祭囃子が終わる前に

 

※妄想捏造満載

  てまりちゃんがなぜか生きてます

 

 

―――――

 

 僅かに夕暮れの茜が残っている夜色の空の下で、一人の少女は鬱蒼と木々が生い茂る森の中を歩いていた。
 癖毛なのかぴょんと跳ねている黒の短髪と、少々年期を感じさせるセーラー服を微風に揺らして、薄暗い森を慣れた足取りで進んでいく。
 顔に着けている古めかしい狐のお面が素顔を隠しており、今どんな表情をしているのかは定かではなかった。
 だけども陽気で堂々とした足運びから、何か楽しいことがこの先で少女を待っているかのようであった。
 風と少女の足によってがさがさと林が揺れ、草木が音をたてる。
 それと混ざり合うように遠くの方から何かの音色が響いてくる。
 何かを誘うような、歓迎するかのような音楽が森の外から流れてきている。
 少女はそれを追いかけるように、辿るように早足で前へ前へと歩んでいく。
 聞こえてくる音。
 それは―――――祭囃子。
 近づくにつれて少女の様子は嬉々としていく。
 長年待ち望んでいたことがやっと起こるかのようなワクワク感。子供のようだけれども何十年も生きている者のように、少女はスキップをして森から飛び出した。
 閉塞感のある暗森とは打って変わるように、そこはとても見晴らしがよく、開けていた。
  
「到着っと」

 可愛らしくも凛とした声音で、少女は待ち受けていた景色を見下ろした。
 森の出口はあまり敷地のない境内であり、今は誰も祀られていないであろう古びた小さな神社と、少しばかり汚れの目立つ真っ赤な鳥居がひっそりと建っていた。一目見ただけで相当昔に建造された建物であるということがわかった。
 しかし少女の興味はそちらには向いておらず、高台の境内から地上に繋がる長い階段の先にあるものに視線は向けられていた。

「おー。やってるやってる」

 階段の下では祭が催されており、提灯の温かな灯りが幾つも窺えた。
 そこまで大きな祭ではないものの複数の屋台が一本道の両脇に列を組むように並んでおり、決して大人数ではないものの人々が笑顔で催し物を楽しんでいた。
 童心をくすぐる風景。待ちきれないと言いたげに少女は鳥居の足を中心にくるくると回り始めた。
  
「揚げパン売ってるといいんだけどなぁ」

 愉快気に少女は笑う。
 しかしこの少女はただの少女ではない。
 正体は女子中学生の姿に化けている天狐である。
 つまりは狐の妖怪。人ならざる者。
 千年生きた妖狐。大昔はどこかの社に祀られて多くの信仰を得ていたとかいないとか。現在は神獣であるにも関わらず好き勝手に自由気ままに生きている悪戯好きの狐である。
 その為祭り事は大好きであり、祭囃子の音を聞きつけては人に化けては好物の揚げパンを堪能しにどこにでもどこへでもやってくる。 
 天狐だけども人に変幻することを好む。特に最近は女子生徒に変幻して人間達に紛れたライフを楽しんでいるようであった。
 天狐のテンコ。テンコは種族名でもあり人間としての仮の名でもある。
 早速テンコは祭の舞台に参上しようかと階段を目指したところで、ふと立ち止まった。

「?」

 空耳だろうか。誰かの声が後方から聞こえたような気がした。
 振りかえってもそこには誰もいない。ただ鳥居と朽ちかけの神社があるだけだった。
 しかしやはり幻聴とは考えにくく、テンコは耳を済ませて祭囃子を遮断して一つの声を探した。
 すると今度ははっきりと声がテンコの耳に届いた。今にもかき消えてしまいそうなか細い声ではあるものの。
 どうやらその声は神社の裏から聞こえてくるようであった。
 不審感と好奇心でテンコは神社に方向転換した。
 近づくにつれてより声ははっきりと聞こえてきた。
 声は歌。童謡のような唄。純粋無垢で、切ない響きを持った手毬唄だった。 
 神社裏は森と同じくらい暗く、祭の光は一切届いていなかった。
 そんな寂しい場所でたった独り、小さな小さな童女が鞠をついて遊んでいた。
 童女らしい短いおかっぱ頭に紫陽花を連想させる紫色の着物。祭に向かうには相応しい格好をしている。
 だけどもこの場から動こうとする気配は一向にないようで、一心不乱に鞠をついては歌声を上げていた。
 普通ならばこのくらいの子供は喜んで祭に駆けて行くのではないか。
 奇妙に思ったテンコは狐面の下で顔を怪訝そうに歪めて、こちらに気づいていない童女に声をかけた。

