―――――錬金術師が追い求めるのは、完璧でいて永遠なる物質。完全なる存在。

 

―――――石と金から始まり、水と薬草、薬品と触媒、いつしか肉体と魂にまで発展する。

 

―――――精錬と錬成、研究と探求、貪欲に知識を欲するが故に辿りついた境地。

 

―――――自然科学は時として、魔的なる愚者を凌駕する狂気を生み出す。

 

 

 


「ようやく見つけた……ついに扉は開かれた!」
 書物と実験道具がひしめく研究室の中で、白一点も無い鴉の羽根を想起させる外套に身を包んだ男は、歓喜に咆哮していた。豪奢でいて奇妙な文様が目立つステンドグラスを嵌め込んだ高い天井が震えるほど、叫び声は大きく感極まっている。 
「偶然こそ必然なり。これは地が我に与えし恩恵―――――乱れ荒んだ世の改変せよとの思し召しだ!」
 男はよほど興奮しているのか書物の海を軽快な足取りで歩き回り、器具を蹴倒そうが書の山を崩そうが構わずに部屋の中央に不可視の円を描く。止まっていられない、笑わずにはいられない―――――歩くことでしか高鳴る心を落ち着かせられない。否、落ち着かせる必要などない、今は感情に身を任せて嬉々すべき事象の降臨に素直に感激したい。男は盲目的な思考しかできない状態にまで陥っていた。
 フードに隠れた老獪な顔は愉悦に歪んでおり、狂気さえ感じさせる。
「あと少し!あと少しだ!あと少しで完全なる真理に到達できる!」
 舞い散る黄ばんだ紙は喝采の花吹雪のようで、両手を掲げて高笑いをする様はまるで敵国を制圧し、支配を成し遂げた暴君なる国王を連想させる。
「ははははははははははは!はははははははははははははは!はははははははははははははははははは!」
 男は飽きることなく異常な子供のようにはしゃぎ続け、笑い転げるように地下へと続く階段を降り始めた。
 古めかしい石段、外気に晒されない冷たい石壁、吸い込まれるような闇の地下空洞へと迷いの無い歩みで降り、そのまま奥へ奥へと進んでいく。夜目が利くのかそれとも目を瞑っていても歩けるほど慣れているのか、男は立ち止まることも障害物にぶつかることもなかった。
 地下空洞は監獄のように至る場所に堅牢な檻が設置されており、ほとんどは空いていたが中には干乾びてミイラ状態になった人間や獣の屍がそのまま放置されている。換気はろくにされておらず、非常に空気が淀み濁っている。
 道の途中で目に映る物には一切興味を示さず、男は空洞の一番奥の最も巨大な檻の前に到着する。
「とうとう私は扉を開けそうだ〝×××〟。お前もいいかげんこんな汚い場所にいたくないだろう?」
 嫌に優しい口調で男が檻の中に向かって語りかけると、真っ暗な闇に包まれた向こう側からは荒い呼吸音と唸り声が聞こえてくる。まるで理性の無いケダモノだ。
「あと少しだ。あと少しでお前をここから解放してやれる―――――外の世界で思う存分に暴れさせることができる」
 にやりと邪悪な微笑を湛える男に向かって何の意志があって手を伸ばしたのかは不明だが、檻に囚われしケダモノは檻を乱暴に掴んだ。もちろんそれだけでは頑丈な金属棒の柵はびくともしないが、ぞっとするほどの威圧感を気配として帯びていた。
  
「完全なる凶獣―――――〝不死なる竜〟として!」

 

 羨望するように、もしくは憎悪するように、ケダモノは愉悦に浸る男を睨み続けている。
 
 ずるずると檻柵から滑り落ちる醜悪な見た目をした手は、鼻が曲がるほどきつい腐敗臭を放っており―――――皮膚から肉まで腐りかけた〝人間〟のそれに酷似していた。

 

 

 ◆

 

 

