明日の見えない空の色

 

※PMP2の神様お願いパーティの後日談です

 

 

―――――

 

 最後に空を見上げたのはいつのことだっただろうか。
 あんまりにも昔のことで、記憶は過去に埋没してしまった。
 あれから何年も経った。
 もう今の空が何色をしているのかもわからない。

 

 ♦


「……っ」

 妙な息苦しさを覚えながら、一人の神様は目を覚ましました。
 お世辞でもあまり綺麗とは言えない祭壇の中の奥で丸まって眠っていた神様は、顔をしかめて瞬きをしました。

「なぁにもう。嫌な夢」

 とても不愉快そうに呟いて、小さな子供の神様は起き上がります。
 童子用の白い着物は古びてはいるものの汚れらしい汚れはなく、純粋無垢な色をしています。
 神様の幼躯には不釣り合いなほど長い黒髪がふわりと波打ち、毛先から伸びている三つ叉の紙が少しばかりうねりました。
 嫌な夢を見たせいか、神様の目覚めは最悪のようでした。
 膨れ面をして、いかにも不機嫌そうです。
 そんな彼の目覚めを待っていたかのように数匹の鼠達が駆けてきます。
 神様の足元を楽しそうにくるくると走り回って遊ぶ鼠の中の一匹を、神様は少々手荒く掴んでは持ち上げて、抱えました。

「なんだいきみ達。ボクの気も知らないで。朝から憂鬱ってやつになってるのに」

 唇を尖らせて苛立ちを吐く神様でしたが、抱えられている鼠も未だ元気に走る鼠も、いまいち彼の言葉の意図を理解していないようで、円らな黒い瞳でじっと彼を見つめるだけでありました。
 黒真珠を想起させる真ん丸の眼に、神様の姿が鏡のように映ります。すごく不機嫌そうな顔でした。

「もう!朝からこんな気持ちになりたくなんかないのに!」

 不貞腐れたのか神様は鼠を乱暴に放しては、そのまま地団駄を踏むように跳ねて、唸りながら固い床に腰をおろしました。
  壁に背中をもたれて、体の力を抜きます。
 今は朝です。祠の中は朝だろうが昼だろうが夜だろうが薄暗く、時間の流れをまるで感じさせませんが、神様には外の正しい時刻がちゃんとわかるようです。
 子供の神様は非常に規則正しいのかもしれません。
 今日もいつも通り起きた神様は胸の内のむかつきを鎮静するためにももう一度眠ろうかと考えますが、目はすでにぱっちりと覚めてしまっています。
 嫌な夢を見た後は、嫌なことばかりを考えてしまいます。
 だから神様は悪化して湧き上がる不快な感情にますます苛立って、むすっと仏頂面で膝を抱えます。
 そのまましばし、頭を伏せて悶々と考え事をしてしまいます。
 昔々の記憶。
 明るみの無い、色の無い寂しい過去のこと。
 神様がまだ神様じゃなかった時のこと。
 思い出したくない残酷な日々。
 あったのは苦痛と悲痛だけ。痛みしかない傷だらけの時間。
 神様が神様になった時のこと。
 あったのは寂寥と退屈だけ。虚ろですっからかんな時間。
 長い長い時間。普通の人ならば送ることのできない、気の遠くなるような月日を、神様は独りぼっちで過ごしてきました。
 時たま出てくる鼠だけが、彼の友達。
 永い永い時間。暗い場所で生きている神様。暗い環境で息をする神様。
 聞こえるのは自分の息遣いと鼠の鳴き声だけ。もっと耳をすませば自分の心音さえ聞こえてきそうです。
 神様の心臓の音。脈拍。鼓動。魂が呼吸する音。
 神様はもう何年も生きています。何年も何年も何年も何年も生き続けています。
 生き続けているからこそ、時の経過は早く感じます。もしくは遅くゆっくりにも体感できます。
 彼はそのどちらも味わって、体験していました。
 過去は前者。
 そして今は、後者でありました。
 
