幻想世界の古道具屋 第二幕 ブレス・ブレス・ドール

 

Ⅱ 変わり種達の楽園

 

 

 ◆

 

 独り寂しい女の子は、いつも家でお留守番をしていました。
 独りはもう慣れてしまいましたが、それでも寂しいものは寂しいのです。
 ご飯もあまりないのでお腹は空きます。遊び相手も道具もないのでひどく退屈です。
 家族は皆夜遅くまで帰ってこないので、女の子は薄暗い部屋の中でずっと座っています。
 夕焼けに照らされ、星明かりと月明かりに照らされても、それでも部屋も心も暗いままでした。
 いつか闇が動き始めて自分をパクリと食べてしまったらどうしよう。
 闇の世界に連れていかれたらどうしよう。
 そう考えるだけで女の子は不安で胸がいっぱいになるのです。
 早くお母さんやお父さんがお家に帰ってくればいいのに。何度もそう強く思っていました。
 だけど毎日のように朝から晩まで働き、疲れ果てている家族は、自分たちの生活のために頑張っているのです。女の子が一番よくわかっていました。 
 だから働きもせずにお留守番ばかりしている女の子には、とてもじゃないけれど早く帰ってきてなんて言えませんでし た。口が裂けても言えません。我儘を言っては迷惑がかかってしまうのですから。

 

「神さま。どうかわたしにお友達をください」

 

 いつしか女の子は毎日神さまにお願いをするようになりました。
 お願いをしなければいけないほど、女の子は寂しかったのです。
 誰もいない狭い家が、たまらなく恐ろしかったのですから。

 

 

 

 ◆

 

 魔物。
 それは世界中を蔓延る怪物であり、知恵と理性は一切持たず、本能のままの破壊欲と狂気を滾らせている異形なる存在。
 その存在は人々に害悪をもたらし、人間種に恐怖と災厄を呼び起こす。
 この世の人間全てを殺戮せんとばかりに蠢く魔物は脅威である。
 魔物だけではなく亜人や異人にも少なからず人間を憎む者がいる。どちらにしても人間種は常に危険と隣り合わせであり、窮地に立たされている。かつては生物を駆逐する側であったというのに、新世界においては真逆の立ち位置となり変わってしまっている。人間がかつて犯した罪を、ここで体現するかのように。
 それでも非力ながらも懸命に生きようとする人間達は、それらに対抗できる力をつけ始めた。
 その過程で魔法なる力が誕生し、防魔装置(シス・マテリア)などの防御用魔道具が開発され、強靭な肉体を持つ亜人にも通用する武器なども製造された。
 長い時間をかけて、厳しい現代で主に使用される戦闘術や土地の開拓法なども編み出された。世代を受け継ぎ、人々はだんだんと順応力を会得し、失われし文明には到底及ばないけれども、新世界誕生期と比較すれば凄まじいほどの進歩に成功した。
 やがて特定職業を持つ人間達は団結し、集合体を作った。それが現在のギルドである。
 ギルドには様々な種類があり、商業や手工などと豊富な数がある。
 その中でも特に魔物退治を生業とするギルド、通称魔狩りギルドは重要視されている。
 戦闘に特化し、対人戦ではなく対魔物戦の専門家が集まるギルドは人々にとっての命綱にも等しい。
 一つの街や村に最低でも一つ魔狩りギルドがなければ、とてもやっていけないという。
 それほどまでに人間は弱く、今の環境を生きぬくことが困難なのだ。

 


 ◆

 


 サーミの街には三つの魔狩りギルドがあります。
 一つは南地区、一つは西地区、最後に東地区と言った感じに配置されています。街の魔狩りギルド同士は仲が非常に険悪であるという裏事情はありますが、それ以外に関しては特に問題はありません。
 アネット達が訪れるのは東地区のギルド本部、通称アジトです。
 三つのギルドの中で人数が最も少なく、尚且つかなりの変人たちが集まっていると噂されているそこですが、ギルドマスターの男が凄腕の戦士であるため、街の人々からは頼りにされています
 東地区の少し外れの、大きな星林檎の木の傍にある二階建ての家がそのアジトです。遠くから見ると結構な古い家です。裏には大きな庭もあり、時たまメンバーの誰かがあそこで修行しているのが見れます。

