幻想世界の古道具屋 第一幕 メモライズ・カメラ

 

 

Ⅰ オルバ古道具店の日常

 

 

 ◆

 

 

 太陽の光が温かい、穏やかな春の陽気です。
 ふわふわの綿雲が優しい春風に乗って、自由に青空を旅しています。
 野原には花が咲き、綺麗な蝶がひらひらと飛びます。そんな穏やかな日です。
 大きな湖が近くにあるサーミの街の更に外れの丘の上、アネットのお家はそこにちょこんと建っています。時たまもくもくと甘い煙が出ている煙突と玄関前にある看板が目印です。
 アネットのお家は古道具屋です。その名も『オルバ古道具店』。ありふれたモノから価値のあるモノ、普通のお店には売っていないような不思議なモノまでたくさん扱っています。お客さんの数はあまり多いとは言えませんが、変わった人が多いですが常連さんはちゃんといます。 
 そんなお店は一階。アネットのお部屋は木の階段を登った二階にあります。
 東向きの部屋は朝になるとお日様の光が射しこんで、とても明るくなります。
 タンスに勉強机にお気に入りのドレッサー。可愛い人形や小物を飾った窓のすぐ下にはふかふかなベッド。アネットは朝がきたけどまだまだぐっすり夢の中。長い茶髪が夢のように枕とシーツの上に広がって流れています。

「アネット。朝だよ」

 そんなアネットを微力だけれども頑張って揺さぶる子がいました。
 犬の人形とブリキのロボットが合体したかのような姿をしたその子は、自分よりも何倍も大きなアネットを一生懸命起こそうとしています。
 だけどもアネットは心地よさそうにむにゃむにゃしたまま。素敵な夢を見ているのでしょうか。顔はにこにこと眠ったまま笑っています。

「アネット。アネットたらぁ!起きてよ~!」

 一向に起きないアネットにめげずに、ブリキの犬は頑張ってアネットを揺すりつづけます。ゆさゆさゆさゆさ。揺り籠のように毛布のかかった体が揺れます。

「アネット~!起きて一緒に遊ぼうよ~!ねぇったらぁ」

「ん~……あとちょっとだけ……」

 ちょっとだけ目を覚ましたのか、アネットはにこにこ笑顔のまま毛布をかぶりなおしてしまいます。

「ダメだよ。このまま寝てたらお日様が高くなっちゃうよ」

「……ふあぁ」

 いかにも眠たげな欠伸を一つ。そのままアネットは枕とシーツの柔らかな感触に再び沈んでしまいます。
 ブリキの犬は困り果ててしまいます。どうしたらアネットを起こせるか必死で考えます。
 そしてようやく思いつきました。これを言えば絶対にアネットは起きてくれるに違いありません。

「アネット。今日の朝ごはん―――――ロミが作った美味しいマフィントーストだよ」

「本当!?」

 最後まで言い終えないうちに、さっきまでとはまるで違う様子で、勢いよくアネットは起き上がりました。  

「あうっ」

 彼女が跳ね起きたことによって掛かっていた毛布が飛び上がり、ブリキの犬をすっぽり覆ってしまいます。

「今の本当なの!?本当なのねタロ!こうしてはいられないわ早く食べなくちゃ!」

「アネットったら、甘い食べ物の話をするとすぐこうなんだから―――――ああ!アネット!着替えなくちゃダメだよ。そ、それよりも前にここから出してほしいな、なんて」

「おはようタロ!素晴らしい朝ね!」

 しかしアネットは毛布に押し潰されているタロに目もくれず、パジャマ姿のままで部屋を飛び出し階段を駆け下りていってしまいます。それも風のような速さで。

「アネットのバカぁ~!」

 可哀想に置いて行かれたブリキの犬―――――タロは厚めの毛布に引っかかったまま延々ともがく羽目になってしまいます。
 アネットは甘いモノが大好物なのです。甘いモノがあると聞いたら頭の中がそれでいっぱいになってしまうのです。
 アンティークな階段はアネットが跳ねるたびにみしっと不安な音をたてます。このお家は相当昔からあるためとても古びていますが、どこかが壊れたことは一度としてありません。どんなに強い大嵐が来ても穴一つ開きません。そんな丈夫な家なのです。だからと言ってはしゃぎ回って良いということにはなりませんが。

