が圧し折れていく。
 染まっていく体は赤い。真っ赤に、包まれていく。
 枯れゆく花のように、散りゆく花弁のように。

 
―――――今の体で全力なんて……無理……なの、サ


 どこが痛いのか、どうして痛いのかはもうわからない。
 もはや痛覚さえ正常に作動していない。
 赤い。全てが赤い。
赤、赤、赤の、赤の空間。赤の世界。赤の次元。
 視界も、音も、感覚も、全部が魂の色に塗り替えられていく。


―――――わかりきってた


 残酷な音色を奏でて、限界を迎えた機械が壊れてしまうように、マルクは破壊されていった。
 自身の力に―――――自らの力に耐えられなくなったがゆえ。パワーを浪費しすぎた反動だった。
 計り知れないほどの激痛は、彼に不可解な感情を与えた。
 狂おしいほどの、愛おしさと一緒に。
 脳髄が焼き切れるような痛みさえ感じない今、動かなくなっていく体が不思議で仕方がない。
 何らかのしがらみから一気に開放されたかのような気分。
 身を締め付け続けていた鎖から解き放たれたような安心感。
 鉛のように重かった肉体が羽のように軽くなる。そんな感覚さえすぐに薄れてわからなくなる。
 ふわりふわりと蝶の様に軽やかになって、力が入らなくなる。
 血と一緒に溢れる思いは、彼にはもう掴むことができなかった。    
 終了を感じた。
 終焉を把握した。
 終幕を理解した。
 死を悟った。


―――――バカだなぁ……ボクも


 霞む視界―――――もしかしたら瞳も潰れかかってるのかもしれない。に、宇宙が映る。 
 幾千、幾億、幾兆もの銀河の海の全貌が、瀕死の道化師の元に飛び込んでくる。 
 一つとして同じものがない煌めきを見せて、世界がいかに広くて神々しいのかを主張するかのように展開されている、幻想光景。
 星。
 流れ落ちる星が燃え尽きるまでに三回願い事を言えたら、その願いは叶うと聞く。
 そんな、おまじない。
 気休めだけの、悲しい子供騙し。


―――――取り返しなんかつかないのに


 周辺をとり囲っていた鋳薔薇の檻が、萎れて枯れて散っていく。
 今の自分によく似ていると、マルクは他人事のように思った。
 深紅の花弁。
 好きな花の香りは、届かない。
 花弁の河の向こうに、ノヴァが見えた。
 機械の彗星に感情などあるはずないのに、何故か悲しげな視線を自分におくっているような気がした。
 それは同情でもなく哀れみでもなく、本当に悲痛そうな―――――奇妙な色をしていた。向こう側が視認できてしまいそうなほどの純粋な色。
 汚れの無い湖の水面を思わせるほど透き通った眼に、ボロボロに崩壊していくマルクの姿が鏡のように映った。
 血の真紅と花弁の真紅、星の淡い光と宇宙の闇を混ぜ合わせた、万華鏡のような情景。
 幾重もの色の重なりが神秘的とも表せるコントラストを生み、静かに崩れていく。
 ゆっくりと。須臾を永遠に引きのばしたかのような、生物の限界を越えた体感速度の中で。
 走馬灯のように蘇っては消えていく、記憶の投影。


―――――でも……


 思い出したくもない穢れた過去と、ずっとずっと大切に胸に抱いていたかった、思い出。
 心を殺し続けた日々と、愛おしくも儚いかつて。
 重なった記憶が結び合って、幾つもの螺旋を築く。天にまで届きそうなほど伸びていく。
 長く長く、生を掴みとるように。もがくように。
 だけども決して終着点には辿り着けない。
 それもまた―――――水に溶けるように、見えない心の奥底で名残惜しくも砕け散る。


―――――これで……正解なの……サ


 砕け砕け砕けて
 壊れ壊れ壊れて
 崩れ崩れ崩れて
 軋み軋み軋みて
 歪み歪み歪みて
 切れて切れて切れて
 折れて折れて折れて
 曲がり曲がり曲がりて

 生きて生きて生きて

 死に死に死ぬ  

 

 生命の、約束。 

 

 誰かの泣き叫ぶ声が聞こえる。
 誰かが自分の名を呼ぶ。
 誰かが自分を引き寄せて
 誰かが自分を抱きしめて
 誰かが誰かが誰かが誰かが誰かが誰かが誰かが誰かが誰かが誰かが誰かが誰かが誰かが誰かが―――――。  

 ピンク色が見えた。
 捻くれてた自分の傍にずっといてくれた、慈悲深い陰。
 何度潰したいと思ったことか、何度愛したいと思ったことか。
 憎んで恨んで、妬んで僻んで、焦がれた存在。

 


 ……あぁ、そっか


 キミがボクを殺してくれたんだね。 

 

 

「―――――ごめんね」

 

 

 ボクなんかを友達って言ってくれてどうもありがとう。

 ボクなんかを好きって言ってくれてどうもありがとう。

 ボクを殺してくれてどうもありがとう。

 

 

 

 

 


 ―――――これでもう、楽になれる

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――――――――――――――――――――

―――――――――――――――

――――――――――

―――――

 