「それにしても、風が吹くだけで壊れそうな感じだよね……」

「ジーンに修理してもらえばいいのに」

 アネットとタロはお世辞でも立派とは言えないアジトの目の前に立ちます。
 近くで見ればより一層はっきりとわかりますが、何度も補強された跡が残っている壁はところどころに板が打ちつけてあります。入口の扉に至っては今にもドアノブが外れてしまいそうです。
 
 〝魔物討伐専門ギルド ノーゼア〟

 
 大きく書かれた看板でさえ、長らく日を浴びているせいか痛んできていました。

「ここに来るのは久しぶりだけど、みんな元気かな」

 ひとまずアネットが扉をノックしようとすると


「もう嫌だああああああああああああああああああああああああああぁああああああ!!!!」
 
 家の中からとてつもない叫び声が聞こえてきました。

「ひえええぇ!?」

 聞くに堪えない悲鳴にアネットは反射的に手を引き、扉から数歩横に離れます。
 咄嗟の判断は正解でした。
 つい先ほどまでアネットがいた場所に、勢いよく扉が倒れてきたのですから―――――開いたのではなく、板のように倒れたのです。

「嘘ぉ」

 人形でなければタロの顔は間違いなく青ざめていたことでしょう。
 豪快に巻き起こった砂埃が、ギャグ漫画のように扉が倒れたという事実を物語っていました。


「そんなことぼくにはできまぜんんんんんんんんん!!ごめんなざああああああああああああぁあああい!!!」


 そして先ほどの声の張本人であろう少年が、使い物にならなくなった扉を更に踏みつけて何処かへと走り去って行きます。完全に扉がただのボロ板と変わり果てた瞬間でした。
 涙と鼻水がとんでもないことになっていたため、家の中で何か尋常でもないことが発生したのでしょうか。
 工業を生業とする職人が被るような皮帽子を被った14歳くらいの少年は、そのままアネット達に気づきもしないで泣き叫びながら走り続け―――――やがて過ぎ去った嵐のように見えなくなりました。
「……あの声だけで窓硝子割れるんじゃない?」

 アネット、茫然としながら見えなくなった背中を見つめていました。

「あ、あれ?ここにあんな人いたっけ?」

 呆気をとられたタロが目をぱちくりさせると

「最近入ってきた新人なの。だからまだまだ任務に不慣れでね」

 二人の後ろから苦笑いを浮かべた女性がやってきました。
 女性は長く真っ赤な髪を後ろで高く結っており、肌は褐色です。優しい色を湛えた黄色の瞳はどこか人間らしくなく、神秘的な美しさがありました。身長も女の人にしては高く、体つきも女性的でとても綺麗です。
 別嬪さんとはこういう人のことを指すのでしょう。

「メル!」

「久しぶりねアネットちゃんにタロくん。元気にしてた?」

 明るい笑顔を見せてくれる女性―――――メルルゥ・ルインは二人の友達でもあります。今年で20歳の彼女はアネットとは歳が離れていますが、昔からの馴染みで仲良しです。

「げ、元気は元気だけど、吃驚しちゃって」

「驚かせちゃってごめんね。あの男の子はチャールズって言ってね、さっきも言った通り最近メンバーになったんだけど、魔物恐怖症があるみたいでいろいろと大変なんだよね―――――だけどアタシの特訓も頑張ってくれてるし、優しい良い子だから不真面目とかそういうのじゃないの。そこだけは勘違いしないでね」

