自分を大切にできない絵画と蜘蛛のお話
※若干ペインシア→タランザ気味?
―――――
ペインシアは己が何故生まれてしまったのか、何故自我を得てしまったのかを見当付けることができなかった。
意識を持つようになったのはいつからなのか、詳しい月日は彼女自身でも覚えていないが、遠い昔からだということは何となく察しがついている。
気がつけば彼女は意思というものを会得し、思考や判断することができるようになっていた。
でも、どうして?
どうして私は私を私と認識できるの?
どうして私は私以外を私ではない別のものと認知できるの?
ペインシアは一枚の絵画だった。
名も顔も覚えていない画家に描かれた作品の内の一つである。
絵画は普通、心を持たない。しかしペインシアは違った。例外的に、奇跡的に、運命的に、自我が芽生えてしまっていた。
絵画だけれども生き物のように魂を持ち、確かに生きていた。
意志はあるけれども絵画の身であることは変わりないので、ペインシアは喋ることも動くこともできなかった。それはひどく退屈なことであり、もどかしいことでもあった。
どんなに愉快なことが起きても、どれほど素晴らしいことがあっても、ペインシアはただそれを額縁から眺めるしかないのだから。
古い時代の作品であるペインシアは世間的には価値あるものに分類されており、世界各地の富豪やコレクターが彼女を求め、売られては買われ、また売られてはまた買われ、気が遠くなるような年月の間で数えるのを諦めるほど多くの人々の元を転々とした。
人々がどんなふうに自分を鑑賞するか、そしてどんな感想を言うか、ペインシアにはわかりきってしまっていた。それほど数多の目が彼女を見つめてきたのだ。
絵画としての生業、存在意義はこれ以上にないほど果たせているが、ペインシアは一向に喜ばしいことだと思えなかった。
彼女は飽きてしまっていたのだ。いつまでも変わりばえのない日々に。面白みのないモノクロな毎日に。
だからと言ってこんな人生がつらいだとか、全てを投げ出したいなどという思いは一切なかった。
彼女は一つの望みを抱いていた。
それは、彼女の姉のことである。
実はペインシアは描かれた時から一人ではなく、本当はもう一人自分と一緒に描かれた存在がいた。
それが彼女にとって唯一無二の姉。
今からずっとずっと昔、ペインシアが自我を持つ前に、ペインシアと姉は生き別れてしまった。
二人で一つの作品だったはずなのに、不幸なことに二人は分かれ、別れ、二つになってしまった。
それ以来姉とは一度も巡り会えていない。
「姉さまはどこにいるの?」
彼女が自分や世界を認識できるようになってすぐ覚えたことは、紛れもなく姉のことであった。
どうして離れなければいけなかったのだろうか。
ずっと一緒にいたかったのに。
私たちは離れてしまい、不完全な作品になってしまった。
何も知らない人々は、独りの私を見る。
不完全な私を見て、満足する。
馬鹿みたい。
「姉さまを、探さなくちゃ」
ペインシアは探し続けていた。
自由に動けず声も発せない不便さを強いられていたけれど、いろんな人が彼女を手元に置きたがるので必然的に様々な場所にいける。
それを利用して、その限りを尽くして、ペインシアは姉の絵を探した。
姉の存在は朧げではあるけれど、一目でわかる自信は絶対的にあった。
「姉さま。姉さま。私のたった一人の姉さま」
いつか必ず見つけ出します。
早く姉さまと一つになりたい。
そうすれば不完全ではないし、寂しくもない。
だから、待っていて。
時計の針は止まることなく回り続け、二度と戻らない時を刻んでいた。
◆
また時が流れた。
ペインシアはついに地上さえ離れ、天空にまで来てしまっていた。
