幻想世界の古道具屋 第二幕 ブレス・ブレス・ドール

 

 

Ⅰ 人の世の中で

 

 

 ◆ 

 

 昔々あるところに、一人の女の子がいました。
 女の子はお父さんとお母さんとお兄さんと一緒に、平凡ながらも幸せに暮らしていました。
 いつも忙しそうに働いているお父さんとお母さんとお兄さんを、女の子は小さなころからずっと見ていました。
 その為、女の子も皆と一緒に働きたいとたびたび言いました。
 だけど三人ともそれを許さず、女の子の頭を撫でながら言うのです。

 

 「お前にはまだ早いよ。それに、こんな仕事をお前のような純粋な子がしてはいけない。今は子供らしく遊んでいなさい」

 

 何度女の子が頼もうともそれきりでした。
 だから女の子は朝から晩までお家の中で独りきりでした。
 おとなしい女の子は家族以外の人としゃべるのは苦手であり、友達もいません。
 何よりもお留守番しているようにと親に言われているので、ずっとお家で待っているのです。

 女の子は孤独でした。幸せでしたが、孤独でした。
 

 

 ◆

 

 

―――――「何も言うな。何も感じるな。必要なこと以外は何も思考するな」―――――

 

 

「ッ!」
 恐ろしい悪夢から跳ね起きるかのように、タロは勢いよく起き上がりました。
 焦りの中で自分の手を見下ろし、それから体を確認し、それから窓の外から射しこむ朝日の光に気づき、すぐ隣にはすやと心地よさそうな寝息を立てているアネットの顔がありました。ここはアネットの部屋のベッド。いつも通りで周りには何も変化はありません。
 そこでようやくタロは、今の時間がもう朝であるということを焦燥と共に把握しました。
 ブリキの人形であるタロには三大欲求が無いため、定期的に睡眠を取る必要がありませんが、人間や動物が眠るのと同じように一時的に意識を切ることができます。タロ本人はこれをスリープモードと呼んでいます。
 アネットを見守りながら彼女と一緒に眠ることを、タロは好んでいるのです。

「……何だか、変な声が聞こえたような……」 

 だけどあんな声は知らない。あんなにぞっとして冷たい声は、知らない。僕は何か夢を見ていたのだろうか?とタロはしばし考えましたが、答えは出ません。
 意識を切ったとしても、夢など見るわけがないのに。

「ボクは、人形なのに」

 だけども紛いモノの心臓がどくどくと脈打っているような気がして、どうしようもない不安が押し寄せて、タロは困惑せざるをえないのです。

「……」

 これはたまたまなんだと割り切ることにしたタロは、ちらりと未だ夢の中にいるアネットに目をやりました。
 ずっと昔から一緒にいる女の子。いつも傍にいる女の子。好奇心旺盛で恐れ知らずで、とても優しくて可愛い女の子。

「―――――アネット」

 キミが悪夢を見ていたら、ボクがちゃんと起こしてあげるからね。
 誰にも聞こえないような小さな声で、不安を押しのけ、振り払うようにタロは呟くのでした。 

 


 ◆

 


「アネット、タロ。二人におつかいを頼んでもいいかい?」

 朝ごはんを終えて早々に、ロミはキッチンで皿洗いと皿拭きをしている二人にそう言いました。
 年中無休のオルバ古道具店は大盛況ではなくとも、店主である魔法使いロミは日々様々な事情があって毎日のように多忙です。なのでおつかいを頼まれるということは常日頃のことなので慣れています。