 もしもこの世界の陰に〝神〟なる超越者が存在し、全ての事象の顛末を観測していると仮定するならば、この時代のこの物語における登場人物の略歴を一目見ただけで首を傾げるに違いない。
 人間でありながら人間ではない人物。人間ではないが人間を模した存在。人柄や容貌、人格や外見を除外したとしても、珍妙なことには変わりがない―――――数千年後の先に訪れる〝終末戦争〟の到来を、選りすぐりの預言者であろうが伝説級の魔法使いであろうが、まだ誰一人として予測できていない〝常の平凡と僅かな非凡を繰り返すだけの定められし人間社会〟の代名詞が実に相応しいこの時代において、この物語の展開は非凡を通り越した異常と表せた。

 まだ、人間を憎悪し駆逐を目論む魔物が存在せず、結界の中に閉じこまらずに済む世の中―――――人間が人間同士で合理的に争うだけだった時代。
 当たり前のように人間が栄え、勢力を伸ばし、戦争を行い、文明を築いていけた旧の世界―――――数千年後に嫌でも訪れる新たな世界とは違う、最初の人界。

 氷の慟哭竜も
 炎の黒竜も
 黄昏の聖女も
 黒と白の双子も
 竜人の勇者も
 人斬りの少女も
 更にその先に生きし存在とは同じでいて違う世界―――――地球が幻想で包み込まれる遥か過去。彼らが舞台に立つよりずっと昔の話。幻想の基盤となり得る〝全ての始まり〟に次ぐ〝始まり〟の逸話

 この物語は不死者が辿った始まりから二番目の物語であり、過去の追想録であり、現実でありながら人外的存在がはびこう、神さえ匙を投げるような奇妙な冒険譚―――――地球上での物語。

 時代は西暦1500年代―――――宗教と陰謀の入り混じる、革命の時代。

 

 奇しくもそれは〝地動説〟が掲げられた時代でもあった。

 

 

 

 ◆

 

 

 

GAIA 二章

 

騎士と不死と黒き塔 序幕 運命の日

 

 

 四つの布石

 

 

 

 ◆ 


 
―――――運命の歯車は回る。

 

 


「暗い……」
 まだ明けぬ夜の暗闇に包み込まれた時間帯の訓練場の物置にて、一人の女騎士は灯心を載せた蝋燭皿を片手に何かを物色していた。いくら光源が手元にあるからと言えども真夜中で、しかも月明かりの届かない密室での物探しは困難を極め、かなり苦労している様子だった。
「……あった」
 しばしの間捜索を続け、乱雑に積み上げられていた廃棄されるであろう練習用武具をどかし、ようやく目当てのものを見つけたようだ。
 安堵の色を含んだ凛とした声は大人びてはいるが、多少の幼さを残している。年相応の声音と言えばそうだが、普段の彼女の立ち振る舞いからはあまり想像できない美しい素の声だ。
「今日の掃除当番は誰だ。あれほど分別は怠るなと言っているのに……」
 脳裏に真っ先に浮かんでくる不真面目な同僚や後輩の体たらくぶりには手を焼かされている。明日注意しなければと苛立ちつつもひとまず宿舎に帰ろうと振り返ったところ、何の前置きも無しに眩しい光を当てられる。おそらくはカンテラの光だ。
 闇に目が慣れつつあった状態にはきつい眩さに反射的に目を閉じかけてしまうがぐっと堪え、敵襲ではないと頭の隅ではわかっていても、王国騎士と鍛えた体は敵への対抗の動きを無意識のうちの働かせ、腰の剣に手をかけそうになる。
「こんな夜更けにどうしたんですか」
 ライトの持ち手が見回りの兵士の若い男だと察すると緊張は解け、女騎士は息を吐いた。
「昼間の剣技指導の際に忘れ物をしてしまってな。取りに来て丁度今から宿舎に帰るところだったんだ」
「それなら一言声をかけてくださいよ。泥棒かと思うじゃないですか」
 いかにも迷惑そうに溜め息をつかれてしまうが、そのように反応されても仕方がない。本当ならば夜間の外出は禁止事項の一つであり、今晩は宿舎周辺の警備兵にやっと思いで頼み込んで特別に許可をもらって出てきたのだ。
 常日頃から品行方正な女騎士だからこそ免じられたとも言える。
「すまない。すぐに入ってすぐ戻るつもりだったから」
「それにしても珍しいですね。忘れ物とか絶対にしない方だと思っていましたが……見られちゃいけないような物でも取りに来たのですか?」
 にやついていることを本人は自覚していないだろうが、女騎士からすれば不快に適わない。
「何故そうなる。お前、けしからんことを考えているな。嘆かわしい」
「い、いえいえそんなことはありません」
「まったく……。しかし、一声無く勝手に入ったことは詫びる。すまなかった」
「構いませんよ。それに、貴女にとってここは自宅のようなものじゃないですか」
 その言葉に、先ほどの厭な笑み以上に嫌悪感を覚える。
「つまりもう少し自粛しろと言いたいのだな」
「へ!?」
 ぴしゃりとした声で吐き捨てられ、見回り兵士は驚きに身を竦めてしまう。
「確かにお前の言うとおりだ。次回からは二度と同じ過ちを繰り返さないと騎士の名の元に誓おう―――――ここで失礼する」
「は、はぁ……」
 早口で切り上げられ、早足で振り返ることなく歩き去っていく女騎士の後姿を、呆気を取られた見回り兵士は見送ることしかできない。
 外に出れば星と満月の光が見晴らしの良い敷地を照らしており、物置内よりもずっと明るく感じた。
 宿舎まで距離はそこまで離れていないが、それでも小言を叩かれるのも人目について非行を疑われるのも厄介なので、なるべく急いで歩く。肌寒い夜風に外套が揺れる。
 空を見上げれば秋の星がだんだんと天蓋の隅へと追いやられ、はっきりとした冬の星が顔を出し始めている。
 時期に本格的な冬季に入り、厳しい気候が続くことだろう。

