幻想世界の古道具屋 第二幕 ブレス・ブレス・ドール

 

 

Ⅳ 幕開けは今ここに

 

 

 ◆

 

 

―――――もしかして、アタシの訓練がきつすぎたのかな……?

 

 女性が持つには不釣り合いな大鉾を手にメルルゥは、後悔と罪悪感を覚えつつもその場に構えました。
 サーミの街一番の鍛冶職人が手掛けた大振りの鉾は斬れ味も破壊力も凄まじく、よく手入れもされています。メルルゥにとっては長らくお世話になっている愛用の武器であり、何よりも大切なモノです。

 

―――――運動神経はあんまり無いみたいだったけど勘は良いし、視力は悪いけれど夜目が利かないってわけじゃないし、何よりも頭が良くて……優しい良い子なのに。アタシ、何かひどいこと言っちゃったりしたかな?

 

 すでに時刻は夜の中頃に移り変わり、空には夜闇を透かした雲と瞬く星々が点在して浮かび、三日月が大地を見下ろしては月光を放っています。
 夜は最も魔物が活動的になる時間帯であり、大抵の人は防魔装置(シス・マテリア)の防護圏内―――――言うならば街や区域から出ることがありません。
 しかし魔狩りを専門とするギルドは、魔物が蔓延る夜に出撃、仕事をするのがほとんどです。
 今もメルルゥは、サーミの街の外である〝深緑の森〟にいるのですから。
 不気味なほど静まり返っている森の中は暗く、月光と星光意外に頼りになる光がありません。そんな危険と隣り合わせな森で、メルルゥは独り足音を殺しながら歩いています。
 風の音から小動物が駆ける音まで聞き分けながら、いつ何が跳びだしてきても問題が無いよう、戦闘状態を解かずに進みます。ろくに足元も見えない暗闇の中を、慣れた足取りでゆっくりと。
 魔物は火を嫌う習性があるので、ここで火を使用して光源を得たほうがいいという意見が多いかもしれませんが、魔狩りの者としてはそれは推奨できないのです。
 依頼の内容にもよりますが、基本的に魔狩りは魔物を追い払うのではなく、その名の通り魔物を狩らなくてはいけないのです。
 なのでよほどの危険な魔物が相手てでなければ、火を使わないで魔物をおびき寄せることが必要なのです。
 被害を最小限に抑えられるよう計算して考えられた位置で、人間の気配を感知してやってくる魔物を退治する。
 これを前線で行うには、相当の実力と熟練の精神が必須です。
 生き残るためには、魔物を恐れない心が何よりも重要なのですから。
 この戦法が村や小さな町などで活動する魔狩りギルドの主な戦法であり、その為メンバーは必ず魔物の足音を聞き分け方や、夜目の利き方などを訓練するのです。
 純血の人間にはこの訓練が非常に難易度が高いのですが、メルルゥのように生まれつき耳も良く目も良い亜人は、数少ない人間に友好的な亜人の中でも特に重宝されます。
 
―――――魔物がトラウマっていうのは知っていたけど、何か余計に刺激しちゃったところがあったのかな……。

 

 結局今日、チャールズはアジトを跳び出してから帰ってくることはありませんでした。
 他のメンバーにも捜索を呼びかけてみたが皆乗り気ではなく、実際に協力してくれたのはジョイだけでした。
 それでもチャールズは見つからず、彼を抜きに依頼を実行しなければならず―――――今に至ります。
 本日の依頼は『近日、サーミの街の東農園周辺で魔物の出没が確認され、近くの森で縄張りを作っている魔物の群の討伐』であり、メルルゥとシアン、ジョイの三人が魔物討伐に出てきたのです。
 
―――――チャールズのことだから町の外には出てないだろうけど、心配だな……どこかで独りで泣いてないかな……。

 

〝お前は優しすぎる〟
   
 不意にリーダー―――――シアンから指摘されたことを思いだし、メルルゥはやるせない気持ちを覚えてしまいます。 
 今頃シアンもメルルゥと同じく、作戦通りの別地点で魔物をおびき寄せていることでしょう。
 思いを見透かされたような気がして、メルルゥは溜息を一つついてしまいます。