「…………」
 カービィは何も言わなかった。
 何も言わなくなったマルクを抱えて、黙って涙を流していた。
 滴り落ちた雫が、動かない道化師の頬に落ちる。
 反応は無い。そこには何一つ残されていなかった。 
 千切れた羽根の一部が、カービィの額を撫でた。
 それもすぐに、弾けるようにして消失する。
「コノカタの・ノゾみは・ポップスターをシハイする・ことデハ・なかったのデス」
 歯車の噛み合う音。
 カービィの背後から、ノヴァは囁くようにそう言った。
 決定的に破損してしまっているので、声が途切れ途切れで雑音も混じっている。
 それでも感情の籠っていない機械の音声で、言葉を紡いだ。 
「……マルクの願いは……なんだったの……?」
 抑揚のない小さなか細い声で、カービィは大彗星に問うた。
「コノカタは・ノゾまなかった>ジシンのネガいでサエ・ノゾまなかったのデス」
「……キミもまた、マルクみたいに難しいこと言うんだね」
 ぼくにはわからないよ。と、星の戦士は俯いた。
「―――――マルクは、怯えてたの?」
 その質問に、ギャラクティック・ノヴァはしばし間をおいてから解答を出した。
「カレは・オソれていタノ・デショウ>ツミのオモさに・オしツブされながら・ズット・マっていたん・デショウ」
「……ねぇ、なんでなのかな。なんで……罪を犯した人は、幸せになっちゃいけないのかな?」
 カービィはマルクを抱きしめる腕に、ちょっとだけ力を込めた。
 軽い。とても軽い。軽くて。まるで―――――宇宙の様に、重い。
 これ以上力を加えたら跡形もなく壊れてしまいそうで、カービィはそれもまた切なく思った。
 そうだ。
 ボク達はずっとこんなスタンスで、生きてきたんだね。と
「悪いことをした人は、悪いことをしたからって、もう二度と一生幸せになっちゃいけないの?死ぬまで苦しまなくちゃいけないの?反省して、償おうとしているのに、それでも報われないの?幸せになっちゃいけないだなんて誰が決めたの?悪いことをした人は笑っちゃいけないの?悪いことをした人は泣くことも許されないの?罪を犯すのは悪いことだってわかってる。でもさ……だからって……その人はもう、幸せになっちゃいけないの……?」
 ぽろぽろと涙を零しながら、カービィは訴えるようにノヴァの言う。
 悲痛に歪んだ表情は、痛々しかった。
「そんなの嫌だよ……それじゃあまるで決められちゃってるみたいだ。一度その線を越えた人はもう二度と幸福になんかなれないって、間引かれちゃってるみたいだ。―――――ねぇ、マルクは幸せになっちゃいけなかったの?ぼくわかんないよ。それともぼくが傷つけてたの?」
 だって、と続ける。
「だってマルク、ずっと怖がってた―――――〝マルクは前までどこで何をしてたの?〟って聞いた時、とても悲しい顔をしたんだ。過去を思い出させるようなことを言ったぼくが間違ってたの……?ぼくはマルクが昔何をしてたのかは知らないけど……でも―――――あの子は、とっても優しい良い子なんだよ。ぼくの大好きな―――――友達なんだよ……」 

 帰りたかった。

 カービィは嗚咽混じりに声を発する。

「ぼくは帰りたかったんだ。普段の日々に。みんなが笑顔でマルクもいる―――――幸せに、帰りたかった」
「シアワせ・デス・か」
「星の戦士なんて役割、嫌だった。あの子を傷つけたくなんかなかった。あの子を追い詰めたくなんかなかったのに――――――――――マルクが罪人なら、ぼくも罪人だ」
「―――――アナタの・ネガいを・ひとつだけ・カナえて・さしあげマス>ホシの・センシ・カービィ」 
「え……」
 カービィはふいに顔を上げた。
 心なしかノヴァの濁っていた金色のボディが、明るくなったような気がした。
「アナタに・ケンリを・アタえまショウ>アナタは・ナニを・ネガい・ますカ?」
 ノヴァの視線とカービィの視線が重なる。
「―――――……本当に、願いを叶えてくれるの?」
「アナタが・ノゾむの・ならバ」
「………………」


 どんな願いでも、一つだけ、叶えてあげましょう。

 

 

 

「―――――ごめん。マルク」

 


 ぼくは今から、最低な願いを叶えてもらう。

 

 

 

 ◆

 


―――――ここは ゆめのなか

―――――きみ だけの せかい


―――――どんな ねがいも のぞみも りそうも きみの もの

 

 

 

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

――――――――――――――――――――

―――――――――――――――

――――――――――

―――――

 

 

 ここはどこ? 

 

