絵画の魔女はここにいる
※妄想捏造満載
―――――
―――――口から零れ出た愛は色を帯びて 世界を作った
―――――心から溢れ出た感情は色を恐れて 世界を閉ざした
―――――そして独りで 眠るように夢を見て 息を引き取るように眼を閉じた
◆
「はい。今日はここまでにしましょう」
青空の下。のどかな野原の上。ぱたんと丁寧に閉ざされたスケッチブックを抱えて、一人の女性はそう言った。
とてもとても綺麗な女性。
澄んだ空を想起させる長髪に、淡い光を放つ月を連想させる瞳。見惚れてしまうほどの浮世離れな美しさを持っていた。
女性の言葉に反応した子供たちは、はーいと返事をしながら各自広げていたスケッチブックやらお絵かきセットなどを片付けていく。どうやら女性から絵の描き方を習っていたようである。
そんな光景を微笑ましそうに見ている女性は優しい声音で
「続きはまた今度。待っているわ」
と、心からの思いを告げた。
子供たちは道具をまとめて、女性に手を振りながらそれぞれの家へと帰っていく。
子供たち全員が帰っていったのを確認し、女性もまた帰ろうかと支度をし始めたところで
「おい。ドロシア」
後ろから声をかけられ、女性―――――ドロシアはゆっくりと振り返った。
背後にはいつの間にか一人の人物が立っており、じっとドロシアを凝視していた。その目つきはなかなかにして悪かった。
「あら。久しぶりねペイントローラー」
そんな視線気にもしていないのか、ドロシアはにこりとはにかむ。
毒気の無い笑顔を向けられ、ペイントローラーは妙にやりにくそうに
「相変わらずだなぁお前も」
と半ば呆れ気味に溜息をついた。
「何か用でもあるの?」
そう問いかけるとペイントローラーは「用も何も……」と被っているキャップの鍔にくいっと手をかけた。
「お前それでいいのかよ」
「え?何が?」
きょとんとしているドロシアに痺れを切らしたのか「だー!だからぁっ!」と声を荒げて、ペイントローラーは何処からともなく出したハケを勢いよく振りかぶって、びしっと彼女を指した。
結構すごい勢いだったのでドロシアは余計にぽかんとしてしまう。
「人にハケを突き出しちゃいけないと思うわ」
「お前に言われたかねぇよ!」
ごもっともなツッコミである。
愛用のハケを降ろす気配も無いまま、ペイントローラーは説教をするように怒鳴り始める。
その光景は穏やかで平和な野原にはいささか不釣り合いで、何これ青春的なストーリーのワンシーン!?一コマ!?と言うのにも無理があった。不釣り合いすぎてシュールでさえあった。
しかも怒鳴られている本人が危機感など知らないと言った様子で、のほほんとしているならば尚更である。
「俺が言うのもあれだけどよ、お前ってすんげえ絵が上手いじゃん!才能ありありだろ!?俺じゃなくても絵に関してド素人なやつでも知識皆無なやつでも一目でわかるだろ!悔しいけどよ、俺よりもずっとずっとすげえ力を持ってるってことはわかってるよ。認めてるよ。評価さえしてるよ―――――だからこそ、お前みたいなすごいやつがこんなド田舎の星で素人子供相手に教室を開いてるっていうのがどうにもこうにもムカつくっていうか……勿体ないと思うんだよ!」
半ばムキになって叫ぶペイントローラーを、ドロシアは相変わらずじっと見つめ返しているだけだった。
月と星を閉じ込めた宝玉のような瞳が、鏡のように努力家の絵描きの姿を映し出している。真っ白なキャンパスに形を描き出すように。
「そんだけだよバカヤローッ!ああもうお前はなんかムカつく!なんかムカつくんだよ!スランプとかそういうの知らなそうな感じでのほほんとすんげえ絵をあっさり描いたりするところとか!」
「―――――私だっていろいろ苦悩したりするわよ」
唐突に口を開いたドロシアが予想外だったのか、ペイントローラーは思わず素っ頓狂な声を上げてしまう。
彼の履いているローラースケートの車輪が少しだけ甲高い音をたてた。
「なんだ。お前って悩んだりするのか。てっきりそういうのとは無縁なのかと思ってたぜ」
「この世界で悩んだりしない人なんて、はたしているのかしら?」
「その中の一人にお前がいそうだなってつい数秒前まで思ってた」
「ふふふ。でも残念でした。私はそこまで何かを超越してたりしないわよ。生きてる限り困難や苦難はいつだって付きまとってくるわ。そう―――――生きてる限り」
どこか懐かしげに微笑んでみせるドロシアには、息を呑むような美しさがあった。
どれほどの美貌を持つ者でも、彼女の神秘的な美しさを超えることは不可能だろう。
現実離れで浮世離れ。切なげで儚げ。幻想的で幽玄なその笑顔―――――とてもとても幸福そうな、笑み。
ペイントローラーはどきりとしながら思うのだ―――――コイツはなんて幸せそうに笑うんだ、と。
「貴方は私の絵を〝好き〟と言ってくれるのね」
にわかにペイントローラーの顔がかっと赤くなる。
わかりやすい。
「は!?言ってねえよ!」
「嘘。好きだからこそ勿体ないって言ってくれたんでしょ」
「だ、だからそれはそのー……あれだ!あれなんだよ!ほら、あれだ。うん。そうだ」
明らかに図星であった。
狼狽するペイントローラーは帽子を被ったままの頭を掻き毟らんとばかりにかきまぜ、声にならない叫びを上げて強引に話しを自己完結をしようと必死だった。
「でも、ごめんなさい。私は別に地位や名声が欲しいんじゃないの。ただ私は私が思うままに楽しく絵を描いていたいの。そして、その思いを誰かと一緒に共有できたら素敵って思っているだけ」
「……でけえ夢は持っておくべきじゃないのかぁ?」
涼しげな風が野原の草花を撫でる。
複雑そうな顔でずれた帽子を整えるペイントローラーに、ドロシアは「大きすぎる夢は」と続ける。
きめ細やかな長髪がたなびいて、尾を引いた。
「確かに素晴らしいものなのかもしれない。光り輝いていて眩しくて、それこそ世界を一つ変えてしまうほどの力を帯びていて、自分の理想をそのまま実現さえできてしまうかもしれない。だけど私にそれは重すぎるの。大きな夢ほど抱えきれなくて、背負いきれなくて―――――私独りでは、きっと潰れてしまう」
積み上げてきた願望があっという間に崩れてしまうように、一瞬にして押し潰されてしまう。
妙に抽象的な言い方をされたので、ペイントローラーは怪訝そうに身を傾げた。