「食材の買い出しをお願いするよ。メモにちゃんと必要なモノを書いたから渡すよ。あとコレを届けてほしいんだ」

 ロミは準備よく必要な食材をまとめたメモと、無地の紙で包装された小包を近くにあった台の上に乗せました。

「誰に届ければいいの?」

「西通りの星林檎の木の……」

 ロミがそこまで言いかけたところで、アネットはぴんとします。

「あ、わかった。あの人ね」

「星林檎まで言えばもうわかるよね。本当は僕が直接行くべきなんだろうけど、いつもすまないね」

「ううん大丈夫よ。タロもわかったよね」

 皿洗いを一通り終えたアネットがタロにそう訊ねると、タロははっとするのです。まるで意識を遠くに飛ばしていたかのようです。

「う、うん。わかったよ」

「?」

 妙に余所余所しい態度にアネットは首をかしげたくなりましたが、とりえずは気にせず食器を片付けました。食器棚はいつも清潔です。黴菌が溜まっては大変ですから。

「それじゃあちょうど片付け終わったから行くね」

 台所を綺麗にし終え、リビングに置いてあったお気に入りの肩掛け鞄に渡された書き留めと小包を入れ、アネットは支度を整えました。タロもそれに続きます。

「くれぐれも危ないことがないようにね」

「わかってるよ」

 玄関まで見送りに来てくれたロミに、二人は手を振ります。

「いってきま~す」 

「はい。行ってらっしゃい。宜しく頼んだよ」

 家から出て行った二人に微笑みかけ、扉が閉まると同時にロミは口元に手を当てました。

「―――――今日ではない、か。それでも、近々不穏なモノが訪れそうだな」

 嫌な予感を察知したのか、ロミは厳しい表情で眼鏡の向こうの目を細めるのでした。   


 ◆

 

 

 サーミの街は山と森に囲まれており、一部の行商や旅人を覗いたらほとんど来訪者の来ない基本的に孤立状態の自由街です。だからと言ってよそ者を決して受け入れないというわけでなく、むしろ外国から自由を求めて逃げてくる人も一部いるのです。
 そのせいか旧世界のニホンは黒髪黒目の者がほとんどだったが、今やニホン北東部は生粋のニホン人が先祖の者は僅かにしかおらず、混血の者がほとんどを占めています。
 争いや面倒な規則を嫌う者が多いニホン北東部は区切られた村や街以外は無法地帯そのものですが、傲慢になったり横暴を振るうような者は基本的にはいません。その分変わり者はたまりやすいが、馴染みやすい土地でもあります。
 旧世界が滅んだ後だからこそ世界復興や新たな統率に躍起になる者も多いけれど、支配や束縛を拒んでそれぞれの幸福を望んで生きている人間も中にはいるのです。
 サーミの街はそんな場所の一つです。
 発展途上ですがそこそこ大きな街であり、魔法技術も錬金技術も控え目ながらも進歩してきています。
 主な街道や商店街、居住区などと言った地区は大きな三角形の区域の中にあり、その外に畑や牧場などと言った農業地帯があります。
 三角形の中心部には街の中心部である中央広場があり、催しモノはいつもここで開かれます。そこから四方に伸びた大通りに沿って、様々な店が並んでいます。
 特に北通りの一番先には街を守る最重要地点である鐘の塔があり、そこには街に三つある内で最も強い力を発揮する防魔装置(シス・マテリア)が保管され、今も尚街を守護すべく起動しています。
 アネットが暮らすオルバ古道具店は北側に近い街の外れの丘の上にあり、高台なのでサーミの街を一望することができます。
 しかしアネットの現在位置は店ではなく、サーミの街の東街道の商店通りです。
 いつもアネットは東街道の店屋におつかいしに行くのです。
 その為彼女は商店の人々からすればお得意様であり、人気者でもありました。

「ああアネットちゃん。今日もおつかい?」

「アネットちゃんにタロくん。今日は良い天気だね~」

「アネットの嬢ちゃん今朝も元気だね。ロミは一緒じゃないのか?」

 道行く先でアネットはいろんな人に親しげに声をかけられます。

「うん!あとお届け物があってね~。ロミはいつも通りお店やってるよ!」

 慣れ親しんだ挨拶に対してアネットは気さくに手を振っては返事をします。
 綺麗に舗装された石畳の道を歩くだけで、るんるん気分のままにスキップしたくなってしまいます。

「あ、演奏やってるのかな」

 今朝の東街道では路上ライブが行われているのか、朝の雰囲気にぴったりな穏やかな音楽が流れていました。ヴァイオリンと足踏み式のオルガンによる二重奏です。
 オルガンを演奏しているのは二十代前半ほどの美青年。ヴァイオリンを担当しているのは青年と同じ年ぐらいの女性でした。穏やかな人だかりができている中でにこやかに素敵な演奏を行っています。道行く人も二人の演奏にうっとりとしています。

「ヴォルフさんとツェペリンさんの演奏はいつもおしゃれだよね」

「ヴォルフが全部作曲してるみたいだしね」

 そんなことを喋りながら名残惜しいけれどその場を通り抜けいつも利用している果物屋に到着しました。緑色の屋根と外の籠に出されている新鮮な品物が目印です。
 早速お財布を取り出します。財布はロミが作ってくれた手作りのがま口です。