 心優しいメルルゥの謝罪に、アネット達は「全然気にしてないよ」と本音のままに応えました。

「……だけど扉が壊れちゃったってのはちょっと痛いなぁ。いや、ちょっとどころじゃなくてどうしよう。今月ただでさえお金が無いのに……」

―――――食費も結構重なってるし、やっぱり家の修理代かな?これでも節約はしてるしお手伝いの数も増やしたんだけど扉……扉か……そもそも扉は半年前に新しくしたばかりよね?やっぱりみんな乱暴に開け閉めしすぎだからすぐに壊れるのよ!昨日リーダーが扉蹴っ飛ばして開けた時に変な音したから絶対にあの時壊れたのよね……今度は扉に〝優しく開けてね〟って注意書き貼らないと……ああ、でもそれでお客さんが来なくなっちゃったらどうしよう。いやいやそれ以前にちゃんと注意しないと……あああああと階段の四段目も直さないと……!―――――

 ぶつぶつと深刻そうにメルルゥは呟き、やがてアネット達の心配そうな視線に気がついてはっと顔を上げました。

「い、いやいやそれはこっちの話だから!気にしないで!お金が無いのはいつものことだから!」

 生活は結構厳しいようです。

「そ……それよりも何か用?ここに来たってことは、依頼?でもアネットちゃん達だから多分違うよね」

「そうだよ肝心のことを言い忘れていたわ!えっとね。お届け物があって」

 

「メル。そこで何をくっちゃべってるんだ―――――やかましいぞ」

 

 唐突に家の中から若い男性の声が聞こえてきました。刃物のように鋭く、切れ味のありそうな声音でした。

「あ、リーダー。お客さんですよ。アネットちゃんにタロくんです」

「道具屋の連中か。ここはガキの遊び場じゃない。とっとと失せな」

 リーダーと呼ばれた男は、部屋(かなりいろんなモノが散乱していますがおそらくはここが仕事部屋なのでしょう)の奥の方にある机に悪びれる気配さえ無く足を乗せては、煙草を吸っていました。
 微妙な長さのぼさぼさの髪は希少な青色であり、深海の入口の水のように真っ青でした。それとは対極的に目つきの悪い瞳は紅玉のように真っ赤です。派手に着崩した服やら寝不足気味の人相やら態度の悪さやらは、まるでチンピラのようでした。
 だけどもガラの悪そうな様子とは裏腹に、その瞳の奥には冷静沈着な戦士としての貫録がありました。
 シアン・アスト。
 それが彼の名であり、若くしてギルドを一つ束る〝ノーゼア〟のギルドマスターです。

「リーダー。せっかく来てくれたんですよ。そんな言い方ないじゃないですか。それに今日の依頼は夜からですし―――――そういえばチャールズが血相を変えてましたが、やっぱり以来の件で?」

「―――――チャールズの野郎。依頼の内容を見せた瞬間にあれだ。口だけは達者なヤツだ。おまけに扉も壊しやがったみてぇだな」

「扉……でも昨日リーダーが蹴っ飛ばしたのもいけなかった気が」

「……」

 メルルゥの意見に、シアンは無表情のまま目を閉じて無言を貫きました。昨日扉を蹴ったのは事実のようです。

「まぁその話はいい。それで道具屋の娘と犬、何の用だ。くだらん理由なら帰れ」

「む、娘は娘だけどアネットって名前があるわよ」

「犬……まぁ犬だけどさ……」

 どうやらシアンはアネットのことを道具屋の娘。タロのことを道具屋の犬と呼ぶようです。
 アネットはともかく、そのまま犬と呼ばれたタロは毎度ながら結構ショックを受けています。
「お届け物があって。ロミから何だけどね」

 ロミという言葉にぴくりとシアンは反応し、片目だけを開けました。

「店主からか。魔動式のアイテムは間に合っている」

「いや、そうじゃなくて……魔女さん宛てに」

「魔女……ルナシィか。内容物は?」

「中身?中身はわからないわ。ロミが届けるだけでいいって」

「……あの店主は、重要な部分を省く傾向があるな」
 面倒臭そうに眉をひそめ、シアンは口から煙草を取って指先ですいっと遊ばせました。絶えず洩れ出る煙が少しだけ渦を巻きました。

 

「―――――まぁ、ロミの旦那のことだから、いろいろと訳があって短縮させている可能性もあるってもんじゃないの?ねぇ、シアンの旦那よ」

 

