4 ただしいことただしくないこと





「僕の弟がロリコンになって帰ってきた」

 

 今の状況を流行りのライトノベル風のタイトルに似せて表現するとしたら、あながちイーグルの言葉は間違いがっていないのかもしれない。

 

「や・め・ろ」

 

 ドスのきいた声でホークは全力否定をするが、イーグルの反応はある程度予想がついていたため、三分の一は割り切っていた。
 それもこれも仕方が無い。こんな状態で帰ってきてしまったのだから。
 朝帰りの弟の帰宅を迎えに玄関まで出た矢先に視界に跳びこんできたのは、ただでさえ目つきの悪い顔に重度の疲労感と苛立ちを浮かばせたことによって、より印象が悪くなったホークと、そんなホークの足元に立つガリガリに痩せた幼い女児。
 意味不明を通り越して無頼派的なシチュエーションに、常識に囚われないイーグルさえも一般人のようにドン引きしてしまう。それもかなりリアルに。
「ホークちゃん……僕は随分長い間、君のお兄ちゃんをやってるけど、まさかここまで重度なロリコンだとは気づかなかったよ……一刻も早く気づいて改善してあげるべきだったね……ごめんよこれは僕の責任だね……一生の人間性に関わる問題を対処してあげることもできなくてごめんよ……」
「人を勝手にロリコン扱いするな!」
 演技なのかは定かではないが、深刻そうな顔で謝罪されても虫の居所が悪いだけだ。おまけに自分のペースに入ると全く聞く耳を持たない相手となると、部も悪い。
「しかもよりにもよってこんなに小さな子を……この場合はロリータコンプレックスよりハイジコンプレックスって言うべきなのかな」
「知るか!余計な早とちりはやめろ!」
「略したらハイコン……合コンみたい……」
「どうでもいいわ!」
「年下好きだとは思っていたけど、まさか第二次成長期も迎えてないようなロリっ子が好きとは……それにアメリカンな雰囲気じゃない!肌黄色気味だし!」
「いいからそこをどけー!」
 どうでもいい分析を始めだすイーグルに痺れを切らしたのか、ホークは怒声に等しい声をぶつけた。
「どけって言われても、何?何処の馬の骨かも知れない子を連れ込んで何しようって……」
 イーグルの台詞は最後まで言いきられなかった。
 何故ならイーグルが己の美顔を歪め、鼻と口元を着物の裾で覆い隠してしまったからだ。
「何この、この世の汚臭を全て溜め込んだような臭いは!臭いし汚い!鼻が曲がりそう!ばっちい!」
 イーグルが忌々しげにガズネを睨むが、案の定ガズネは知らん顔だ。
 長らく体を洗っていないガズネからは実に奇怪な体臭が放たれている。それも、直接嗅いだらとんでもないことになりそうなレベルの激臭だ。事情を何も知らないイーグルからすれば突然臭い子供を持ってこられてわけがわからない!と、混乱しても当然のことだろう。
「その子本当に人間!?野良猫の間違いじゃないの?現代人にあるたじき不潔具合だよ!ホームレスだってここまでひどくないよ!」
「本当に人間かどうかは断言できないのは確かだがなぁ……」
「その子の臭いが移ってホークも臭いよ!近寄らないで不快!誰か換気扇回してよー!」
 泣き言に近い悲鳴を上げながら、忙しない足音を残してイーグルは家の奥に引っ込んでしまう。
 自分がひどく汚れている自覚の無いガズネは、敵意をバリバリに剥き出し、クマの刻まれた目下に更に陰を落とす。

 

「たかのおにいさん あいつ いや ころしていい ?」
「やめとけ。ろくなことになんねぇぞ」

 

 とりあえず、お前は風呂にぶち込もう。

 


 ◆

 