 ふと気が付くと、道化師は暗闇の中をたった独りで歩いていた。
 目的地などなく、ただただ足を前に出してひたすら進んでいく。
 止まるという選択はなく、闇の中を迷い彷徨いながら。
 この深き闇の海のどこかに辿り着くべき場所などあるはずないのに、歩み続ける。
 それしか選択肢がないという様子で、自分以外の何物も存在しない無と静寂の空間を旅する。
 生。
 生の気配が一切しない。
 常人ならばすぐに気が狂ってしまうであろう。何の気配もせずこんなにも終わりきった空間にたった独り残されてしまっただなんて、想像するのも恐ろしいに違いない。
 でも道化師は畏怖の念も抱かず、無表情のまま道と言う概念の無い道の奥へ奥へと歩を進めていく。
 暑くも無ければ寒くも無い。 
 感覚がほとんどない。意識もぼんやりと靄がかかっている。 
 何だかとても眠い。奇妙な睡魔に取り込まれてしまいそうになりながらも、何とか前を向いて進む。
 何も見えない。唯一窺えるのはこんなにも暗い世界で何故か不自然にはっきりと視認できる、自分の姿だけ。
 何も聞こえない。ただ一つ耳に入るのは自分の心臓の鼓動と息遣いだけ。無音時に生じる超音波を想起させる高い音さえしない。
 被っているピエロハットが揺れる。先についている柔らかな装飾が鈴の様に小さく軽やかに踊る。
 ここがどこなのか、道化師にはわからなかった。
 それどころか何で自分がこんな奇異な場所にいるのか、見当がつかずにいる。
 でも不思議と動揺はしなかった。
 心がひどく落ち着いて、冷静を通り越して無心に近い状態になっていたからである。
 半分目覚めていて、半分眠っている肉体と精神。
 もし今もなお道化師の周りを這う眠気に身をゆだねてしまったら、二度と目覚めることができなくなってしまうのだろうか。
 そんなことを道化師は一瞬だけ考えて、すぐにやめた。無駄な事とは思わなかったけれど、考えてもどうせ答えなんて出ないと、諦めたからである。単純な放置、放棄。 
 まるで夢と現実の狭間を惑っているような不可解な気分と状況。
 気が遠くなりそうなほど広大な空間を満たす虚無の闇は取り払えず、不変の景色の中を進んでも進んでいる感じがしない。視界に映る自分以外のものすべてがペンキをぶちまけた後の如く真っ黒で、光さえも通り抜けられそうにない。
 空間。世界そのものが堅牢な檻のように思えた。
 道化師は考え事をやめた。
 このまま思考をつづけたら余計なことまで考え付いてしまいそうだったから。思い出したくない出来事、忘れたい記憶を呼び覚ましてしまいそうで―――――考えることをやめた。
 歩く。歩く。歩く。歩く。歩く。止まらずに歩き続けて。振り返ることもせずに。
 進み続けると相変わらず黒一色の暗闇だけれども、途中途中に見覚えのあるものが落ちていることに気が付く。
 読み漁ってきた魔導書や禁書。様々な実験道具や魔道具。明らかに意図的に壊された玩具。粉々になって散らばったガラス片。無数の石。叩き壊されていたり燃やされていたりとたくさんの破壊されたものの残骸。ところどころに赤い染みがあるものも少なくなかった。
 見る者の感傷を誘う墓場のように、それらは闇に点在していた。 
 道化師はそれらを全部知っていた。見慣れたものでもあった。記憶の片隅に投げ捨てた幾つもの忌わしい記憶の断片である。
 懐かしくもなんともない、消し去りたい情景が幾多もシャボン玉のように浮かんでは消えて、時の流れを道化師に示した。静かに割れる見えない記憶のシャボンを追いかけて辿ったりなどしなかった。する気もおきなかった。
 いくつもいくつも散らばっているキーワード。数多に数多に打ち捨てられたパスワード。解除コードはとっくに不明で誰にも開けられない。ロックされてしまっているから。
 道化師本人が、望んで鍵をかけてしまったから。
 それらを無感動に一瞥して、通り過ぎていくうちに……ここがどこであるか、何となく察しがついてしまった。
 色の無い記憶のルートから脱して、やがて道化師は暖かで平和な道に出た。  
 涼しげな風の吹く野原。宙を舞う蝶。抜けそうなほど青く澄んだ空。豊かな自然に囲まれた小さな国。いつしか闇は、穏やかな小国に転移していた。
 道化師はその国の上空の空に、ふわりふわりと浮かんでいた。
 白く薄っすらとした雲が足元をゆっくりと通過していく。
 風が吹いている。でも道化師は何も感じなかった。
 知っているはずの空気も匂いも、受け付けることができなかった。
 宙に浮かんでいるのは体だけじゃなくて、心。精神も一緒に。ふわりふわりと漂って。

「……ねぇ」

 道化師はぽつりと呟いた。
 誰にでもなく問うた。

「ボクは生きてるの?」

 返事は返ってこなかった。
 空の青に声音は吸い込まれて、飲み込まれた。

「それとも死んでるの?」

 見渡す限りの青空。蒼穹。
 高く昇っていっているのか、地上の風景がだんだんと遠ざかっていく。
 見慣れた街並み、見飽きた城、見過ぎた―――――小さなお家。 
 小国とはいってもそれなりには広いはずなのに、高度から見ると全てが小さく見えて、ミニチュアのようだった。
 世界の広さを痛感し、思い知った。
 どこまでも浮かんでいく道化師は、虚ろな眼差しで天を見上げた。

「なんで今更―――――見なくちゃいけないのサ」

 色付いて蘇るこの国での思い出。
 弱っていた自分を星の戦士が助けてくれて、それから一緒に過ごして、たくさんの人たちと関わった。
 本当はそんなことしてはいけなかったのに、大嫌いだったはずなのに、いつしかあの国が好きになってしまっていた。
 どうして見せるのだろう。今になって何故見せるのだろうか。
 たぶん、どうせ―――――自分は死ぬのに

「どうして思い出させようとするのサ」

 ―――――どうしてだと思う?

 誰かの透き通った声が聞こえたような気がした。

「ボクにとっては―――――いらないものだったのに」

 ―――――それは本当に?

 心の奥底を覗かれているかのような気分に陥る。
 でも嫌だとは思わなかった。逆らいたいとも思わなかった。
 何だかひどくそれが自然なことで、あたりまえのことのように認識してしまえた。

「本当なのサ」

 ―――――それじゃあ、キミはこの星のことが嫌いだったの?

「……ううん。嫌いじゃなかった。好きだった。好きになってた」

 ―――――なら、どうして?

「信じたくなかったから……いらないものにしようと、した」

 ―――――キミは、怖かったの?