 不意にシアンの座る椅子の更に奥にあったソファーから、もぞりと人影が動きました。
 深く被っていた帽子を少し上げて、眠たげに欠伸をする男性は―――――ギルドのメンバーの一人です。
 三十代中盤か後半くらいの体つきの良い男は、どこかお茶らけた印象がありました。

「ジョイさん今起きたの?まさか今の今まで寝てた?」

 メルルゥの問いかけにジョイは軽快そうに笑いました。

「ちょっと寝過ごしちまったよ。まぁ朝起きるはずが昼に起きることになったんだ、対して変わりはないさ。それに悪いのは俺じゃなくて俺の睡魔さ」

「まーたそうやってとぼけて。目覚まし機能のある絡繰り時計、わざわざルナシィが作ってくれたじゃない」

「いやぁそれがもったいなくて使えなくて……永久保存版っていうの?」

「……お前らちょっと黙ってろ」

 外野の会話が鬱陶しかったのか、シアンは灰皿に吸っていた紙巻煙草を強く押し付けた。そして新しい煙草を取り出してはマッチを擦ります。見たところからヘビースモーカーのようです。お気に入りであろう銘柄も相当きついモノです。

「―――――魔女なら地下にいる。さっさと用を済ませてさっさと帰れ。本当ならここはガキの来る場所じゃないんだ」

 シアンは煙草を吸いながらアネット達にそう言い、興味なさ気に手元に置いてあった書類を読み始めました。
 アネット達と話す気はもうないのか、底から先は一瞥さえしませんでした。

「……子供扱いしないでってば。最近ロミにちゃんと認められたんだから」

 むすっとしながら頬を膨らませたアネットに、メルルゥは「リーダーはちょっと愛想が悪いだけで、根は良い人だから」と励ましました。
 それはよくわかっていますが、アネットはシアンのことがちょっと苦手でした。

「ルナシィの地下部屋の階段はあっちよ。多分知ってると思うけど久しぶりだからアタシもついていくね」

 包容力と親切心においてはサーミのナンバー1とも言えるメルルゥの優しさに案内され、アネットとタロは彼女についていきます。
 その間に後ろの方でジョイが実に楽しげに

 

「シアンの旦那はあれでしょう。あれっすよ。ツンデレってやつ!本当はアネットちゃんたちが来て嬉しいくせに!!」

 

 などと騒いでいたが、シアンの苛立ち混じりの「黙れ」という声と共に生じた騒音(またの名を破壊音)によって黙らされることになりました。
 破壊音の中には何かを切り裂くようなけたたましい音も混ざっていたけれども、アネットは何も聞こえないふりをしました。

 

 ◆

 

 

 サーミの街には現在三人の魔法使いと、一人魔女がいます。
 
しかし魔女はここ数年で魔女と言う名称を名乗ることを止め、〝魔法錬金術師〟にジョブチェンジしました。
 
魔法と科学の力が合わさってこそ人類は莫大な力を得られると表向きには謳っていますが、本当はただ単純に魔法も科学もどこまでも突き詰めて研究したいだけという噂もあります。
 
魔法使いは魔の力のみを使用して世の中を発展させていこう、もしくは魔の力こそが今の人間種に最も必要な知識であると考えている者の集まりであり、錬金術などの科学の力を否定する者達でもあります。

 逆に錬金術師は科学の力を使用してかつての旧世界レベルの技術と文明を取り戻そう、もしくは科学の力で人々の働きや生活をより楽に効率よく進めようと考えている者の集まりであり、魔法の力を肯定せず尚且つ慢心しない者達でもあります。一部を除いては基本的に両者は非常に仲が悪く、新世界が成立してまだ間もないころから対立を続けています。

 魔法錬金術師と言うのは魔法も使い、錬金術も扱う珍しい職業であり、例を挙げるのならば魔力素(マナエネルギー)を電力などと言った動力の代用にし、魔の力にも対応できる機械―――――魔動式機械と呼ばれる類の道具などを開発したり、様々な問題に魔法と錬金術を併用して解決したりすることができるなどと、かなり万能的でいて且つ膨大な知恵を持つ者のみが歩める道です。
 