 突然外から何か物が落ちるような音が聞こえてきました。
 それと同時に短い悲鳴も、祠の内部に響いてきます。
 驚いた神様はびくりと身を竦ませました。
 そして息を潜めて、じっと睨みつけるような視線を、閉ざされている祭壇の扉の向こうへと送りました。
 扉の向こうからはばたばたと慌ただしい音が今も尚聞こえてきています。

「ニャミちゃんなんでこんなところにバナナの皮なんて落ちてるの!?誰が食べたの~もう!転んじゃったじゃん!ゴミはちゃんと捨てなきゃダメじゃん!」

「あれ?おかしいな昨日はそんなものなかったような……。MZDあたりが食べたのをそのまま置いてきちゃったのかな?……ミミちゃん大丈夫?」

「う~……まさか現実で某レーシングゲームみたいな転び方をしちゃうとは……」

「バナナの皮ってやっぱり踏んだら滑っちゃうものなんだね」

 それは二人の女の子の声でした。
 神様はその声に聞き覚えがありました。 
 こちらに近づいてくる足音も二つ分です。
 やがてこんこんと、祭壇を優しくノックされます。
 神様はどきりとして、思わずぐっと両手を握ってしまいました。

「もしもしー。神様。起きてる?」 

 神様を呼ぶ声がしました。
 神様ははっとしながらも、ぐっと口を閉じました。
 
「まだ眠ってるのかな?」

「でもそろそろ起きたほうがいい時間だよ」

 返事を返さずに無視しても、向こうの声は止みませんでした。

「神様~一緒に朝ごはん食べない?」

「神様がごはん食べてるところ全然見ないし、祭壇の中にずっといたら気が滅入っちゃうよ」

 どうやら彼女達は神様を朝ごはんの席に誘っているようです。
 しかし神様は返答したくないのか、押し黙ったままです。
 何度もそう呼びかけても、いつまでも返事がないので彼女たちはう~んと困ったように唸ります。

「神様。それじゃあまた後で来るね。神様が出てきたい時に出てきてね」

 最後に彼女たちはそう言って、その場から立ち去っていきました。
 心なしか声はどこか寂しげでした。
 足音が遠ざかり、聞こえなくなったのを確認した神様はようやくほっと息をつきました。
 安堵の表情は浮かべていますが、神様はうかない様子でそのまま座り込んでいます。
 俯いて誰にも聞こえないような小さな声で、喉奥から言葉を発します。誰にでもない独り言を。

「嫌だよ……今更外に出るだなんて」

 悲しげな声は、何かに怯えているようにも捉えられました。


 ♦


「今の空はどんな色をしているんだろう」

 朝が来れば昼が来て、夜が来ればまた朝はやってくる。
 太陽が昇り、沈む。月が昇り、沈む。それの繰り返し。単調な日々。当たり前の循環。普遍的な時の経過。
 今もちゃんと空の太陽は存在するのだろうか。今もちゃんと空に月は存在するのだろうか。今もちゃんと空に雲はあるのだろうか。今もちゃんと空の星は瞬いているのだろうか。
 千年前と世界はどう変わってしまったのだろうか。
 千年間も世間から断絶していた神様には、当たり前のことさえもわかりませんでした。
 千年は一瞬のようで長いもの。宇宙全体から見たらほんの数瞬のことかもしれないけれど、この世界の文明からしたらとても長いものなのかもしれません。
 少なくとも、神様は〝パーティ〟というものを知りませんでした。 
 あんなにも歌って笑ってはしゃげる集まりがあるということさえも知りませんでした。
 祭壇の扉を開けた瞬間に飛び込んできた眩い光景。
 始まりは誰かの笛の音に誘われて。幾つもの音の粒が弾けるような愉快気なリズムに誘われて。
 千年前にも聞いたことがあったような気がしたけれども、どこか新しくて、未知のもの。
 千年間祭壇に引き籠っていた神様は、千年前にポップン勝負で負けてしまったことを引きずって、ずっと修行に励んでいました。
 神様を敗北させた、もう一人の神様に今度こそ勝利することを目標に。
 だけども千年ぶりのポップンバトルでは、神様はもう一人の神様どころか神でも何でもない者に負けてしまい、とてもショックを受けてしまいました。  
 自分が千年間引き籠って修行していたことは無駄なことでしかなかったと、思い知ることになりました。
 だから神様はまた祭壇に閉じこもってしまいました。
 ポップンの修行に励むのではなく、ただただ悔しさをいっぱいに胸に抱えて、惨めさややるせない気持ちに心を蝕まれながら、ただ逃げるように籠っていました。
 神様は悔しくて悔しくてたまらなかったのです。
 自分の努力が無駄であったと理解したくなくて、拒絶するように現実から―――――現在から目を逸らしたのです。 
 千年前とは違う世界。
 暗闇の向こうの明るい世界。
 自分がいなかった千年間。
 その間にどれくらい世界は姿を変えてしまったのか。
 一度も考えたことがなかったというのに、神様は外気に触れてからすぐにそんなことを考えるようになってしまったのです。
 湧き上がってきたのは動揺と、恐怖。
 ここから一歩踏み出たら、完全なる未知の領域。
 ここはどこ?いまはいつ?きみはだれ?
 浮かんでは渦を巻く無数の疑問符。それはまだ一向に解決されない。解消されない。納得の無いまま脳裏を彷徨い続けている。
 ふわふわと虚空を踊る亡霊のように。