「お前にはでっかい夢さえも持ち運べるような実力があるじゃねえか」
実に単純なことを言ったペイントローラーに、ドロシアは「いいえ」と返す。
「実力や才能だけで何とかなるような世界ではないの。この世界は―――――だけど昔の私は、貴方の言うように大きな夢を持ったわ」
「……?」
「この力さえあれば何だってできると自惚れていた。半分は自暴自棄だったけれど。自分の力をふんだんに発揮すればこの世界を本当の意味で掌握できるんじゃないかと、本気で思って疑わなかった」
「……それで、夢は叶ったのか?」
その問いに、ドロシアの表情に少しだけ陰ったのを見逃さなかった。
「叶わなかったわ。ショックと反動が大きくて、私は潰れて息ができなくなってしまった―――――だけど今、こうして生きている。それは私が大切なものを失ってしまったから。そして、大切な人ができたから」
「……」
何も言えず立ち尽くすペイントローラーに、ドロシアはすぐに表情を元通りに戻して
「ちょっと話が脱線してしまったわね。ごめんなさい。私が言いたいのは―――――今の幸せで私は充分だということよ」
大きすぎた夢ではなく、小さな夢で満足している。
欲望がたっぷり詰まってそうな大きな箱よりも、確かなものが収まっている小さな箱のほうが好きだと。彼女は言う。
「プププランドの人たちと仲良くお話が出来たり、自分の描きたいものを描くことができる。誰かが傍にいてくれて、いつだって温かさを感じられる。私は今とても幸せなの。満たされていて―――――夢は叶ってしまったの」
ドロシアの言う〝夢〟が具体的には何なのかペイントローラーにはさっぱりだったが、当の本人が迷いなく晴れやかに宣言するのだから、もはや何も言うことは無い。
「ま、お前がそれでいいって言うならそれでいいんだろうけどよ。これは……俺個人のただの不満だ」
「お節介の間違いじゃなくて?」
「だーかーらーそういうのじゃないんだって!まったくやりにくいったらありゃしない!俺は帰るぞ!」
「よかったらまた、お話に来てね。今度はお絵かき教室をやってる時にでも。貴方の描くものを皆に紹介してあげたいわ」
「気が向いたらな!じゃあな!」
別れの言葉を最後に、ペイントローラーは地面を蹴って一気に加速し、瞬き一つする間にはもう野原から立ち去ってしまっていた。
再び一人になったドロシアはすでに見えない後ろ姿を見送って、不意に空を見上げた。
空は抜けるように青く、果てしなく広がっているような錯覚さえ覚えてしまう。手を伸ばせばふんわりとした綿雲を掴めるような予感がして手を伸ばしてみるものの、空は遥か高みにあり、遠すぎた。
遠すぎて、近くに感じた。
触れることはできないけれど、いつだって地上で生きる者達を見守ってくれている。
大きすぎて潰れないように、傘を差していてくれる。包み込むように愛おしげに。
そうだったらいいなと、ドロシアはくすりと笑った。
「だから夢はこんなにも恐ろしくて、重くて、苦しくて―――――優しいのね」
心に安らぎを与えてくれる風を肌に感じながら、ドロシアはペイントローラーが帰った方向とは真逆の方向に進み始めた。
その先にあのは小規模で田舎臭い国の城下町だけれども、ドロシアはたまらなくこの国を好いている。愛していると言っても過言ではない。
自分を受け入れてくれた国であり、自分を〝好き〟と言ってくれた人達が暮らす国なのだから。
羽織ったマントを風に揺らめかせながら、魔女は覚えたての鼻歌を歌って、帰るべき場所へと帰っていく。
歌さえ知らなかった彼女に声音を与えてくれたあの子は―――――きっとドロシアが帰ってくるのを楽しみに待っているだろうから。
◆
昔々あるところに、本来なら生まれるはずの無かった命が芽生えました。
宇宙が生まれ星が生まれ、長い長い月日が巡り、時の経過とともに人々は進化し、数多の文明が開化しました。
〝世界〟にはそこらじゅうかしこに文化―――――芸術が犇めいていました。
土地や地域や場所や国の広範囲に渡って繁栄を遂げているものもあれば、小規模ながらも人個人によってそれぞれ違う独自の芸術も、世界中に存在しました。
例えばそれは絵。絵画。
人々から絶賛され多大な評価と称賛を受けた絵や、そうではない絵。
はたまたは歴史的な遺産として大切に保管されるようになった絵や、そうではない絵。
生まれた絵。生み出された絵。作品として名を遺したもの。無名のまま消えてしまったもの。
種類も制作された場所もそれぞれ違う幾千幾億もの絵画。
拍手喝采。もしくは興味と夢想。巡りに巡って―――――最後は全て、忘れ去られてしまいました。
宇宙が生まれ星が生まれ、長い長い月日が巡り、時の経過とともに人々は進化し、数多の文明が開化しました。
それ即ち―――――何かを捨ててしまっていること。
何かを忘れてしまっていること。
何かを切り捨ててしまっていること。
進化に犠牲はつきもの。不要で不利益で不明なものは排除されてしまうもの。
多くの絵が〝世界〟で描かれ誕生し、そして捨てられ忘れられ誰にも見てもらえなくなっていく。
かつての栄光も失い、絵として見てもらえることも無く、炉辺に捨てられ燃えていきました。
時と共に過ぎ去りし哀れな絵画達。路地裏に放棄され朽ち果てました。
絵は無機質で、生き物ではありません。描かれているのはただの幻想。もしくは模写。はたまたは風景。何でもあります。だけども、生きてはいません。
しかし全ての絵画は思っていました。放置され、忘却され、顧みられることのなくなった絵画達は皆々同じことを思っていました。
いつしか宿った魂とも表せる心の中で、涙を零しながら
〝もう一度だけ私を見て〟
そう思い願っていました。
悲しみの中で、苦しみの中で、自身の存在と意義を見失いかけている最中で、そう祈り続けていたのです。
もう一度絵として、どんなにちっぽけなことでもいいから、もう一度だけ自分を見てほしいと。
だけども現実は残酷であり、人々には絵の叫びなど聞こえるわけがありませんでした。
そもそも慟哭している絵画の存在や題名さえも、その時代の人たちは皆知らないのですから。時の流れは冷酷でした。