 およそ二時間半の風呂の激闘は、もはや詳細を語る必要が無い。
 それでもざっくり始終を説明するなら、あまりにも激しく暴れるガズネの両手両足を縛り、爆破能力封じのために無理やり目隠しもして、ホークが何とか洗ってやった。ガズネは一応女子だが、同居している女性陣の命に関わるため、責任を持ってホークが最初から最後まで世話をした。
 はたからみれば通報ものだが、何となく事情を把握した仲間達は家が全壊するのでは無いかと、はらはらしながら事の顛末を見守った。イーグルは相変わらずドン引きしたままだったが。
「あつい あつい あつい ……」
 バスタオルに包まり、雪だるまのようになったガズネはホークに抱えられ、さすがにぐったりしていた。叫びすぎたせいか喉も嗄れているが、ホークは申し訳ないとは思いつつもとりあえずガズネの汚れを洗い流せたので、奇妙な達成感が沸いていた。
 この際無傷じゃないだとか疲れて死にそうだとかは関係ない。俺はやった!うん!やったぞホーク!
「あつい …… べたべた ……」
「ぬるま湯だっただろ」
「あつい みず はじめて 」
「……今のご時世で水風呂オンリーはさすがに笑えないぞ」
 もちろんこの時のホークは知る由もないが、ガズネの元いた世界ではごく普通のお湯を利用した風呂は極めて珍しく、基本は水風呂か湖や川で水浴びするかが主流である。
 ガズネは万年水浴びの風呂嫌いであり、始めてのお湯の湯船にはまるで耐性がなかったのだ。
「悪かったな。手と足、痛くなかったか?」
「…… いたい ?」
 すでにガズネの拘束は解いている。ガズネも子供ゆえに疲弊している時は力を発揮できないようで、今は危険性が無いと判断したからだ。
 何より、小さな子供を縛り続けるのは気が引ける。
「いた く ない」
「それならよかった」
 不思議そうに答えるガズネに、ホークは安心した。
 こうして見ると本当にただの純真無垢な子供だ。嵐のような髪は濡れて肩に届き、掻き分けられた長い前髪の間からは真っ黒な目が覗いている。精気の篭っていない瞳だが、伏し目がちな丸い目はどこか愛らしい。
 この瞳の淀んだ曇りが取り覗けたなら、きっとこの子は誰からも好かれるような可愛い子になるだろう。少なくとも普通の暮らしが送れていたならば、こんな風にならなくて済んだことだろう。
 殺人狂の幼女に、そんな期待さえ覚えてしまう。
 ごく普通の女の子。
 風呂に入れた際に幼女の両足に巻かれた包帯を解くと、痛々しい傷跡が数え切れないほど刻まれており、足だけではなく服に隠されていた肌部分にも幾多の痕が残っていた。
 刺し傷や鞭で打たれたような痕、背中に至っては火傷の生々しいケロイドで皮膚が変色していた。
 一生消えない傷跡。
 とてもじゃないが普通の女の子が背負うものではない。
「 ? 」
 じっとホークのことを見上げるガズネに、何も言わずにバスタオルで頭を拭いてあげる。
「飯も食わせてやっから」
 ガズネがお粥を食べて眠るまでホークは彼女のそばにいてあげたが、行動だけを見ればガズネはどうしようもなく子供だった。
 壊れているようで壊れきっていない、壊れかけの子供だった。

 


 ◆

 


 こんな生活が数日間続いたと話せば、誰もが仰天するだろうか。
 夜になるたびに人を殺そうとするガズネの制御は苦労するが、案外彼女はホークの話を聞き入れてくれた。
 ガズネが何者でどこから来たかは未だ調査中であり、少なくとも結果がでるまではガズネの監視を終了するわけにはいかない
 そんなわけで、ガズネはホーク達一行と一つ屋根の下、仮居候していた。
 最初は誰もがガズネに対して警戒心を抱えていたが、おせっかいにも程があるホークの面倒見の良さが幸いし、今のところ甚大な問題は発生していない。
 だが、小さな女の子に振り回されているホークの様はなかなか滑稽なもので、ついには「子育てしてるみたい」だとか「犯罪臭がやばい」だとか、囁かれてしまっている。
 イーグルに至っては「どうしよう僕の弟、完全に毒されてる……」と、戦慄するほどである。
 おそらくガズネは寝床と食事の確保ができていることに安心しつつ一行の様子に警戒しているはずだが、ホークはそれで構わないと思っていた。
 夜な夜な人を殺す人喰い虎を飼う。
 彼女が血と肉ではなく、手料理で満足してくれるならば、これ以上は最低限、望まない。

 この数日でホークがガズネについてわかったことは、

 

 忘れっぽい、寡黙、凶暴だけれど真の人格はおとなしい、自分の身に降りかかった危険に対しては容赦しない、本当に無差別に人を殺しているわけではない、〝ふらんしす〟の命令が無いと行動できない、〝ふらんしす〟に心酔している、〝ふらんしす〟がいないと生きていけない、朝が苦手、太陽の日差しを嫌う、大きな音を嫌う、敵は嫌う、蝶が好き?(ただし確信は無い)、動物はわからないが昆虫は嫌いではない様子、ひらひらした物が好きかもしれない、甘い物が好き(本人曰く〝ふらんしす〟の好物とのこと)足枷と手枷は宝物、無趣味のように見えて意外と興味関心はある(ただし方向性がずれている)、マナーを知らない、ワンピース以外の服の着かたを知らない、とてつもなく不器用、動体視力はピカイチ、自傷癖がある(やめさせた)、水汲みと死体処理が得意(らしい)、高カロリーな物を食べさせると吐く、好き嫌いは今のところは無い、眠る時の体勢は胎児型、無理に起こそうとすると飛びかかられる(殺されかけた)、気づくと部屋の隅にいく、人見知りはしない、思いやりの精神は一切無い、初対面の相手には必ず威嚇するか警戒する、寒さを拒む、身長は120センチ弱、体重は20キロ以下、ぼさぼさしていてわかりにくいが本来の髪は天然パーマ気味、感情表現が致命的に苦手、上手く笑うことができない、怒りの感情だけははっきりしている、常に無表情のように見えて実は細かい反応もしている、