「美味しそうな香り。お砂糖の匂いね!」

 階下に向かうにつれて漂ってくる甘い香りに、アネットはうっとりします。キッチンではお目当てのマフィントーストが香ばしく焼けているのでしょう。
 一階まで階段の三段分を抜かして一気に跳躍します。丁寧な刺繍の入った滑り止め用のカーペットが彼女の足を迎えてくれました。
 さぁそのままキッチンに……!とアネットが顔を上げたところで、青色の瞳と目があいました。
 海の水底のように深く澄んだ、吸い込まれそうなほど美しい瞳です。

「……あ」

「おはよう。アネット」

 にこりと笑うその人を見た瞬間に、アネットは激しい興奮からあっという間に我に返りました。そして非常に気まずそうに苦笑いを浮かべます。

「お、おはようロミ。素敵な朝ね!」

「そうだね。実に素敵な朝だ。騒がしくて今にもパーティが開けてしまいそうだ」

「そ……それはとても楽しそうね」

 ロミはアネットよりもずっと身長が高く、すらりとした男の人です。少し長めの黒髪と眼鏡の向こうの青い瞳はこの地方では珍しいものです。普段から無地のエプロン姿をしているロミは、道具屋さんの店長であり、七年前に両親に捨てられた三歳のアネットを拾って育ててくれた恩人でもあります。
 だからアネットにとってロミは歳の離れた兄のようであり、父親のような存在なのです。

「廊下を走ったり階段を飛び跳ねながら下りちゃいけないって前にも言ったよね?」

「え、あ……うん」

「もしもことがあったら大変だから、気をつけなさいとしっかり言ったよね?」

「い、言った」

 女の人に見間違えてしまいそうなほど綺麗に整った顔に浮かぶ今朝の笑顔は、黒い影が迫ってくるように怖いものがありました。

「アネット。ごめんなさいは?」

「ごめん、なさい」

「ちゃんとこっちを見て言いなさい」

 俯いていたアネットは、申し訳なさそうに顔を上げました。

「ごめんなさい」

 自分が悪かったと心から反省したアネットは、もう一度ロミに面と向かって謝りました。
 するとロミはすぐにいつも通りの優しい微笑みに戻って、アネットの頭を撫でてくれました。

「わかればいいんだよ。次は絶対にしちゃ駄目だからね」

「うん」 

「それじゃあもうじき朝ごはんができるから―――――その前に顔を洗って着替えてきなさい」

 そこでアネットは自分が寝起きのぼさぼさ髪で、着崩れたパジャマ姿のままでいるということにようやく気がつき、恥ずかしさで顔を林檎のように真っ赤にさせるのでした。

 


 ◆

 


「ひどいんだよアネットったら。ボクがせっかく起こしてあげたのにマフィントーストの話をしたらすぐに飛んでいっちゃうんだから」

「もうごめん。ごめんってば!だってマフィンって聞いたらいてもたってもいられなくなって……!」

 新鮮な野菜を使ったサラダが乗ったマフィントーストをむしゃむしゃと食べながら、アネットは何度もごめんとタロに謝りました。
 キッチンの隣にあるダイニングルームで、アネットとロミとタロはそれぞれの椅子に座って朝ごはんを食べていました。テーブルの上には数種類のマフィントーストと野菜と香草スープと果物が二人分と、アネットのお気に入りのコップに牛乳と、ロミのコーヒーカップには熱いコーヒーが淹れられています。タロはブリキの犬なので人が食べるような食物は摂取しない代わりに、銀色の骨をがじがじと齧っています。

「ははは。アネットは本当に甘いモノが好きだね」

 苦くないのかブラックノコーヒーを飲みながら、ロミはくすりと笑いました。

「甘いモノは好きよ。食べると幸せな気持ちになれるの。特にロミが作る甘いモノが大好きよ」

「それはどうもありがとう。だけど食べ過ぎは良くないからね」

「わかってるわ。食べた後には歯磨きもちゃんとしてるし」

「それならばよろしい」

 そう言われてアネットは嬉しくなったのか、えへへと表情をほころばせて卵のマフィントーストを手に取って口に運んだ。甘みのあるトーストと卵とチーズの感触がたまらず、すぐに平らげてしまいます。