願い願い願い続け、祈り祈り祈り続け、叫び叫び叫び続け、主張し嘆き呼びかけ懇願し―――――とうとう気づかれることのなかった絵画達に残ったのは自身さえ焼きつくすような激しい憎悪と、どうしたところで埋めようのない底無しの絶望だけでした。
絵画達は呪いを生み始めました。
人々を楽しませたり感動させたり喜ばせたり、感嘆させたり涙を誘ったりだけども最後はその美しさで人の心を魅了した絵画達。今はゴミ同然の哀れな絵画。光を取り戻すことができず、芽生えた激情のままに暴走を始めました。
呪いは幻想が現実に、現実が幻想と化す恐ろしきもの。〝世界〟が陰から歪んでいく悍ましいものでありました。
それでも人々は気が付きませんでした。だんだんと自分たちの〝世界〟が幻想に呑み込まれていくことに。呪いはゆっくりと、だけども蝕むように―――――〝世界〟に猛毒を投与し続けたのです。
ようやくその信じがたい現象に気が付いたとある星のとある者達はこの一大事を放置するわけにはいかないと、ある物を製造しました。この呪いを封じ込めるとてつもない力を持ったアイテムを。
宇宙で一番発展しているこの星の技術をフルに活用し作り出されたそれは―――――〝魔法の絵筆〟と呼ばれました。
〝魔法の絵筆〟はその力を使用し、世界中に霧散していた呪いを一か所に集め、封印することに成功しました。この〝世界〟に干渉できない世界に。
〝世界〟―――――外の世界とは違う、絵画の世界と呼ばれる世界へと、呪いを溜め込んだのでした。
ひとまず世界の危機を救った〝魔法の絵筆〟はもう二度と呪いが再び暴れ出さないように念を推し、呪いを更に小さく圧縮し―――――一つの生命を生み出しました。
呪いで形成された存在。その生涯を穢れ共に生きねばならない制御材。悲劇的な生贄を〝魔法の絵筆〟は作り上げたのでした。
それが後に絵画の世界の創造主となり、姫君となり、怪物となる―――――一人の魔女でありました。
◆
「こんなところで何をしてるの?」
「うわぁぁああああ!?」
ドロシアがすぐ背後まで迫ってきていることに気付いてさえいなかったのか、大げさなくらい驚きを露わにして、バンダナワドルディは目にもとまらぬスピードで跳び退った。
その拍子に手にしていた槍が地面に落下して、乾いた音をたてた。
「そんなに驚かなくてもいいじゃない。でも、ごめんなさい。すごく集中してたみたいだったから声をかけてよかったのかしら」
素のオーバーリアクションに吃驚しながら、ドロシアは彼が落とした槍を拾った。
細くて長い槍は見た目に反してずっしりと重く、随分使いこまれているのか柄の部分は磨り減り、槍先は刃こぼれしていた。
「ド、ドロシアさん?……こちらこそごめんなさい。僕、一旦熱中しちゃうとそれ以外のことに上手く反応ができなくて……」
「集中力があるって良いことよ。スイッチの切り替えができたらもっと良いかもしれないわね」
「そうですね……。あ、槍。ありがとうございます」
ドロシアはバンダナに槍を手渡しつつ、周りを見回した。
「ここで槍の練習をしていたの?」
「はい。ここ、あまり人も来ないですごい練習しやすいんですよね。本音を言えばもう少しスペースが欲しいんですけどね」
ここは城下町の外れ。人目に付きにくい無人の広場であった。
近隣の住民もあまり立ち寄らないような場所で、バンダナは今までずっと槍の鍛練に励んでいたのだろうか。
よく見るとバンダナの体には多少の汚れが傷がついており、表情からは疲労感も窺えた。
「お城で練習しないの?他のワドルディたちは皆お城の敷地内で練習してるような気がするけれど……」
「……」
ドロシアの質問に対してバンダナは俯いて、何か言いにくそうに押し黙ってしまう。
「何か言いにくい理由でもあるの?」
「……僕は周りの皆と比べて、ずっとずっと弱いんです」
少し震えた小さな声でバンダナは告白し始める。ぎゅっと手にしている槍を握る手に握力を込めて。
「仲間たちは弱い僕を馬鹿にしたりなんかしませんし、大王様に至っては僕のことを努力の天才だって褒めてくれます。だけど弱いのは弱いんです。皆の足を引っ張ってばかりで、大王様のお役にたてない……。だから、もっともっと練習が必要なんです。それに何よりも―――――大王様や皆に、強くなった自分を見せたいんです」
少々負の感情を含んでいるけれども、それでも誇らしげに、健気にバンダナは言った。
そんなバンダナを見ながら、ドロシアは頷いた。
「そう―――――それが貴方の夢なのね」
大きな夢。小さな夢。様々な夢。いろんな夢。これはその中の一つ。
努力によって叶える、夢。
「はい。もっともっと強くなって、大王様のお役にたちたいんです!」
彼が憧れるのは、慕うのは、彼の主君であるデデデ大王だ。
豪快で寛大で心優しい大王の為に尽くしたいと、彼は胸を張って宣言できるのだろう。
揺るぎない意志に誇りを持ちながら。
「この世界にはいろいろな夢があるけれど、私は貴方にその夢を諦めてほしくないわ」
「え?」
きょとんとするバンダナに構わず、ドロシアは懐から一本の絵筆を取り出す。
昔使っていた絵筆とは違う絵筆。
どこにでもありそうなありふれた絵筆だけれども、絵画の魔女である彼女が使えばどんな筆でも絶大な力を得る。
ドロシアは流れるような動作で宙に何かを描き、それを実体化させた。
「わ、わぁ!?」
現実で形となったそれは、バンダナのすぐ目の前にふわりと舞い降りるように落ちた。
それは―――――一本の槍。
今バンダナが使っている草臥れた練習用の槍とはまったく同じ種類であるものの、新品同然の輝きを放っていた。
真新しい鋼色に感動しながらも、慌ててバンダナはドロシアのほうへと向き直った。
「え、これって……!」
「私はあまり武器に詳しくはないけれど、今使ってる槍はじきに折れてしまうわ。練習用なのだから問題ないでしょう?」
「でも、いいんですか?」
「受け取ってくれたら嬉しいわ。夢を追いかける貴方を、私は応援したいの」
軽くウインクをしてみせたドロシアに、バンダナの表情は申し訳なさや混乱でもなく―――――純粋な嬉しさへと変化していった。
抱きしめるようにそっと新しい槍を抱えて、バンダナは凛々しくもあどけなさを残した笑顔で
「ありがとうございます!僕、たくさん練習してもっともっと強くなりますね!」
ドロシアに胸いっぱいの感謝の言葉を贈った。
◆
