一章 望まれない世界と星の申し子

 

 Ⅴ 火と血と世界の夜明け 後

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

―――――そうやって皆死にました

 

 


 ◆

 

 

 ごうごうと激しい音を立てて燃え盛る炎は夜の闇を切り裂き振り払い、まるで地上に太陽がそのまま降ってきたかのようだった。祭り飾りも民家も調度も食物も花々も何もかもが紅蓮の火に包まれて、収まることなく勢力を広げている。
 大地を飲み込まんとばかりに、焼き焦がされていく。色鮮やかだった集落は色を失い、赤と黒しか残っていない。
 焔と血の赤と、夜の闇と焼き焦げた残骸の黒。
 響いてくるのは慟哭と怒号、華やかな宴の歓声は幻のように掻き消されてしまった。
「どうして、こんなことに」
 里の入り口はすでに焼け爛れ、簡易的な木の門は黒焦げになっている。
 かつて門だったモノの傍で、気を失っているリリアンナを抱えたフゥは魂が抜かれたように立ち尽くしている。立ち尽くす他なかった。
 たくさんの人が死んでいる。
 これは全てフゥの仲間だ。
 少数民族ならではの結束から誰もが家族に等しかった―――――見覚えのある顔が炎に包まれ、または無残なやり方で死体と化していた。
 赤ん坊も女性も無差別に、全てが燃えていく。
 焼けつくように熱い土は血が染み込み、ひどいところでは早くも血が泥のような池を作っている。
 まさに地獄絵図だと、見る者全ては思うことだろう。 
 先ほどまでの愉快な祭りの光景が嘘のようだと。
「ひっ」
 位置はここから離れているが、跳ね散る血液と踊るように宙を跳ぶ生首を目撃してしまい、いよいよフゥの脆弱な精神は限界を突破しそうになる。
 リリアンナを抱えたまま失神しそうになるフゥの意識を寸でのところで繋ぎ止めたのは、残骸の山の下からフゥの足首を掴んだ大きな手だった。
「―――――ッ!」
 強張っている中でいきなり何者かに触れられて跳び上がりそうになるフゥだったが、どこか馴染み深い肌の感触と熱にはっとさせられる。
 ひどい火傷を負っているのか肌は痛々しく焼けだたれているが、長きに渡って自分の面倒を見てくれた恩人を見間違えるはずがない。
「父、さん?」 
「フ、フゥか……?」
 焼けた木材の下敷きになっているのは弱り果てたカトスだったのだ。
「何が起きてるの父さん。ねえ!こんなの何かの間違いだよね!?」
 彼に圧し掛かる木材は重く更に熱く熱を持っており、とてもじゃないが子供の細腕では持ち上げられそうにない。何よりもリリアンナを飛び火している地面に寝かせるわけにはいかない。
 必死にカトスを助けようとするフゥは大声で誰かに救援を求めようとするが、カトス本人に拒否される。
「いいんだフゥ。私はもう助からない」
「そんな!」
「いいか、今から私が言うことをよく聞け。ここからはもう、大人も誰もお前を助けることができない―――――泣いている暇はないぞ。お前はリリアンナ様を守らなければいけないのだから」
 今にも泣きだしそうなフゥだったが、腕の中で目を閉じているリリアンナを見下ろし、耐えがたいことを懸命に堪えるように頷いた。 
「これは夢じゃない……現実だ。友好関係を結んでいた他部族の裏切りだ。祭りの日を狙って強襲に来たんだ。あいつら石壁の裏手から火を投げ込んできた。最初から皆殺しか、もしくは奴隷用に何人か捕えてくるか、何にしても一方的な戦いをふっかけてきたんだ。私達が一番油断している時にな」
「何でそんなひどいことを……!」
「奴らも大国の傘下だったんだ……何ということだ……―――――リリアンナ様の結婚も控えていたというのに……!」
「け、っこん?」