 〝たかのおにいさん〟を覚えてくれた。

「たかのおにいさん どうして ガズ を ころさない の ?」
 椅子の上にちょこんと座ったガズネは、ホークに訊ねる。
 前まで着古していたボロ衣では無く、ホークが与えた服を着ているガズネだが、長袖に慣れていないのかたびたび手を引っ込めては袖を揺らしている。
「殺す殺さない以前に、俺は人殺しじゃないからな」
「よく わかんない」
「お前は殺したくないし、殺す気もないぜ。誰かに突き出すつもりもない」
 ガズネはホークの言葉の意味を少しだけ理解したのか、無表情のまま俯く。
「…… おかしい よ この せかい 。 だれ も ガズ を ころし に こない」
「そんなに、殺されかけたことがあるのか」
「ガズ の こと ころし たい ひと たくさん いるよ」
 本当の世界では、安息も安穏も存在しない。
「ガズ は だめ だから 。 いらない って みんな しね って いう から」
 歪んだ殺人鬼を裁こうとするのは、藍色髪の剣客少女以外にも、たくさんいる。
「みんな みんな ガズ を ころし に くるの 。 でも みんな みんな しんだ …… ガズ が ころしちゃった」
 屍の山の上に立つガズネ。
 ホークは、血の海に数多の人間が沈められていく地獄絵図を思い浮かべ、顔をしかめた。
 心なしか、淡々と自分のことを語るガズネが、ひどく弱々しく見えた。
「そしたら ガズ が おはか つくる 。 ガズ したい なれてる から 。 みんな みんな したい に みえる 。 したい に なる ……この せかい ころす か ころされる しか ない よ 。いつも ガズ は ころしてる もん 」
「もういい。やめろ」
 こんな子供に殺伐とした世の真理を、語ってもらいたくない。
 ホークはガズネを抱きしめた。
 小さな小さな体。
 この体は、世の中の汚い闇の要素を知り尽くしている。弱肉強食を、理不尽を、残虐さを、惨さを。
 傷つけることしか知らず、優しさを知らないのだと、ホークは悟っていた。
「ガキはガキらしく我儘言ったりふざけたり、馬鹿したりしていいもんだぞ」
「…… たかのおにいさん どうして ? ガズ の こと ぶたないの ? いじめない の ?どうして ?」
 されるがままのガズネは、他者の温もりに驚きながら、そのまま抵抗しなかった。
「きっとお前は、世の中の人間全員が敵で、狼の群れみたいに見えるんだよな」
 この世の全てが、女の子を喰らい尽くす、敵、敵、敵だらけの世界。
 だとすれば心細すぎて、悲しすぎる。
 女の子は、助けを求めて叫ぶ術を知らない。
 女の子は狼の死しか唄えず、救済者がいないことを受け入れているから。
「オーカミ ……」
 少し窮屈なのか、ガズネはホークの胸の中でもぞもぞと微動する。
「なら、今は俺が見張っててやるからよ。誰もお前を食べないように守ってやるからよ、そんな風に張り詰めなくてもいい。いいんだ」
「たかのおにいさん たかのおにいさん ガズ みんな ころす から みんな みんな ころす から みんな ころす から 」
「違う。違うんだ。そうじゃない。ここなら誰もお前を襲わない。馬鹿みたいなことは嫌ってくらい日常的に起きるけど、それでも殺す殺さないとは話が違う」
「ころさない …… ころせない いや」
 初めて、ガズネの声が怒りでも無感情でも無く、かすかな恐怖に震えた。
「いや いや きらわれ たく ない いや いや いや …… ガズ ころさない と …… !」
 病的に呟くガズネは怯えており、不安定な情緒を目の当たりにしてホークは何も言えなくなってしまう。
 ただ、抱きしめることしかできない。
 軽すぎてそのまま見失いそうな、朽ちかけの枝のような女の子を。
「おにい さん 。 おにいさん ……」
 怯えた表情のまま、ガズネはホークに訊く。