 

「……アイツは風邪を引いていないだろうか」

 

 ぼそりと呟いた女騎士の口から洩れ出た息は、薄らと白んでいた。

 

 


 ◆

 


―――――運命の輪は繋がる

 


「ちくしょう離せ!離せ!離せよ!離せつってるだろ能無し共!」
 悪臭の漂う不衛生な貧民窟の路地裏にて、一人の少年は怒り狂っていた。
 僅かな月明かりの差し込むそこで、少年は複数人に取り囲まれて羽交い絞めにされている。
 不気味なことに性別さえも察せない謎の一味は全員真っ黒な外套を身に着けており、フードを目深にかぶっているせいで夜の暗さも合わさり、表情が一向に窺えない。
 がむしゃらに暴れる少年だが拘束を振りほどくことはできず、あっという間に石造りの地面に俯せで押さえつけられてしまう。絶えず激昂するせいで口腔内に汚れた砂の味が広がるが、そんなことは気にしていられない。
「ざっけんなよ下種野郎!よってたかって気持ち悪いんだよ!ガキ独りに大人数とかどんだけビビってんだよ臆病者!喧嘩なら正々堂々かかってこいよ弱虫!木偶の棒!頭イッてんじゃねえのか!?―――――がぁっ!」
 罵詈雑言の嵐を吹き荒らす少年だったが、一味の一人に容赦無く後頭部を踏みつけられ、激痛に呻く。顔面から床に打ち付けられ、額が割れて血が流れる。
 少年の顔が一層怒りに歪んだのは痛み以上に、屈辱でならなかったからだ。
「くそったれ!くそ、くそ、くそが!お前ら全員覚えてろよ後で独り残らず叩き潰してやるからな!」
 喚き続ける少年を見下ろしながら、一味はひそひそと話し合い、やがて先ほど少年を踏みつけた人物が―――――外套の中から一本の長剣を引き抜いた。
 少年は剣と鞘が擦れ合う鋼の音に戦慄し、奥歯がごりごりと音を立てるほど強く歯を食いしばった。
 悔しくて、悔しくて、無力な自分が、情けない。
 目に映るのは横目で見た満月の―――――丸い―――――。

 

「―――――ちく、しょう……!」

 

 路地裏に生々しい鮮血が飛び散ったのは、そう間もないことだった。

 

 


 ◆

 

 


―――――運命の鎖は音を立てる

 

 