大空の雲の上にある浮遊大陸フロラルドの中にあるロリポップランドという奇妙な地で、彼女はサーカス団が作った不思議な街のとある館に飾られていた。
メルヘンチックでファンタジック。サーカス団に引き取られたペインシアはそこそこ物珍しさに暇を潰していたが、ある時を境にサーカスの公演は行われなくなってしまった。
ペインシアは噂話しを好んでおり、退屈を紛らわせるためにも風の噂を聞くのは必須なことであったため、公演が行われなくなった原因を知っていた。
どうやらこのフロラルドに強大な力を持つ存在が侵略し、独裁政権ならぬ絶対王政を始めてしまっただとか。
そのためサーカスはできなくなってしまい、ここで暮らしていた者達やサーカスを楽しみにしていた妖精たちも皆どこかに逃げてしまったのだ。
結論から言えば、ペインシアは独り置き去りにされた。
別に寂しいとは思わなかったけれども、一気に退屈になってしまったことだけが不服だった。
この大陸がどのように支配されようとも、蹂躙されようとも関係ない。構わないとさえ思っている彼女なのだから。
「でも、私燃やされたりしちゃったらどうしよう。乱暴に扱われても嫌だわ」
ただ一つ心配なのは自分の身だけだった。それさえ保障されれば完璧である。
「あーあ。この大陸にも姉さまはいないみたいだし。噂一つ聞かない。ここは居心地がいいけどそろそろ移動したいわ。誰か違う場所に連れて行ってくれないかしら」
もしもペインシアが絵画ではなく実体を持つ存在だったとしたら、やれやれと憂鬱気に溜息をついていたことだろう。
「退屈だわ」
「退屈?外は大騒ぎだっていうのに随分と呑気なのね」
「!」
誰にも宛てていない呟きだったのに、それに対する返事をされてペインシアは大いに驚いてしまう。
「こんにちはなのね。絵画さん」
ふわりとペインシアの前に見たこともない者が細い糸を伝って降りてきた。
外見はなかなか不気味で、悍ましい蜘蛛の姿をしているが、声音は可愛らしく底が知れなかった。
「貴方、私の声が聞こえるの?」
「聞こえるとも聞こえるとも。手に取るようにはっきりとわかるのね―――――だけど絵画が喋っているのを見るのは初めてだなぁ」
にっこりと笑う蜘蛛が異様であったが興味深くもあり、ペインシアは初めて自分と意思疎通ができる存在に出会い、一種の感動さえ覚えていた。
「私と話せる人なんて初めてだわ。私はペインシア。貴方は誰?」
「タランザは、タランザ!」
タランザ。そう蜘蛛は誇らしげに名乗った。
「タランザね。変な名前」
「失礼な!この名前は我が敬愛する女王様がつけてくださった名前なのね!」
「女王?―――――あぁ、そう。貴方たちがこの大陸に侵略してきたやつらね」
タランザの正体をいち早く見抜いたペインシアは、なかなかにして聡明だった。
タランザは吃驚したようで、奇異な目を大きく見開いた。
「なんだもう知ってたのかい。だったら何でこんな場所で呑気に飾られてるのね?」
その言葉にかちんとしたペインシアは、思わず口調を荒くしてしまう。
「うるさいわね好きで飾られてるんじゃないわよ。私は絵画だからここから動けないのよ」
「そりゃあまぁ、御苦労さまなのね」
哀れみの目を向けられそうになったので、ペインシアは「ああもう、やめてやめて」と静止させる。
「同情は結構よ。それよりも貴方はここに何の用?金目のものならそこの戸棚の奥の窪みに―――――」
淡々と金目の物の在り処を説明し始めるペインシアに、タランザは慌てて首を振る。
「いやいやタランザは泥棒じゃないのね!」
「弁解みたいに聞こえるのだけど……」
「だから違うって!金銀財宝を盗むならもっといいところにいくのね!」
ちなみに後でちゃんと説明するのだが、タランザはロリポップランドにちょっとした偵察と調査に来たようである。