「こんな薄暗いところで祭に見向きもせずに独りで何してるんだい?」

「!」

 テンコの言葉が言い終わる前に、手毬唄は止んだ。
 てんてんと不思議な色に染められた鞠が童女の手から滑り落ち、テンコの足元まで転がった。

「あ……」

 童女は驚いているのか怯えているのかどちらにもとれる様子で、後ずさりをした。よく見れば幼駆は小刻みに震えている。
 切り揃えられてはいるが邪魔そうな前髪せいで目元は伺えないものの、動揺に目を見開いているのは確かだろう。

「待って待って。取って食うつもりは全くないからさ。そんなに怯えなくてもいいじゃないか」

「……食べ?」

「食べたりなんかしないしひどいことしたりもしないよ。アタシは理不尽な暴力やイジメが大嫌いなんだ。一番嫌いなのはそういうことする最低な大人達だけどね」

 ぽかんとしている童女を余所に、テンコは毬を拾い上げてそのまま童女に手渡した。

「あ、ありがとう」

 再び手元に戻ってきた毬を大事そうにぎゅっと抱きしめたのを見て、テンコはにっと笑む。お礼を言われたら妖怪だって嬉しくなるものである。

「アンタ。その毬随分大事に使ってんだね」

「え……どうしてそんなことがわかるの?」

 その問いにテンコは得意げに胸を張ってみせた。
 お面がなければ悪戯っ子のような顔がすぐ見えたに違いない。

「見ればわかるよ。よっぽど大事な毬みたいだね」

「うん……兄様がくれた毬だもの」

 兄様。
 その部分だけが妙に愛おしげに聞こえたのは、何故だろう。
 気になる点もあるので、テンコはひとまず名を名乗ることにした。もちろん人間として活動している時に使用する名を。

「アタシはテンコ。アンタの名前は?」

「てまり」

「毬が良く似合う名前だね。んでてまり、アンタお祭り行かないの?すぐ近くでやってるのにこんな薄暗い場所で毬ついてても楽しくないでしょ」

「お祭り行くよ。ずっと楽しみにしてたの。でも、兄様を待たないと」

「ん?アンタの兄さんと待ち合わせてるのかい?」

「うん。迎えに来るから待っててって言われたから、てまりは兄様を待ってるの」

「ふぅん。でもあんまり遅くなると祭は終わるし、アンタは小さいんだから親に心配されるよ」

「てまりには兄様しかいないよ」

 寂寥感も悲壮感一つ籠っていない今まで通りの声で、てまりは答えた。
 つまりは、兄様以外にこの子を守ってくれる者、血の繋がった者はいない。テンコは瞬時に悟った。

「そうかい。それにしても酷い兄さんだね。アンタをこんな場所で独り待たせるだなんて」

「兄様の悪口言わないで!」

 そこで初めててまりは感情を露わに、テンコをきっと睨んだ。
 よほど兄を慕っているのだろう。先ほどまでの弱きな雰囲気が吹っ飛んでしまっていた。

「ごめん。別にてまりの兄さんを侮辱するつもりはないよ。だけど寂しくないの?その様子だとずっと長いこと待ってるみたいだし」

「……ちょっと寂しいし怖いけど、兄様は必ず迎えにくるもの。だからてまりは良い子に待ってるの」

 おどおどはしているものの、大好きな人の言いつけを守っている幼子の頑なな意志は揺るぎそうになかった。

「でもね……テンコお姉ちゃんが声をかけてくれて、嬉しかった」

 毬を抱きながら屈託無く微笑むてまりはとても可憐で、健気に咲く朝顔の花のようだった。
 ―――――いかにも妖怪や亡霊の類が好みそうな、穢れ無き純白さを持っていた。 

「そうかい……でも、アンタのその無垢さをつけこんでくる悪いやつらはこの世に五万といるから気をつけな。有象無象だったり跋扈する妖怪だったりね」

「うぞーむぞー?」

「ま、理解するには難しいだろうけどね。そんなわけでてまり。アタシと一緒に祭に行かない?」

「え?」

「いつまでもここで突っ立って待つのは飽きるでしょ?ちょっとくらい抜け出したって罰は当たらないんじゃない?」

「ダメ!てまりは兄様を待たないといけないんだから」

「兄さんだってアンタを長時間待たせてるんだからプラマイゼロってやつなんじゃないの?」

「ダメったらダメなの」

 頑固にもてまりはテンコが差し出した手に、自身の手を伸ばさなかった。   
 テンコは呆れ気味に溜息をついて「あっそ」と言って、踵を返した。

「悪いけどアタシ。アンタと一緒にアンタの兄さんを待ってあげるほど優しいやつじゃないから。それに揚げパンがアタシを呼んでるから行くわ」

 あっさりと言い放って、テンコはそのままスタスタと歩き去ってしまった。
 取り残されたてまりは何かを言いたげに口を開けるも結局何も言えないまま、しょんぼりと俯いてしまう。
 しかし再度の孤独は僅か数分で打ち破られることになる。