「……何よ、本当はリーダーが一番心配してるくせに」

 シアンほど不器用に心優しい者はいないと、メルルゥは強く確信を持っています。
 チャールズがいなくなったことに対して何も気にしていないようなそぶりを見せながらも、実は誰よりも心配しているのだと―――――一番長い付き合いであるメルルゥにはわかるのです。
 チャールズがシアンに助けられたように―――――自分もシアンに救われているのですから、彼の優しい心は何となく見えるのです。 

 

―――――やっぱり、明日の朝もう一度皆に呼びかけて探しに行こう。

 

 決めた、と心の中で呟いたところで―――――背筋に悪寒が奔りました。
 同時に少し離れた場所の草むらがかさりと、明らかに風ではない音を立てました。
 おそらく、魔物が接近してきたのでしょう。すぐにメルルゥは音の方に鉾を向けました。

 

―――――今はお仕事に集中しないとね。リーダーとジョイさんのほうにも何体か行ってるはずだから、数は少ないし……足音からしてもそこまで大きくなさそう。

 

 背後にも気を配りながら音のした方向を睨むと、やがて理性の無い三つの眼が草むらの隙間から、ぎょろりと眼光を放ちながら覗きました。
 どす黒い体は獰猛な大型犬を連想させますが、巨大な眼が額をかけて三つも並んでいます。魔物であるということは一目瞭然でした。
 おそらくは討伐対象である群の雑魚でしょう。

 

―――――来る!

 

 メルルゥの予想は的中し、次の瞬間には地獄の底から這いあがるような雄叫びを上げながら、犬型魔物は彼女に跳びかかってきました。鋭い牙や爪が月明かりに照らされ、不気味な色を露わにします。

「やぁ!」

 掛け声と共にメルルゥは一歩踏み込み、身を左側に寄らせて爪による引っ掻きを無効とし、勢いをつけて一気に魔物の首を刎ねました。
 引っ掛かることなく斬れた首は宙へと放られ、綺麗な断絶面を作った体は激しく痙攣し、瞬く間に倒れて動かなくなりました。
 魔物の断末魔は鼓膜が破れそうになるほどうるさく、余計な魔物まで呼び寄せてしまうため、声を出す間もなく狩るのが大切です。メルルゥは見事それをやってのけました。
 思ったよりも噴出しなかったどろどろの血液は、それでも地面に染み込んでは嫌な色を残します。毒の成分を含んだ血は土を汚し植物を枯らしてしまう効果があり、メルルゥとしては自然の為にもきちんと片づけたいのですが、そんなことをしていられるほど戦場では余裕がありません。

「ふぅ」

 鉾に付着した血を払い(なるべく植物の無い方に血を払ったのがメルルゥなりの心がけです)、メルルゥは「とりあえず一匹―――――思ったよりこっちに来ないな」と呟きました。

「リーダーが群の親分を引き付けるって言ってたけど、下っ端も皆あっちに流れて行ってたりしないよね?」

 まさかね、と不穏な思いを振り払いながら―――――背後に迫ってきていたもう一体の魔物も斬り倒しました。
 悲鳴を上げられずに絶命した魔物を一瞥しながら、不安げに顔をしかめます。

「だけどやっぱり、こっちのほうに来る魔物がやけに少ない……」

 なるべく消耗戦、長期戦には持ち込みたくはありません。もしも計算違いでシアンのほうに多くの魔物が流れて行ってしまったら、厄介なことになるかもしれません。 

 

―――――余裕はあるから、様子を見に行こうかな。場合によっては援護に回らないと。煙弾の合図も無いから、たぶん大丈夫だとは思うけど念の為……。

 

 そこでメルルゥがシアンのいる地点を目指して歩き出そうとした直後―――――遠方からぱぁんと何かが破裂するような音が生じました。
 上空を確認すると、夜闇を混ざりながらも目に痛いほどの黄色の煙を吐き出す特殊な弾が、小規模な花火のように立ち昇っていました。

 

―――――黄色の煙弾!……ってことは、私の方に危険な魔物が接近してきてるってことね。

 

 その直後右後方から凄まじい気配が接近してくるのを察知しました。
 反射的に足を止め、足音を確認すると大きさは先ほどの魔物とはけた違いのモノであると弾きだされました。

「もしかして、親分……?」

 

―――――リーダーが親分を狩り損ねる?そんなことはありえない。畑周辺の被害を考えると、戦闘力はそこまでではないはず。もしかして、リーダーの方ではなくこっちの方に近づいてきた?
 