色の無い、まだ何も描かれてない真っ白な世界で、一人の女の子が眠っていました。
可愛らしい少女。瞼を閉じてすやすやと小さく穏やかな呼吸をしています。
あまり長くない空色の髪、紫を基調にしたドレスを思わせる不思議なデザインの服。
生まれたばかりの、幼き少女。
その少女が薄っすらと黄色の眼を開き、眠たげな意識を覚醒させたのはだいぶ後のことでした。
この世に生まれ落ちた少女が初めて見たものは、何も無い空でした。
起き上がった少女はただぼんやりと、真っ白な空を見上げていました。
空には星も無ければ雲も無く、太陽さえもありません。
じっと白空を瞳に映している幼子の目の前に突然一本の筆が光と共に出現し、ふわりふわりと少女の周りを浮遊しました。不思議な形と色を帯びた、絵筆です。
目覚めたばかりの少女はその筆が物珍しいのかちょっと眼を見開いて
「……おは、よ?」
と、言いました。
舌足らずな口調。鈴の転がるような愛らしい声音でした。
おそらくおはようと言いたかったのでしょう。
声としては聞こえませんが―――――筆がそう彼女に挨拶をしたのですから。
生まれたばかりの少女は当たり前ですが言葉を知りません。
今の彼女は赤ん坊に等しい存在なのです。
普通ならばもっともっと小さな赤子の姿をしているはずですが、この少女は奇異なことに違いました。
そもそも―――――母親の胎から産まれ出でていません。
そこからが奇妙であり奇異であり―――――異常でありました。
彼女は―――――目の前の筆によって作り出された存在である。
だから彼女にとっての母親は、もしかしたら絵筆なのかもしれません。
興味津々に絵筆を見つめている幼き少女。
そんな少女に筆は告げます。
〝ここは貴方だけの世界だから、貴方が自由に描いてもいいのよ〟
その言葉を受けて少女はきょとんとしばし何も反応を示しませんでしたが、やがて一輪の花が可憐に咲くように笑いました。赤ん坊のような無垢な破顔でした。
少女が初めて得たまともな感情は―――――〝嬉しい〟だったのかもしれません。
〝そして、貴女に名前を与えましょう〟
筆は彼女に名前を付けました。
こうして少女と、一本の筆―――――魔法の絵筆の、不思議でいてかけがえのない、永遠と思えるような幸福の日々が始まったのでした。
その少女の名前は―――――☓☓☓☓。
◆
「モウ!コノ星のヤツラってホンットーに機械の扱い慣れてないんだカラ!普通洗濯機でジャガイモ洗うヤツとかイル!?コンセントのコードを縄跳びにして遊ぶヤツがイル!?頭の中まで田舎すぎて危なっかしすぎるんダヨォ!マニュアル渡してもろくに読まなイシ!というか読めてなイシ!」
「お前がいた星の高度な技術との差が目に見えてわかるのサ。ここの星のやつらには何を見せても魔法だ~!って大げさに感動するから」
「うううう……配線トカも無いから、これからボクが発展させていかないといけないんダネェ……やりがいはありそうだけど、骨が折れるヨ……」
城下町のアーケードの更に中心。プププランドで一番大きな広場の木の下で、赤と青のピエロハットを被った者と青色のローブを着た者がお互いの愚痴にも似た本音をぶちまけていた。
青色のほうは何らかの作業をしているのか、幾つかの工具を手にして、黒色の塊のような機械をいじっている。
「マルク。マホロア。こんにちは。二人が揃っているなんて珍しいわね」
「ワア!?」
「ドロシア。久しぶりなのサ」
そこに通りがかったドロシアが現れ、二人の隣にふわりと浮かびました。
「久しぶりねマルク。今回の旅はどうだった?」
「ん~……随分先の銀河まで行ったんだけど、科学光が眩しい都会の星とか機械の星ばっかりで目が痛くなったのサ」
マルク。かつて銀河の大彗星に願った存在。
今はこうして宇宙中を旅し、時たまポップスターにやってくる。
「逆にボクは機械の星が恋しイヨォ。ココは田舎過ぎて何もかもが自給自足ダシ」
マホロア。かつて宇宙を掌握しようと王冠を被った存在。
今はこうしてプププランドで暮らし、人の役に立つためにも星を発展させるためにも機械技師として活動している。
かつて、二人とも―――――この星を支配しようとした存在である。
だけど今はそれなりに楽しく、平和にそれぞれの日々を過ごしている。
昔よりも解放されたと言わんばかりに、自由に束縛も無く生きている。
そこは―――――ドロシアも同じだった。
「そうは言ってもお前相当この星のこと気に入ってるだろ。ここに暮らしてるくらいだし」
「それを言ったらマルクも同じダロォ。しょっちゅう帰ってくルシ」
「それくらい、二人ともこの星が好きってことじゃない」
「う」
「ウ」
和やかなドロシアの言葉に反論できないのか、マルクもマホロアも少々赤面して黙ってしまう。
昔と比べたらずっと正直で、素直で―――――嘘偽りがない。
彼―――――彼らと出会ってこの二人も変わったのだと、ドロシアは改めて把握する。
それはとても喜ばしいことで、祝福すべきことであった。
何かを支配し、奪いし、破壊する夢。それは果たせなかったけれども―――――それ以上の幸福を見つけることができた。
彼らは当初とは違うけれども、本当の夢を叶えることができた。
それがどんなに許されず、望まれないことであっても―――――。
「そういえばドロシア。城でアイツが待ってるみたいなのサ」
マルクの指す〝アイツ〟が誰なのか、ドロシアにはすぐにわかった。
「ええ。ありがとう。また今度旅の話を聞かせてね」
「次いでにお茶も出してくれたら嬉しかったりするのサ」
「わかっているわ」
「マタネェ、ドロシア!」
「またね」
可愛らしくもどこか癖のある笑みを湛えたマルクと、陽気そうに手を振るマホロアに別れを告げながら、ドロシアはまた進みだす。
城下町の半分を越え、あと少しでデデデ城の建つ丘のふもとに辿り着きそうだった。
◆
☓☓☓☓は絵を描くことが大好きでした。
毎日のように真っ白な世界に、絵筆から贈られたクレヨンやら色鉛筆を走らせ、様々なものを描きました。
〝外の世界〟を知らない☓☓☓☓は数多の想像を膨らませ、世界を作って生きました。
空とは何か。
海とは何か。
山とは何か。
湖とは何か。
星とは何か。
風とは何か。
何も知らない無知な少女は、全てを空想しました。知らないからこそ、夢想しました。