「怖かったのサ」


 恐ろしくて恐ろしくてたまらなかった。
 自分はとても悪いやつで、今までたくさんの人に酷いことをした。
 それが自分の生き方で、それしか生き延びる術を知らなかったから。
 なのにこの星で自分だけ幸せになろうなろうだなんて―――――許されるわけがない。
 一つの生き方を知らなかった者が、別に生き方に今更身をゆだねようだなんてできるわけがない。
 あの笑顔が。幾つも潰したあの笑顔が。
 自分に微笑みかけてきた。
自分は本当に最低なやつなのに、何の疑いの無い優しさを向けてくれた。
 それが―――――恐ろしくて、道化師は怯えた。 
 自分を怖がってくれない、恐れてくれない存在に―――――恐怖の感情を覚えた。
 自分の生き方を完全に否定され、地獄のどん底に突き落とされたかのような絶望を味わった。
 道化師を思っての慈悲が―――――彼の心を傷つけた。
 そして好きになってはいけないのに、その優しさを甘受しようとしていた自分の存在に失望した。
 結果彼は―――――自分で心を殺す羽目になった。
 本性をさらけ出してはならぬと必死に自分を抑えつけて、あの国での暮らしを守ろうとした。
 あの平和を―――――少しでも長く、続けられるように、狂おしいほどの祈りを込めて。


「怖かった。怖くてたまらなかった」


 いつ―――――追究されるかわからなかったから。

 自分が仕出かした幾つもの問題について、暴かれることになるか、わからなかったから。


「馬鹿みたいな話だけど、ボクは本当にあの星の人達が好きだったのサ。好きになってた―――――だから、絶対に教えたくなかった。自分が、悪事を働いていた。だなんて」


 雲を抜けた。
 そこはもう何にも遮蔽されていない、自由の象徴である青の空海。  
 どこまでも空、果てしない空。
 ポップスターの果てまで窺えそうだった。
 星の丸みが大地に現れていた。
 神様になった気分がした。自惚れの愚かな神になれたような気がした。すぐに無かったことにした。  

「皆はボクに優しくしてくれた。ボクは嬉しかった。そしてずっと恐れてた―――――特にカービィに」

 星の戦士カービィ。
 マルクがこの星に来て初めて出会った、〝友達〟。

「だって―――――アイツが、ボクなんかに優しくするから……」

 優しくされて嬉しかったはずなのに。受け入れてくれて感謝していたはずなのに。
 畏怖の念を抱きはじめていたのは何故。

「だから壊さなきゃいけないって思った。このままじゃ―――――ボクは、消えちゃうから」

 罪悪感に押しつぶされて、跡形もなく消滅。

「月と太陽が喧嘩したのを利用して―――――全部なかったことにしようとした」

 自分の策略にはめて、何もかもをなかったことにしようと目論んだ。
 そうすればもう恐れる必要はない。
 また今まで通りの生き方を貫くことができ―――――自分を消さなくても済むのだから。

「でも失敗した。そしてボクは死ぬ……でしょ?ねぇこれっていったい何の罰なんだろう。ボクもうとっくにおかしくなっちゃってたのかな?」

 でも

「これでよかったのかもね。だってボク―――――カービィに殺されることを望んでたんだから。カービィと戦ってわかったんだ。〝コイツならボクを殺してくれる〟って」

 ―――――……

「望んでたのサ……―――――ボクはきっと、死にたかったんだから」

 ―――――……

「どうしたらいいのかもうわけわからなくなっちゃったから。苦しいのも悲しいのも、誰かを傷つけるのも―――――疲れたから」

 ―――――そう……

 その声は心底悲しげだった。
 いつしか青色の空は終わり―――――はっと気が付けばそこは宇宙の真っただ中だった。
 幾兆もの星の瞬き。無数の銀河。流れ落ちる隕石。
 星。 
 星の海。


「流れ星は―――――ボクの願いを叶えてなんかくれなかった」

 あんなにもたくさんあるのに。その一つたりとも、理想を実現させてくれなかった。

 ―――――キミには、願いがあるの?

「願い……」

 ―――――そう……願い、だよ

「……ねぇ、君は誰……?ここはどこなの?死後の世界なの?ボクはどこにいるの」

 ―――――ここは、夢だよ

「夢……?」

 ―――――そう夢。ここは夢の中。キミだけの世界。どんな願いも望みも理想もキミのもの

「じゃあここはボクの夢?なら君はいったい誰なのサ」

 ―――――誰だと思う?ここはキミの夢。キミが思う人が、この声の主だよ

「―――――カー……ビィ?」

 その名を呼んだ。
 すると―――――目の前に、本当にカービィが現れた。
 淡い光を纏って、マルクの前に降り立った。

「カービィ」

「うん……ぼくだよ」

 ほろりと、マルクが瞳から涙を零した。
 止めどなく溢れるそれは、星の光を反射し、煌めいた。

「ごめんねカービィ。ボクはずっと……キミに謝りたかった」

「どうして?」

 カービィは切なげに微笑んでいた。
 それがさながら慈悲深き神を連想させる、愛しくも強い笑顔だった。 

「ボクは本当は悪いやつだったんだ。ずっとずっとキミや……君たちを騙し続けてた。しかも、消そうとまでした……!」

「……」

「ボクは自分が消えたくなかったから―――――君たちを消そうとしたんだ」

「……」

「ボクは、ボクはボクは、ボクはボクはボクはボクはボクは―――――!!」

 

 生まれてなんて、こなければよかったんだ。
 取り返しがつかなくなるくらいまで堕落していたんだから
 いっそのこと、自分が一番消えたほうがよかったんだ。

 

