名も無き勇者の冒険 第一幕 飛べない勇者と死ねない愚者

 

Ⅹ 導き出すべき謎 ~赤薔薇の館第一階層~

 

 

 

 ◆

 

 

―――――思った以上に呆気無く終わっちゃいましたねぇ。

 

―――――期待させておいてあれはないでしょ~。観客が礫を投げちゃいますよ。石の礫、、言葉の礫。どちらも当たると痛いですし、最悪死んじゃいますよね。

 

―――――暴力は体を殺し、罵倒は精神を殺す…まぁ気にした方が負けですがね。ですが、この場合はもう残機が無いので終了です。

 

―――――期待外れなメイドでしたねぇ。しょっぱなからあんな醜態を晒してしまうなんて、某ギャグアニメばりの阿呆具合ですよ。

 

―――――……何よりあの鋏、耐水加工はしているから壊れる心配はありませんが、あんなに深く沈んだら回収しにいくのも大変じゃないですか!

 

―――――まったくもう、私の心が憂鬱で浸水してしまいますよ。いつも以上の三割増しで。


 ◆

  


 重々しい音と共に扉が開かれれば、豪奢なエントランスがソウリュウとフレイを出迎える。
 ぞっとするほど高い天井から吊るされている巨大なシャンデリア。塵一つ落ちていないほど磨かれた床。正面に待ち構えている階段は古式ゆかしい洋館を象徴させる意匠だが、一段一段に鮮烈に赤い絨毯が隙間無く敷かれているせいか、血の滝のように見えてしまう。
 ここはまだ玄関だが、ソウリュウ達からすればエントランスだけで「とんでもなく馬鹿でかい」という印象を抱きつつあった。外観からあんなにスケールが大きければ、内部も相当広大に決まっているが、二人にはいまいち実感が無かったのだ。
 豪華絢爛でいて堅牢無比な造りは、一度足を踏み入れれば二度と外に戻ることはできないなどというよくある根も葉もない噂話に登場する館を体現したかのようで、フレイはごくりと息を呑む。
 それに続けて意気込みの宣言にはほど遠いが、気を引き締めて行こう程度の声掛けをしようとしたところで、隣にいるソウリュウは場違いなほど大きな声で歓声を上げる。
「でかいな!本当に千人余裕で入りそうだな!―――――おいフレイ見てみろよ天井!あれ〝しゃんでりあ〟ってやつだろ!?すげえな、こんな大きな建物入るのは初めてだ!」
「君は子供か!?」
 ソウリュウは緊張感が備わっていないどころか、空気さえ読んでいない。本当に未知なる場所に好奇心旺盛で乗り込む子供のようだ。
「わりぃ、こういう場所は新鮮でよ」
「こ、こんな状況じゃなければ、僕も似たような反応をしたかもしれないけどさ……」
 ここでフレイはソウリュウに抱えられているミーシャを見て、複雑そうな表情になる。
 ミーシャは依然として意識を失ったままだが、契約刻印の副作用も無く、命に別状も無さそうだ。
 それでも確実な安全を確保できる場所で休ませてあげたいのが本音だ。いくら魔法の力で強化されていたとはいえ、肉体を酷使していればいずれはどこかに影響が出てくる。肉体面ではなく精神に来る可能性も否めない。
「……で、俺達はこれからどうすればいいんだ?メイド戦隊はまだいるんだろ」
「はい。それに関しては今からご説明いたします」
 一足先に階段の前で静止するマーシアは、ひどくゆっくりな動作で振り返る。 
 ミーシャもといキャロリーナとの戦いにおいては審判役でも観客でも無く、ただの監視役兼傍観者として脇に控えていた彼女だが、おそらくはこの先のメイド戦隊との戦いや探索においてもついてくるであろうことは容易に想像できた。
 しかし、次にマーシアから発された言葉で、先のことについてほとんど考えていないけれどだいたいの予想はできていたソウリュウと、先読みに徹底していたフレイはずっこけそうになってしまう。