しかし犬猿の仲である魔法使いと錬金術師の狭間に立たねばならない職の為、風当たりは劣悪を越えて最悪そのものであり、どちらからも毛嫌われるポジションなのです。
それでも好んで魔法錬金術師の道に歩む者は、揺るぎない智慧の精神を持っているか、相当の変わり者であるかの二つに分かれると言います。

 今も尚愛称のように〝魔女〟と呼ばれる彼女は、まず間違いなく後者の部類に入ることでしょう。

 貪欲なほどまでに知識を欲し、呼吸するように本や魔道具に触れては知恵を取り込み、底無しの探究心……またの名を終わりの無い自己満足を持つ彼女―――――ルナシィ・ベルは、変わり者が多いサーミの街でも人一倍の変わり種である魔法錬金術師です。

 

「炎よ、灯火となぁれ」

メルルゥの短い詠唱の直後、彼女の周辺に呼び起こされた紅色の火の粉が浮かび、中空で固定されるように点在しました。

「この炎は触っても熱くないけど、飲み込んじゃったら大変なことになるから注意してね」

「誰も火なんて飲み込まないよ。小さな赤ちゃんだって飲もうとさえしないよ」

「え!?アタシ、小さいころは火を食べてみたかったよ?」

 メルルゥの露骨な驚き方にアネットは逆に吃驚しますが、メルルゥの種族を知っているがゆえに何となくその気持ちが理解できました。
 ファイアサラマンダーの血を引く亜人であるメルルゥにとって、火は親しみ深い元素であるのですから。
 火炎の中で活動し、豪炎を身の一部のように扱える種族であるファイアサラマンダーの力は、薄まった血を持つ亜人メルルゥにも未だ健在であり、多少の炎ならば操ることができるのです。

「そ……それはメルだけだと思うよ」

「えー!だって火ってメラメラ~ってしてて綺麗じゃない。そりゃあ危険だけど、それ以上にアタシ達の生活を助けてくれる貴重な自然の恵みだし」

「……メルって、好奇心で溶岩にも触っちゃいそうね……」


「大丈夫!アタシは火に関してはほんっとうに強いから!この前だって熱々の豆のスープ零して腕にかかったけどちっとも火傷しなかったから!」

 自信満々に宣言するメルルゥに、アネットが「それでも夏の暑さには皆と同じようにへばってたよね」と言うと、「夏の気温は炎の力とは違ってお日様の光の力だから駄目なんだよ~」と苦笑しました。
 自然界に数多に存在する力の内の一つの属性に強固な者は、同時に別の属性が弱点であると言います。
 熱の力に強いと言えども、全ての熱力に無敵であるということに同義ではないのです。

「足元暗いから気をつけてね。天井も低いから、タロくんは大丈夫だろうけどアネットちゃんは気をつけてね」

 アジトの一階の仕事部屋の奥の隅、一眼につきにくい場所に隠し床があります。地下へと続くそこを開けるとひどく薄汚れた狭い階段がひたすら暗闇の底へと伸びています。
 メルルゥ曰くそこまでの長さではないけれど明かりがないせいで終わりがないように見えるだけとのことですが、夜には絶対一人で下りたくない階段の頂点に輝くことでしょう。それほどまでに老朽化した木製の階段でした。

「わわっ、蜘蛛の巣張ってるよ!」

 手に細い蜘蛛の糸がかかり、タロは慌てて払いました。

「ごめんね本当はここも掃除したいんだけど、ルナシィがすごい嫌がるからずっとそのままなんだよね」

「ルナシィさんはいつも地下にいるの?」


 アネットとの問いに、メルルゥは困ったように頷きました。

「うん。研究熱心というか研究のことしか頭にないみたいで、最近は週一の組合会議(ギルドミーティング)の時しか上に上がってこないよ」

 恐ろしい回答にアネットとタロは絶句してしまいます。
 同じように魔に属するロミとはえらく違った生活を送っていることに、驚きを隠せないのです。
 まさに噂通りの変わり者です。
 引きこもりの魔女という名称はあながち間違ってはいないようでした。

