幻想世界の古道具屋 第二幕 ブレス・ブレス・ドール

 

 

Ⅲ 見えない前兆

 

 ◆

 

 

「お友達が欲しい」

 

 ある時女の子の孤独感は限界を迎えました。
 今まで誰にも相談できず打ち明けられず、女の子は悲しみに暮れることしかできませんでしたが、ついに女の子は〝お友達を作ろう〟と思ったのです。
 家族がいない間、お母さん専用の戸棚を開けては、中から糸や布きれをかき集めました。それから裁縫道具を見つけては、それを持ってきたのです。どれも古びて立派なモノとは言えませんでしたが、それでも女の子は満足しました。
 女の子は慣れない手つきで針に糸を通し、布を縫い合わせていきました。
 何度も失敗して指に針が刺さりましたが、熱中するあまりかそれを気にすることはありませんでした。
 モノの作り方を教えてくれる人はいませんが、時間ならたっぷりありました。たくさん試行錯誤を繰り返し、女の子なりに工夫を入れ、たりない材料は自分のなけなしの持ち物を千切ったりして揃えました―――――ソレを作り上げたのです。

 女の子は内緒でこっそりと、人形(お友達)を完成させました。

 

 

 ◆

 

 

「疲れちゃって気分もよくないんだ。不調みたいだからしばらく休んでるね」

 

 ロミの腕の中でしっかりと抱えられたタロは、心配しないでと言いたげにアネットに微笑みました。
 おつかいとロミからのお届けを無事終えて、アジトからの帰宅途中、ますます元気を失くしてしまったタロはふらふらと頼りない足取りでしか歩くことがままならなくなっていました。
 心配になったアネットはタロを抱えて急いで家に帰り、ロミに見せたところ「体の不調かもしれないね。季節の変わり目だし、ちょっと診てみないとね」と言われてしまいました。
 タロはブリキの人形です。その為痛覚などは一切ありませんが、無生物体特有の違和感などを感じてしまうことがあるようです。
 アネットはれっきとした人間であり、水や栄養、呼吸などを必要とする生物です。しかしタロのような存在にはそれらは必要皆無です。なのでお互いわからないことだらけなのです。種族だけではなく、本質から。心で通じ合えることは、確かなのですが。

「おつかいありがとう。届けモノもちゃんと渡してくれたみたいだね。しばらく部屋に籠るから、今日はお店を閉めてきてくれないかな。何、そんなに不安そうな顔をしなくても大丈夫だからね」

 浮かない顔をしているアネットを優しくタロが撫でてくれましたが、あまり元気を取り戻す効果は出ませんでした。
 タロを修理すべくロミは専用の部屋に入ってしまったので、アネットはしばしの間独りになってしまいます。

「急にどうしちゃったんだろうタロ。昨日まではいつも通りだったのに……」

 原因不明の症状。タロでもよくわかっていない様子だったのに、ましては人間の少女であるアネットにわかるはずがありません。
 深い心配を抱えながら店の扉の脇にバベル語で描かれた「本日は終了しました」の看板を設置し、アネットはため息をつきました。

「大変なことにならないといいけど……私がいたところで、何かしてあげられるわけじゃないし……ロミの邪魔なだけだし」

 こんな時ほど大好きな親友であり大切な家族の傍に居られず、助けてあげられることもできないと、自分の無力感を覚えてしまうのです。

「これじゃあまた本当にロミに頼りっぱなしなのと同じじゃない!」

 やるせない思いを発散しようとアネットはぽかぽかと自分の頭を叩いてみましたが、痛いだけで何かを閃くことはありませんでした。

「せっかくいろいろ勉強したり練習したりしてるのに、一向に成果も出ない……これじゃあいつまでもロミみたいになれないわけよ―――――それよりも今日一日ずっとタロの傍にいたんだから、タロの様子をもっとちゃんと見て、もっと早く気付くべきだったのよっ」