「ここからはお客様達のお力のみでお進みくださいませ。真に申し訳ございませんが、私の案内はここで終了させていただきます」

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。

 

「「はぁ!?」」

 

 驚くほど息ぴったりに声が合う。

「おいおいおいおいおいおいおいちょっと待てちょっと待てっ!」
「何でしょう」
 焦燥顔と苦笑が変に混ざり合った珍妙な表情なソウリュウに対して、どこまでもマーシアは能面顔である。冷ややかどころか、温度の概念さえ存在していないかのようだ。
「お前が案内人なんだろ!?こんな馬鹿でかい屋敷で俺達を野放しかよ!?」
「いや別に野じゃないけど……」
 大自然の下ではとことん自力で活動することができるソウリュウだが、屋内ではそうはいかない。おまけに信じがたいほど曠然たる敷地内では難儀を極めること間違いなしである。右に同じくフレイもここまで巨大な建物に入ること自体が初であり、自信が無い。
 仮にこの二人以外の、華美な世界に充分慣れ親しんでいる貴族や王族がこの館に訪れたとしても、ぎょっとすることだろう。それほどまでにこの屋敷は巨大なのだ。少なくとも玄関ホールの時点でスケールがおかしい。
「君がメイド戦隊の元まで案内してくれるんじゃなかったのかい?」
「当初はその予定でしたが、急遽予定を変更せざるを得ない事情が生じまして。時間が時間なのです」
「時間?」
「ご主人様のお茶の時間なのです」
「茶だぁ!?」
 ここでソウリュウが素っ頓狂な声を上げるのも仕方がない。
「ソウリュウ……君の危機感も無さも相当だけど、ここの主人の自由奔放ぶりも凄まじいね……」
「俺達より茶時間優先かよ……」
「申し訳ございませんが、ご主人様のティータイムは最重要でいて最優先しなければならないのです。凶悪殺人犯が束になって襲来しようとも、一呼吸で肺を腐らせる害悪細菌がばら撒かれようとも、館が大火事になろうとも、世界が滅んだとしてもご主人様のティータイムの準備を行わなければなりません。何者であろうとも憎き神の操る万物を敵に回そうとも、ご主人様のくつろぎの時間は妨害させません。薔薇園がご主人様の体ならば、紅茶とお菓子はご主人様の血肉に等しいのです」
 もはや定例になりつつある抑揚の無い棒読み声でマーシアは説明するが、いつも以上に早口だった。若干声のボリュームも大きくなったような気もしなくもない。
 これは彼女なりの熱弁なのかもしれない。
「今、ここでお客様がご主人様のお茶の時間を少しでも遅らせようものなら、手荒になりますが―――――ここで地にお還りください」
 気配にも口調にも変化はないが、尋常ではない殺気を感じさせる言葉にフレイは竦むが、ソウリュウは困ったように溜め息をつく。
「うーん……俺は別にお前とここで戦ってもいいんだけどさ、殺し合いは勘弁だな」
「ソウリュウ様は何か勘違いしておられるようですが、先ほどのハートとの戦いも、これからのメイド戦隊との戦いも、全て等しく血で血を洗う命がけの戦闘です。いつ、どこで、誰が、どのように、殺されても、死んでも、何ら不自然な話ではございません」
「まぁそうなんだろうけどさ。でも、お前は違うだろ」
「違う、とは?」
「昼間戦った時、お前は俺との約束を守ってくれたじゃねえか」
 決闘規則(ルール)に乗っ取った勝負。
 『両者同士の殺しを禁じる』。
 『他のやつを殺すことも絶対禁止』。
 ソウリュウが申し出た二つの禁止事項を、あの時のマーシアは破ることなく最後まで守ったのは確かな事実だ。
「しかしソウリュウ様。世間に疎い私では説得力が無いのは承知していますが、世の中は貴方が思うほど甘いモノではないでしょう」 
「世間?随分話がでかくなったな」
「誰しもが約束を最後まで果たせるわけではありません。誓いを破らずに生きれるわけではありません。猫を被るように、人の皮を被った狼に溢れているのがこの世界です。殺さずの誓いを立てたとしても、追いつめられれば本能的に相手を殺しにかかるのが道理ではないのでしょうか。人とは〝己の命を守るためなら手段を選ばない〟種族なのでしょう?」
 例えばお互いがお互いを絶対に傷つけないと誓い合ったとする。
 それを前提に自分自身に命の危険が訪れ、相手を傷つけることでしか死を回避できないと知れば、大半の者は葛藤することだろう。約束を最後まで守る信念を貫き通すか、最悪の結末から逃れるために相手に牙を剥くか。
 家族や本当に親しい友人、恋人などが相手ならば話は稀に変わるかもしれないが、ソウリュウとマーシアのようについさっき知り合ったばかりの他人同然の相手ならば、誓いを破って傷つけるという発想が容易く決断として導き出しやすい。
 弱肉強食のこの世界において打算からの裏切りは日常的であり、むしろ道義に反することでしか生きられない人々ばかりが密集して生きている。
 回りくどい解説はそこまでに、マーシアが何より言いたいことを明白でいて簡潔にまとめるならば―――――こんな厳しい世の中において約束を最後まで守りきれる人はそうはいない。油断すればいつだって殺されてもおかしくない。貴方の考える〝誰も殺さないし誰も死なない夢のような理想論〟は筋が通っているように見えて不安定極まりなく、正直馬鹿馬鹿しいにも程がある。
 