「たかのおにいさん は ころしても いい ひと ?」

 

 出会ってから数百回は問われた言葉に、ホークは「駄目だ」と答える。

 

「お前を血で汚すわけにはいかねぇよ。また風呂にぶち込む羽目になる」

いいかげん、ガズネの情報の解析を待つのは草臥れた。
そろそろ〝ふらんしす〟とやらを引き摺り出したいところだ。

 


 ◆

 


「こんばんは」

 フランシスが颯爽と登場したのはあれからまたしばらく経過した夜のことだった。
 いつまでもガズネを家に幽閉(厳密には違うが)しているわけにもいかないので、夜に彼女を連れて散歩するのがホークの日課になっていた。
 外の世界が珍しいのか、いろいろな物を凝視しては目を丸くするガズネの様子を見るのはなかなか面白くあった。
 そんな中、三日月が浮かぶ空の下の無人の公園にて、奴は姿を現わした。
「ふらんしす」
 ガズネが目の色を変えてはホークの背中から飛び降り、一目散に駆けていく。
 その先にホークが見たのは体が中途半端に透けた、奇妙な少年だった。
 ゴシックロリータとスチームパンクを兼ね備えた雰囲気の衣装に、何色とも表せないおかっぱ頭に猫を想起させる瞳。左目は盲目なのか漆黒の眼帯を着けている。見た目こそガズネより二、三歳年上程度の少年だが、纏う気配は大人びているレベルではなく、数千年生きた妖狐のような貫禄を感じさせる。無邪気な表情の裏に隠れる老獪さ、可愛らしい外見に覆われた狡猾さ、子供が辿りついてはいけない領域まで、少年は線を踏み越えてしまっているような禍々しさ。
 ホークは直感する。
 こいつは一筋縄ではいかないやばいやつだと。
「ふらんしす ! ふらんしす ! ふらんしす ! ふらんしす ! ふらんしす !」
 地面から数十センチ浮かんでいるフランシスに向かって、ガズネはぴょんぴょんと今にもしがみつきそうな勢いで飛び跳ねる。
「あらあらガズネ。はしたないですよ」
 するとフランシスは妙に蠱惑的にくすりと笑み、ガズネの額にキスを一つ落とした。
 ガズネはとても嬉しそうにフランシスの足に擦り寄り、目を瞑ってはうっとりとする。
 あんな表情もするのかとホークは吃驚したが、今はそれどころではない。
 ホークが何かを言おうとする前に、フランシスが口を開く。
 少年のようで少女のような、はっきりとしない美しい声音だ。
「ガズ。ガズ。ガズネ。知らない人について言ってはいけないと六十三回は口を酸っぱくして言いましたよ?酸っぱくなりすぎて常にレモン飴舐めてる気分ですよ!これでは常時発情期なラブコメのちょっとエッチなキャラクターみたいじゃないですか。んふ、恋はレモンの味って青春感じちゃいますよねホント」
 返答しないで甘え続けるガズネに大した期待もしていないのか、フランシスはくすくすと微笑し、ここで初めてホークに目をやった。
 射すくめられるような視線。心臓を鷲掴みにされるような圧力。宝玉のように煌めく瞳の奥にはガズネの闇よりも深い闇が潜んでいるのか、ぎらぎらと怪しげな輝きがホークの心を見据えてくる。
 ホークの全てを掌握し、支配せんとばかりに。
 子供相手に何をビビってるんだ俺は。
 己に失笑しつつも喝を入れるが、流れる冷や汗は止められない。
 フランシスはそんなホークの心情を察したのか、実に楽しげな笑みを浮かべたまま話しかけてくる。
「貴方がガズネと遊んでくれた心優しい紳士様ですか?それとも幼女趣味の変態さんですか?」
「だっ……誰が変態だ!」
 反射的に怒鳴り返してしまったが、フランシスはますます愉快げに笑う。
 神経を逆撫でするような笑顔に、ホークは苛立ちにも似た感情を抱いてしまう。
 こいつがガズネの飼い主か。
 納得する。こいつの性格は最低最悪を極めている。
「おい、ガキ」
 威圧的な態度で、ホークは乗り出してみる。
「お前みたいなガキが何で、こいつにあんな姿でこんなことをさせてたんだ。そもそもお前は何者だ」
「ガキ?」
 目を丸くするフランシスは、露骨な態度で耳に手を添えた。
「申し訳ないですがもう一回言っていただけます?」
「あ?」
「私のこと、ガキと言いましたね?」
 刹那、何が起こったのかホークにはさっぱりわからなかった。
 まばたきする間も無いほどの須臾。
 ホークの視点から脚色せずにありのままの出来事を説明すると、数メートル離れた地点に浮遊していたフランシスがいつの間にか自分の真正面に立っており、自分を見下ろしていた。
「……!?」
 先ほどまでの華奢な子供姿ではなく、成長しきった青年の姿で。
「誰がガキですって?ええ?貴方の目は節穴?それとも偽の眼球をはめ込んだだけのウロですか?外見だけで人を判断しちゃいけませんよ。何事においても中身が大切です。これは人生の教訓、先輩からのアドバイスですよ……坊や♪」