 フゥにずっと言いたかったことがあるの。

 まさか、あれは、このことを言いたかったのでは―――――。

 どこからか炎上した木が音を立てて倒れるのを聞き、フゥはびくりと身を震わせた。
「集落はもう駄目だ。多分、大半の者は何も知らないまま攻め込まれ焼け死んだ。生き残ってる戦士はまだ戦っているようだが……間に合わないだろう」
「ぼ、僕はどうしたらいいの」
「お前は逃げろ。リリアンナ様を連れて、とにかく遠くまで逃げろ。敵の手が届かない場所まで、全力で走れ。走り続けろ。姫様が生きていれば、ランシス神の意志と守り手は引き継がれる。お前は彼女を守り続けることが使命だ」
「でも父さんは、他の人は……母さんはどうなったの。トクサは?アトスは?ねえ、みんな……どうして」
 刹那、フゥの真横の地面に深々と石槍が突き刺さる。
「っ!」
 鋭く研ぎ澄まされた矢先が地面をえぐり、人に命中すれば頭がかち割れるであろうということを知らしめる。
 この槍は自分を狙って投擲されたのだと気づくと、恐怖に粟立つ。

「黒髪に白肌!姫がいるぞひっ捕らえろ!」
 
 敵部族の乱雑な足音と怒声のような声が後ろから降りかかり、フゥは反射的に一つの結論を強引に導き出していた―――――とにかく逃げるしかないと。

 

「構うな!走れ!振り返るな!我が息子よ!」

 

 カトスの思いを乗せた叫びが彼の背中を押し、フゥは自分が意識するよりも早く走り出していた。最初から最高速で、蹂躙してくる火の手からも危害を加える敵をも振り切る勢いで、彼は疾走する。
 涙が零れ出た涙は熱波にもまれ、誰にも気づかれないまま置いていかれた。
 
 父のように偉大であった存在に「さよなら」と言えなかったことも、彼にとって永遠の後悔の一片として傷を残した。

 


 ◆

 


 どこに逃げればいいのか、どこまで逃げればいいのか、思考回路が乱れて暴走寸前のフゥにはゆっくりと物事を考える余裕が無い。
 何より、足を止めたらおしまいだ。敵部族達は自分とリリアンナを捕まえようと追いかけてきているのだから。
 それでも幸いなのは相手部族は夜目があまり利かないことと、数はあってもそこまで俊足ではないこと。逆にフゥは子供の身ながら夜闇に強く、駆け足に関しては彼の右に出る者はいない。男としてどうなのかとは思うが、逃走に関しては彼は里一番の実力者なのだ。あまり誇れることではないが、今だけは自慢にしてもいい。
 しかし、どんなに足が速くてもフゥには体力が無い。持久力のような粘り強さは備わっていても、根本的な生命活動の基礎である力は弱い。体力があってこそ補える走力なのだが、力不足ゆえに長時間はもたない。ただでさえ今回はリリアンナを抱えている分、負荷も大きい。
 つまり、体力が持つ間にどこまで逃げ切れるかがフゥの命運および結末を分けていた。
(振り返ったら死ぬ。振り返ったら死ぬ。振り返ったら僕は死ぬ!)
 後ろから絶えず聞こえてくる複数人の足音に怯えながら、フゥは一心不乱に闇夜の草原を走り抜けていく。
 北か東か西か南か、とにかく少しでも敵の目をごまかせる場所を目指せ!
 五年感の間に培った五年分の土地勘を今こそ総動員する時だ!
 風を斬る音が襲いくるたびにフゥの背筋は冷たくなる。
 時折投げられる石槍を完璧に回避する術は無いが、それは相手も完璧に当てられないということを意味する。
 それでも当てずっぽうに投げられる敵の槍を当てずっぽうに避けるフゥとでは、体感する精神的な重みが桁違いだ。
 何せ、一撃でも当たれば終わりなのだから。
「う、うううううう……!」
 思わず叫びそうになる口を噛み締め、恐怖を飲み込む。腹が膨れるどころか吐きそうになるが、何度だって飲み込む。
 それでも恐怖とは実に厄介なもので―――――感覚を鈍らせる。 

 

「あ」

 

 右ふくらはぎに鋭い痛み。
 確認する暇もないが―――――槍が足をかすったのだと察するくらいの時間はあった。

(待って)

 痛みに痺れ、足が前に出せない。衝撃も速度も落としきれず殺しきれない。
 夜の闇に投げ出されるように草中に転倒するフゥの脳内では、めまぐるしいほどの命乞いの言葉が羅列していた。
(リリアンナだけは殺さないで!!!) 