「ご、ご飯とかどうしてるんだろうね」

「魔力素で栄養を補えるから食事は不要って言ってたけどそれじゃあ味気ないじゃない?だから一日一回はアタシが直接ご飯渡しに行ってるよ。真剣な時は断られたりもするけど大抵は食べてくれるから心配ないよ」

「メルのご飯は美味しいもんね!」

「ほ、褒めても何も出ないよ!だけどありがとう。美味しいって言われるとモチベーションも上がって気合いはいるからね!」

 褒められるのには慣れていないのか、メルルゥは嬉し恥ずかしげにもじもじしてしまいます。

「この階段……すごいギシギシいってるけど、大丈夫?」

「三人なら大丈夫みたいだよ。ルナシィの魔法で頑丈になってるみたいだから。だけど五人以上は駄目みたい」

 相当の年季が入っているであろう階段は、段に足をかけるたびにギシギシと嫌な予感をさせる音を立てています。 
 三人同時に利用できることが奇跡のようにさえ思えます。

「……実際に落ちたことあるの?」

 タロの訝しげな視線を受け、メルルゥは

「階段が落ちたことはないけど、一階の床なら何度も落ちてるよ。そのたびにルナシィの逆鱗に触れるけどね」

「絶対に床を抜かすのジョイでしょ。あの中で一番足音うるさいし、足が大きい」
 アネットの少々手厳しい発言を交えた推理に、メルルゥは小さく拍手をしました。

「正解。一番床を壊すのはジョイさんが多いけど、他の皆も文句言えないくらいは壊してるよ。特に重い荷物持ってると本当に、ね……」

 経済的な意味でとても重苦しそうに俯くメルルゥを横目に、アネットとタロは顔を見合わせました。
 お互いの言いたいことはすでに分かっています

 

―――――このアジト、大丈夫なの?

―――――地震が来たらまず間違いなく倒壊するよね……。 
 
「そう考えるとこの階段結構長持ちしてるんだよね。少なくともアタシ達がここで魔狩り稼業をやるようになる前から壊れてないよ」  

 そんなことを呟いて、メルルゥが真上の蜘蛛の巣を払いながら腐りかけの板を見下ろします。

「うーん……だけどこの階段……」

 埃には慣れているアネットでさえ咳を出しそうになりながらも、とんとんと足先で階段を軽く突きました。突くたびに埃がぶわっと舞うのは見ないことにしました。

「ジーンに造り直してもらったら?魔法とはいえいくらなんでもそろそろ危ないと思うよ。あともって二ヶ月くらい……」

「……もしかしてアネット、もう道具の寿命を見分けられるようになったの?」

 タロの質問にアネットは「ちょっとだけだけどね」と微笑みました。

「そういえばアネットちゃんはロミに魔法を教えてもらってるんだっけ」

「そうだよ。ついこの間やっと専門的なことを教えてくれるようになってね」
 道具とは即ち生物の手によって加工され、使用されるモノ。
 手に持って使うモノもあれば、橋や階段のように地形に合わせて作られたモノもある。
 全ての道具には必ず寿命があり、幾ら魔法やら他の道具で修理や補強をし続けたところで限度が必ずある。
 それを一目で見抜けるようになるのは、道具を主に扱う者には必須なことである。

 ロミはそうアネットに教えてくれました。
「道具の心が見えても、寿命もちゃんと見えるようにならないといけないから、今訓練中なの」

「そうなんだ!―――――で、どんな訓練をするの?」

 期待に満ち溢れたメルルゥの目から、アネットは困ったように目を逸らしました。

「き、企業秘密!」

「?―――――タロくん。いつの間にかアネットちゃんは秘密結社でも開いたのかな?」

「さ、さぁね」

 道具屋のほうにもいろいろと事情があるようです。
 そんなこんなで階段を下りきり、古めかしい扉の前に到着しました。不思議なことにこの扉は木製ではなく、見たこともないような特殊な素材を用いて作られていました。
 見ようによってはそこそこ豪華に見える扉ですが、目の前に掛けられたプレートのせいで台無しになっています。