「な、な……!?」
 邪悪な笑みを湛えながら、フランシスはホークの無防備な頬に手を沿える。高価な陶器を扱うようにゆっくりと撫でられると身が竦み、金縛りのようにフランシスから目が離せなくなる。
 艶やかなおかっぱが更に伸びて、宙空で夢のように波打つ。着ている衣装も大人びたタキシードに変わり、体つきもしなやかでいてしっかりとしている。眼帯は特に変化していないが、隠されていたい右目から漂う妖艶さは凄まじく、男であるホークさえも危うく見惚れてしまいそうになる。
 吸い込まれそうになる魅力、取り込まれそうになる魅惑、猛毒のような美しさ。
 鮮烈な赤薔薇を連想させる赤い唇が動き、初めてホークは我に返る。
「ガキと言われてしまいましたが、私は少なくとも貴方の何千倍は生きていますよ。それこそ大図書館の全書棚を隙間無く埋めるほどのエッセイが書けてしまうほどの経験と体験を積んできています。今後もばんばん積み上げて雪崩を起こす予定なので、改築も視野に入れています。あ、別に脳味噌の容量的な意味では無いですよ。私は人造人間では無いので」
 フランシスは饒舌に会話を推し進め、やっとホークから手を離した。
 同時に、青年の姿から再び少年の姿へと戻る。映写機を逆に回すような変化に、ホークは驚愕に目を見開いたままだ。
「う う ふらんしす ふらんしす 」
 手を伸ばしてくるガズネの手を握り、枷が着いていることを確認しながら、フランシスはホークに向き直る。
「何者かと訊かれたので、せっかくだから答えてあげようと思います。私はフランシス。貴方が見たままの風来坊な紳士です。そしてガズネの飼い主をしています。以後お見知りおきを」
 恭しくお辞儀をするフランシスに用心しながら、ホークは彼を睨みつける。
「お前は、小さい子供を鎖に繋いで興奮する胸糞悪い趣向持ちか」
「まあひどい。小さい子供である私に向かって何を言うのですか」
おどけるフランシスに、ホークは露骨に不快感を露わにして舌打ちをした。
「楽しいか?子供に人殺しをさせるのはよ」
「楽しいですよ。戦災孤児、少年兵、子供が大人に逆襲していくスタイルは新鮮でいて画期的、ドラマチックでさえあります」
「狂ってやがる……」
「狂うも何も、私達の世界はそういう風にできていますか。貴方達の暮らす世界とは天と地ほどの差があります。無論、我々の世は地ですがね」
「……やっぱりお前らは、違う世界から来たのか」
「おや、察しが早いですねぇ。いいですよいいですよ理解が迅速なのは。行数の無駄遣いを抑えられますし、何よりも文字を打つ時間短縮もできますから」
「何の話をしてやがる」
「何の話もしていませんよ。ただの独り言です。私はガキなので空想の友達とお話するのがだぁい好き。イマジナリーイマジナリー♪」
 ホークにガキと呼ばれたことを相当根に持っているのか、フランシスはガキの部分の発音だけ、より抑揚をはっきりつけている。
「私達は異世界の民。言うならば来訪者です。ビジター。退屈すぎて魔法をいじって遊んでいたら、偶然この世界の道筋を発見したのです。暇でしたから空間移動と次元変異の公式を組み立てて、証明から解析し、何だかんだで到達したわけです。ね、簡単でしょ?」
 まさかとは思っていたが、本当に異世界の存在だったとは。
 ガズネの超人並みの身体能力も、これなら充分納得がいく。もともとこの世界の者では無いのだから、潜在する力の強さの世界的基準も違う。
「せっかく見つけた面白そうな世界なので探検しようとしたのですが、私は元の世界に愛されているので、どうにもこっちで上手く体を保てないんです。さっきから私が透けているはその影響からです」
 向こう側の景色が視認できるほど、現在のフランシスの実体は不完全だ。
「私の可愛い部下達は皆個性的ゆえに言うことをあまり聞いてくれないんですよ。これは決して私に対する犯行だとかストライキでは無く、本当に一つの命令では縛れない変な意味で優秀な有象無象の魑魅魍魎達ばかりで……とりあえず今回はガズネに調査を任せてみたのですが、やっぱり子供を野放しにするのはよくなかったみたいですね。随分と、やってくれたみたいですし」
 フランシスが手招きすると、ガズネは喜んで彼に飛びつく。甘えるガズネの髪を指で梳かしながら、フランシスは息を吐く。
「ガズネの面倒を見てくれたことには感謝しますよ。この子は手のかかる子だというのはご理解いただけたとは思いますが、よくもまぁほっぽり出しませんでしたね。何故殺さなかったんです?こちらの世界にはこの子のような異常者は異端なのでしょう?」
「部下には辛辣なんだな」
「そう睨まないでくださいよぉ。とりあえずガズネに変な意味で手を出さないでくれたのは本当にありがたいです。この子は貴重な兵器ですから」
「兵器、だと?」