 そのどれもが自分ではなく、リリアンナの身の安全だけを望んでいた。

「捕まえたぞ童共!」
 たちまち敵部族が待ちに待っていたと言わんばかりに集まってくる。
 ここから体勢を立て直して再び走り出すのは、不可能だ。
 もうおしまいだとリリアンナを抱きしめて目をぎゅっと瞑ったフゥだったが、想像とは違う音が響き渡り、驚きに目を開ける。

 

「どりゃあああああっ!」

 

 聞き覚えのある声―――――武器を手にして勇ましく戦う者。

「トクサ!生きてたの!?」
「勝手に殺すな馬鹿野郎!―――――トクサ様が助けに来たんだからありがたく思えよ!」
 救援に来たのはトクサだけではないようで、敵部族と比較すれば心もとない少人数だが、それでもランシスの民の生き残りの戦士たちが駆けつけてくれたのだ。
 
「この野郎やりやがったな!」
「しぶといぞ!」
「皆殺しだあああ!」
「やっちまえ!」
「俺達の底力見せてやれ!」

 

 罵り合いと掛け声が交差し、いつしか斬撃音打撃音がけたたましく飛び交う乱闘へと発展しつつあった。
「何ぼんやりしてんだとっとと逃げろ!」
 敵の槍攻撃をいなしながら、トクサは茫然としているフゥに叫ぶ。
「とにかく走れ!追手から少しでも離れろ!ここはオイラが食い止めるからリリアンナ様を連れて逃げろってんだ!」
「だけど、トクサが……!」
「オイラを誰だと思ってんだ!こういう時の為に日頃訓練してんだよ。心配すんなって後で必ず追いかけるからさ!さぁ早く行け!それにオイラ独りじゃねえし!」
 戦いながら胸を張って宣言するトクサに次いで、他の戦士達もフゥに声をかけていく。
「なめんなよフゥ!姫様を守り通せ!」
「駆けっこの実力今こそ生かせよ!」
「絶対に死ぬなよ!」
 フゥは痛む足をひきずりながらも何とか立ち上がり、仲間達の助言を気力にまた走り始めた。
 振り返らずに。

(死んじゃ駄目、死んじゃ駄目―――――僕がリリアンナを守らないと!) 

 それでも数の暴力にはかなわず、また一人また一人と、命は散る。
 決意は空しく、そう待たずに防衛網は崩落していく。
 だけど、多少の時間稼ぎになれたのならば、悔いはない。

 

 

 

 

 

 

「ははは……―――――フゥ。お前は生きろよ……死んだらリリアンナ様が悲しむからさ……」

 

 振り下ろされた石斧がトクサの視界を制圧し、占拠する。
 遠ざかっていく親友の後姿さえ隠され、夜の星々も見えなくなる。灰色と黒の、冷たい鈍器の刃部分が彼にとっての最後の空となり、最後の景色となった。
 
 冷え切った空が塊となって落ちてきた瞬間―――――彼の思考の全ては途絶え、蘇ることはなかった。

 

 

 

 

 ◆

 

 

 


 腐敗した政?
 行き過ぎた信仰から生み出された邪念?
 ならば、神様はいったい何のために人間を守っているのだろうか。導いているのだろうか。
 こんな悲しい争いを生み出す必要なんて、どこにもなかったのではないのか。
「……フゥ」
 どれくらいの時間を走り続けたのか、意外と短時間かもしれないし、驚くほど長時間かもしれない。心拍数の分だけ歩を進めたような気もするし、そうではなかったような気もする。
 もう、何もわからなくなりそうだ。痛む足と疲弊した精神では、何もかもを見失いそうになる。
 耳元から聞こえる鼓動に生きていることを実感していた。
 リリアンナの声によって、フゥははっとさせられる。
「リリィ、起きたの?」
「どうして走っているの?ここはどこ?まだ夜なの?」
「皆死んだ。逃げてるんだ」
 舌も回らなくなってきたのか非常に短くある意味一番残酷な状況説明になったが、リリアンナは取り乱すことも泣き叫ぶことも無く、ただただ悲しそうに「そう」と吐息を洩らした。
「僕、君を守らなくちゃいけないんだ。皆から託されたんだ。だから、逃げるんだ」 
「……誰の為に?」