「ねぇカービィ……ボクっていったいなんだったのかな?何のために生きてたのかな?誰の為に?自分の為に?傷つけることしかできなくなってたのに」

「……マルクはマルクだよ」

「ボクは……どうしたらよかったのサ……ねぇ教えて……だってボクは……それ以外の生き方が……わからなかったんだから……」

 魔導書にも禁書にも―――――自分の生き方なんて、載っていなかったんだから。
 誰も―――――教えてくれなかったんだから。

「―――――もう、いいよ」

「え……?」

「もういいんだよ。マルク」

 カービィはそっと、マルクのことを抱きしめた。

「もう悲しまなくていい。苦しまなくていい。キミは―――――幸せになっていいんだよ」

 その抱擁に驚きながらも、マルクはすっと目蓋を閉じた。
 涙が余計に溢れ、頬を伝った。
 再び開けても、より一層視界は滲んでいた。

「それじゃあ駄目なんだよ……駄目なのサ。こんなままじゃ―――――幸せなんて、苦しいだけだ」

 救われる資格なんてないんだ。

 嗚咽を吐き出して震えるマルクを、カービィは撫でさすった。

「怖いよカービィ。ボクは。ボクは一番ボク自身にずっと怯えてたんだ―――――ごめん。ごめんなさい。ごめんなさい」  
「……マルク」

「嘘ばかりついてごめんなさい。散々ひどいことをしてごめんなさい。許されようだなんて場違いなこと考えてごめんなさい。ボクは……ボクは最低なやつで……許されるべきなんじゃないってことはわかってる……でも、でも……ッ!」


 ボクは罪を犯しました。
 悪罪に塗れた人生を送ってきていました。
 変わりたかったけど、結局変われませんでした。
 どんな運命の道筋を辿っても破滅と破綻の終着点にしか辿り着けませんでした。
 生きていることは辛かったです。
 でも、それでも、何かを好きになるということと、愛するということの素晴らしさを知りました。
 だから


 ―――――許してほしかった。

 ―――――誰にでもなく、自分が過去犯した過ちを

 

「神様」

 口から洩れたのは、懇願の声。
 縋りつくように、マルクはカービィにしがみついた。 
 神様とはいったい誰のことなのだろうか。
 カービィのことなのか、それともここにはいない幻想のことだろうか。

「許して―――――神様」

 許して。
 子供のように母を求めて泣くのではなく、身を引き裂くような悲痛な泣き方だった。

「……うん。わかってる。わかってるよ」

 カービィは春の陽だまりの様な笑みを湛えながら、マルクの額に自分の額を重ねた。
 お互いの体温がより一層、手に取るようにはっきりとわかった。

「じゃあぼくが許してあげる。キミの罪を、キミの過ちを、全部。全部。許すよ。ぼくがキミの罪を許します。だから、ね……どうか泣かないで」

 温もりだけはちゃんと肌で感じ取れた。
 お互いの心臓が脈打っているのも、聞こえた。
 守護されるように光に包まれて、胸が安心感でいっぱいになった。そのせいか涙が止まらなかった。
 癒されているはずなのに、悲しみだけは一向に引かなかった。
 何故こんなにも涙がこぼれるのだろうか。
 何で悲しいと―――――しょっぱい雫が溢れてきてしまうのだろうか。 

「許してくれるの?」

「うん。ぼくが許す。ぼくが―――――キミを信じたいんだ」

 果てしない闇はいつしか真っ白な世界に場所を変えていた。
 ガラスだけで構築されているかのようなここは無垢で、始まりも終わりも無かった。 

「ぼくはマルクのことが大好きで―――――これからもずっと友達でいたい。傍にいたいって思うよ。でも……それがキミを傷つけてしまうことだって、わかるんだ」

「……ボクは、死んだんじゃないの?」

「ううん……死なせない。絶対に。これがぼくの―――――我儘な願い」

「願い……ボクの願いは―――――カービィに殺されることだったんだよ。それは……叶わないの?だって―――――君は今、ボクを殺しにきたんでしょ?そうじゃないの……?」

「叶わないよ。叶えさせない。絶対に。ごめんね―――――キミの願いはやっぱり叶えられない」

 マルクの目が驚愕に大きく見開かれる。

「夢なら……これがボクの夢なら……君もまた夢の一部なんでしょ?カービィ……じゃあなんで……ボクの願いは……」

「マルクはぼくのことを恨んでくれていい。それくらいひどいことをするんだから。だから――――――――――忘れて」


 忘れて

 

 その言葉を聞いた瞬間に、マルクは猛烈な眠気に襲われた。
 眼を開けていられない。
 夢の中で夢に誘われる。
 どれが現実で何が夢なのかが―――――わからない。
 マルクは意識を飛ばす直前に―――――垣間見た。
 泣きながら微笑む、星の戦士の姿を。
 まるでお別れを告げに来たかのような、儚さを帯びていた。

「大好きだよ。マルク」

 その声は現のものだったのか、それとも幻聴だったのか。
 マルクにはもうわからなかった。 
 でもこれだけは確かにはっきりと、確信できていた。

 

 

 

 

 

 

 ボク も    君      の  こと   が 

 

 

 

 

 

 

―――――――――――――――ごめんね

 

 

 

 

 

 

 

 夢は現に溶け―――――そして、何もわからなくなった。

 

 

 

 

 ◆

 

 

―――――さよなら バイバイ また会おうね


―――――今度は 美しい夜空の下で

 


 ここはどこ……?
 どこなんだろう?
 ……温かい。
 何かにぎゅって抱きしめられてるみたい
 守られてるみたい
 心地よくて 気持ちいい 安心できる
 でもここは本当にどこ
 ボクはどこにいるの?
 ……ボク? 