そうしてだんだんと絵画の世界を広げ、彩りを与えていったのです。
最初は何一つ存在しなかった世界でしたが、時と共に大地が生まれ、海ができ、空が誕生しました。
〝外の世界〟の本物の景色や自然とはまるで違うけれども、彼女なりに想像してできた―――――世界。
長い長い時の中、☓☓☓☓は成長し、めきめきと画力を向上させていきました。それはそれは〝外の世界〟では並外れた天才として讃えられる領域にまで、進歩したのです。
成長してもまだまだ子供な☓☓☓☓は、絵を描くことを生きがいとし、生きていました。
いつも自分を見守ってくれる母同然の存在である絵筆と一緒に、昨日も今日も明日も明後日も数年後も数十年後も―――――ずっとそうやって、過ごしていました。
それに飽きることも、嫌気がさすことも☓☓☓☓にはありませんでした。
絵を描くことは大好きですし、唯一の家族であり友達である絵筆はいるから寂しくありませんですから。
「聞いて絵筆!あのね。わたしもうあんなものもこんなものも描けるのよ!」
あたりまえのように描いたものを実体化させる能力を駆使して、☓☓☓☓は描いては作り出して、絵筆に胸を張るのです。
絵筆はそんな☓☓☓☓を優しく褒めてあげます。
褒められるたびに☓☓☓☓は幸せそうに笑うのです。子供らしい笑顔で、はしゃぐのです。
そんな☓☓☓☓は知りません。当の本人はまるで知らないのです。
自分が呪いから生み出された穢れでしかないということを一切自覚していないのです。
毎日自分をほめてくれる絵筆が実はただの看守でしかないことを知らないのです。
無論絵筆はどちらの真実も知っています。
知っていながらも―――――一度として教えたことはありませんでした。
最初は不必要だと判断したことでありましたが、だんだんと☓☓☓☓に情に対して湧いてきてしまったのです。
こんなにも心優しい良い子である彼女に、そんな非情な事実を教えてはならないと。
当初は封印が解けないように監視する存在でしかなかったはずの彼女が、今や自分の実の娘のように思えてしょうがないのです。
筆は苦悩していました。
☓☓☓☓を騙し続ける罪悪感に苛まれ、苦しんでいました。
何も知らない☓☓☓☓は笑っています。筆のことを愛しています。そして、それ相応の愛情を求めていました。
〝外の世界〟の子供と変わりない少女。
だけども彼女は―――――世界に害を及ぼす穢れの塊でありました。
だからこそ決して外に出してはいけない。
彼女が遠い未来で死ぬまで、死んで呪いを全て浄化するまで―――――何が何でもこの少女に知られてはならないと、筆は決意したのでした。
この子が絶望に心を狂わせてしまわないように、悲痛に身を引き裂いてしまわないように、何も知らせないまま、幸福のままに生かしてあげようと。
この子を愛するのは自分だけでよいと。自分だけでもこの哀れな少女に出来る限りの愛を注ごうと。
筆は―――――いつしかそう、祈るように決心していました。
◆
ポップスターは全宇宙の中でもとても暮らしやすい環境をしている星である。宇宙の中で一番明るい星であり、美味しい食べ物もたくさんある自然豊かな場所。楽園と言ってもあながち間違いではない。
その中でもプププランドは四季もあり、高度な文明があるとは言えないがそれなりに栄えており、種族の壁が無いため差別も無く、何よりも大抵の者がよそ者に対しても寛大であった。
呆れかえるほど平和な国と、たびたび言われているが、まさにそのとおりである。
呆れかえるほど平和で―――――温厚で穏やかな国。
「あ、ドロシア!ドロシア~!」
向こうからやってくるドロシアを見て、ぴょんぴょんと軽快なジャンプを繰り返し―――――グーイは彼女に跳び付いた。
「こんにちはグーイ。あら、どうしたのそのお花」
優しくグーイを抱きしめたドロシアは、彼の頭に真っ白な野花がついていることに気付いた。小さくて愛らしい花。この丘によく咲いている花の一種である。
「えへへ~。またぁから貰ったです!」
ドロシアははっとした。グーイの少し後ろに誰かの気配を感じたからである。
影。そこには真っ黒の影があった。
影はやがて少しずつ形を作っていき―――――一人の存在を形成した。
「こんにちは、ダークマター」
「久しいな、ドロシア」
長いマントで身を包んだダークマターが、そこに浮遊していた。
ダークマター一族の出である彼にとって昼間の太陽は難敵なのか、眩しそうに目を細めている。
「もう太陽の下に出ても大丈夫なの?」
「一応はな。だが、長時間は無理のようだ。じきに夕方が来るから今は平気だがな」
「またぁ。やっぱり、日焼け止め必要なんじゃないです?」
「……それは関係ない」
ダークマターにグーイ。
ダークマター一族を飛び出し、光の世界で生きることを決意した二人。
闇だけれども光を愛し、日の下で生きていくことを望んだ二人。
様々な苦行が二人の前に立ちふさがったけれども―――――今はこうしてプププランドに居場所を得て、幸福な毎日を送れてる。
光と闇。
本来ならば決して混ざり合えない二つ。対極的で対称的な位置と立場。だけどこの二人はそれを実現させた。
二人は苦しみの中で困難に立ち向かい―――――夢を叶えた。
叶わない夢を願い続けることは決して悪いことではないと、身をもって証明した。
「あのねドロシア。またぁったらせっかく大王から貰った帽子、被らないでずっと飾ってるだけなのです。被ったらいいのに……」
「……」
ダークマターの打ち明け話を惜しみもなく言ってしまうくらいグーイはまだ幼い。ソンナグーイをじろりと冷たい目つきで睨みつけるダークマターもなかなかあれかもしれないが。
「ふふふ。大切なものほど使えないってあるわよね。だけど、ただ飾るよりもちゃんと使ってあげたほうがいいと思うわ。思いが籠った贈り物は使うからこそ、意味を成せると思うの」
「……考えておく」
素っ気なく言うダークマターだが、妙に照れくさそうなのは気のせいだろうか。
何となく彼の意図をわかってしまったドロシアは、くすくすと清楚に笑ってみせた。
「それじゃあ私はお城にいくわ。また会いましょうグーイ。ダークマター」
丘の上にグーイを下ろすと、グーイは名残惜しそうにぴょんと跳ねて「また遊ぼうです!」と舌足らずな声で精一杯に声を発した。