「―――――よっす」

「……あれ?」

 若干先ほどとは違うキャラで再登場したテンコに、てまりは仰天を通り越して唖然としてしまう。
 狐のお面が顔から外され後頭部につけられているせいもあって、印象もだいぶ変わったのだろう。天狐が化ける女子中学生の素顔は鋭い狐眼だけれども快活そうな顔をしていた。
 テンコの両手にはそれぞれ違うものが握られており、右手には揚げパンが入っているであろう袋。左手には真っ赤な林檎飴があった。
 微動だ出来ずにいるてまりの元につかつかと遠慮ない足取りでテンコは歩み寄り、そのまま左手の林檎飴を半ば強引に渡した。

「テ、テンコお姉ちゃん?」

「食べな。お腹すいてるでしょ。おっと、揚げパンはあげないからね」

 テンコは自由になった左手で袋を開け、中の揚げパンにがぶりと齧り付いた。香ばしい揚げパンにご満悦なのか、彼女の口元は自然と綻んでいた。

「えっと、その。もう戻ってこないんじゃ」

「そんなこと一言も言ってないよ。それにアタシは今アンタと一緒に待ってるんじゃなくて、アンタと一緒にモノを食べたいからいるの。それだけの話」

 もぐもぐと揚げパンを咀嚼しながらテンコは素っ気なく、だけども確かにそう言った。
 てまりはしばし戸惑いながらも、やがては幸せそうに林檎飴を齧った。

「テンコお姉ちゃん。ありがとう」

「お礼はいらないよ」

「林檎飴、美味しい」

「揚げパンのほうがずっとずっと美味しいさ」

「あはは」

 穏やかな談笑がしばらくの間、神社の暗闇の中で聞こえた。
 依然として奏でられる祭囃子の音色を忘れてしまうほど、それはそれは楽しくも不思議な光景であった。
 空にはすでに月が昇り、無数の星が瞬いている。月光や星光は微小ながらも神社裏にまで降り注ぎ、星の砂のように周辺はきらきらと淡く薄く煌めいた。
 どのくらい時間が経過したのか。
 てまりがゆっくりと林檎飴を食べ終えた後だっただろうか。

「―――――」

 遠くから、だけども着実に近づいてくる何者かの声が聞こえてきた。
 その声にいち早く反応したてまりはぱっと瞳を輝かせてはしゃいだ。

「兄様の声!」

 どうやらてまりの兄がようやく迎えに来たのであろう。ぱたぱたと忙しない足音がしだいに大きくなってくる。
 
「テンコお姉ちゃん。ほらね!兄様は必ずてまりを迎えにく……」

 非常に喜ばしそうにテンコのほうを振り返ったてまりであったが―――――そこには誰もいなかった。
 先ほどまで癖のある笑みを浮かべててまりに語りかけてくれていた制服の少女の姿は跡形もなく、どこにもなかった。
 まるでさっきまで普通に会話を交わしていたことが嘘のように、そこには何もなかった。
 てまり以外に、誰一人として存在していなかった。

「テンコお姉ちゃん?」
 
 茫然として立ち尽くすてまりであったが、ただ突拍子なその顛末を見つめる他なかった。
 その後てまりの兄はすぐにてまりの元にやってきて、眼をぱちくりさせている彼女の頭を優しく撫でた。
   
―――――長い時間待たせてごめんな。寂しくなかったか?

 兄からの言葉にてまりは首を横に振って、何度か後ろを振り返りながらも言った。

「兄様。ちっとも寂しくなかったよ。だってね」

 テンコお姉ちゃんが一緒にいてくれたから。


 手に握られたままの林檎飴の棒は、間違いなく本物だった。

 

 

 ◆


 手を繋いで共に階段を下りていく歳の離れた兄妹の後姿を、一匹の狐は何も言わずに見送っていた。
 祭囃子が終わらなければ、祭も終わらない。
 狐は身を翻し、足音一つ立てずに森の中へと駆けて行った。
 黄金色の尾が糸を引くように闇に伸び―――――提灯の灯りが消えるように、失せた。

 

 

 

 

 

 

 


 

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