 気づけば自分ばかりを責めていることに気づき、余計にアネットは沈んでしまいます。
 ロミのような道具使いになるには―――――道具の心を救うには、全然力が足りないと自覚しているのですが、どうにもこうにも落ち着いて自分と向き合うことができません。
 まだアネットは11歳で、幼い少女なのですから。

「散歩しに行こうかな……」

 ロミ達が部屋から出てくるのはかなり時間がかかりそうな予感もしましたし、何よりも自分に対する鬱憤じみた感情を何とかして追いだしたかったのです。気分転換するためにも、少し歩こうと思ったのです。絵を描くにしても本を読むにしても、一向に気が進みそうにありませんでしたから。
 とにかく今は、タロが元気になりますようにと祈ることしかできませんでした。

 心配を取り払うように、アネットは歩きはじめます。幸い店の周りはひたすら丘や野原なので、無心で歩くには最高に適しています。
 アネットは嫌なことで悩むのも、つらくなるような考え事も好きではないのです。
 そこだけは、とある拳士と少しだけ似通っているものがありました。  

 

 

 ◆

 

 

 オルバ古道具店の建つ丘からは、サーミの街の全貌が窺えます。
 円形に築かれた市街地に、更にそれを取り囲むようにある畑や山。奥には海も見え、景色を一望するには最も良い場所でもあります。
 だけど防魔装置(シス・マテリア)が効果を発揮する範囲の外れでもあるため、あまり人は寄り付かないのです。
 この丘に来る者は、古道具店に訊ねに来る常連客か―――――もしくは、何らかの事情を抱えたものか。 
 時は進み昼下がり、そろそろお腹が空いてくることです。
 ロミのことでしょう、アネットの為に残り物でしょうがご飯を用意してくれているでしょうが、あまりお腹は空いていませんでした。考え事のほうが重く、澱んだ水のように溜まってしまっているのです。
 穏やかな晴れ空の下、しばらく野原をとぼとぼと歩いていると、珍しく人影を見かけました。
 人影は大人でもなければ小さな子供でもなく、アネットより一回り大きいくらいでした。
 足を揃えて野原に直接座り、膝に顔をうずめては小刻みに震えています。微少ながらも嗚咽混じりの泣き声も聞こえてきます。
 それを見たアネットは、誰かが怪我をしているのかもしれないと思い、慌てて駆け寄りました。

「大丈夫!?怪我をしたの!?」
 声をかけられた方はびくりと大げさなくらいの反応を示し、勢いよく顔を上げました。
 成熟しきっていない少年の涙と鼻水で濡れた顔を見て、アネットははっとします。

「あれ?貴女……」

 その顔にはどこか見覚えがありました。 
 機械整備士の見習いが着用するような作業着に、少し変わった意匠を施された皮帽子。アネットよりも少し年上くらいの少年。あまり強そうではなく、気弱そうな雰囲気―――――。

「あ……」

 少年の方はアネットには見覚えが無いのでしょうか、拭いきれる量ではない涙を隠しきれず、恥ずかしそうに顔を赤くし始めましたた。
「あああ、あ……ごめ、ごめんなさいっ。怪我なんて、してないです……!ごめん、ごめんなさ……」

 呂律の回っていない声を再度聞き、ここでようやくアネットは思い出しました。

「あっ!」

「ひ!?」

 突然大きな声を上げたため、吃驚したのか少年は不安定な表情を更に歪めます。
 それに気づかないでアネットは更に声を大きくして叫んでしまいました。

 

「アジトの扉を壊した人!!」

「うわああああぁあああ!?」

 

 金切り声にも似た悲鳴を上げられ、今度は逆にアネットが驚いてしまいます。
 唐突に振りかかってきた恐怖(見た目は至って普通の女の子に声をかけられただけで恐怖と呼べるのかは定かではないですが)に少年は余計に怯えてしまい、がくがくと激しく震えながら再び顔を自身の膝に押し付けてしまう。幼い子供でもここまで臆病にはならないでしょう。