 

〝許可なく入ったら殺す〟 

 

「……」

「……」

「こ、これは無視していいやつだから!ルナシィ!ルナシィ!いる、よね!今までいなかったことないもんね!入ってもいい?」
 言葉を失う二人に必死に弁解しながら、半ば乱暴にメルルゥは分厚い扉を叩きました。
 すると間もなくして

「入ってもいいけど、そうやかましく戸を叩かないでくれるかしら。扉叩きの達人なんて称号はどこにもないわよ」

 という、大人びた女性の声が聞こえてきました。

「それじゃあ入るよ~」

 メルルゥが扉を開けた先に広がっていたのは、一面の書物の山でした。
 どこぞの図書館をはるかに超える量の文書があちこちでうず高く積まれており、足の踏み場がほとんどありません。
 本だけではなく変わった形をした実験器具や、使用方法も名称もわからない道具などもそこらじゅうに散らば……置かれていました。
 お世辞でも綺麗とは言えない空間ですが、魔法錬金術師の研究室と言うには相応しい場所ではありました。
 アネットは幼い頃に一度だけここに来たことがありましたが、久々に来たせいか印象がだいぶ変わってしまったのでしょうか、こんなにも散らかっていたのかという衝撃が隠せていませんでした。

「……珍しい顔ぶれね」

 資料の海の更に奥にある椅子に、ルナシィは静かに読書をしながら腰かけていました。
 メルルゥの炎の力が加わったおかげで薄暗い地下部屋はそこそこ明るくなりましたが、メルルゥ達が来る前まではランプの灯りだけを頼りに本を読んでいたのでしょう。読書用であろう眼鏡を着けていても別の問題で目が悪くなりそうです。
「道具屋の身内が来るだなんて」

 長らく外気に触れていないであろう体は浮世離れなほど美しく、こんなにも劣悪な環境の中でよくもこんなに外見を保てていられるのかが不思議に思えるくらいでした。
 日の光を浴びれば一層綺麗に煌めくであろう金髪の巻き毛に、日焼け一つしていない滑らかな白い肌。魔力を帯びた水色の瞳は宝石のようで、十代後半に見える肉体はどこをどう見ても完璧と言えました。

「明日は雨のどころか毛虫が降ってきてもおかしくないわね」

 これで極度の研究熱心の引きこもりではなく、尚且つ過激なほどの毒舌でなければ、身も心も完璧の美少女と言えたでしょう。
 いろいろと残念な女と言われるのもこれが所以です。

「こんにちは。お久しぶりですルナシィ……さん」

「こ、こんにちは」

 緊張しながらもアネットとロミが挨拶をすると、ルナシィは気怠そうな表情のまま小さくため息をつき、読みかけの本を閉じました。
 大昔の書物を読んでいたのでしょうか、古めかしい表紙にはきめ細かな刺繍が施されており、何よりも題名がまるで読めない文字で書かれていました。

「初対面のころから思っていたけど、ルナシィでいいわ。さん付けは慣れていないの」



 あまり歓迎されているようには見えず、アネットとタロは少々のやりにくさを感じてしまいます。
 そこを援助するようにメルルゥがこっそり耳打ちしてくれました。
「ルナシィはね、人に会うのが好きじゃないって言ってるけど、たまに来るお客さんとかには興味を示したりするんだよ。気怠そうに見えるけど、あれはただ単純に寝不足なだけ」

 タロが「そうなんだ!」と言うよりも早く

「それじゃあ久しぶりねルナシィ!」

 アネットは馴れ馴れしい態度でルナシィに笑顔を向けていました。

「き、切り替え早いなぁ……」

 タロ、苦笑いを浮かべざるをえません。

「急に馴れ馴れしくなったわね……まぁいいわ。あんた達が来たってことは、ロミさんからの届け物ね」



「うん。これ……あっ」

 アネットがどうやって遠く離れたルナシィに包みを渡そうか難儀していると、独りでに包みが宙に浮かんだのです。
 ふわふわと音も無く重力を無視して浮かび上がった包みは引き寄せられるようにルナシィの手に渡ります。どうやら彼女は魔法を使ったようです。さすがは魔法錬金術師です。