脱走しようと人を捉える作業だとかなんとか。結構地味なことをしにきている。
「まぁそれもそうね。だいたいのものはサーカス団の連中が粗方持っていったみたいだし」
他人事のように言うペインシアは少々めんどくさそうで、タランザははてなと首を傾けた。
「キミは一緒に持って行ってもらえなかったの?」
「残念ながら置いてきぼりよ。飾り物を運びだす余裕はあんまりなかったみたいね」
つまりは放置。悪く言えば、捨てられたようなもの。
今までにもいくつかこのような経験はしているので、ペインシアにとっては慣れたことだった。
絵画は鑑賞する物であり、実用性があるわけではない。幾ら価値があってもかさばるだけでは意味がない。
不必要な絵画は捨てられ、運が良ければ新たな持ち主によって飾り付けられる。
それは宿命であり、普遍的なことである。
「そうか。じゃあタランザがキミを見つけなかったらキミはずっとここで独りぼっちだったのね」
「そういうことになるわね。あ、独りぼっちが寂しいとかそういうのは特にないから」
あっさりと言ってのけるペインシアの声は、悲愴の色にも悲痛の色にも染まっていない。かなり軽い声の調子だった。
「キミって随分ドライなのね……」
「あら、そうなの。私、貴方の他に話せた人は一人しかないから、よくわからないわ」
「へぇ、誰だろう」
「私の姉。姉さまだけ」
「絵画に姉妹関係とかあるの!?」
タランザが驚愕した点はそこだったようだ。
「あるわよ。だって私達はもともと一つの作品だったのだから」
「一つの作品?でもここにはキミしかいないのね」
「今は一緒じゃないの。遠い昔、離れ離れになってしまったの。どうして引き離されてしまったのかは覚えていないけれど」
「そうなのかい。お姉さんはどんな人?」
「とても優しくて、素敵で、綺麗で、素晴らしい人よ!」
自信満々に嬉しそうに自身の姉を語るペインシアの様子は、心から姉を尊敬しているのだということが一目瞭然だった。
「優しくて素敵で綺麗で素晴らしい人ねぇ……キミにとってもそういう人はいるんだね」
「あら、貴方にもいるの?」
「うん。でも、キミと違って離れてはいないね」
「ふぅん。羨ましいわ」
「だけど―――――近づくことはできないのね」
「?―――――変なの。離れていないのならば、近づけるのに」
ふっとタランザの表情に一瞬だけ影が落ちたのを、ペインシアは見逃さなかった。
だけども特に気にする必要もないかと思い、そのまま話しを続けることにした。
「ねぇタランザ。貴方は私の姉さまを知らない?」
「キミのお姉さん?う~んわからないのね。タランザはキミという絵があることをついさっき知ったばかりだし、お姉さんのことなんてわかるわけないのね」
「そりゃあそうよね。一応聞いてみただけ」
「キミはお姉さんを探しているの?」
「ええ。いつかきっと、見つけてみせる。そして元の一つの絵画になるの。不完全のままは嫌だし、姉さまに会いたいもの」
一生離れ離れなんて認めない。
ペインシアは恍惚そうに「だって」と言葉を紡ぐ。
「私は姉さまのモノで、姉さまも私のモノで、私も姉さまも同じモノなんだから!」
「……そっか」
その発言はどこかおかしい。
そんな指摘は、タランザはしなかった。しない。するわけがない。できるわけがないのだ。
わかるわけがない。絵画の事情など。
だけど―――――狂おしいほど相手を思う気持ちは、共感できたかもしれなかった。
「キミはこのままここにいるのね?」
「見てわからない?私はポルターガイストでも何でもないんだから、誰かに運んでもらわないと動けないのよ―――――それとも貴方が私の所有者になってくれる?」
少しばかりきょとんとして、タランザはペインシアの黄色の瞳をじっと見つめた。
「いいの?」
「構わないわよ。だって私は絵画だから、所有者を選べないもの」