 誰の為に―――――そう訊かれて、何と答えればいいのかわからなくなった。
「……わからない」

 僕は何の為に―――――。
「―――――ねえフゥ、楽しかったね。今までずっと、こんな日々が永遠に続けばいいなって思ってた―――――でも、駄目なのね。私達には永遠なんて、重すぎたのね」
 走りながら、思い出をぽつぽつと語った。
 初めて出会った日のことを、遊んだことを、笑いあったことを、からかわれたことを、仲間達とはしゃいだことを―――――ああ、全て燃えてしまった。失われてしまった。あんなにも簡単に、呆気なく。
 もう残っているのは、二人だけだ。
「君のこと、守りたいんだ。だって僕にはもうそれしか残ってないんだ。僕の記憶は、あの里の記憶でいっぱいなんだから……」 
 そしてフゥがたどり着いたのは、終点だった。
 これ以上の土地の記憶はフゥの中には存在しない。
 切り立った崖の果て、彼の知る世界の終着点だった。
 崖底に何が広がっているのか、その先に何が待っているのかは誰も知らない。
 この時代の人々にとっての〝世界〟はあんまりにも狭かったのだから。
「リリィ。ごめんね、どうしよう。逃げ場所がもう思いつかないんだ。ごめん、ごめんね……」
 すでに体力は限界を突破しており、走り出す力は残っていない。フゥが息も絶え絶えにリリアンナを下ろすと、彼女はそっと彼を抱きしめた。 
「大丈夫よフゥ。何も気にしなくていいの。私は―――――最後にこうしてフゥと一緒にいれて、幸せよ」
 リリアンナは微笑んでいた。
「ここまで走ってくれてありがとう。みんなの為にありがとう。今なら言いたかったこと、言ってもいいわよね?」
 


 そして彼女の表情は目に焼き付いて―――――宇宙が終わるまで、忘れられない。

 

 

 

 

 


「私ね、フゥのことがずっと大好きだったの」

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 彼女の体に槍の雨が降り注いだのは、その直後だった。

 

「あ―――――」
 
 湧き上がる歓声の中、彼の世界は真っ赤に染まった。
 花のように美しかったあの子が
 花のように優しかったあの子が
 花のように健気だったあの子が
 赤色、に。

 フゥにしなだれるように倒れたリリアンナは―――――最後の瞬間まで、微笑んでいた。

 

「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!あああああああああああああああああああああああああああ!ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!」

 

 フゥは叫んだ。叫んで、叫んで、叫んだ。
 ぐさりと胸を槍が貫いても、気づかないほど、絶叫した。

 世界が終ったと思った。
 事実―――――彼の世界は終わってしまった。

 

「仕留めたぞ!これでここも終わりだ!―――――新たな時代の幕開けに一歩近づいた!」

 

 歓喜喝采。
 汚らわしいほどの賞賛と喜びの雄たけびが、薄れゆく意識の中で
 ふらりと、視界が暗転する。同時に体も重力従って―――――崖に落ちていく。
 リリアンナもまた、フゥを抱きしめて巻き込まれる。
 二人で槍の雨の中、落下していく。
 世界の果てへと、追放。

 

「神に感謝を!!」

 


 

 

 神様―――――どうして―――――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『やめて!どうかその子を傷つけるのはやめて―――――!』

 

 

 

 

 奈落の底へと落ちていく中で、暗い闇に意識を堕としていく最後に―――――フゥは尊い星の声を聞いたような気がした。

 

 

 


 ◆

 

 

 

 