「ご、ごめんなさい。声大きかったわね。吃驚したわよね」

 おたおたしながらアネットが謝罪をすると、少年は目が辛うじて見える高さまで顔を上げて

「いいいいい、いえいえいえいえ!ぜんっぜん大丈夫です!ははははっははは……!」

 実に危なげな返事をしてくれました。
「全然大丈夫に見えないけど……どうしてこんな場所で泣いてるの?どこか痛いの?」

「い、痛くないですし、何も問題はありませ……」

 ここまで言って、少年は声が出せなくなってしまいます。
 何故なら両の目からぶわっと滝のように大粒の涙が、堰を切って溢れ出てきたのですから。

「わぁああ!やっぱり大丈夫じゃない!全然大丈夫じゃないじゃない!ちょっと待っててハンカチあるから……!ああっ!何これ滝!?あああそんなに泣かないでぇええ!」

 結局少年が泣きやんで落ち着くまで三十分ほどの時間がかかり、アネットのハンカチはびしょびしょになって絞れるほどまで少年の涙を吸ったのでした。


 ◆


「そっか……君にはぼくが跳びだしていくところを見られちゃったんだね。恥ずかしいなぁ……」

 赤く泣きはらした瞳を擦り、少年は申し訳なさそうに微笑みました。
 アネットは少年の隣に座りながら、まだ咳込んでしまう少年の背中をさすってあげます。

「すごい勢いだったから話しかけることができなかったの。メルから聞いたけど、〝ノーゼア〟のメンバーの人なんのよね?」

「うん……これでも、ね―――――自己紹介が遅れたね。ぼくはチャールズ。チャールズ・ソーラシエ。チャールズでいいよ。君より年上だけど、呼び捨てで構わない」

「私はアネット。この近くのオルバ古道具店に住んでるわ」

 アネットの名前を聞くと、チャールズは少しばかり驚きに目を見開きました。

「君がアネット……さんなんだね」

「私も呼び捨てでいいわ。私のこと、知ってたの?」

「はい。オルバ古道具店と言ったら〝ノーゼア〟の皆さんよくお世話になってるから。特にルナシィさんが」

 魔法錬金術師のルナシィと道具使いのロミに交流があるということは、アネットもよく知っています。具体的にどのようなことを進めているのかはよくわかっていないですが、ルナシィの研究にロミが協力しているといった具合なのでしょう。

「……」

「……」

 明らかに気まずい空気でした。
 それもそのはずです。恐ろしいモノから逃げるように泣いていたチャールズと、それを見かけてしまったアネット。会話が弾むわけがありません。
 隣同士で座ってしばし黙したまま地面の若草を見下ろしていたアネットは、慎重ながらも心配そうにチャールズに声をかけました。
「……どうして泣いていたのかって、訊いてもいい?」   

 そう言われてチャールズは暗い表情でうつむいたまま、ぼそりと消え入りそうなほどの小声で呟きました。 

「……笑わない、かな?」

「笑わないわ」

 彼にも何らかの複雑な事情があるのだと察したアネットは、正直なままに約束しました。  

 

「―――――ぼくはね、昔……父さんを魔物に殺されたんだ」

 

「お父さんを……?」

「うん……ぼくが八歳のころにね。ぼくは父さんが旅商団の商人だったから、母さんと一緒に隊商の中で暮らしていたんだ。ある日魔物の群が隊商を襲撃するまで、ずっとね」

 魔物が群れを成して人間に襲いかかるということは日常茶飯事であり、たとえ防魔装置(シス・マテリア)が作動していようとも避けようのない不幸にみまわれる場合も少なくはありません。
 チャールズのいた隊商も、その不幸に巻き込まれた一団の一つでしょう。

「ぼくは弱くて戦う力が無かったから、母さんと一緒に荷馬車の中で震えてるしかなかった。父さんはそんなぼく達を庇って……。父さんが魔物に引き裂かれた光景を、今もまだ鮮明に覚えてる……ぼくの目の前だったんだから」