タランザはしばし黙し、悩み、やがて答えを出した。
「―――――今はやめておくのね」
「そう。この大陸の経済はよくわかってないけれど、高値で売れるかもしれないわよ」
「今のこの大陸に経済も流通も何も無いのね」
「ふふふ、そうよね。貴方たちが大陸をめちゃくちゃに牛耳ってるんだものね」
単刀直入でストレートな物言いに、タランザは反論できなかった。
それどころか返す言葉が無さ気に、顔を曇らせた。
そんな表情をされたら、まるで自分がひどい言葉を投げつけてタランザを傷つけてしまったかのようで、ペインシアは極まりが悪くなってしまう。
「―――――今、キミを持って行って〝あの方〟に捧げても、お気に召してもらえるかどうかわからない。キミだって、燃やされたり破られたりしたくないだろう?」
あの方は、女王様のことだろう。
「何、女王様ってそんなに怖い人なの?貴方もしかして暴君な女王様にこき使われてるの?」
「女王様を暴君呼ばわりしないでほしいのね!」
突然大声を出され、ペインシアは仰天してしまう。
「ご、ごめん。だけど女王様のことをあまりひどく言わないでほしいのね」
「……ええ。気をつけるわ」
ペインシアは―――――あまり深くそちらの面には関わらないようにした。
「それじゃあタランザはもう行くのね。キミは―――――動けないなら女王様に反旗を翻せないから、見逃してあげるのね」
「反旗を翻すも何も、本当にどうでもいいのだけれどね」
屋敷から出て行こうと背を向けたタランザに、咄嗟にペインシアは声をかけてしまう。
「ねぇタランザ。よかったらまた来て。私、退屈なの。退屈で死んでしまいそうなの」
「生憎だけどタランザは忙しいのね」
「何よ。最初に話しかけてきたのはそっちなのに。女性との交流を一方的に切るってどういうこと?」
「えええぇ……そういう問題なの……?まぁ時間があったらまた来てあげるのね」
「ふふ、ありがとう」
貴重な話し相手を見す見す手放すわけにはいかない。
ペインシアは本当に退屈に殺されかけているのだから。
「あと、私の姉さまを見つけたら教えて。優しくて素敵で綺麗で素晴らしい人だから、すぐにわかるわ」
「優しくて素敵で綺麗で素晴らしい人ね……」
―――――タランザとは大違い。
蜘蛛の小さな呟き声はたちまち床に吸い込まれ、誰の耳にも届かなかった。
◆
タランザは己が何故生まれてしまったのか、何故こんなにも醜く生まれてしまったのかを見当付けることができなかった。
全てから毛嫌われ、拒絶され、否定され続けた彼は、生まれた時からずっとこれがあたりまえなのだと受け入れざるを得なかった。
美しい女王に命を救われ、親しくしてもらうまでは不幸のどん底に沈んでいた。
友達を得たタランザは幸福だった。今までの幸薄な日々が嘘のように、日常は幸せに温かく包み込まれた。
このまま永遠に続くかと思われた毎日であったが、ある時を境に打ち砕かれた。
美に心を奪われ、魔性の美しさを求め狂うようになってしまった女王を、タランザは愕然としながらただ見ていることしかできなかった。
止めたい。だけど止めるわけにはいかない。
これはあの方が望んでいることであり、自分が邪魔する権利などない―――――!
心の奥底でこんな惨劇が起こることを予期している自分がいた。
自分の幸せなどあっという間に終わってしまうのだと。
わかっていた。でも、わかりたくなどなかった。
〝醜いタランザ。我の命令に決して逆らうな〟
ああ、でも駄目だ。
耳をふさぐ手は複数あって気持ちが悪い!
気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い!
わかりたくないけれど、わからなくてはならないだなんて―――――!