 あぁそっか……
 ボクは―――――

 

 

 鼻腔をくすぐる香りは、毎日嗅いでいる匂いだった。
 そう、あの部屋の匂い。
 いつも通りの変わらない、落ち着く空気。
 でもどうしてだろうか―――――普段通りのはずなのに、何故だかとても懐かしい香りのように感じられた。
「―――――?」
 マルクはベッドの上で意識を覚醒させた。
 眼を開けると、まず視界に飛び込んできたのは見慣れた家の天井と、ピンクの少年の顔だった。
 明るくも深い青色の瞳は見つめているだけで吸い込まれそうになる。
「あ、起きた?」
 嬉しそうにカービィは手にしていた筒のようなものを傍の机に置いた。 
 細長い筒―――――それは望遠鏡だった。
 円形の室内はあまり広くはないが、マルクとカービィで暮らすにはちょうどいいほどの広さである。
 まだ完全には覚めきってない意識を何とか目覚めさせながら、マルクはベッドから降りた。
「……カービィ?」
 マルクは怪訝そうな表情で、周辺を見回した。
 カービィの家。自分と共同生活を共にしているやつの家。特に変化はない。家具や調度はいつも通りである。しいて言うなら机の上に置いてある望遠鏡だけが普段と違う唯一の点である。
「どうしたの?」
 不思議そうにはてなと身を傾けたカービィに、マルクは「なんでもないのサ……」とだけ言った。
 マルクは何か違和感を感じていた。 
 自分はなんで今眠っていたのだろうか。何か雰囲気が違うような。確証の無い訝しさを覚えていた。
 でもやはり何もかもが普通の日常のまま、変化していない。
 何故こんな気持ちになったのだろうか、マルクは奇妙でならなかった。

―――――なんだか長い夢を見ていたような気がするのサ

 内容は思い出せない。
 でも―――――あまり楽しいものではなかったということだけは、何となく理解できていた。
 だけどもそれは忘れてもいい夢の中の出来事だったのか、妙に現実味があったような……不可解な謎に苛まれ、マルクはちょっとだけ不機嫌そうにてくてくとカービィのもとまで歩いて行った。
「何なのサそれは」
「望遠鏡だよ!デデデから借りたんだ♪」
「……どうせまた無断なんだろ?」
「失礼だなぁ!無断なんかじゃないよ。今日は特別な日だからデデデもあっさり貸してくれたよ」
「特別な日?」
「あれ?覚えてないの?今日はとても星空が綺麗に見える日だよ」
「あぁ……それか」
 ポップスターの夜空は、いつもプラネタリウムのように星がはっきりと観測することができる。
 それ以上に美しく見えるとは、今宵の星空はよほど幻想的なものになるのだろう。
 そういえば数週間前から人々が天体観測のためにいろいろとあわただしくも待ちきれんとばかりに準備をしていたような気がする。
 カービィもまた、とても楽しみにしていた。 
 正直マルクはどうでもいいと思っていたのだが。

―――――あれ?