 おそらく煙弾を撃ったのは後方で待機しているジョイでしょう。今回狙撃主役である彼がいち早く誘導に失敗した魔物の位置を把握して、シアンとメルルゥに合図を送ったのでしょう。中でもメルルゥは強い警戒態勢を敷けと。
 どちらにしても引くわけにはいかないので、メルルゥは交戦を覚悟でその場で臨戦態勢を取ります。
 近づいてくる足音はどんどん大きくなり、土が抉れるような音さえ耳に入りました。 
 暗闇が深いためまだ姿は確認できないが、大物ゆえにより一層細心の注意を払わなければなりません。

 

―――――だいたいあと五秒でここに来る!5……4……3…… 

 

 呼吸を整えながら数字を数え、鉾の位置を少し下げます。大物はまず足や足の筋を斬り、動けなくさせるのが効果的です。

「2……1―――――0!」

 直後、メルルゥの前方に生えていた木が衝撃で圧し折れました。
 予想は見事的中し、咆哮しながら巨大な大犬の魔物が出現します。
 澱んだ黒色をしている体毛は醜悪なほど伸び放題で、実に獣じみた悍ましい見た目をしています。縦の大きさだけでもメルルゥの二倍近くあり、全長は三倍四倍ではききません。

「でっか、い……!」

 久々に単独で対面する大物に圧倒されながらも、すかさず戦闘を開始しようと鉾を握る手の握力を強めました。
 向こうはもうこちらの存在に気づいているはずです。先制で襲い掛かられると厄介なので、先にこっちから攻撃を仕掛けなければいけません。

「せいっ!」

 素早い身のこなしで親玉の左前足に回り込み、すかさず切断しようと横薙ぎに鉾を振るいました。
 しかし思った以上に足の筋肉が硬く、多少の損傷しか負わせることができません。さすがは親玉、大木を想起させる魔の足は強固で強靭でした。
 対抗するように牙を向けてきた魔物の思い一撃を捌きながら、一旦メルルゥは後退して距離を取ります。

 

―――――硬い……これは切断できなさそう。筋を狙っていこう。それも駄目なら目を潰して動きを封じよう……!

 

 続けざまにくる猛攻を回避しながら、鉾を鞭のように回転させて振るい、もう一撃先ほどと同じ個所に当てます。
 
―――――手ごたえあり!

 

 筋そのものを破壊できたわけではありませんが、それでも断裂間際までには追いこめたはずです。
 実際、親玉は聞くに堪えない絶叫を上げながら体勢を崩しています。

「そのまま動かない、でッ!」

 あとは弱点を狙って致命傷を与えればと、メルルゥが鉾を走りながら振りかぶったところで―――――唐突に真横に生えていた長草が根こそぎ抉られました。

 

「え」

 親玉に気を取られていた一瞬、横を向くこともできず―――――メルルゥは殴りつけられるような痛みを左肩に感じ、思い切り吹っ飛ばされました。

「ぐっ!」

 何とか受け身を取って地面に着地するも、無防備だった肩に食らった攻撃がかなりの痛手だったのか、苦しげに肩を押さえてしまいます
 メルルゥのすぐ近くで狙っていたかのように息をひそめていたもう一体の魔物は奇襲の成功に歓喜しているのか、あざ笑うかのようにメルルゥをその目に捉えていました。

 

―――――も、もう一体……不覚、気づかなかった……!もしかして、親分の足音が仲間の足音をかき消していた……?

 

 そうだとしたら知恵の無い魔物とは思えないほどの、計画的な戦術です。
 偶然でもそれにまんまとはめられたメルルゥは、初めてそこで焦燥感が溢れ出てきました。

 

―――――親玉はともかくとして、仲間がここに集められていたら……!