ダークマターは口を開かず、ドロシアとのすれ違いざまに―――――凛とした声で問うた。
「お前の願いは叶ったのか?」
その問いに対してドロシアは驚きに目を見開くが、すっと瞳に温和な色を湛え
「ええ―――――だから私も幸せよ」
正直な心のまま、顔を綻ばせたのだった。
◆
「うそつき」
舞台の上の喜劇のように、よくできた幸福の物語は終焉を迎えました。
☓☓☓☓は真実に辿り着いてしまいました。誰も望まない最悪の形で。
☓☓☓☓は気づいてしまったのです。わかってしまったのです。知ってしまったのです。理解してしまったのです。把握してしまったのです。実感してしまったのです。
自分が穢れた化け物であるということに―――――ようやく気づいてしまったのです。
始めは疑問でした。疑問はやがて好奇心に変わり、好奇心は驚愕へ変わり、驚愕は逃避へ変わり、逃避は絶望へと変わり、絶望は―――――憎悪へと変貌を遂げました。
☓☓☓☓はこんな自分を生み落とし、〝自分たち〟を捨てた〝外の世界〟を憎み、呪いました。あれだけ憧れ、恋い焦がれていた世界に対して心を豹変させてしまったのです。
そして〝外の世界〟を想像して創り上げたこの世界―――――言うならば彼女の世界さえも☓☓☓☓は恨み、ありとあらゆる負の感情をぶつけました。
彼女の世界はたちまち濁り、汚れ、淀み、あっという間に狂気に満ち溢れた壊れた世界と化してしまいました。
それを実行し、猛り狂う心を制御できなくなってしまった☓☓☓☓はだんだんとその身を崩れさせていき、ずっと隠し守られていた見にくい本性を露わにしてしまったのです。
その姿はどこからどう見ても紛れも無く―――――化け物でした。化け物以外の何ものでもありませんでした。
「みにくい。みにくい。わたしはみにくい。みにくいからすてられて、みにくいからあきられて、みにくいからわすれさられた。たくさん。たくさん。みんな。みんな。わたしを。すてた」
☓☓☓☓の絶望は底知れず、彼女の世界どころか〝外の世界〟まで歪んだ力は零れ出始めてしまいました。
絵筆は困惑し、焦燥感に駆られ、悲痛に打ちひしがれました。
守るべきだった世界。大事な大事な子。娘同然の愛しい子。哀れで醜い―――――最愛の子。
永遠に気づかせてあげたくなかったのに。真実に辿り着かせたくなどなかったのに。あの子はあのまま何も知らず、無垢のまま笑っていてほしかったのに。
全てはもう手遅れでした。
☓☓☓☓は完全に自分を見失い、絵筆にも止められないほどの力を発揮して暴走を開始しました。
何千枚もの絵画の怨念を溜めこんで誕生した☓☓☓☓は、膨大な憎悪に身も心も支配されてしまったのです。
一度解けた封印は、そう簡単には戻せない。
☓☓☓☓が悲しげに哄笑しながら言った言葉―――――願った憎しみは
「わたしをすてた、あのせかいにふくしゅうしよう!そしてそのままなにもかもわたしのものにしてしまおう!えいえんにわたしをわすれさせないためにも!えいえんにわたしをみてもらうためにも!ぜんぶぜんぶわたしのものにしてしまおう!」
◆
せっせと働くワドルディ達の足音が忙しなく響いてくる。
すれ違うたびに一人一人見分けのつかないワドルディが律儀に挨拶をしてくるので、ドロシアは「この城には本当に何人のワドルディがいるのかしら?」と興味本位に数を数え始めていた。
1、2、3、4、5、6、7、8、9、10……。
10以上のものは〝たくさん〟に分類されてしまうとかしないとか聞くが、はたしてどうなのだろう。
少しばかりこんがらがりそうな頭の中で城内を行きかうワドルディ達を数え、彼の働きぶりを移動しながら観察していると
「こんにちは。ドロシア」
突然声をかけられた。
友好的な様子であるため、敵などではない。声音ですぐにわかる。そもそも今のプププランドにドロシアと敵対する者は基本的には存在しない。
―――――かつて敵対関係であった者はいるけれども。
ドロシアにとってこの者は―――――過去では永遠に分かり合えない敵であっただろう。
「こんにちは。メタナイト」
デデデ城の廊下で偶然鉢合わせた二人は、お互いに紳士的に、おしとやかに会釈をした。
「一つ尋ねたいことがあるのだけどいい?」
「構わないが」
「この城のワドルディはいったい何人いるの?」
「…………」
数十秒。もしくは数秒黙したメタナイトは少々困惑しながらも解答した。
それは答えには程遠いものだったけれども。
「たくさんだ」
「たくさんなのね」
おっかしい、とドロシアは吹きだしてしまう。
罰が悪そうなメタナイトにはちょっと申し訳なかったかもしれない。
「すまない。詳しい数は私にもわからない」
「意外だわ。貴方にもわからないことがあるのね」
「買いかぶり過ぎだ。私にだってわからないことは山ほどある」
「それじゃあ誰ならワドルディの数を答えられるのかしら。デデデ大王様とか?」
「いや、おそらく―――――間違いなくあの方でも答えられないだろう」
「……城の兵士や召使の数とか把握できてないって、結構やばいんじゃないのかしら」
結構どころではない。国の要でもある城内の管理がしっかりと行えていなければ、何らかのハプニングが発生した時に大変な騒ぎになってしまうに違いない。はたしてこの城がプププランドのかなめであると言えるのかどうかはまた別の話だが。
「何とか解決したいのが本音なのだが、ワドルディ達の数があまりにも多すぎて」
「多すぎて?」
「―――――中庭も会議室も入りきらない」
「あらら」
それじゃあ集計しようがない。話を聞く限りだとワドルディ側も自分たちの身内が何人ここに勤めているのかを把握しきれていないようであるし、問題は山積みだった。
「それじゃあ海岸のほうで数えないとダメね……」
「各ワドルディとの予定調整も合わないのもあるが、そもそも大王様が集計に賛成していない」
「あら、どうして?」
「〝いちいち数えるなんて面倒だ!ワドルディはワドルディなんだからたくさんでいいだろ〟だそうだ」
「ふふふ。あの大王様らしいわね」
もしかしたら案外デデデ大王は、ワドルディの数を全部把握しきっているのかもしれない。あくまでドロシアの憶測で、予感だったが。
「貴女はこれからどこにいくんだ?」
「いつものところよ」