 戦いは遊びではない。

 

 無論、マーシアはそこまで捲し立てるようなことは言わない。
 仮に言ったとしても、ソウリュウは全く受け付けなかったに違いない。 
「あー、ややこしい!難しい話は好きじゃねえ」
 すでにこの時点で彼は話に飽きてきていたのだから。重要であろうが重大であろうが、飽きたからには聞く気も起きない。
 当然のことだ―――――そんなことはマーシア以外の者にも、今まで散々、嫌になるほど言われてきたのだから。
 重々しい顔をしたフレイの横で、ソウリュウはふてくされている。
「俺はさ、誰が死ぬだとか殺されるだとかそういうの好きじゃねえんだよ。単純な力比べってやつが好きなんだ。むしろ、俺はそれしかやるつもりないぞ。さっきのメイド戦隊……えーっと、ミーシャだっけの時も、〝力比べ〟だぞ。むこうは殺す気満々で来たけどな」
 現に、ソウリュウはミーシャを殺さずに体を張って彼女を救いだしている。とことん殺すことを拒み、出来る限り傷つけずに。
 それでもソウリュウは操られている彼女に殺されかけているが、先ほどの彼女との戦いを〝力比べ〟と迷いなく表している。
 それ以外の何物でもないと本気で信じているような口ぶりで。
「この状況下でもまだそのようなことが言えるのですね」
「お前がすげー強いってのはわかったからさ、もう一回戦いたいんだよ。生死の賭けは抜きで、本気でやり合いたいんだよ―――――ああ、でも本気出したら殺さずにはいられないって感じならそれでも構わないぞ。そうだとしても俺が必ず勝つからな」
 ソウリュウは曇り無い瞳を細めて明るく笑う。マーシアは笑わなかった。
「先ほどと言っていることが矛盾します。ソウリュウ様は〝殺し合い〟がお嫌いなのでしょう?」
「そうだよ。何度も言わせんなよ」
「それなのに〝本気〟の戦いを望むのは何故ですか」
「だってそのほうが楽しいだろ」
 断言した。
「……」
 ……フレイもマーシアも、この時にすでに悟っていたのかもしれない―――――ソウリュウという存在が、人間になりきれない竜人の信条の驚異を。
 これに関して言及されるのは―――――まだ少し先の話だ。
「例え相手が殺す気でも来ても、俺は殺さない。そのほうが楽しいだろ?一回で終わる勝負は勿体ないってなるだろ。俺は強いやつと戦うのが好きだぞ!だからこそ、お前とは死ぬとか殺すとか抜きで力比べしたいんだよさっきみたいに!それなら今ここで戦うのも悪くないし、むしろ良い!……だけど、お前はご主人様の邪魔をしたら殺すこと一択で戦いを挑んでくるんだろ?」
 なら、今は戦いたくないなーと、ソウリュウは口にする。まるで子供の我儘のように噛みあっていないが、今ここで戦闘を行う気は毛頭無いようだ。
「ソウリュウ様。もしもこの先私と戦うことがありましたら、申し訳ございませんが私は貴方との約束を守れません。拒絶されたとしても、貴方を掃除しにまいります」
 するとソウリュウは少々残念そうに眉間に皺をよせるが、しょうがないなと言いたげに微笑する。
「あー……なら、ミーシャの時と同じでいいや。お前は本気で俺を殺しに来ていいぜ。俺は本気で〝力比べ〟してやるから」
 ソウリュウが好むのは、自分も対戦相手も生と死の賭けを抜きにした〝力比べ〟を決闘規則(ルール)にした戦いだが、相手が自分を殺す気で挑んできたとしても、ソウリュウはあくまで〝力比べ〟を前提に勝負に乗る。