「だから今更出てこいだなんて、無理な話だよ……」

 もう自分は勝負に負けてしまって―――――否、同じ土俵にさえ乗せてもらえなかった。
 そんな敗者のレッテルを貼られたまま、のこのこと外に出ていけるものがあるか。
 それに、外はもう今までとは違う世界。千年分の進化を遂げた世界。置いてきぼりの自分に居場所などない。
 ポップンしかり、存在しかり、何も無い。
 何も、無い。
 
 悩み続けていたら神様は非常に悲しくなってきて、ほろりと眼から涙を零してしまいました。
 神様は長い長い間を生きていますが、まだ子供なのです。身も心も子供のまま。
 だからまだ自己を上手くコントロールできません。上手に感情を制御することもできません。
 そこにまた自分の未熟さを見つけて、余計に哀しみが溢れてきてしまいます。
 神様は泣きます。しくしく泣きます。寂しげにすすり泣きます。
 傍をうろちょろしていた鼠は心配そうに神様を見上げます。
 だけども泣きじゃくる神様を慰めることができず、困ったようにちゅうと鳴くことしかできませんでした。
 ぽろぽろと頬を伝う涙。幾つも幾つも流れていきます。
 まるで流れ星のようでした。まるで雨のようでした。
 そうしてどのくらい時間が経ったでしょうか。
 祭壇の中は相変わらず薄暗いままです。
 ずっと時間が止まってしまっているようにも思えました。
 数秒前から、数時間前から、千年前から。
 動き出すことなく、停滞して、凍り付いてしまっているようでした。
 涙に暮れる神様は小刻みに震えています。
 涙がいつしか海を作るんじゃないかと思うほど、このまま泣き続けたら自分は干からびてしまうんじゃないかと思うくらい、彼は泣きました。
 泣いて、泣いて、泣いて。
 
「こんなところで泣いてんのか」

「うわぁあああ!?」
 
 そんな声が聞こえた直後、神様は驚愕のあまり弾かれたように飛び上がり、彼自身でも吃驚するくらい俊敏な動作で後方へ半ば転がるような形で駆け逃げました。

「ぎゃうっ」

 勢いのあまりスピードを殺しきれず、神様は物凄い速度で祭壇内の壁に顔面からぶつかりに行ってしまいました。
 脳を衝撃に揺さぶられ、神様は目から星が飛び出た錯覚に陥り、くらくらと覚束ない足取りで下がったと思いきや、そのままばたりと倒れてしまいます。
 受身も取らず無防備に倒れたものですから今度は背中をしたたか打って、うめき声を上げてしまいます。

「うぅ~……痛い……」

 痛いのが大嫌いな神様は弱々しく、特に痛いおでこを抑えてべそをかきます。
 
「おいおい大丈夫か?そんなに驚かなくてもいいだろ」

 仰向けで倒れている神様を覗き込んでくる者がいました。
 神様はその者を知っていました。
 知らないわけがありません。
 忘れるわけがありません。
 何故ならその者は彼にとっては最大の宿敵であり、天敵であり、憎き存在であったからです。