蜘蛛が蝶を食べてしまう。
繊細な翅を千切っては、二度と羽ばたけなくさせてしまう。
逃がさないよう糸に絡めては身動きを取れなくさせ、永遠に自由を奪ってしまう。
「生きるためには仕方がない行為なのに、どうして責め続けられないといけないのだろう」
絵本の表紙を閉じて、タランザは笑った。ひどく自嘲気味な、悲しげな笑みだった。
長い間誰にも読まれず、本棚の奥にしまわれていたその絵本は相当古いもので、だいぶ黄ばんでしまっていたり、表紙の色も薄れてきてしまっていた。タランザが軽く手入れしたので少々マシにはなっているものの、染みついた汚れは拭いきれそうになかった。
絵本の題名は不思議な特殊言語で印字されているためほとんど解読できなかったが、表紙には一匹の蜘蛛と蝶が描かれていたため、虫の物語であるということは予想できた。
美しい蝶に恋をした、悲劇の蜘蛛のお話。
蜘蛛の恋は永遠に叶わず、一生報われず、いつまでも飢え乾いたまま―――――そんな悲愴の物語。
タランザはこの話が好きではなかった。むしろ、大嫌いだった。
遠い昔に一度だけ読んだ絵本をもう一度読み返してみたけれども、昔抱いた感想と変わらない思いしか沸かなかった。
「醜い存在は幸せになれない」
どんなに頑張ったところで
どんなに努力したところで
どんなにもがいたところで
どんなに足掻いたところで
誰かの為に、自分の為に、精一杯尽くしても、望みに応えようとしても、決して報われない。
蜘蛛は様々な物語に登場するけれど、明るい役柄を与えられていることは無い。ほとんどは悪役、もしくは不運な命運を背負わされる役を架せられてばかりである。
「それなら、醜い存在は生きていたらいけないの?」
絵本を床に置き、タランザは問いかけた。そこにはタランザ以外には誰もいないので、返事をしてくれるものも必然的にいなかった。
「誰が醜い存在を作り出したの?」
タランザは自身の体を見下ろした。
多数の手に鋭い牙。醜悪な体に禍々しい目。綺麗な存在とは到底呼ばれない、忌み嫌われてしまう姿をしていた。
自分が醜いということを、タランザ自身が一番よく理解していた。痛いほどわかっていた。
「こんな自分、すぐにでも捨ててしまいたいのに」
自分が自分ではなくなって、誰もが羨むような存在になれたのなら。
そうしたらあの方はタランザのことを愛してくれるだろうか。
あの方に嫌われないようにしないと。
見目麗しいあの方は、醜いタランザが嫌い。
美に心を奪われてからは、汚いタランザを毛嫌いする。
あの方の為にタランザは命を捧げているけれど、あの方の望みをまだ叶えられていない。
もっともっと力があったのなら、全て貴女に贈るというのに。
タランザは誰よりもあの方を愛しているというのに。
だけど幾らタランザが愛をプレゼントしても、帰ってくるのは侮蔑の言葉だけ。何も言われないよりは全然いいけれど、それでも、もう少しだけでも―――――愛を一滴だけでもいいから、欲しいのです。
美しい花なら愛してくれますか。
色鮮やかな花なら愛してくれますか。
甘い香りの花なら愛してくれますか。
可憐な花なら愛してくれますか。
素晴らしい花なら愛してくれますか。
優雅な花なら愛してくれますか。
枯れない花なら、愛してくれますか?
軽やかに宙を舞い踊れる、蝶だったのなら―――――貴女はタランザに恋してくださいましたか?
時計の針は止まることなく回り続け、二度と返らない時を刻んでいた。
◆
また時が流れた。
もうどのくらいの時が経過し、この世界を進ませているのだろうか。
世界は今から何秒前に始まり、世界は今から何兆秒後に終わるのだろうか。
世界はあまりにも長すぎた。
「貴方は逃げ出そうと思ったことはないの?」
いつも通りのペインシアは問いかけた。
「無いのね。絶対にこの先もそんなことを仕出かしたり、思うことさえしない」
傷だらけのタランザは答えた。
「貴方はいつも痛そうで、無理してる感じがする。これって私の杞憂で終わる?」
「頼むから終わらせてほしいのね。タランザはへっちゃらで、元気満々なんだから」
「嘘つき。飛ぶのもやっとのくせに」
二人は時たま会っては、くだらない話をしたりお互いの打ち明け話をしたりした。
出会ってからそこそこの時間が過ぎていた。だけども会話を交わすヒビが一瞬で流れきってしまったようには到底思えなかった。
タランザは時折失敗をしては、女王様からお仕置きを受ける羽目になるらしい。
たまにこうしてボロボロの満身創痍状態でここにやってくるときがある。