 

「ええ。歩いて喋って呼吸をする兵器。燃費には少々難がありますが長持ちする消耗品です」

 

 フランシスの台詞が言い終わる直後、ホークの体は明確な意志を持って動いていた。
 熱くなって我を失ったわけでもなく、脊髄反射的に足が一歩前に進んだわけでもない。
 単純に目の前の気に食わない対象を叩きのめしたい。
 やけに冷静に、大脳は運動神経に命令を送っていた。

 

 〝ブッ飛ばせ!〟と。

 

「いやはや、人間というのは感情に左右されすぎて厄介ですね。大した強さもないのになまじプライドと情に熱いせいで、悲惨な結果を残すことになる」
 力を込めた拳を前にしても怖気づかず、フランシスはどこからともなく一本の槌を取り出し、ホークのパンチに対抗するように振るう。
 ばちんと、槌と拳がぶつかり合うにしては軽い衝突音。
「!」
 ホークの手は弾かれ、押し出されるように数歩後退してしまう。
 後にも先にも残るのは手応えの無さと、手の痺れだけであった。
「うふ。魔道具の力を見るのは初めてではないはずですよ」
くるくると器用に小槌を回しながら、フランシスははにかむ。
「魔道具『大鎚小槌』……金銀財宝ざっくざっくだとか小人を巨大にするだとかはできませんが、〝ぴったり衝撃を殺す〟ことだけはできますね」
「……そっちの世界には魔法やら何やらややこしいものが存在するみたいだな」
「科学よりはややこしくないと思いますよ。魔法は星の力、動力源は惑星から放出される魔力素。簡単なものならば余計な回路も無いので使い勝手が良いですよ。少なくとも星を穢す近未来的技術よりは」
「お前の言葉はさっぱりだが、殴れば壊れるものは壊れるんだろ?」
「不変な物質はこの世にありませんよ。生を持たなければ、尚更」
「そうか。なら、やっぱり殴っておかないと気が済まねぇな」
 ホークは再び、フランシスにストレートに拳底を放つ。先ほどよりも威力と速度を上げて、武器を突貫する勢いで。
「貴方のど直球な発想、信念、嫌いじゃないですよ。ちょっぴりソウリュウさんに似てて、抱きしめたくなっちゃいます」
 フランシスがガズネを投げるように地面に降ろし、『大鎚小槌』はそれこそ魔法のように手の内から消失する。
 無防備なまま、フランシスはすっと指を立てた。
「だけど、貴方もソウリュウさんと同じで優しすぎる。殺す気で来てくれないって、私からすればすごいなめられてるみたいで、ムカついたりしちゃったり〜」
 轟音と共に生じるのは不可視の衝撃波。
 至近距離で伏せていたガズネは爆風を凌ぐべく耳を押さえ、目を閉じる。
「あははすごいですねぇ。今のパンチは『大鎚小槌』では耐えられませんでしたね」
 軽快な拍手を送るフランシスに対して、ホークは厳しい表情で自身の拳の先を凝視する。
 確かにフランシスを狙ったはずの一撃だが、フランシスの寸前で停止してしまっている。