「え、MZD!?なんで……なんでここに!?」

「お前の泣き声が外まで聞こえてきたから様子を見にきたんだよ」

 神様とは違う、神様。
 その名もMZD。
 千年前に神様に勝利した張本人であり、彼を知らないポッパーはいないと言われるほど有名な存在でもあります。
 神様を見下ろしているMZDはふわふわと宙に浮かんでおり、足元からは不定形な影がゆらゆらと水面に映っているかのように揺らめいていました。

「立てるか?」

 MZDはすっと未だ倒れている神様に手を差し伸べてきます。
 神様は無性にそれが悔しくて、気づいたらもうその手を打ち払っていました。

「余計なお世話だよ!」

 素早く起き上がり、毛を逆立てて威嚇にも似た体制を取ります。痛みのことなどすでに忘れ去られていました。
 神様の毛先から伸びる三ツ叉の紙が刃物を想起させる気配を纏い、今にもMZDに飛びかからんとばかりに身構えます。
 
「待てよ。争うつもりはないぜ」

 殺気を向けられてもまるで動じずに、MZDは神様を落ち着かせようとします。
 しかし神様は聞く耳をもちません。

「どうせお前はボクを笑いに来たんだろ!?出てけよ!ここはボクの場所だぞ!お前なんかがいていい所じゃない!目障りなんだよ!」

 怒りと苛立ちが入り混ざった叫びは祭壇の中を反射します。
 跳ね返ってやがては自分に返ってきてしまいますが、神様はぎりりと歯を噛み締めて更に憤怒を露わにしました。

「今すぐ出ていって!さもないと……!」

 MZDの回りを取り囲むように伸びた紙先が、合図一つですぐさま標的を突貫せんばかりに、中空に配置されました。
 MZDは息を吐いて、ちょっと笑みながら肩を竦めました。

「わかった。要件を終えたらすぐに出ていくよ。だから、俺の話を聞いてほしい」

「……話?」

 肩の位置までホールドアップしている状態のMZDを、神様は無い眉をひそめて凝視します。
 
「話って何」

 警戒を解かずに、しかしひとまずは話を聞く気になったのか、神様は攻撃態勢を多少緩めました。
 MZDはコホンと一つ咳払いをしてから、口を開きました。

「単刀直入にきくが―――――お前はいつまでここに閉じこもってるつもりだ?」

「そんなのお前には関係ないだろ!」

「確かに俺には関係ない。それはお前の問題だ。だけどな―――――今、お前はなんでここに閉じこもっているんだ?」 

「な……ッ」

 今。
 今、と尋ねられました。
 前までなら妥当MZDのためだと断言できました。
 でも今の神様は逃げるようにここに引き籠っているだけです。
 何かを言おうと神様は必死に思考を張り巡らせます。
 だけども喉からは何も零れてきません。乾いた呼吸音だけしか出てきません。
 つまりは、何も言えませんでした。
 言葉に詰まった神様は、改めてMZDの顔を見ました。
 眼鏡の向こうの目は窺えませんでした。
 けれどもレンズの奥から注がれてくる視線は、全てを見透かす力を帯びているような気さえしました。
 神様の心内を静かに暴く、そんな目。
 本当のところはどうなのかわかりません。
 だけども神様にはそう感じられました。
 ぞっとして、神様はたまらなく恐ろしくなりました。

「何に怯えてるんだ?」

 何に怯えている?
 怯え?
 怯えているというの?
 ―――――そう。いつだって怯えていた。
 千年前も怯えていた。
 だけど、この千年間は怯えていなかった。
 ただがむしゃらにもがいていたから。
 もがいて集中して、貪欲に吸収して、努力して足掻いて―――――だからこそ、恐怖を捨てられていた。
 馬鹿みたいに真っ直ぐで、真剣だったから。
 でも、それも無駄なことでしかなかったというのに。
 そして今―――――また怯えている。
 何に?
 あぁ、もう答えは出ているじゃないか。
 恐ろしいのは扉の向こうの―――――。