ペインシアはそれを痛ましく思ったりはしなかった。
ただ、どうしてそこまでして我儘な女王に付き合っているのかが、疑問でならなかったのだ。
「貴方はどうしてそこまでして頑張るの?」
館の柱に背中を預けながら、疲れているタランザは力なく笑った。
「キミがお姉さんの為に頑張るのと同じようなものだよ」
「そう。それならしかたがないわね」
そう言われてしまっては納得せざるを得ない。
ペインシアは姉の為ならどんな無茶でもするだろう。タランザもまた同じなのだ。女王の為ならば命さえ喜んで捧げてしまうに違いない。
何も間違っていない。
何一つ間違っていない。
誰も間違っていない。
「タランザはたまにキミが羨ましくなるよ。美しいって褒められるキミが」
「私もたまに貴方が羨ましくなるわ。好きな人を眺めていられる貴方が」
二人は笑った。苦笑でもなければ微小でもなく、晴れやかに盛大に、派手に笑った。
「だけど結構つらいよ。好きな人に罵られて醜い自分と向き合わなくちゃならない毎日は」
「こっちも結構つらいわよ。好きな人に会えなくて見知らぬ人達に買われたり売られたりを淡々と繰り返す数千年は」
「うわぁ過酷なのね」
「そっちこそ大変そう」
どれだけ苦悩しても待ち続け
どれだけ怪我をしても歩き続け
どれだけ寂寥感に駆られても流れ続け
どれだけ悲壮感に打ちひしがれても伸ばし続け
こうして二人はここにいた。
たまたま出会って、たまたま話をして、たまたま親しくなって
たまたま―――――絶望の闇底に並んでいた。
「タランザ。私と一緒に逃げましょうよ。そのまま私の姉さま探しを手伝ってよ」
思いがけない誘いにタランザは驚きを隠せないが、ゆっくりと首を横に振った。
「それは残念だけどできないのね」
しかしペインシアはそのまま言葉を続けた。
「私、この大陸のことも貴方が所属してる国家組織のこともどうでもいいけれど、貴方が傷つけられてるのはかなりどうでもよくないのよ」
「タランザは大丈夫なのね」
「貴方が大丈夫でも、私がムカムカするのよ」
「どうしてそう思うのね?いてて……」
腫れ上がった傷口を恨めしそうに凝視しながら、今度はタランザが尋ねた。
ペインシアは複雑そうに、言いずらそうに、形容しがたそうに返答する。
「何でだかよくわからないけど、ムカムカするの!」
「そんなの理由にならないのね!絵画がムカムカするってどういうことなのね!」
「知らないわよ!―――――私はこうして待ち続けているだけなのに、貴方は痛い思いをしなければ望みを叶えられないっていうのが、気に食わなかっただけよ!」
「あはは。タランザ達、似た者同士?似た者同士は自然と巡り合うっていうのね」
「そうなの?」
「即興で考えただけ」
「やっぱり。でも万が一そうだったとしたら、貴方は私の運命の人なのかもしれないわね」
「逆もしかり?」
「それじゃあいいわよ。私、貴方のこと―――――姉さまの次に好きになってあげるわ」
「うん。それじゃあタランザも、キミのこと―――――セクトニア様の次に好きになってあげるのね」
まるで告白のようだった。
だけどそれは―――――永遠に叶わない恋のようで、未来永劫結びつかない関係性のようにも捉えられた。
「そういえば私、貴方に言いたいことがあったの」
「奇遇なのね。実はタランザも」
顔を見合わせて、お互い破顔してしまう。
そして合図無しに―――――声を揃えて言いたかったことを暴露した。
「「自分を大切にしろ!」」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
笑った。
笑うしかなかった。
ここまで考えていたことも、思い浮かべていたことも同一だったとは。
笑った。
未だかつてないくらい声を上げて、腹の底から、絵画の中から、笑って笑って笑い転げた。
この世から掻き消えてしまったかのように
面白おかしく狂ってしまったかのように
笑って、笑って、笑い続けて―――――。
「あはははははははは―――――」
「―――――ねぇ、そんな顔で近寄ってこないで。私は湿気と水気が大嫌いなんだから」
「わかってるのね―――――それよりも、絵画って泣けるの?」
「泣けるわよ。だって―――――泣くのは、よくあることなんだから」
そして、泣いた。
◆
「私にはよくわからないの。どうやったら貴方が幸せになれるかどうか」
「タランザにもわからないよ。どうやったらキミがお姉さんに会えるのかどうか」
「「キミ(貴方)の願いが叶うといい(わ)ね」」