 もしも、もう一度始められるのならば、
 もしも時間をやり直せるのならば、彼はまず間違いなくこの時間から全てをやり直したいと願うだろう。
 どんなに多数無限の時間軸が螺旋を組んでいたとしても。
 どのような未来に可能性を見い出し、同じ数だけの末路に嘆いても。
 愛する者を見つけ、同じ桁の命を失ったとしても。
 理想主義な心のままに夢を描き、同じ回数の現実に敗れたとしても。
 世界が生まれ、同じ世界が滅んだとしても。
 繁栄と進化、滅亡と退化、似て非なる結末を気が狂うほど何度も懲りずに迎えても。
 拒絶した先に訪れた破滅に身を引き裂かれたとしても。
 虚像の平和と虚偽の安息を得たとしても。
 一時の悦楽と快楽に本能を満たしても。
 身を浸した先の沼に精神ごと沈んだとしても。
 星の背負う愛の意味を全て知ったとしても。
 この宇宙の真理を受け入れたとしても。
 生と死の狭間の中で記憶を取り戻したとしても―――――彼はもう一度、物語を初期化することだろう。
 そして、祈るように叫ぶことだろう。透明でいて暗闇に閉ざされた虚空で、何度だって歌うことだろう。
 その歌はまだ、知らない歌。だけども―――――永遠に伝い伝わる、星の唄。


 世界を繋げる、一つの唄。

 

 


 星が生まれ 光が生まれ 世界が生まれる
 星の声 見下ろす銀の船 まだ遠い
 星の海 幾千の魔石の渦 まだ見えない
 星の記憶 永遠の空の彼方 いつかそこに
 星は見ている 星は知っている 愛しき世界
 私は ずっと 待ち続ける

 

 


『眠る 眠る 星の元で 。 夢に沈む 貴方 を 救い出すために 』


 天も地も闇一色の世界で、星の光を纏った幼子が歌っていた。
 夜空を流れる星河のように長く美しい髪は尾を引いて、暗闇の空間を薄らと照らしている。幼子の帯びている光だけが、閉ざされた世界での唯一の光源だった。
  
「君は誰?ここはどこなの?僕は死んだんじゃないの?」

 

 すると幼子は振り返り、〝僕〟の名前を呼ぶ。

 

『〝×××〟』

 

「僕のこと?僕の名前はそんなのじゃないよ。僕の名前は―――――」

 

 咄嗟に名乗ろうとするが、浮かび出てくる言葉は何もなかった。
 どんなに思い出そうと躍起になっても、声にならない。闇に吸い込まれるように、消失していく。

 

「……思い出せない」

 

『〝×××〟。あなたがおぼえていなくても、あなたは〝×××〟なの』

 

「僕はずっと〝ここ〟にいたんだ。こんな場所は知らないよ。僕は死んだんでしょ?そうでしょ?ここは空の上と地の底のどっちなの?ねえ、答えてよ……答えてくれないと、不安で死んでしまうよ」

 

 混乱と不安感で気が狂いそうな〝僕〟に、幼子は鈴の転がるような可愛い声ではっきりと宣告する。
 哀れな者や愚かな者を見るような目つきはしていなかったが、どこか愁いを帯びた瞳は、何色とも言い難い色をしていた。
 この瞳を―――――知っているような―――――いないような―――――。

 

『あなたはしなないの。せかいがそんざいするかぎり、あなたはしなないの。えいえんにいきつづけるの』

 

「永遠、に?」

 

 ありえないと、嫌に雄弁に洩れ出た。

 

「嘘だよ。だって、人間はあんな簡単に死ぬんだよ。殺しあって奪いあって、皆死んでいくんでしょ?だって世界は〝そう言う風に〟できてるんでしょ?」

 

『でもあなたは、あなただけはしなないの。しなないにんげんなの』

 

「どうして……嫌だよそんなの。僕は大事な者を全部失くしたんだ。何もかもなくなっちゃったんだ。僕独りなんて嫌だよ。僕は死にたいんだ!」

 

『だめなの。どんなにつらくても、くるしくても、かなしくても、さびしくても、あなたはしなないの。いきて、いきて、いきつづけるの。いきつづけて、やくそくをはたさないといけないの』

 

「嫌だ!僕も皆と一緒に連れて行ってよ!約束なんて、そんなもの知らない……!」

 