「ああ、わかった」
いつものところ、だけでドロシアの向かう先がわかったメタナイトは、そのまま一礼をして踵を返した。
「途中に大王様がいるだろうから一度挨拶するといい」
「ええ。ありがとう」
ドロシアはふと思う。
そういえばメタナイトは前にプププランドに侵攻して、ここを制圧しようとしたことがあったのだっけ。
風の噂、もしくは誰かから直接教えてもらった情報だったような気もするが、ドロシアには曖昧な記憶だった。
だけども今のメタナイトには、力で物事の問題を解決しようとするような人ではない確信があった。
なかなか手厳しい剣士だけれども、彼も皆と一様にプププランドを愛しているのだろう。
少し話しただけでもわかる。気配だけでも、簡単に察せれる。
「意外と単純なのね」
自分にしか聞こえないくらい小さく呟いたつもりだったのだが、後ろから「おかげさまでな」という声が聞こえたような気がした。
◆
―――――そして☓☓☓☓は外の世界に飛び出して、全てを自分の絵画にしてしまおうと暴走するがままに力を使い始めました。
一番最初に彼女が手を出したのは、とある呆れかえるほど平和な星でした。
あっという間にその星は☓☓☓☓に掌握されてしまい、現実味のない世界へと変貌を遂げてしまいました。
そんな世界で球体に変えられてしまった、ある一人の戦士がいました。
戦士はとても強く、とても食いしん坊で、とてもマイペースで、とても優しい、そんな人柄をしていました。
その戦士を見つけ出した絵筆は、最後の手段にでました。
この戦士に協力してもらい、ドロシアを額縁の中に封印しようと考えたのです。彼女を封印するということはすなわち溢れ出てしまった絵画の怨念や、絵画の世界そのものをもう一度抑え、一つに戻すことに等しいのです。
このまま放っておけば外の世界も絵画の世界も大変なことになってしまう。それを食い止めるにはもうその方法しかありませんでした。
絵筆は戦士を導き、そして懇願したのです。
「どうか哀れなあの子と悲しいこの世界を救ってください」と。
戦士は絵筆と共に絵画の世界を旅し、やがては最深層に到達しました。
そこに待ち受けていたのは、心を壊してしまった魔女だけでした。
彼女は彼女自身の力で、彼女の世界を歪めてしまいました。
自分を制御できなくなった☓☓☓☓に、戦士は挑みました。
挑み、戦い、突き進み―――――戦士は☓☓☓☓の悲しみに触れました。
戦士は言うのです。
☓☓☓☓に語りかけるように、説得するように、慈悲をかけるように、言うのです。
「寂しいならぼくのところにおいでよ!プププランドは皆のものだから渡すことはできないけど、分かち合うことはできるよ!」
星のような笑顔を浮かべて。
◆
「おお!ドロシア!ちょうどいいところに来たな」
デデデ城の中央辺りに位置する階段を上がっている最中に声をかけられ、ドロシアは声の聞こえたほうに顔を向けた。階段の上。踊り場部分である。
そこには―――――ワドルディを何人か連れて台の上に乗って、額縁を手にしているデデデ大王がいた。
「こんにちは大王様。何をしているの?」
「見てわかんねぇのか?お前が前にくれた絵を飾ってるんだよ」
「私の絵を?」
大王が壁にかけようとしている絵画は、確かにドロシアが描いた作品の一つだった。日頃の感謝をこめて大王様にプレゼントした、プププランドの風景画。紙に描かれた世界はシンプルだけども真新しい額縁にしっかりと収められていた。
「大王様怪我すると危ないですからぼく達がやりますよ~」
「これくらい俺様独りでできるわい。それにこの台そこまで高くな……うおおう!」
ワドルディ達を制した大王であったが、台のバランスはかなり悪いのかぐらぐらと危うい揺らめきを見せる。慌ててワドルディ達や反射的にドロシアもその台の脚を支え、何とか安定を保させた。
「この台、そろそろ変えないとまずいな」
「こちらの台は最近取り替えたばかりですよ?」
「大王様もしかして―――――お太りになったんじゃ」
「ば、馬鹿なこと言ってんじゃねえ!……そういえば腹の辺りが妙に重たいような……ま、まぁいい!それよりもドロシア。こう飾ってみたんだが作者のお前からしてみたらどうだ?」
にかっと豪快に笑う大王が指さす箇所に飾られた一枚の絵画。ここに飾れば、城の者や来客の目に必ず止まる。大王はそうなるように配慮してくれたのだろう。
「そうね」
泣きそうなくらいの嬉しさを抱えながら、ドロシアは穏やかに微笑んで感想を述べるのだった。
「これならもう、寂しくないわ」
◆
神様。
もしも神様が存在するのなら、こんなわたしにも目を向けてくださるのなら。
わたしは何のために生まれていたのでしょうか。
何のために生きて、何のために存在して、何のために絵を描いていたのでしょうか。
全て無為でしかないのなら、全部無駄でしかないのなら、何もかもが意味をなさないのなら。
わたしが今までしたきたこと何もかもが、過ちであり無謀で愚かなことでしかないなら。
わたしは一体、何を望み夢を描いてきたのでしょうか。
自分のために、自己満足のために、自分を少しでも幸福にするために、自分を少しでも守るために、夢想と想像と理想の世界を創っていたというのに。世界に憧れて世界を夢見て檻の中で筆をはしらせる。
馬鹿馬鹿しいことだと言うのですか。無様だと、哀れだと言うのですか。
だって、わたしにはそれしかなかったんです。
わたしにはそれしかなかったの……。
羨ましい。
妬ましい。
憎い。
苦しい。
痛い。
破裂してしまいそう。ズタズタになってしまいそう。跡形もなく消えてしまいそう。胸が張り裂けてしまいそう。体がおかしくなってしまう。形が無い。保てない。消える。消えちゃう。嫌だ。嫌だ。嫌だ!
誰かを妬むのも恨むのも憎むのも嫉むのも、世界を呪うのももう嫌なの!
でもダメなの。ダメなの!呪っていなければ私、潰れちゃう。
汚いわたしがもっと汚れていく。
憎悪を吐き出さないと死んじゃう。飲み込めなくて食べることもできない。
笑いたいのに。何も知らなかったあの頃のように。
幸せだって。わたしは世界で一番幸せなんだって。教えて。囁いて。証明して。暗示して。
わたしがわたしらしくいる魔法の呪文がそれだったのに、どうしてこんなに濁った色をし始めたの?