 
 文字では表しきれないほどの感情が幾つも、神様の中から溢れ出てきました。
 それは腹から胸へ、胸から喉へ―――――そして最後に口から放出される激情でした。
 
「うるさいッ!それこそ関係ないことだろ!?何なんだよお前!お前にボクの何がわかるんだよ!」

 耳を塞いで喚く神様。
 ほとんどそれは図星でした。
 上手く言い返すこともできないまま、神様は叫びます。
 悲痛と憎悪を練り混ぜって、激昂するのです。
 子供のように、意地を張って。

「千年経ってもお前と戦うこともできなくて!ボクのやってることは全部無駄で!外はもうボクの知らない世界で!全部全部全部全部!全部に置いてきぼりになってる!置いてかれちゃってるんだ!今更何したって遅いだけじゃないか!こんなこと気づきたくなんかなかったのに!今までみたいに全部忘れていたかったのに!」

 恐ろしいことも、悲しいことも、痛いことも、全部、神様は忘却の海に投げ捨てていたかったのです。
 でも、現実がそうさせてくれないのです。
 千年分の記憶。

「もうボクのことは放っておいてって言ったじゃん……!お前の顔を見るたびにボクはすごい惨めな気持ちになるんだよぉ……!」

 我慢しきれずに流れ出る涙を不器用に拭いながら、嗚咽を上げながら神様はしゃがみ込んでしまいます。
 尖っていた紙たちも萎れるように力を失っていきます。
 
「ボクの居場所は……ここにしかないんだから……」

 薄暗くてお世辞でも綺麗とは言えない祭壇の中。
 今の神様にはここだけが、世界でした。世界そのものでした。
 未知なる世界―――――外に怯える、逃げ場所でした。
 そこで縮こまって震える神様は、滑稽に見えるのでしょうか。
 神様のくせに外に畏怖の念を抱いているだなんて、馬鹿馬鹿しいことなのでしょうか。
 そんな神様を見てMZDは何を思ったのでしょうか。
  
「居場所がここにしかない?そんな馬鹿なことあるか」

 MZDはぽんと、神様の頭の上に手を置きました。
 そのまま優しく撫でてくれました。
 手の平は温かくて、心地良くさえありました。
 神様は何年ぶりに人肌に触れたのでしょうか。
 本人にもわからないくらい、それは懐かしい感触でありました。

「わっ、やめっ。触るなぁ」

 涙で顔をぐしゃぐしゃにしながらも抵抗する神様に、MZDは語りかけるように言います。

「お前のことを待ってる人はお前が思っている以上にたくさんいるんだぜ?ほら、ミミとニャミなんかは良い例だろ」

 〝神様!出てきて一緒に遊ぼうよ〟

 そんなふうに何度も神様を誘いに来てくれた人達は、確かにいました。

「それに、こんなところで独りでポップンしててもつまらないだろ?外に出てみろよ。面白いやつがたくさんいるぜ」

「でも……だって、ボクのポップンは千年前と何にも変わってないし……じ、時代遅れだし……」

「これから変えるっていうのもありだと思うぞ。それに―――――ポップンは楽しんでやるものだ。上手い下手なんて関係ないさ。前にお前のやっていたことは無駄だなんて言っちまったが、悪かったな」

 お前も、お前なりに頑張っていたんだよな。

「だからさ、出てこいよ。みんなお前を待ってるんだぞ」 
 
 神様は笑いました。
 晴れやかな笑顔です。
 どこか憎めない笑顔でもありました。
 鼻をすすりながらそれを見つめている神様は、あることを思い出していました。
 それは千年前のこと。
 千年も昔―――――独りぼっちの神様が初めてMZDに出会った時のこと。

〝外に出てこいよ。楽しいものがいっぱいあるぜ〟 

 星を従えているかのような、陽気な神様が光のあまり無い祠で微笑みかけてくれていました。
 だけども神様は音の勝負ばかりを考えていて、外に関心を示せず、ただただ目の前の存在を打破することだけしか考えていませんでした。
 それくらい楽しかったのです。
 それくらい愉快だったのです。
  