 とても悲しげに語るチャールズの手を、アネットはそっと握ってあげました。
 今の世の中には、このように魔物に家族を殺された者が溢れ返っています。
 アネットは幼くして捨てられた捨て子ゆえに本当の家族のことを覚えていませんが、チャールズは自身の家族のことを今でもはっきりと記憶していることでしょう。
 もしもアネットの今の家族―――――ロミやタロが魔物に殺されてしまったらと思うと、胸が張り裂けそうになるほどの憂心をいだいてしまいます。
 チャールズの手はアネットよりも温かく、仄かな熱が肌に伝わってきました。

「父さんを殺されて、他の人達もたくさん殺されて絶体絶命だったその時―――――リーダーさん……シアンさんが助けてくれたんだ

「リーダーさんが?」

 アネットの脳裏に、ぼさぼさの青髪を持った無愛想な青年の姿が浮かび上がりました。
 いつも無口で煙草ばかり吸い、誰に対しても冷たいシアンのことを、失礼とは思いながらも人助けをするような人間にアネットは見えませんでした。

「まばたきする暇も無いくらいあっという間に魔物を倒してね、ぼく達皆を助けてくれた。リーダーさんはぼくの命の恩人で、救世主で……ヒーローなんだ」

 遥か高みにいる憧れの存在を語るかのように、チャールズの口元には自然と笑みが浮かんでいました。その様子だけで心からシアン・アストという人間を、彼がいかに尊敬しているかが手に取るようにわかりました。
 アネットは内心で「意外」と思いましたが、口には出しませんでした。

「帰る場所を失くしたぼくと母さんをリーダーさんがサーミの街に連れてきてくれて、いろいろと面倒を見てくれたんだ。だからぼくは思ったんだ―――――ぼくみたいに家族を魔物に殺される人を少しでも減らしたい。できることならリーダーさんの下で魔物を狩る戦士になって、強くなりたいって」

 だけどと、チャールズは悔しそうに歯を噛みしめた。

「ぼくはリーダーさんみたいに強くもなければ、父さんみたいに勇敢でもない。いつまでたっても弱虫な臆病者……。無理を言って〝ノーゼア〟に入れてもらったのに、メルさんに稽古をつけてもらったりしているのに、魔物のことになると体が動かなくなって、怖くて頭が真っ白になって……駄目なんだ。ぼくに勇気が無いから、皆の迷惑や、荷物にしかなれない……」

 こんな自分が嫌だ。変われない自分が嫌で嫌でたまらない。

 苦悩するチャールズは、アネットの手を握り返せなかった。

「今日だって魔物狩りの依頼があって、後衛でいいから少しずつ慣れていこうってジョイさんは言ってくれたのに……何の期待にも応えられなくて……」

 じわりと涙で潤みだす瞳は、自責の念でいっぱいになって、今にでもまた悲しみの粒が零れ落ちてしまいそうでした。

「どうしてぼくはこんなに弱くて、こんなに駄目なやつなんだろう……これじゃあいつまでたっても、昔のままだ……」

「チャールズ……」

 

 アネットが何かを言おうとする前に―――――不意に後ろから小規模な辻風が吹き荒れました。

 

「きゃ!」

 背中を押されるような風を感じ、アネットは顔を腕で隠しながら振り返りました。
 するとそこには予想外の人物が、趣味の悪い笑みを浮かべながら立っていました。

 風と共に参上したかのような出で立ちで。

 

「せ、清長?」

「随分とまぁ辛気臭い面してんなぁ。明日は雪が降りそうだな」

 

 その者の正体はにやにや笑いが苛つくほど似合う天狗―――――清長でした。
 相変わらず人を見下した目つきは鋭く、小馬鹿にしたような態度は人の心を逆なでしそうです。

「そのくだりさっきも聞いたような気がするわ……って、なんで清長がここにいるのよ!ここは防魔装置(シス・マテリア)の領域内よ!?入ってこれるわけ……!」 

 そこまで言いかけて、アネットは「あれ?」と何らかの違和感に気づきました。
 
「清長……あんたの羽って取り外し可能だったっけ」

「は!?」

 