「ママ……ママ……どこ……?」
 お世辞でも衛生的とは言えない殺風景で狭い牢獄にて、薄い毛布に包まった少女は嗚咽を上げる。
 ひどく冷たい風が弱った体を刺すように隙間から吹き、そのたびに少女はがたがたと震える。頬を伝い、零れ落ちる涙がやけに温かく感じた。
 少しでも熱を逃がさないようにと自分で自分の体を抱きしめるが、腕と足に取り付けられた冷え切った枷がそれを妨害する。じゃらじゃらと鎖が音を立てるたびに、少女の心の絶望は色を濃くする。
 自分は逃げられず、一生ここから出られないか―――――実験によって死ぬか、どちらかだと悟ってしまう。
「ママ……助けて。助けて。寒いよ……凍え死んじゃうよぉ……」 
 耳を塞いで、ただただ助けを懇願する。
 どこからともなく響いてくる苦悶の声やうめき声、絶叫から少しでも逃れようとするが、現実はどこまでも非情だ。

 

『嫌だ!死にたくない!死にたくない!死にたくない!誰か、誰か、誰か―――――ぎゃああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!』

 

 〝実験室〟から響いてくる断末魔に怯え、少女は身を丸くして泣き続けた。
 すすり泣く姿はもはや亡霊のようで、今にも掻き消えてしまいそうだった。
 星の光も満月の姿さえ阻まれている檻の中で、少女は落涙することしかできない。
  
「誰か……助けて……寂しい……寂しいよ……」

 

 継ぎ接ぎの少女は、今日も明日も震えながら〝実験動物〟として息をする。

 

 

 ◆

 

 


―――――運命の螺旋は段を成す

 

 


『ようやく〝鴉羽根〟の潜伏先を突き止めたようですね。ご主人ちゃま』
「手間をかけさせてくれた。忌々しい害鳥め」
 蝋燭が灯された宿の一室で、哺乳類でも爬虫類でも無い奇妙な小動物と青年は一枚の小さな羊皮紙を凝視していた。
 紙面には西洋圏で一般的に使用されている言語では無く、特殊な文字が暗号のように書き綴られている。魔法学に馴染みの無い者には発音どころか読み方の予測、文字を書き写すことさえ困難だろう。
 俗に言う、魔の精通者しか理解できない〝魔法文字〟だ。有名なルーン文字とも違う、筆者独自の創作文字―――――即ち、解読には非常に難儀を強いられる。
 それでも青年は目を追わせるだけですらすらと読解し、やがて読了したのか羊皮紙の角部分をすっと指先で摘まむ。
 瞬間、羊皮紙は黒みがかった炎に包まれ、あっという間に塵と化した。
『いいんですか?これには大事な情報と〝魔韻文(コード)〟が……』
「暗記終了した紙媒体はかさばるだけだ」
『お~さすがご主人ちゃま!相変わらず頭脳めいせなんちゃらです!』
「……お前は相変わらず阿呆だな」
 はしゃぐ小動物の天真爛漫ぶりに辟易しながらも、青年は窓から夜空を見上げた。
 空にはぽっかりと満月が浮かんでおり、青みを帯びた光は狂気を呼び覚ます。魔の世界に足を踏み入れた者ならば一度は惹かれてしまう悍ましくも幽玄なる衛星の輝きを眺め、青年はぽつりと呟く。
 
「―――――作戦の決行は今宵の一月後。再び満月が夜空に昇るその日だ」

 

 室内を照らす蝋燭の灯りが風も無く消失するころには、降り積もった塵も存在を失っていた。

 

 

 

 ◆

 

 

 


 運命が絡み合う時、壮大でいて小規模な、悲劇のような喜劇のような幕を開ける。
 

 代替的な題を付けるならば、そう―――――『竜と大魔法使いの始まりの物語』。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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 何やかんやで二章、始まります!

 二章に登場する子はどの子もお気に入りなのでそれぞれの個性を生かして書けたらいいなと思っています。

 

 余談ですが二章での出来事があったからこそ三章、四章、かなり先の八章などの物語に繋がっていく感じなので、いろいろ伏線が出てきます。おそらく!