「ああ、やっと精密な形で復元できたのね」



 包みを開きながら、ルナシィは満足そうに微かに笑いました。

「復元?」



「コレを修理……改良していたの。都合の良い形にするにはどうしてもロミさんの力が必要で、協力してもらっていたの」

 ルナシィがアネット達に見せてくれたのは、片手に乗る程度の装置でした。
 硝子のような面と幾つかの入力機を組み合わせた折り畳み式の端末。
 メルルゥはその端末を見たことが無いため、名称がわからず首を傾げてしまいます。
 タロは何となくソレを知っているような気がしましたが、アネットの発言に確信を持つことになります。

「携帯電話……よね?」

「その通り。ロミさんの弟子ならそのくらいはわかるわよね。私とロミさんがしていたのはこれの改良と使用の確立。旧世界ではこんな安っぽい外観をしている装置でも星の裏側まで無線で通話、通信できる機能が完備されていたの。しかも一台、一揃いではなく、何千何万の携帯電話がそれぞれ個別に通話しあえたと聞くわ」 

「けーたい、でんわ……?」

 相変わらず意味が良く理解できていないメルルゥに、ルナシィは呆れの溜息をついた。

「メル。電話くらいはわかるでしょ。遠くの人間とも会話が交わせる機械」

「だけどアレはこんなに小さくなかったし、何よりも糸が無い!」

「糸……電話線ね。あの電話は旧世界でもかなり旧式のモノ。この携帯電話は人間種が科学技術に栄え初めてからしばらくした後に開発された小型の電話よ。電話線を必要とせず、電波と充電された電力を使用することで利用できる優れモノ。もっとも、最盛期の携帯電話は更に進歩していて、人々のライフラインそのものとなって普及していたらしいわ」

「へ~……」

「絶対わかってないわね、あんた」

 おそらくルナシィは説明を短縮してくれただろうに、メルルゥはそれさえも理解することができていないようだった。
 それもそのはず。新世界において一般的な市民には機械などと言うモノは基本普及しないのだから。

「えっと、それじゃあつまりルナシィとロミは携帯電話をまた使えるようにしたの?」

「まだ最後の実験の結果が出せていないから、まだ使えないわ。だけど電波を魔力素で補えるように回路を組んで、試験的にあんたのお店とアジトに通信経由の中継点を立てておいたから、理論上では通話は可能よ」 

「すごい!そうなると実験に成功したらお店からでもアジトの人とお話ができるってわけね!」

「……かけすぎは遠慮しなさいよ。うるさいから―――――だけど、まだまだ未完成な部分がたくさん残っているわ。携帯電話には〝メール〟という機能もあって、電子で文章を組んで機械的な手紙を送ることができるようだけれど……まだ〝アドレス〟というものの分析ができていないわ。これがまた機械文字の羅列で……電話と違って数字だけの接続は無効のようで、解読にはしばらく時間がかかりそうだわ。だいたいこの携帯電話を発掘したのが最近のことだし……ぶつぶつ」

 語りに熱が入ったのか、ついにはアネットもタロも無視してルナシィはぶつぶつとよくわからない独りごとを始めてしまいます。 

「そ、そろそろ帰ろうかな」

「う……うん。そうしたほうがいいよ。ルナシィは一度熱が入ると止まらないからこのままじゃ日が暮れちゃう」

 アネットとタロはそそくさと帰ろうと階段の方へと足を出し、メルルゥも熱中しているルナシィを尻目に二人を送ろうと動き出します。

 

「ぶつぶつ―――――ロミさんによろしく。見習い道具使いに、ブリキ人形―――――ぶつぶつ……」

 

 一瞬だけ小声でそんな言葉が聞こえたのは、気のせいでしょうか。

 

 

 

 

 

 

 

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 ◆

 

 ノーゼアのメンツは今後とも大活躍する。はずです