 アネットがこう言ってしまうのも仕方がありません。
 何故なら清長の最大のトレードマークである黒羽根の翼が背中に生えていないのです。その他にも普段は着崩し具合が尋常ではない派手な着物を着ているはずが、今日はいつもよりも地味な着物〔それでも充分目を引きますが〕を身に着けています。
 これではまるで天狗ではなくて―――――。
 
「テメェの目は節穴か!?というか常識的に考えて羽がぱかぱか取れるわけねーだろ!合体ロボじゃあるまいし!―――――人間に化けてんだよ!」

「人間に!?」

「防魔装置(シス・マテリア)は人間を一度でも捕食した異人や亜人の魔力や妖力を通さない。だったら一時的にその力を抑えて人間側に回れば、侵入可能なんだよ。亜人じゃないとできない芸当だけどよ」

 つまり今の清長は天狗としての力を抑え、擬似的に人間の姿をしている状態なのです。
 それを理解したアネットは怪訝そうに眉をひそめます。

「あれだけ人間が嫌いだ嫌いだ言ってた清長が……?何か企んでるんじゃないでしょうね」

「うるせェ!亜人だって時には人間の中に紛れなくちゃいけねぇ状態があるんだよ!まったく……俺様だって好きで下賤な人間の姿をしてるんじゃねーぞ。おかげで空も飛べやしない。不便な体だぜ……繁殖力だけは無駄にあって、寿命もなければ筋力も体力もない。おまけに寿命も短いときた!無い無いづくしだな人間は」

 あんたも半分はその血を受け継いでるんじゃないと怒鳴りたい気持ちにアネットは駆られたが、話が余計にややこしくなりそうだったのでこの場では堪えることにした。 
 その代わりにそれじゃあどうして人間に化けてるの?と、追究しようとしたところで、すぐ隣にいたチャールズが息を呑んだのがわかりました。

「チャールズ?」

 アネットがチャールズの方を向くと、彼は血の気を引かせて青ざめており、先ほどよりも明確な恐怖に対して身を震わせていました。
 その視線の先にあるのは―――――。

「ん?なんだぁテメェは?女の後ろで馬鹿みたいに震えやがって」 
 人間の祖先の血を引いた、天狗の亜人である―――――清長でした。  

「あ、あ、あ……亜人……亜人だって……?」

 蒼白の顔は畏怖の念に囚われ、脈打つ心臓の音は警鐘を想起させ、隣にいるアネットにも聞こえてきそうでした。

「ほーぅ」
 目の前の人間がアネットとは違い、純粋に亜人を恐れているのだと気付くと、清長は一層楽しそうに邪悪な笑みを作りました。それこそ、今にでも人を食い殺してしまいそうな笑顔を。

「なんだお前。俺様が怖いのか?まぁそりゃあそうだよな。俺様は大空を支配し泣く子も黙る前に引き裂く、完全無欠の天狗の清長様だ。今は人間の姿をしているが―――――人間の状態の俺様をも怖がるだなんて……俺ってやっぱりすっげぇ強いんだなッ!」

 最後の一言で全てを台無しにしているような気もしなくもないですが、ノリノリな様子で清長はその名を名乗ったのでした。
 馬鹿らしく聞こえる自己紹介でさえチャールズは怖いのか、口を何度もぱくぱく開けながらアネットの後ろに隠れてしまいます。

「清長!チャールズを怖がらせないでよ!」

「天狗が人を怖がらせなくてどうする!中には子供好きの天狗もいたらしいけどよ、俺様はガキなんざ大っ嫌いだぜ!俺様を恐れる人間の無様で惨めな顔を見るのがすっげぇ楽しいんだよ!たとえそれが大人だろうがガキだろうが関係なくなぁ!」
 げらげらと機嫌よく笑う清長は、褐色の指でチャールズを指しました。人間の状態では短い爪も、普段の天狗の状態に戻れば人間の体を難なくずたずたに切り刻めることでしょう。