ああ、きっとわたしがダメだからね。
ダメ。ダメ。汚いバケモノ。
わたしは。わたしなんて。わたしなんか。
わたし(世界)はわたし(穢れ)なんて
いらないの。
タスケテ―――――。
ワタシ、コンナニモ、サビシイ―――――。
◆
―――――彼とお話をする時間はあまり長くは無いけれど、それは彼女にとっては充分に楽しみで充実した時間でもあった。
到着したのは、ある一室だった。特に豪華などということの無い、普通の部屋。
いつものように扉を開けると、そこには彼がいつものように待っていた。
「こんにちは。ドロシア」
「こんにちは。カービィ」
星の戦士―――――カービィはドロシアを待ちかねていたと言わんばかりの勢いで立ち上がって、彼女に近づいた。
カービィに手を引かれ、ドロシアも一緒にソファに腰かける。
「やけに遅かったね。どうかしたの?」
「今日はいろいろな人に会ったの。バンダナワドルディにもマホロアにもマルクにもダークマターにもグーイにもメタナイトにもデデデ大王様に会ったのよ」
「すごいね。ぼくも外に行けばよかったなぁ」
「そういえばねカービィ。私今日不思議なことを思い出したの。思い出したというか、思い浮かんだ?」
「なに?」
「私は絵筆以外に身寄りがいないかと思ってたんだけれど、そうじゃなさそうなの。朧気な感じだけれども、兄弟がいたような気がするの……」
「ドロシアの家族?」
「いるわけがないのでしょうけれど、でも、いたような気がするの。何故か急に、そんな気がしたの」
「いたとしたら、お兄さんとか?」
「妹か姉がいいわ。女同士がいいわ!絶対に!」
「そ、そっか……」
目の色が変わったのは気のせいだったのだろうか。
「ごめんなさい。唐突に変なこと言いだして」
「ううん大丈夫―――――家族、いたらいいね」
「ふふ。でも、私にもちゃんと家族はいるわよ―――――絵筆は、私の大切な家族だから」
今はもう、ここにはいないけれど。
でも、確かに自分の傍にいた。
それだけは、決して忘れない。
「見て、ドロシア。空が綺麗だよ」
カービィの目線は窓の外に向かっており、空は夕刻を知らせる茜色に染まっていた。
温かな夕焼けの天空。あと少しで星々が降りて、夜の世界が天蓋に広がるだろう。
単色では生み出せない幻想的で美しい色。自然の色。誰かが描いたわけではない、この世界そのものの色。原色。
プププランドの人々も自分たちと同じように、この空を見上げているのだろうか。
一つの大きな作品を見つめるように、目を向けているのだろうか。
誰も独りぼっちではないのだと、空に伝言を送るように。
「ええ―――――綺麗ね」
夕暮れの空は、綺麗だった。
心から綺麗と思える、かけがえのないものを大事に包み込んで守ってくれているような空が、ドロシアにはたまらなく素晴らしく壮大なものに思えた。
「外の世界の空は、こんな色にもなれるのね」
いつ見ても、何度見ても、胸を打たれる。
懐かしい気持ちと共に、愛しさが湧き上がってくる。
「―――――ありがとう」
隣でカービィがきょとんと身を傾げる。
「ありがとう、カービィ。私を連れだしてくれて。私に世界を教えてくれて。本当に、ありがとう」
ああ、なんだ。
カービィは晴れやかに破顔して、ドロシアの服の裾をぎゅっと握った。
「私はこの世界が好きよ」
「うん」
「だからもう、独り占めしたりなんかしないわ」
「うん」
「だって、私の夢はもう―――――叶ってしまったんだもの」
空はそこにあって
風もそこにあって
海もそこにあって
森もそこにあって
川もそこにあって
雪原も砂漠も草原も何もかもがそこにあって
命もそこにあった。
偽物でもなく、作り出したものでもなく、〝本当〟がそこにはあった。
「だから泣かなくたっていいんだよ」
「ふふふ。絵画だって時には泣きたくなるものよ」
「初めて聞いたけどそれ」
「初めて教えたのよ」
私は幸せよ。
ありがとう。
たくさん迷惑をかけてごめんなさい。
私に色を与えてくれてありがとう。
私に絵を与えてくれてありがとう。
私に世界を与えてくれてありがとう。
私に名前をくれてありがとう。
だからまだ、絵を描いていられる。
◆
「大丈夫だよ」
星の戦士は☓☓☓☓をそっと抱きしめながら言うのです。
「大丈夫。誰も君を傷つけたりなんかしないよ。今まで気がつけなくてごめんね。ごめんね。一緒に行こうよ。もう、寂しくなんかないよ」
醜い☓☓☓☓はその言葉にドロドロの涙を零して、声を上げて泣きました。生まれたばかりの赤子のように、わんわん泣きました。
ごめんなさい。
ごめんなさい。自分は取り返しのつかないほどひどいことをしてしまった。
ごめんなさい。寂しかったの。誰かに気づいてもらいたかったの。誰かに見てもらいたかったの。私を―――――私たちを忘れないでほしかったの。
「魔法の絵筆。ぼくはこの子と一緒に帰るよ。封印しないであげて。この子はただ寂しかっただけなんだよ」
星の戦士は絵筆に言いました。
しばらく黙って、絵筆は決断しました。決意しました。
―――――この子を貴方や、貴方の仲間たちがいつまでも見守ってくれると約束してくれるなら。この子に本当の世界を教えてくれるのなら。
星の戦士はそのお願いを聞き入れ、約束をしました。
すると絵筆は突然眩い光を放ち始め、星の戦士にありがとうとお礼を言いました。
絵筆は自身の力をすべて使い、絵画の世界の名残を封じ込めようとしました。☓☓☓☓を外に出すために、今まで絵筆が制御してきていた絵画の怨念をもう一度違う形で結集させ始めたのです。
その代償に、絵筆自身が消失してしまうけれども。
☓☓☓☓は泣きました。
一緒に行こうと言いました。
一緒には行けないと絵筆は言いました。
もともとは全て自分がいけなかったのだと。いつかはこうなるのだとわかっていたから―――――絵筆は安堵しながら虚空に筆を走らせました。
大事な大事な娘を送りだし、彼女が幸せになる道筋を見つけられた。それだけで絵筆は満足だったのでしょう。
さよなら。
どちらが言った言葉だったのでしょう。
悲しい悲しい、だけども幸福の始まりでもある―――――別れの言葉でした。
いつしか絵画の檻は取り外され、硝子のように割れ、二つの世界が頬を寄せました。
視界一杯に飛び込んできた赤色の壁―――――それは壁ではなく、空でした。赤色の空。茜色の夕焼け空でした。
涙に濡れながら、☓☓☓☓は驚きを露わにぽつりと零しました。
「これが本物の空の色なのね」
星の戦士も空を見上げてこう続けました。
まだまだ世界にはたくさんの色があると。君もぼくも知らない世界が待ってるからと。
「きみの名前は?」
星の戦士は☓☓☓☓にそう尋ねました。
☓☓☓☓はぽろぽろ涙を流しながら、空を瞳に映したまま―――――大好きな絵筆の感触を思い出しながら、言いました。
「ドロシア」
こうしてドロシアは、初めて〝世界〟に誕生したのです。
―――――ドロシア・ソーサレスは世界(ここ)にいる