「いらっしゃい。おつかいかい?」

 店主であろう白髪の目立つお婆さんは椅子に座りながら、こちらに微笑みかけてくれました。
 この果物屋にある商品のほとんどはサーミの街の果樹園で作ったモノですが、この地方にはない特殊な果物も並んでいることもあります。
 昔までは自給自足の生活は非常に苦しいものがありましたが、今では錬金術と魔法をかけ合わせて製造した温室などのおかげで、最近は様々な季節の果物や野菜も作ることができるようになっています。

「そうです!えーっとメモメモ……林檎とリシュの実を二つずつ!500エンからでいい?」

「構わないよ」

 サーミの街での通貨単位はエンです。旧世界のニホンで使われていた円通貨と全く同じです。
 500エン玉を手渡し、お釣りをもらいます。消費税は無いので300エンなり~。
 ちなみにアネットは常に買い物袋を持参しています。このご時世でも立派ば環境に優しいエコライフを送っています。
「まいどありがとうね」

 袋の中に丁寧に商品を入れてくれた店主のおばあさんにアネットはお辞儀をしました。

 

「―――――あ!私にもリシュの実を一つお願いしまっす!」

 

 その時でした。アネットの後ろからひょいと顔を出した少女が元気よくお願いしました。
「ミル!」

「どもっすアネッさんにタロさん!」

 ミルと呼ばれた少女―――――ミメール・エイスはアネットよりも少し年上くらいで、癖のある微妙な長さの髪の毛と、長らく使っているであろう鍔付き帽子キャップが目立ちます。快活そうな笑顔はどこか男勝りですが、天然な気のある敬語がまた馴染み深くもありました。
 年の近いミルはアネットの親しい友です。
「今日も配達?」

「はいっす!手紙を待っている街の人の為にもこのミメール、身を粉にして疾風迅雷の速度で駆けて行きますよ!」

「す、凄まじく速い距離で駆けて行くのね……」

「怪我しないようにね……」

 相変わらずの陽気に圧倒されますが、アネットとタロは昔からの縁がある故に彼女には慣れています。
 ミメールはサーミの街の郵便局で働いており、毎日のように人々に手紙を届ける為に街中を駆けまわっているのです。肩から下げている大きな茶の肩掛け鞄の中は彼女のトレードマークでもあります。

「そう言うアネッさん達は買い物っすよね―――――あ、50エンっすよおばあちゃん。ありがとうっす!」

 店のおばあさんからリシュの実を買ったミルは、美味しそうにそれを生噛りします。リシュの実は皮を剥かなくとも食べれますが、かなり豪快な食べ方でした。 
 見た目はザクロに似ている小さな実だけれども果肉は豊富であり、果汁は甘くてとても食べやすいのです。

 

「あれ?ミルがこの時間に東地区にいるってことは、お仕事もう終わったの?」

「ぎくっ」

 

 果物屋を出た直後のアネットの問いかけに、露骨にミメールは身を竦ませました。どうやら何か隠し事をしているようです。
「お、おおおおお終わりましたよ!ほ、ほら!わたしって足が速いので!ちゃっちゃちゃちゃちゃちゃっちゃと終わらせましたぁ!」