〝いつかきみよりも強くなったら出ていくよ!〟
 
 遠い遠い記憶。昔々のお話。
 そんな無謀な宣言をしてから千年。まだ神様はMZDを勝っていません。

「お前は……きみは、昔から全然変わってないなぁ……」

「そういうお前はだいぶ変わったよ。昔はもっとなんというか……神様っぽくなかったな!」

「ちょ……!失礼だなぁ!というかやっと昔のこと思い出したの!?」

「これでも頑張ったんだぜ。千年は長いからな」

「ただ単にきみに記憶力がないだけでしょ」

「記憶がいっぱいできて満タンになるんだよ―――――それくらい楽しくて興味深いことが日々たくさんあるってことさ」

 快活なMZDを、どこか納得いかなげに神様はぶつくさと何かを呟きますが、やがてぽつりと

「ねぇ。ボクはきみに勝つまでここから出ないって決めてたんだよ。外は怖いし嫌なこともたくさんありそうだし。でも、やっぱり気になるものは気になっちゃうんだ。これってダメなことかな?」

 少し不安げにMZDに問いかけました。
 
「お前のやりたいようにやればいいんじゃないのか?いつもとは言わないけれど、そのうち相手してやってもいいぜ」

「本当に?」

 にわかにぱっと、神様の表情が明るくなりました。
 やっぱりMZDと戦えることが嬉しいのでしょうか。
 
「お前がもうちょいなるようになってからな」

「なんだいその言いぐさ!というかなんでボクがお前にこんなこと話してるの!?」

「ははは。さぁてな」

 ひらりと身軽にMZDは宙を一回転し、淡い不思議な光を散らします。
 きらきらとした、小さな銀河を連想させる光の粒たち。
 小規模な宇宙を創りだしました。

「さて、話すこと話したし、言うべきことも言った。あとはお前次第だ」

 軽く手を振ってMZDは身を翻しました。
 すっと体が薄くなっていきます。どこかへ帰っていくのでしょう。

「ま、待って」

 神様は慌てて立ち上がって、姿が消えていく後ろ姿を目に焼き付けながら最後にきくのです。 

「今の世界の空の色は―――――どんな色をしているの?」

 変な質問なのかもしれない。
 だけども神様は本当に。本当に本当に本当に気になっていたのです。
 今の世界の空は、何色をしているのか。
 朝は、昼は、夜は、どんな色に天空は染まっているのか。
 するとMZDはにやりとにやけて、少し挑戦的な態度で答えるのです。

「それは自分で確かめてみるんだな」

 あっと言う間もなく、ぱちんとMZDは指を鳴らして、その場から消えてしまいました。
 不可思議な光は花弁を舞わせるように弾け、花火の火のように美しく瞬いて、消えていきました。
 そこに残されたのはぽかんとしている神様だけでした。

「……自分で?」

 何て図々しくてムカつく発言をするんだ!と神様は思いましたが、もう彼はいません。怒鳴る相手はいません。
 少々腹立たしかったけれども、胸の内は前よりもずっとすっきりともやもやが晴れたような気がしました。

「―――――外」

 明日の朝も、ミミとニャミは自分を呼びに来てくれるだろうか。
 外で自分を待ってくれている人はいるだろうか。
 自分はまだまだ遅くないのだろうか。
 いつの日か―――――ちゃんと認めてもらえるのだろうか。

「……考えてみよう、かな」

 神様は涙でひりひりする目を擦って、重たくなった目蓋をそっと下ろしました。
 泣いたらとても疲れたのです。必然的に睡魔がやってきたのです。
 目が覚めたら、もう一度考えてみようと神様は思いました。 

 明日の朝は、誘われたら意地を張ることなくちゃんと返事ができるだろうか。
 扉を開けて、今を見つめることができるのだろうか。
 ……たくさん友達ができるだろうか。

 千年ぶりに見る空は、綿雲が浮かんだ綺麗な青色をしていたらいいな。
 ちょっぴり憎たらしいことも気にくわないこともあるけれど、そうだったならいいな、と。
 うつらうつらと夢想しながら神様は眠るのでした。

 鼠だけに「おはよう」と言うのではない明日を少しばかり夢見て。



 

 

 

 

 

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