 彼が最も望まないのは自分も相手もお互いの命を奪い取る〝殺し合い〟なのだ。
 異形なる者が跋扈し、悪人が隠れる気も無く呼吸するのと同等に悪事を働く乱れきった世の中においては、この決まり事を守り続けるのはどれほど過酷であるかは、すでにマーシアは昼間の勝負直前時に触れている。
 ゆえに、この竜人の心はどうしたって揺れ動かないのだろうということは把握していた―――――どこまでも愚かで、哀れだと。
「……ソウリュウ様は自分のことしかお見えになっていないようですね。どこまでも愚直で、どこまでも誠実で」
 マーシアは一段だけ階段を上り、スカートの裾を翻した。 
「最後に一つ、ご主人様からの申し言を言付かっております―――――〝敗北したメイドを攻撃したり引き戻したりするつもりはありませんから、そこらへんの好きな部屋で休ませるのは自由です。もちろん貴方達も空いてる部屋は好きに使って結構です。ただしそちらの不手際でこちらとは関係ない事故などを引き起こした場合は一切の責任を負いかねます。迷惑するのは私と私のメイドなので、そこらへんはきちんとしてください〟とのことです」
「迷惑させてるのはどっちだい……」
 フレイの呟きはもっともだ。迷惑以前の問題で、カシスの街に被害を与えたり娘達を誘拐しなければ、そもそも二人はこんな場所に訪れていない。
「それでは私はここで失礼いたします。短い間ですが、お客様のお力添えの一端になれたのならば幸いです」
 極力足音を立てずに階段を上り、中間地点に差し掛かった辺りで振り返ることはないが一旦停止する。
「―――――ソウリュウ様」
「ん?」

 

「気を悪くしたら申し訳ございませんが、率直に言わせてもらいます。ソウリュウ様は典型的とは言い難いですが、早くに亡くなりそうなお方ですね」

 

 辛辣な言葉に対して、ソウリュウは反論することなく苦笑した。

 

「よく言われる」

 


 ◆

 

 

 時計の針は数十分ほど進む。
 敵方とは言え頼みの綱の一つでもあった案内役のマーシアが思わぬ形で離脱し、未知なる建物内にて良く言えば自由に、悪く言えば放置もしくは放任された二人だったが、エントランスを抜けた先にてずらりと並ぶ無数の扉と睨めっこを食い広げていた。
 終わりの見えない廊下やホールは見渡す限り無人だが、いつどこからどのように敵が跳び出してくるかはわからない。それこそいち早く気配を察知するなどの対応が必須の為、なるべく慎重に探索をしようと心がけていたものの、あまりにも屋敷内が広すぎるためどこから手を付けていいのかとフレイは頭を抱えてしまった。
 二人の目的は〝メイド戦隊を倒し、主人も倒し(多分戦いを挑んでくるとふんでいる)、攫われた娘を救出し、尚且つカシスの街の異常現象の原因を突き止めて解決する〟である。
 そのため、必然的にどこかで待ち構えているであろうメイド戦隊と主人を見つけ出さなければならないのだが、いかんせん隅から隅まで探せばそれこそ日が暮れてしまう。日を跨ぎ、最悪年を越すかもしれない。退却不可能な状況下において戦闘以外での体力の消耗は抑えたいところだ。無論、精神的な疲弊も。
 難攻不落の大迷宮での冒険は最初から苦戦を強いられているが、そんな中で二人はなるべく安全そうな部屋を近辺で手当たり次第で探し、現在休憩を取っているこの部屋に辿りつく―――――ここから話は進み、時計の秒針は音を立てて先の未来を追いかけ続ける。