「……その割には鞄が随分膨らんでるけど」

「お!?おおおお……―――――う、嘘です終わってないっす……」

 嘘をつくのが苦手なミメールですから、長い間人を騙すことはできないようでした。
「やっぱり。あんまりお仕事サボるのは良くないと思うわよ」

「サボりたくてサボってるんじゃないですよ!というかサボってないっす!ちょっと休憩っす!たまたまお二人の姿が見えたもんですから……!」

 必死に弁解しようとするミメールですが、遠くから聞こえてきた声に悲鳴を上げざるをえませんでした。


「ミル!ミル!ミメール!ミメエエエエエル!オメェは何をしてるんだああぁあああ!!!」


 薄い窓硝子ならばあっという間に打ち砕けるような声量でした。


「ひいいいいいいいいィ!!!ロロロロロロ、ロシュ兄貴!?うわあああぁぁここまで追ってきてたんだぁぁ逃げなくちゃああぁ」


 血相を変えたミメールは尋常ではない速さでリシュの実を平らげ、牢獄から逃げた囚人さながらの形相でその場から逃げ出しました。

「そ、それじゃあさよならっすうううううううううぅぅ!!」

 激しく両腕を振りながら、ぽかんとして取り残されたアネット達に別れの言葉を叫ぶミメールは一際目を引きました。かなり目立っていました。

「待ちやがれ!!全く……あの馬鹿妹!俺の弁当盗みやがって……後で叱りつけてやらぁ!」

 息を荒げながらアネット達の傍まで駆けてきた作業着を着た筋肉質な男―――――ロシェット・エイスはミメールの実兄です。
 ―――――ミルの仕事サボりの原因はお兄さんの弁当(おそらくはロシュの彼女さんが作ってくれたお弁当)を盗んだことなのか。と言いたげな表情で、アネットとタロは呆れました。

「ロシュ。いくらなんでも騒ぎ過ぎだぞ。しかしミルのやつ、さすがは俺の娘だ。もう見えなくなっちまってるぜ」

「そんなこと言ってる場合じゃないだろ……ああ、俺の弁当が……エミリアが作ってくれた弁当が……」

 汗だくのロシェットを追いかけてきた、ロシェット以上に筋肉質で大柄な男―――――ジーン・エイスは苦笑しました。
 ミメールもロシェットはジーンの娘と息子であり、六人兄弟の次女と次男に当たります。
 郵便配達員のミメールとは違い、ロシェットは大工であるジーンの後を継ぐためにも建築の修行をしています。
 余談ですが、先ほど路上ライブを行っていた美青年のヴォルフガングことヴォルも彼の息子であり長男です。

「おお!アネットにタロじゃねえか。お前もミルに何か盗まれたか?」

 にこやかにジーンに、アネットは「盗まれてたら今頃私はこんなに落ち着いてないわ」と息を吐きました。

 

「そりゃそうだよなぁ―――――それにしてもミルのやつ、数日後にサーカス団が来るってのに」

「サーカス団?」

 

 アネットはあまり聞きなれない単語にきょとんとして、目をぱちくりさせました。

「何だアネット。お前サーカス見たことなかったのか?」

「本でなら見たことがあるけど、実際にはないわ」

 アネットが本で見たサーカスは、高度な場所での綱渡り、火の輪潜りに動物を操った見世物だったりと―――――派手で豪奢な印象がありました。
 色鮮やかな天幕テントの中で行われる数々の超人的な演目。きっとそれは人々の心を躍らせるモノだろうけれど、目にする機会はないのだろうと幼い頃からアネットは思っていました。

「まぁ俺も見たことないけどな!サーミの街にいる奴ら全員見たことないんじゃないか?」

「そんな気はするわ。あまりここ、都市とかじゃないし」

「世界中を旅しながら回ってる一団みたいでな、最近ニホンのほうにも上陸したらしい。この近辺で目撃情報があったらしく、近々やってくると見えたぜ。ミルのやつは催しモノが大好きだからな。サーカスを見るためにもここのところは気合入れて仕事をしてたはずだったんだがな。空腹には勝てないってやつか!」
 しょうがないやつだとジーンは笑い、ロシェットと共にその場をあとにしました。

「サーカスだって!これは見に行くしかないねタロ!」

「うん……」

 アネットも心が躍るようなワクワク感を覚え、早くも期待に胸がいっぱいになっていました。 
 しかしそれとは裏腹に、タロは沈んでいました。彼にしては珍しい元気の無さです。

「どうしたのタロ?今朝からずっと元気ないけど、お腹でも痛いの?」

「お腹なんて痛くなるわけないじゃないか。ボクは―――――人形なんだから

 当たり前だけれどもタロは人形です。人間のような痛覚を持ちません。 
 それでも落ち込んでいるタロにアネットは少しでも元気を出してもらおうと、荷物を避けてタロを抱えました。
 何故タロの気持ちが暗くなってしまっているのかはわかりませんが、アネットなりの優しさなのです。
 タロはアネットに抱っこされるのが好きなのです。ずっと昔から。

「おつかい済ませたら帰ろうね」

「……うん」

 気を使わせちゃったかな?とタロは申し訳なく思いました。  


 それでも脳裏を焼くような嫌な予感を消し去ることができずにいました

 

 

 

 

 

 

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