「だっせぇなぁお前。見たところお嬢ちゃんはお前よりも年下で、しかも女だぜ?普通人間の男ってのは女を率先して守ったり、優先して配慮したりするようなもんじゃねーのか?親切心?思いやりの精神?女を盾にしてどうするよ、しょうねーん!」 

「……ッ!」

 唇を痛いほど噛み、チャールズは何も言えずにいるアネットを見ました。その瞳は言い表せないほどの負の感情が寄せ集まっては揺らめきを強めていました。

「チャ、チャールズ。私は大丈夫。全然大丈夫だから気にしないで……」

「あーあ。女にその台詞を言われたら終わりだな。男として失格だぜぇ―――――お前、戦場じゃあ間違いなく仲間を見殺しにするようなやつだな」

「清長!いいかげんに……!」

「結局弱音を吐いては自分を否定して、自分は弱くて可愛いやつだって思いこみたいんだろ?そりゃあ楽だろうな。泣けば許されると思ってんだから!泣けば周りの人間は自分を守ってくれるって!そう周りにわからせてやりたいんだろ?自分はこんなにも弱いやつだって。人間の姿をした亜人の前で尻尾撒いて逃げるような、雑魚でしかないってよぉ!」

 まくしたてるように罵倒する清長の前で、チャールズはついに耐え切れず涙を流してしまいます。
 泣き声を上げることは無かったけれども、力無く項垂れながら草に朝露ではない水滴を与えました。
 心を傷つけられた人間が陥ってしまうような途方もない無力感。チャールズはまさに今それを体現しているようでした。

「いいぜ。可愛いじゃねえか。ぶっ殺したくなるくらい可愛いぜ!おっと俺様はそういう趣味が無いからな、一応言っとくけどよ―――――もっと怖がれよ。怯えろよ。畜生みたいに這いつくばって、命乞いをするようにな!汚いモン垂れ流して『お母さん助けて~怖いよ~』って懇願してろや!テメェみたいな可愛くてみっともない弱者にはぴったりじゃねぇか!」

 その言葉を最後に、チャールズは弾かれるようにその場から立ち上がり、一目散に清長に背を向けて走り出しました。

「チャールズ!」

 アネットが引き留めようと声を上げますが、彼女の声にも耳を貸さず、そのまま全力で走り去り―――――後ろ姿さえ見えなくなりました。

「何だ。逃げるなら最初から逃げりゃいいのによ。けっ、久々に楽しいカモが見つかったと思ったんだがもう終わりかよ」
 罪悪感の色を欠片も見せずに、清長は退屈そうに欠伸をしました。
 

 そんな清長の右肩めがけて―――――小石が投げられました。

 

「おっと」

 空を切る小石ですが大した勢いも無ければ力も無く、人間状態の清長でもあっさりかわすことができました。
 後方の原っぱに落下した小石には目もくれず、清長は肩を竦めました。 

 石を投げたのは―――――激怒しているアネットでした。
 恐怖ではなく怒りに震えながら、清長に石を投げたのです。
 子供の力で、亜人にたった一人で逆らうように。

「あんたが……あんたがそこまで人でなしだとは思わなかったわ……!」

「人でなし?おいおい俺様は最初から人間じゃねーぞ?」

「人間の血を引く亜人なのに!どうして人の気持ちをわかろうとしないのよ!?」

 今にも掴みかかりそうな剣幕で、アネットは拳を作りました。その拳で清長を殴ることはできないとわかっているけれども、体が勝手に行動してしまっていました。

「一生懸命精一杯頑張ってる人がいるのに、何であんなひどいことを言えるの!?あんたはそれでも……!」

 人間なの?と言えないことが、どれほどもどかしいことでしょうか。

「生憎だけどよぉ、俺だって好きで亜人やってるわけじゃないぜ?俺様は自分の中に流れる人間の血が虫唾が走るほど嫌いだし、お前ら人間も死ぬほど嫌いだ。人間はからかいがいのある玩具で、食料だ」