「ソウリュウ。怪我は大丈夫なのかい?」
「ん?ああ、このくらいなら唾つけとけばすぐ治るよ」
 フレイの気遣いで初めて自分が怪我を追っていることに気づいたと言わんばかりに、ソウリュウは腕や足から細く流れている血を指先で適当に拭う。しかし指の皮も切れているので、血で濡れた布で血を拭くようにあまり意味を成さなかった。
「さっきも拭いたんだけどな……服汚してたら申し訳ないな。高そうなのに」
 ちらりと腰かけている豪華なソファの横を見ると、フレイの外套を毛布代わりに掛けられたミーシャが微かな寝息を立てている。
 無垢な寝顔はほんの少し前まで「ソウリュウ様を刻みたいのおおおお!」などと、狂気的に哄笑していたメイド戦士と同一人物とは思えないほど戦意も殺意も感じなくなっている。
「ミーシャはここで休ませよう。ここなら安全のはず……とは断言できないけど、少なくとも一緒に連れて行くよりはずっと安全だ。主人の言葉が本当なら、この子にはもう手出しはしてこないはずだ。信憑性は薄いかもしれないが、あそこで嘘をつく必要もないだろうしね―――――何よりも、もう一度ミーシャを操ったところでこの子はしばらくは動けないだろう」
 そう言ってフレイは書見台を備え付けた机の上に腰鞄を置き、中身を探り出す。 
 休憩場として選んだ簡易的な書斎はそれでも充分に広かったが、尋常ではなく広大な空間に晒されているよりは何倍もマシである。
 壁と一体化した本棚は部屋の隅から隅まで隙間無く本を埋めており、それなりの圧迫感と閉塞感がむしろ心地良い。 
「ソウリュウ。包帯があるから、念のため使ったほうがいい。消毒薬もあるけど」
「ん。消毒はいいよ。お前の薬危ないし……じゃなくて、必要無さそうだから」
 フレイから渡された包帯を受け取り、最も傷が深い手の部分にぐるぐるときつめに巻きつける。
 応急処置をしてから両拳を握って開き、しっくりきたのか一発だけ軽い空拳を放つ。それだけで室内の空気がごうと音を立てて衝撃を突き抜けさせる。
「ありがとよ。拳はやっぱり一番の武器だから、傷つけられるとビビるよな」
「今までにも怪我はたくさんしてるんだよね。旅人だろうし」
「まぁな。でも、傷の治りは生まれつき早いんだ。昔、師匠にボコボコに完敗した時に腕の骨折ったけどさ、三日で治した」
「三日で!?」
 仰天するフレイに、ソウリュウはきょとんとしてしまう。
「嘘じゃないぞ。全治二か月って言われたんだけどさ、三日で元通り。だからこの程度の斬り傷なら一時間もあれば塞がる」
「そ、そうなのかい」
「……気味悪ィって思ったか?」
 不満げでも無く悪戯っ子のようににやりと笑うソウリュウに、フレイは何も言えなかった。
「ま、大抵の奴は嫌な顔するけど、この体質ってやつには良いことがあんだよ―――――怪我してもすぐに治るから、すぐに戦いに戻れるってところ」
 ソファから立ち上がり、右手をひらひらと宙を回せるように動かしながらソウリュウは部屋の奥へと歩き出す。振り返ることなく、話し続ける。  
「便利だろ?おまけに面倒な治療とかしなくても勝手に治るから、金も手間もかからない。だから俺、病院ってやつに行ったことないぜ」
 フレイはしばし無言でソウリュウの後ろ姿を見据えていたが、やがてぼそりと小さな声で呟く。 
「ねえ、ソウリュウ。君は……―――――」
「あ、フレイ。こっちにも一つ扉がある。気づかなかったちょっと見てくる!」
「ソウリュウ、まっ……」
「大丈夫すぐ戻るからその子の傍にいてやれよー」
 フレイの呼び止めも聞かず、ソウリュウはそのまま隣の部屋へと跳び込んでいってしまう。
「……」