 見えない壁に阻まれて。

 これもまた魔道具だと悟ると、ホークは苛立ちを露わにする。
「……さっきから小細工ばかりじゃねぇか」
「小細工?これも立派な戦略です。図に乗らないでくださいよ、羽の生えただけの霊長類の進化版が」
 耳を疑う発言が飛び出したような気がした。
「ヒト科ヒト属のホモ・サピエンスに翼が生えてもろくなことにはなりませんよ。愚かにも太陽を目指したせいで翼が融けて墜落死した人の子の物語は、こちらの世界でも有名なんじゃないですか?天使さん♪」
「お前、何故それを……!」
 自分が天使であるということがばれている。
 予想外の自体に動揺するホークを嘲笑うように、フランシスはきゃらきゃらと笑う。
「何故って?私の情報網を甘く見ないでください。〝地球〟の全土は私のテリトリー。例え世界が違えど、ここが〝地球〟ならば、私にとっては永遠無敗の恰好の舞台。万物は私を中心に周りだし、特に生命は私を飾り立てる愉快で無能な役者として手の平でダンスパーティーを繰り広げることでしょう。未来永劫終わりのない宴を……」
 フランシスはホークの見ている中でガズネを引き寄せ、密着したままの大勢で語り出す。いやらしい目つきはもはや魔物のように悍ましく、鳥肌が立ちそうになる。
「貴方は良い人なのでしょうね。困った人を放っておけない。見て見ぬ振りができない。他人の事情につい首を突っ込んでしまう。傷ついた人を癒したいと思ってしまう。路傍の小石のような存在を気にしてしまう。ピンチな人は例えどんな状況に陥っていようと率先して助けてしまう。心優しくて誰にでも親切で平等……まるで本当に天使みたいですね。都合の良い天使様。危機を救ってくれる天使様。嘆きを受け止めてくれる天使様」
 ははは!神無き我が世には稀有で希少価値!何と滑稽なことか!
 ぞっとするほど冷え切った目は、全てに絶望し、失望した色に染まっていた。

「貴方みたいな人のことを何て言うか知っています?〝偽善者〟って言うんですよ」

 フランシスの言葉の礫の一つ一つが氷のナイフのように鋭く、ホークの精神に切り傷を負わせていく。
 声音はもはや少年のそれではなく、神をも超え、宇宙の重さがそのままのしかかってくるような、筆舌しがたい威圧が込められていた。
「貴方の優しさが貴方の首を絞めている。貴方の情けが貴方の心を縛っていく。だからいつまでたってもお兄さんに勝てないんですよ。〝ハワードくん〟
「……ッ!」
 ああ、全て見据えられている。何もかもを見通されている。
 今すぐ全速力でここから逃げ出してしまいたいと叫ぶ自分がいるが、その衝動は必死で堪えた。
 ここには、何もわかっていないガズネがいるのだから。
 不思議そうにホークを見つめている、ガズネがいるのだから。
「……こいつから鎖を外せ」
 渇く喉奥から洩れたのは、その言葉だった。
「鎖を外せぇ?」
 馬鹿馬鹿しいと言いたげに、フランシスは顔をしかめる。
「今まで私は散々ガズネを今世紀最大のお馬鹿さんと褒めてあげましたが、貴方は人生落第レベルの愚鈍者でしたか。木偶の坊?その割りには見てくれは良いんですよね!なかなか私好みの美青年さん。フリル満載のキュートなドレスを着せてあげたくなります。ははは!鎖を外す?無理ですよ!この子は鎖が無いと生きていけません」
 誰かに束縛されていないと生きていけない子なのですよと、フランシスはガズネの顎に手をやる。
「着せ替え人形は誰かが人形を着せ替えてくれることで初めて着せ替え人形本来の存在意義を主張できるのですよ。だけど主張だなんて、おかしいとは思いませんか?人形が主張するはずがないですよね?人の形をした魂の収まっていないモノが、喋る口を持つはずがありません」
「こいつは人形じゃない!お前はわかんねぇのかよ!こいつが、どれだけお前の期待に応えようと努力しているのかを!」
 人を殺すことで存在意義見出せる。
 人を殺すことで褒められる。
 人を殺すことで愛される。
 人を殺すことでしか自分を表現できない。
 全てはフランシスに尽くすための、善行。
 実際、ホークはそれで死んだ。
 ただの人間ならば、二度立ち上がることができなかった。
 ガズネを人殺しの怪物にしてしまったのは、フランシスだ。
 だからこそ、ホークはフランシスが許せなかった。
 自分が味わった痛みよりも、ガズネを怪物に仕立て上げたことに対する怒りが、フランシスへとぶつけられていた。
「ねぇ、ホークさん。私は今、本気で貴方に精神病院での診察を推奨したいです」
 やれやれと呆れた態度を見せて、フランシスはガズネを撫でる。
「ガズネは私のペットです。愛玩目的以外では家畜と同等のようなモノです。貴方は家畜に対して馬鹿正直に人間様の言葉でコミュニケーションを取ろうとするのですか?」
 私は教育方針を何も間違っていない。
 ホークは強く歯を噛み締める。激情だけは、もう抑えようがなかった。
「てめぇは、そこまで、腐ってやがるのか……!」
 今度ばかりは本気の戦闘に切り替わりそうな気迫に、フランシスは嬉しそうに手招きをするが、その前にとガズネを指さした。