 数週間前?
 いつの間にかそんなに時間が流れていたのだろうか。
 ついこの間―――――星の話を風の噂で聞いたような?
 浮かび上がってきたいくつかの疑点は、マルクを悩ませた。
 でも結局は気のせいだと割り切ることで、脳内の議論はすぐに終了した。 
 即決できたのは、目の前で目を輝かせてはしゃいでいるカービィがいるから深く考え込むのは良くないと遠慮したからでもあった。 
「もうじき夜だよ!今のうちに場所取りしようよ」
「場所取り?なんでそんなことする必要があるのサ。場所なら腐るほどあるだろ」
「とってもオススメな場所があってね!誰かに先にとられてたらヤダから早く行こう」
 カービィにきゅっと帽子のボンボンを握られる。
 おそらくOKと言うまでは自分のことを逃がしてはくれないだろう。
「……わかったのサ」
 マルクは面倒くさいなぁと思いながらもそれを了承した。 
 するとカービィは予想通り大げさに喜んで、望遠鏡を引っ掴んでボンボンを掴んだままちょっとだけ早足で玄関に向かい始めた。陽気に鼻歌を歌いながら。
「ちょ!やめろっやめるのサ帽子を引っ張るなぁ!」
 半ば強引に引っ張られたマルクは片足のおぼつかない足取りで家から出ることになってしまった。
 扉をカービィが閉めたところでようやく帽子から手を放してくれた。
「まったくお前はいっつもそうなんだから!」
「ごめんごめん」
 ぷんぷんと怒るマルクに、カービィは悪戯がばれた子供のように舌を出して笑った。
 空を見上げる。
 大きな三日月が爛々と瞬いている。
 そこはもう―――――星達の世界だった。
 天を埋め尽くさんとばかりに無数の星々がそれぞれ光を放っていた。
 あまりにも密集している箇所には天の河のような神秘的な光の筋が生まれており、真っ黒であるはずの空と言う名のキャンパスに言語に絶する美景を作り出していた。
 まるで宇宙の全貌を全てポップスターに集結させたかのような、絶景であった。
「わぁ……」
 これほどまでに素晴らしい夜空を見たことがなかったマルクは、思わず感嘆の溜息をついてしまった。
 そんなマルクを横から見ていたカービィは、にんまりを顔をほころばせた。
「な、なんなのサ。じろじろ見るな」
「えへへ……さすがのマルクもこの星空には目を奪われちゃうよね」
「ふんっ……」
 確かに眼を、心を奪われてしまっていた。
 こんなにも煌びやか大空をマルクは知らなかったのだから。
 あちこちで歓声が上がっている。
 プププランドの城下町に住む人々が丘の上にて観測会を開いているようだった。
 たくさんの人々が望遠鏡などを覗き、感動の声を上げていた。  
「皆楽しみにしてたもんね。晴れてよかったよ本当に!」
 カービィはほっと安堵の声を発して、ついっと手を掲げるように上げた。
「来て!ワープスター!」
 カービィが愛機の名を呼ぶと、十秒と待たずにどこからともなく黄色の星型の小さな船がやってきた。
 星塵にも似た光をほのかに放出しながら、カービィたちが乗るのを待つように静止した。
「さぁ乗ってマルク」
「ボクは独りでも飛べるのサ」
「いいからいいからたまにはいいでしょ」
 カービィに背中を押され、有無を言うこともできずワープスターに乗せられる。
 マルクはもう呆れてしまい、鬱陶しそうに息を吐いた。
「本当にお前は……」 
「よしっレッツゴーッ!」
「全然話聞いてないし……」
 ワープスターが浮上を始める。
 カービィとマルクの頬を、夜風が優しく撫でた。 
 たちまちワープスターは高度が上げて、プププランドを一望できるほどの高さまでに到達する。
 それでもまだ止まらない。
 もっともっと高く高く。
 雲を突き抜ける勢いで、でもスピードはあんまり出さないでゆっくりと、名残惜しむように。
「……」
 ワープスターの光が金色の尾を引く。 
 まるで一つの流星になったかのような、星の海を泳いでいるようだ。
 そんな自分らしからぬことをふと思考してしまい、慌ててマルクは断ち切った。
 すぐ隣で寄り添っているカービィ。
 幸せそうに星の恵みに感謝を告げる歌を歌っている。
「カービィ。どこへ行くつもりなのサ」
 いつまでも昇り続けるワープスター。
 とっくにデデデ城などは小さくなってしまっており、じきに見えなくなってしまうだろう。
 そこまで大きくない雲と雲の隙間を抜けていく。天に向かって高く伸びた塔の螺旋階段をひたすら上がっていくように。
 どこまでもどこまでも。  
 高く。
 高く。
 高く。
 マルクの声にカービィは、ついっと目線だけを上にあげた。
 上空には一枚の薄いけれども面積のある雲があった。
「あの雲を越えたらわかるよ」
 それだけ言って、また歌いだす。
 らんらんらんと鈴の転がるような声で、メロディーを紡ぐ。
 なんて気ままなやつなんだろうと思う。でも、そこがコイツの良いところなんだろう。
 振り回されるのは厄介で疲れるけど、悪い気はしない。
 マルクはどんどん近づいてくる黒い影にも似た雲をじっと見つめる。
 あの壁の向こうに何が待っているのだろうか。何が待ち構えているのだろうか。
 妙に胸がドキドキした。想像が膨らむけれど答えに到達できた感じはない。
 真実は―――――実際に目にしてみるまではそれを真実と肯定できないのだから。
 少なくともマルクはそうだった。
 目に見えるもの。もしくは証明されている物事しか―――――信じることができない。  
「わっ」
 どぷりと、雲に突っ込んだ。
 灰色の濃い霧があっという間にワープスターを飲み込む。
 薄っぺらく見えた雲であったけれども、中は案外厚いようだった。
 まるで蜃気楼。騙された感じがした。
「もう少しだよ」
 カービィが隣で囁く。
 くすくすと無邪気に微笑む彼の姿は雲の中ではよく窺えなかったけれども、きっとカービィは今とても嬉しいのだろう。マルクはそれを悟って頷いた。
 風を感じる。
 帽子がそれによって遊ばれる。
 密度の高い雲の霧の隙間から―――――星光が差し込んだ。
 筋を生んだそれはカービィとマルクを誘うように手招きをした。 
 追いかけて、越える。
 視界が一気に開けた。
 雲を抜けた。


 そこには―――――夢のような別世界があった。


 わずかな雲が、光をいっぱい浴びて月の砂漠のように光を拡散させていた。
 ポップスターの果てまで確認できるほどの高さ。
 天球のど真ん中に来てしまったかのような印象。スノーボールの中に入ってしまったかのような感覚。
 上を見ても横を見てもあるのは、永遠に終わり無いほどの夜空。星空。
 数多の星々がカービィたちを迎えてくれていた。
 光は優しく、天使の光のようで、夜であるというのに周囲を薄っすらと明るく照らす。   
 星と闇のコントラスト。月光も混じって絵に描いたような―――――否、絵でも描けないような世界を作り出していた。
 いかに―――――宇宙が偉大なものであるか。
 いかに―――――宇宙が広大なものであるか。
 手に取らずとも、胸に刻み込まれた。
 決して忘れることのないよう、無意識のうちに。
「……」 
 息を呑んだ。
 先ほどから見ていた空なんか比ではないほど、そこは美しかった。
 本当に別次元に転送されてしまったかのような錯覚を、マルクは受けた。
 星月夜。 
 どこまでもどこまでも―――――愛おしかった。 
「望遠鏡―――――いらなかったね」
 ふと、カービィがそう呟きマルクは我に返る。
 カービィはうっとりとしながら、星の幻想を瞳に映していた。 
 確かに望遠鏡など必要ないだろう。
 ここでは何もかもが近く、すぐ傍にあるように思えたから。
「……場所取りだなんてする必要、なかったじゃないのサ」
 ちょっとだけ不貞腐れたように、マルクは言う。
「こんな場所にボク達以外の奴らが来れるわけないじゃないか」
 その言葉にカービィは目をぱちくりさせて、やがて「そうだね」と笑った。
 まったく。
 その笑顔で全部帳消しにしようだなんて、本当にもう……  
「ま、いいのサ―――――ありがとう、なのサ」
「え?」
 照れくさそうに顔を紅潮させながら、マルクはお礼を言った。
「良いものが、観れたのサ」
 静寂の空に浮かぶ星の一つ一つが宝石の粒のようだった。
 闇空に散りばめられたそれは、カービィたちを神聖に照らしている。