 取り残されたフレイは「僕はとんでもない反応をしてしまったのではないのか」と、罪悪感に駆られることになる。

 

 


 ◆

 

 


「しっかし本だらけだなここ。掃除大変そうだな」
 隣室は書斎よりは狭いものの本の保管庫なのか、あちらこちらの書架に本が几帳面に収まっており、棚に入りきらない物は床にぴっちりと積み上げられている。
 いかにも埃が溜まりそうな部屋だが掃除はしっかりと行き届いているようで、塵一つ落ちていないのが逆に不自然でさえあった。
「えーっとなになに……どれもこれもわけわかんねえ字だな。どこの地方の字だこりゃ」
 ずらりと並ぶ背表紙の題名を記す文字はソウリュウには理解不能読解不可能であり、凝視するだけで頭がこんがらがりそうになってしまう。バベル語ではない旧式言語か地方言語で書かれた書物はいかにも高価そうで、年季が入っているとはいえ貸本屋や古書店に売れば相当な額になりそうだ。
 新世界成立時に誕生したとされる世界共通言語のバベル語が現在最も普及しているが、今でも旧世界から伝わってきている古来の言葉を解する者も少なからず存在する。一部の収集家はこの館が所蔵する本を喉から手が出るほど欲するに違いない。
 ……余談だが、この部屋にある書物は全て旧世界基準の〝フランス語〟と〝ドイツ語〟の本である。 
「目がちかちかする。ロミあたりが欲しがりそうな代物だなぁ……―――――ん?」
 活字に慣れていないソウリュウは文字の海に酔いそうになりながらも、部屋の隅に放られていた数冊の分厚い本が目につく。恐ろしいほど綺麗に整えられた部屋で、雑な置き方をされている本は異様でさえあった。
「……薔薇」
 真っ黒な布表紙には真っ赤な薔薇模様が職人技さながらの美麗さで縫い付けられている。散らかっていたのは三冊だったが、三冊とも全く同一の装丁だ。タイトルも無ければ作者名も一切記載されていない。
 特に迷うことなく本を開けば、手書きの文章がびっちりと書き綴られている。
「日記帳ってやつか?」
 日付らしきものや記録らしきものが載っているため、何者かの日記であることは推測できた。
 幸い、ソウリュウでも読めるバベル語形式だ。 
 適当にページをめくり、気になったところだけを読んでいく。


『21439-7-5/試行回数3

 成果は相変わらず無い。
 そろそろ〝相変わらず無い〟という文字を書くこと自体に吐き気と嫌悪感を覚える領域にまで到達している。
 いっそのこと自分で辞書を自作し、新たな言語や単語を作るべきなのではないか。
 そこまで真剣に考えたが、バベル語の二の舞になる未来しか見えないので却下。
 何より需要が無い。誰にも、私にも。 』

 

 めくる。

 

『21439-7-6/試行回数2

 成果は相変わらず無い。
 手順も材料も式も間違っていないはずなのに何故。
 今だけ忌まわしき〝フジワラ〟の研究員に尊敬の念さえ抱けてしまう。
 奴らは俗物の体現者そのものだが、知恵と技術に関しては何者に対しても引けを取っていなかった。
 私はまだ、奴らのことを忘れていない。
 なら、コレを続けなければならない。
 そんな気がする。 』

 

 めくる。

 