 

「そういえば言いましたっけ。この子は人間じゃないですよ」
「……は?」

 

 予期せぬ事実に、ホークは拍子抜けしてしまう。
 ガズネ。
 情緒不安定な女の子。
 外見に関しては、どこからどう見ても人間にしか見えない。
「邪妖精の取り替えっこ。単なる取り替えっこならこちらの世界にも伝承があるのでは?ガズネは人間の赤ん坊と取り替えられたれっきとした妖精です。負と厄災を振りまく穢れた、ね。見た目はほとんど人間ですが、この子の潜在能力は貴女も充分思い知ったのでは?」
 あの爆破能力も妖精の力。
 すんなり受け入れつつあるのは、ホークの感覚が麻痺してきているからだろうか。
「ちなみにこの子は38歳。歳の概念を持つ妖精族からすればまだまだ子供ですが、貴女より年上ですよ」
「は!?」
 38ぃ!?
 俺より年上かよ!
 唖然とするホークを、フランシスは勝ち誇るように鼻で笑った。
「結局貴方は何も知らないのです。こちらの世界の事情も常識も」
 くるりとフランシスは踵を返し、ガズネの手を掴んでそのまま数歩先に歩く。
 そしてもう一度振り返る。
 冷酷な表情を浮かべて。
「単刀直入に言わせてもらいます。これ以上首を突っ込まないでください。迷惑です」
 ホークは、その言葉の反論を何通りも考えたが、どれも口にすることができなかった。
 理由は、誰にもわからない。
「一旦帰りましょうガズネ。後でもっといいこいいこしてあげます」
 にこりとガズネに微笑みかけるフランシスだが、急にガズネの足が止まった時、微笑みは不審感に変わる。
「ガズネ?」
「…… たかのおにいさん」
 ガズネはホークをじっと見ていた。
 不思議なくらい澄んだ眼差しで、見つめてくる。
 まるで、ホークとの別れを名残惜しむように。
「ガズネ!」
 堪らずホークが手を伸ばすと同時に、フランシスがむっとした様子を覗かせた。
「困った子ですね。私の手を煩わせないでくださいよ」
 一息間を置いてから、フランシスは情け容赦無くガズネの頬を殴りつけた。
 呆気なく地面に倒れたガズネに追い打ちをかけるように踏みつける。フランシスは踏みつける。
「何だか貴女、いつの間にか血色良くなってません?ダメですよ〜貴女のチャームポイントは貧相なことなんですから。ねぇガズネ。私の命令を無視しましたね?否、気づかなかったのですかね。ぬるま湯に浸からせるべきではありませんでしたねぇ」
「やめろ!」
 ホークがフランシスを突き飛ばそうとするが、目を疑うほどの速さで、逆にホークが杖を突きつけられていた。
 細長い包装が施された飴のような杖は黒光り、ホークを近づけさせない。
「こちらの世界のプレイヤーも生温いですね。遅い、遅い、遅すぎです。ラーメンタイマーの真似事みたい」
「お前は……お前はいつもこうやってコイツを縛りつけていたのか!依存と暴力で!」
「なーにをわかりきったことを……ホークさん。貴方のその発想。それに行動自体が無為なのです。意味が無い、何の成果も出ませんよ。そんな可愛い攻撃、宝くじより当たるわけ無いです」
「だったら試してみるか!小細工も全部破壊してやる!」
「……ガズネに背後の取り方を習得させたのは私。戦い方を叩き込んだのは私です」
 するりと、フランシスの得物の杖が陽炎のように揺らめく。
 目の錯覚かと思いきや、気づけばホークは地面に倒れていた。
「な」
 痛みも感触も何も無い。予備動作も攻撃さえ無く、ホークは地面に背をつけていた。
 倒されていた。
「私がその気になれば、今頃貴方は543回は死んでいます。いや、もうちょい頑張れば890回ですかね。サイズがでかい相手は楽でいいです。的もでかいですから」
 強引にガズネを引っ張り上げたフランシスは、半ば引きずるような形でガズネを連れていく。
「Goodbye! 次に会う時が万が一ありましたら、もう少し腕を上げてくださいな♪」
 今にもスキップを始めそうなフランシスの後ろ姿を、ホークは眺めることしかできない。
「ガズネ……!」
 鎖に繋がれた女の子は、ホークを一瞥しただけで、振り返ることはなかった。
 ただ、その唇が

 


「にげ て 」


 死の言葉以外を紡いだことが、後のホークの決断に繋がったのかもしれない。











 次にホークがガズネに再開する時、彼は真っ赤な薔薇の地獄を見る。


 

 

 

 

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