『まだおもいだせないかもしれないけれど、いつかかならずおもいだせるひがくるよ。〝おかあさん〟のことも、わたしのことも、あなたじしんのことも、せかいのことも、みんなのことも、おもいだせるひがくるから』

 

「おかあ、さん……?」

 

『あなたに〝あい〟をおしえてくれたひと、あなたはやくそくをはたすの。』

 

「ねえ、約束って何なの。僕はこれからどうしたらいいの」

 

『あなたはこれからたくさんのひとにであって、わかれて、めぐりあって、はなれていく。だけどわすれないで、あなたがわすれなければ、ほしのきおくはえいえんにつながる。であわなかったひともであえなかったひとも、みんなひとつになれる。あなたがこのせかいのこのほしのかけはしなの。あなたのそんざいがほしのちゅうしん、このほしはあなたのものがたりなの』

 

「僕は独りだよ」

 

『あなたはひとりじゃない、ほしはいつだって、あなたをみまもってる』

 

 

 

 

 

 

 

『とおいみらいのとおいかなた、とおいとおいあしたに、あなたをみつけだす。だからどうかまっていて、かならずあなたをすくってみせるから―――――』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

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―――――――――

 

―――――長い夢を見たような気がする

 

―――――でも、すぐに忘れてしまった。

 

 

 

 

 

 

 ねえ、どうして 

 どうして、死んでるのさ

 どうして

 僕なんかより、君が生きていたらよかったのに、価値なんて、わからないけど、僕より君のほうが、ずっと、ずっと、生きる意味があったはずなのに、どうして。

 

 お前のせいで死んだんだ!
 お前が死なせたんだ!
 お前が守れなかったから!
 お前のせいだ!
 お前のせいだ!
 オマエノセイダ!


 だけどどうして?
 
 これは何の悪夢なのだろうか。

 こんなにも死のうとしているのに、こんなにも痛いのに、苦しくてつらくて寂しくて心臓が潰れてしまいそうなのに!

 

 崖下で目を覚ました少年は、心臓に突き刺さったままの槍を引き抜いた。
 彼は死なない―――――死なない。
 彼に覆いかぶさるように倒れている少女は血を流し―――――死んでいた。
 少年は声を上げずに涙だけをこぼしながら、少女の亡骸を抱きしめた。
 すでに体温は失われており、彼女は雨のように冷たかった。
 あんなにも温かかったのに、可憐な笑顔を持っていたのに、彼女が息をすることは永遠にない。

 永遠に、永遠に、永遠に、少年は死ねない。
 少年だけは永久に死なない。
 少年だけは死ねないのだ。
 

 

「―――――死にたい」

 

 
 少年は何度も自分自身に槍を突き立てた。
 激痛に膝を折っても、血反吐を吐いても、自分を殺し続けた。
 それでも少年の負った傷はどんな致命傷であってもたちまち完治し、死を許さない。死を拒絶し、認めようとしない。
 こんなにも死を渇望しているというのに、願っているというのに。

 


「死にたい、死にたい、死にたい、死にたい、死にたい、死にたい、死にたい、死にたい、死にたい、死にたい、死にたい、死にたい、死にたい、死にたい、死にたい、死にたい、死にたい、死にたい、死にたい、死にたい、死にたい、死にたい、死にたい、死にたい、死にたい、死にたい、死にたい、死にたい、死にたい、死にたい、死にたい、死にたい、死にたい、死にたい、死にたい、死にたい、死にたい、死にたい、死にたい、死にたい、死にたい、死にたい、死にたい、死にたい、死にたい、死にたい、死にたい、死にたい、死にたい、死にたい、死にたい、死にたい、死にたい、死にたい」

 


 世界にはすでに朝が訪れていたけれど、少年は空を見ないまま無駄だとわかっていても繰り返し槍を突き刺し続けた。
 眠るように死んでいる少女は、泣くことも笑うこともない。

 少女は二度と太陽を拝まない。
 そして少年は―――――未来永劫、太陽を憎み続けることだろう。

 

 

 


「かみさまなんて、だいきらいだ」

 

 

 

 


 救いの手など、最初から存在しなかったのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 奪われたモノは何だ。


 ―――――〝自分の世界〟。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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―――――

 

次回最終回です。