 あっさりと残酷なことを言ってのける清長に、アネットは一層濃い怒りを覚えてしまいます。
 そんなアネットを笑いながら―――――だけども今まで一度たりとも見せてこなかった悍ましい気配を帯びながら、清長はからりと履いている下駄を鳴らしました。

「勘違いすんじゃねぇぞ、ガキ。人間の血を引くからといって、亜人は人間に友好的じゃねぇんだよ。本能的に、本心から憎いんだよ。今更仲直りだとか和解だとかのレベルじゃぁないんだよ。なめんじゃねぇぞ―――――その気になれば人間なんざいつだって皆殺しにできるんだからな」

 

―――――お前ら人間は防魔装置なんていうけったいな名前の付いた豚箱の中で、生かされ続けてるだけなんだよ。

 

 それは人間からすればあまりにも冷酷な言葉であり、存在意義さえ見失ってしまいそうな破滅の言葉でした。

「最低……最低よあんたは……!―――――もう、いい。知らない……あんたなんて大っ嫌い!」

 貼りつくように絡みついてくる嫌な重いを振り払い、逃れるようにアネットもまた駆け出していました。 
 長い髪を揺らしては一目散に、転びそうになりながらも振り返らずに走りました。
 とにかく清長から離れたかったのです。
 無力感や不要感を味わいたくないのは―――――アネットも同じだったのですから。
 頬を伝う冷たい水は一体なんだったのでしょうか。
 今のアネットには、何故自分が泣かなくてはいけないのかと考える余裕さえありませんでした。

 


 ◆
 

 

 一人取り残された清長は、一つ深いため息をつきました。
 落胆と失望の色を浮かべながら、実に面倒臭そうに空を仰ぎ見ます。
「人間っていうのは、ほんっとーに面倒な種族だな。傷つきやすくて、脆くて―――――馬鹿馬鹿しい」

 それに比べて天狗は何て自由なのだろう。
 大空を飛翔し、どこまでも飛んで行ける―――――雁字搦めの統率や、規則さえなければ。
「……群れなきゃ生きていけない愚か者とは、俺は違う」

 自分自身に念じるように呟いたその時、清長の脳裏に自分が発したモノではない声が蘇るように流れました。
 遠い昔、まだ翼の羽毛が生えきっていなかったころの清長に向けられたある者の声が。

 

〝人間であろうと何であろうと、むやみに他者を傷つけてはいけませんよ。清長坊ちゃん〟

 

「うるさい……」

 思わず額を抑えて顔をしかめた清長は、忌々しげに歩きはじめました。翼が使えないため、今の移動手段は徒歩しかありません。

 

「俺様はお前とは違うんだよ彩倫(さいりん)……俺にいらねぇことを教えやがって……」

 

 清長は鬱陶しそうに額を軽く叩き、首を振ってから気持ちを切り替えました。

「さて、何はともあれ人間がほんっとーに使えない鈍いやつだっていうことはすげえよくわかった―――――なんで気づかないんだ?こんなに気持ち悪い気配がこっちに近づいてきてるってのに

 丘の上から見えるサーミの街は、見たところではいつも通りです。
 昼下がりなので朝ほどの活気はありませんが、それでも陽気な雰囲気は相変わらずです。

「見るからに誰もわかってないみてぇだな」

 人間は気づいていない。
 もうじきこの街にとんでもない〝何か〟が来ることを。 

「……ま、俺様はこの街がどうなろうがしったことはねぇけど、森の方まで被害が出んのは勘弁だからな。住み心地だけは一級品だしな」

 んじゃ、楽しく人間をからかえたし帰るかと、清長は伸びをしながら森の方へと戻っていきました。
 
 奇しくもと言うべきなのか、それとも必然的にと言うべきなのでしょうか、清長の不穏な予想は当たることになります。
 
 
  
 楽しげな笑い声が聞こえ始めたその時に―――――人々は改めて理解することでしょう。

 未知なる存在が、どれほどの危機を招くのかと言うことを。

 

 

 

 

 

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 ◆

 

 彩倫は当分出てきませんが、重要人物です。