 

 自分が包囲されている陣形になってしまう。
 負傷した今、囲まれた状態での戦闘は非常に危険です。
 煙弾を撃とうにも、いつ相手が動き出すかわからない中で片手を封じることはできません。

「……なかなかやるのね。だけど、アタシは戦意喪失なんてしないから!」

 痛む肩から手を放して片手だけで鉾を構えたメルルゥが、今まさに突進してこようとしている新手の魔物に斬りかかろうとした刹那。

 

「悪いな。遅くなった」

 

 聞き慣れた声がメルルゥの耳元を過ぎったと思った数瞬後―――――目の前にいたはずの魔物がずたずたに斬り裂かれ、即死していました。
 間髪を置かずに放たれた多重の斬撃が瞬きをする間もなく、近づいてきていた魔物達を斬り捌き、気付けば周辺は魔物血液と悪臭が充満していました。
「終わりだ」

 使えなくなった足以外で何とか立ち上がろうとしていた親玉の首が、ばねのように刎ね跳んだと思えば―――――すでに、その場で息をする魔物はいなくなっていました。
 あまりに一瞬の出来事に、動けないでいたメルルゥはぽかんとしてしまいます。
「無事か」

 そんな彼女の目の前には魔物ではなく、闇に映える青髪のシアンが立っていました。
 両手に装備した鋭き斬爪には魔物の血が滴っており、接近してきていた魔物をものの数秒で片づけたのが彼であるということを決定的に物語っていました。

 無事か、と言われたことにここでようやく気付いたメルルゥは、慌てて返事をしました。

「あ、うん!大丈夫です!ちょっと肩を打撲しただけで……」

「見せろ」

「え?」

「早く見せろ」

 真剣な表情のシアンに、困惑しながらメルルゥは笑います。

「だ、大丈夫ですよこれくらい!舐めれば治りますって!」

「馬鹿か。そんなところに舌が届くか」

 苛立ち混じりのシアンに腕を掴まれ、肩にまで響いた痛みにメルルゥは顔をしかめてしまいます。すでに肩の怪我は鬱血してきていました。毒が侵入していないのは幸いでしたが、それでも痛々しいことには変わりありません。
 シアンは懐から取り出した布をメルルゥの肩に巻いて、応急手当てを施しました。
 的確で適切な処置は手際が良く、メルルゥはぼんやりと昔のことを思い出しては懐かしくなりました。

 

―――――昔も、こんな風にリーダーに手当てしてもらったことがあったなぁ。

 

「他に怪我は無いか?」

「無いです。ありがとうございます」

「なら、いい」

 

―――――ほら、やっぱりリーダーは優しい。 
 
 相変わらず冷たい表情をしているけれども、思いやりの心は誰よりもある。そう思うだけで、メルルゥは自分のことのように嬉しく感じてしまうのでした。
 いつの間にか彼女の頬が少し紅潮していたのは、彼女自身も気がついていませんでした。

「それにしても何で親玉はこっちに流れてきちゃったんでしょうね。本当はリーダーの方に来るはずだったのに」

「それは見ればわかることだよ~メルちゃん。無事でよかったよ」

「ジョイさん!こっちまで来てたのね!てっきり狙撃してくれるのかと思ってた」

 後方待機の役回りのはずのジョイがこんな場所までやってきたことに驚くメルルゥに、ジョイは調子良く笑ってみせた。

「いやいや、狙撃だけじゃ危なそうだったからこっちまで来たわけよ。俺は狙撃担当だけとやっぱり中距離戦のほうが得意だからさ。まぁそれよりも早くシアンの旦那が到着したようでよかったよ」 

「それで見ればわかるって、どういうこと?」

「そのままの意味だよ~」

「?」

 ひょいとジョイが振り返らずに後ろを指さしたので、メルルゥは訝しげに首を傾げてしまう。
 そして―――――信じがたいことを目にすることになった。

 


「―――――え!?」

 
 
「いやぁ驚いたよ~。〝移動型防魔装置(ムーヴ・シス・マテリア)〟なんて、そう簡単にお目にかかれるモノじゃないからね~」

「なななななな、なな、何これぇ!?」

「……随分と悪趣味な団だな」

 木と木の隙間を縫い、隊列を組むように直進してくる幾つもの大型舞台。
 それはさながら車輪のついた色とりどりの天幕であり、それがたくさんの大装置を積んでは運行しているのです。
 誰もが見慣れず、誰もが知らない技術が集束している眼前の旅団車に灯された明かりに照らされ―――――〝ノーゼア〟の三人はそれぞれの感想を顔に、心の内に出していたのでした。

 

 

 旅をするサーカス団―――――〝ドミナ・ドゥナミス〟の登場により、この街にとんでもない事件が起こるということを、この三人は知るよしもないのでした……。



 

 

 

 

 

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