 二人だけの世界。  


「―――――よかった」

 カービィはそれだけ言って、落涙した。
 潤んだ青の眼から、ほろりほろりと涙が零れ落ちる。
 突然のことに驚いたマルクは、うろたえてしまう。
「どうしたのサ。カービィ?何で泣くのサ……」
「ごめんね……嬉しくて涙が出ちゃった……―――――この景色を、マルクと二人で観れて良かったなぁって思ったら……涙が出てきちゃって……」
 次から次へと溢れ出てくる涙。
 星の光と混ざり合って、溶け込んだ。
「なんなのサ―――――ボクは〝昔から〟いつもお前に付き合ってやってるじゃないのサ」
「……」
「……カービィ?」
「ごめんね―――――」

 ありがとう、と 

 カービィはそれだけ言って、マルクに寄り添い続けた。

 

 


「アナタの・ネガイは・ソレで・イイノですか?」

「うん……これが―――――これがぼくの願いだよ」

 〝全ての人たちのマルクに関する記憶を改変したい〟

 それがカービィがノヴァに頼んだ、願い事だった。

「デモ>ソレデ・ホントウに。ヨロシイノ・デスカ>コノカタは・オソラク・ソレを・ノゾンでイナイ・デショウニ」

「それでもいい。これは全部ぼくの我儘だから。どうしてもマルクを……死なせたくないんだ」

 カービィの腕の中で眠るようにマルクは目を閉じている。
 それとも―――――眠るように死んでいるのか。
 冷たくなりゆく体温を少しでも下げまいとばかりに、カービィはずっとマルクを抱きしめ続けた。

「ぼくはどうしても戻りたいんだ……あの変わらない日々に―――――マルクに言ってもらいたかったんだ。〝ポップスターに帰りたい〟って。でも、あの子は最後の最後までそうは言わなかった。ぼくがいくら攻撃してもずっと意思を変えなかったし……きっとマルクは、死を望んでたんだ」

 そして―――――その結果が今である。

 カービィの瞳には、決意の炎が灯っていた。

「ぼくはそんなの認めない」

 言い切った。
 頑固たりとも揺るがない宣言を。

「マルクが苦しむ必要はもうどこにもない。後は全部―――――ぼくが引き受けるから。だから、あの子の笑顔を潰さないで」

「ソレデハ・ヨロシイノ・デスネ」

 ノヴァに最後の宣告を出される。
 カービィは躊躇せず、迷わなかった。
 頷く。

「願いを叶えて。ノヴァ」

 

 


 マルクは過去の記憶を改変された。
 ずっと昔からプププランドにいたという偽の記憶をインプットされた。
 太陽と月の喧嘩はカービィが独りで治めて解決したということになり、マルクの計画の存在自体がなかったことになった。
 本当の意味で―――――なかったことに。
 記憶の改変を知っているのは願いを望んだ当事者のカービィだけであり、本人であるマルクでさえも知らない。
 ポップスターの人々も何も知らない。
 かつてマルクによって被害をあわされた人々でさえも―――――何もかもを忘れた。 
 彼らもまた、願いによって記憶を変えられたのだから。
 死にかけていたマルクは、記憶改変のさいに生じたノヴァの力によって、怪我はすぐに癒えた。
 そしてまたいつも通りの日々が始まった。

 カービィの望んだとおりの―――――変わらない日々が。 

 マルクは覚えていない。
 自分がいかに罪悪感にさいなまれ、狂気と絶望に蝕まれていたのかということを。
 ポップスターを我が物にして、全てを消そうとしてことも。
 カービィと激闘を繰り広げたことも。
 カービィに殺されたいと心底望んだことも―――――。 

 カービィしか覚えていない。
 カービィだけが覚えている。
 自分の利己的な行動によって、マルクが本当に望んだ自身の死を妨げたことを。
 何故ならカービィのせいで、今のマルクはカービィの理想の形に成り果ててしまったのだから。
 彼の意見も聞かずに、自分勝手に願ったカービィもまた、過去のマルクと同じように―――――罪を背負った。
 これから一生、死んでも償えないほどの大罪を―――――。 

「あ、流れ星」
 空に光が一筋の流れた。 
 何も言わずに泣くカービィに困っていたマルクは、流れ星を確認して瞬時に早口で叫んだ。
「このお人よしが泣きやみますように!このお人よしが泣きやみますように!このお人よしが泣きやみますようにッ!」
「!」

 ―――――星は、ボクの願いを叶えてはくれなかったよ

 今のマルクは知らない、マルクの声をカービィは思い出した。
 悲愴感に支配された心は悲鳴を上げて、マルクは感情を押し殺してそう言っていた。 
 でも今のマルクは違った。
 悲しみなどを知らず、ただただ星の純粋に祈っていた。
 祈って―――――願っていた。

 もう―――――悲しんでなんか、いない。


「―――――お人よしって……なんだか変な感じだなぁ」

 カービィは目元を擦って、ちょっとだけ笑みを取り戻した。
 それを見てマルクは安堵したのか「やれやれ」と静かに笑んだ。

「お前はずっとお人よしなのサ」
「そうなのかもね」

 カービィは笑った。
 マルクも笑った。

「マルクの願い―――――叶っちゃったね」

 こんなにもあっさりと、簡単に。
 最後に落ちた涙の粒は弾けて、なくなった。 

 

〝お星さま。お星さま。どうか―――――マルクが悲しまないように、ずっと幸せにしてあげてください。この幸せが―――――いつまでも続きますように〟

 

 カービィのもう一つの願いが叶うのは、いったいいつになるのだろうか。
 それは誰にもわからなかった。

 

 星は答えてくれなかったのだから―――――。

 

 

 

 


 Fin

 Only only one happy bat end

 

 Thank you very much for reading so far!

 

 

 

 

 

 

 

 

                                                                    戻る