「そうだアネット。この後保管庫の掃除を手伝ってくれないかい?」

 唐突に話を切り出され、しかもその内容が意外だったことにアネットは驚きました。

「お掃除?珍しいね。ロミが私に保管庫でのお仕事を頼むなんて」

「全部掃除しろって言ってるわけじゃないよ。入っていいのは一番目の部屋だけ。それ以降の奥の部屋は入っちゃ駄目だからね」

 嗜めるように言われ、アネットは少しむっとしてしまいました。

「ねぇロミ。まだ私は向こうに言っちゃ駄目なの?私は先月でもう十一になったんだよ?」

「何度でも言うけどあっちの部屋は君にはまだ早すぎる。君の力を暴走させる危険物もたくさんあるからね」

 絶対に譲らないと言わんばかりのロミの注意に、アネットは言葉を失ってしまいます。

「いつかは君にもいろいろと教えなくちゃいけないけれど、君はまだ幼い。今は他のことを勉強して、成長してから〝こちらのこと〟を学びなさい」

「はぁい……」

 空っぽになったコーヒーカップを置いて、ロミは立ち上がりました。

「それじゃあごちそうさま。僕は先に店のほうに行くから、アネットも食べ終わったら来なさい。食器を洗ってくれると助かるよ」

 使った食器を重ねてキッチンの洗い場に持っていき、そのままロミは部屋から出て行ってしまいます。

 残されたアネットは悔しそうに牛乳を飲みほし、大きな溜め息を一つしました。

「アネットは子ども扱いされるのが嫌なの?」

 骨を加えたまま訊ねてくるタロに、アネットは「それもあるけど」と重々しく口を開きました。

「もっと上手に自分の力を使えるようになりたいのに」
 ふうっと息を吐いて、アネットは両手で自分の両頬を挟み込みました。薄桃色の頬に真っ白な指がくっついて、愛らしくさえありました。

「仕方がないよ。ロミが言うんだからアネットにはまだ早いんだよ―――――何てったってロミは魔法使いなんだから

 

  
 ◆

 


 長年大事に使われた道具には心が生まれます。
 それは農具、工具、文房具、家具、調理器具、実験器具などと様々で、例外がありません。
 持ち主に愛されたことによって意思を、必要とされたことによって自我が芽生え、一つの生命のように道具の中に宿るのです。
 しかしそのような道具がずっと幸せに使ってもらえるというわけではなく、悲しいことにほとんどの場合は持ち主の手から離れることになってしまいます。
 それは持ち主との死別だったり、古くなってしまったことによって処分されたりなどと、良い道筋を辿れることは少ないのです。
 そうして使われなくなった道具、人々から忘れ去られた道具は苦悩し、絶望し、時には人そのものを憎み始め、呪いを作り出してしまいます。憎悪や怨念は使用者やその周辺に何らかの影響をもたらし、次第には怪奇を呼び、呪いを誘う道具として忌み嫌われ恐れられることにもなってしまいます。
 その嘆きの全ては道具自身の心の痛みなのです。
 でも、道具は動物のように声を持ちません。感情を表現することも、意思を伝えることもできません。なので道具は人に自分の苦しみを教えることができないのです―――――そう、普通の人には。
 だけど魔法使いロミは違います。
 ロミには声無き道具達の心の叫びが聞こえ、言い表せない感情を理解することができるのです。
 哀れな道具達を救う為に、現世に呪いを生み出させないために、ロミは道具屋を開いたのです。
 一般的なモノからこのように居場所を失くした道具達まで、彼は扱っています。その為、彼の店には遠くからでも客がやって来ます。訳ありの道具をロミに渡す為に―――――。
 ロミはどんな事情があろうとなかろうと、必ず訳ありの道具を引き取ります。時には自らが足を運んで道具を回収しに行くこともあります。販売から買い取りまでオルバ古道具店は対応しています。
 ロミは道具達が再び新しい人の手に渡り、大切に使ってもらえることを願っているのです。ただそれだけなのです。
 慈悲深く、強大な魔力を持つロミが魔法使いであるということを知っているのは一部の者だけで、中には魔道具使いと彼を嫌う者もいます。
 アネットとタロもまた、彼が魔法使いであるということを知っています。
 タロも心を持つ道具の一つであり、特殊な魔術をかけられた魔導人形なので、道具の身だけれども喋ることができます。タロにとってもロミは過去に命を救ってくれた恩人なのです。
 そしてアネットは兄でもあり父でもあり救世主でもあるロミに憧れています。
 何故ならアネットもまた―――――数少ない道具の心に触れることができる存在なのですから。
 
 
 

 

 

 

 

 

次話へ  目次に戻る

 

 

 ◆

 

 記念すべき第一話です。
 タロは私のお気に入りキャラです。

 もちろんアネットも大好きです。

 名も無き勇者の冒険とは時系列がほとんど同じですが、こちらの話は向こうほど殺伐とはしていません。