『21439-7-6/試行回数2

 成果は相変わらず無い。
 しかし機器の故障を発見。
 内臓コードの一部欠損。
 あと、J列の機構がしっちゃかめっちゃかになっていた。
 甚大とまではいかないがなかなかのこんがらがり具合だったので、思わず吹き出してしまった。
 笑うのは何年ぶりだろうか。
 少なくともここ十年でまともに笑った記憶が無い。
 私はまだ笑うことができる。ろくに表情を作っていないはずなのに、顔の筋肉は正常通り作用する。
 その気になれば泣くことも怒ることも喜ぶこともできる。
 表情筋においての喜怒哀楽は残っているようだ。
 正直、気が狂いそうだ。 』

 

 めくる。

 

『21439-7-6/試行回数3

 相変わらず成果は無い。 
 主要機器の整備は完了。
 思ったより早く済んだ。
 自分の手際の良さに関心する。
 時間が余ったので久しぶりに薔薇を咲かせた。
 やはり赤色が良い。
 赤色と言えば〝ノエル〟が懐かしい。
 願うことなら、もう一度だけ一緒に酒を飲みたい。     

<余白に赤薔薇が摸写されている。すごい画力だ(ソウリュウの感想)> 』
 
 めくる……。

 

「日記だよなぁこれ。誰のだ?」
 適当に一冊目に目を通したソウリュウは本を閉じ、二冊目を手に取る。
 文章を読むこと自体に敬遠気味で、読解力皆無のソウリュウだが、気になる点が幾つか沸いていた。
 一つは、同一人物が書いているであろう文の筆跡が所々おかしい。流れるような達筆かと思えば乱雑に書き散らされていたり、吃驚するほど丸文字になったかと思えば明らかにわざと乱れた字を書いていたりなどと、片手の指の数では利かないほどの筆跡が一冊内に生じている。麗筆から雑筆まで、一目瞭然のレベルで。
 二つ目は、途中でページが破られている箇所が多々ある所。これもまた奇妙なことに、ペーパーナイフなどで丁寧に紙を切った跡と、無理やり素手で引き千切ったような跡がそれぞれ残っている。
 三つ目は―――――ページ間に時たま紛れている、インクを零したような赤黒い染み。
「血だよな、これ」
 何故血痕が付着しているのかはわからないが、とりあえず二冊目を開く。


『21440-1-24/試行回数4

 相変わらず成果は無い。 
 気のせいか頭痛がする。
 そろそろ眠らないとまずいだろうか。
 このまま起き続けて一度死ぬのもありだろうか。
 疲れている。  』


「一度、死ぬ?」

 
 めくる。
 

『21440-3-15/試行回数1

 あいかわらずせいかはない。
 あきてきている。はやくもいまのひまつぶしにあきてきている。
 しょうじきこれをかくのもあきてきている。 
 ひさびさにしょさいのほんだなをあさったらおおむかしのしんぶんがでてきた。
 たいくつしのぎにきじをきりとってはりつけてあそんでみたがつまらない。
 きょうはくじょうをさくせいするはんにんのきぶんはあじわえない。 』


「手の込んだことしてるな……うわっ、いつのだよこれ……」

 その日から数日間、日記の文字は新聞記事や他の本の切り取った紙の字を張り付けて作成されていた。

 めくる。
 
『21441-5-8/試行回数1

 珍しく多少の成果を出す。
 〝34番〟はこれまでの水準を遥かに上回る成績を残した。
 だが、まだまだ完成には程遠い。
 三か月ほど様子を見ることにする。
 破棄するには少々惜しい。 』


「よくわからん!」

 めくる。めくる。めくる。めくる。めくる。

 最後のページに辿りついた。


『21441-8-9/試行回数1

 〝34番〟破棄。
 最悪だ。
 酒を飲んでも酔えない。
 それでも〝34番〟はやってくれた。
 おかげで私は久方ぶりに他者の手で眠れた。
 思考が途切れ、視界が闇に染まる刹那までその瞳は私を食い入るように見つめていた。
 ぞくぞくした。
 一瞬だけ昔に戻れたような感覚にさえ陥った。
 〝34番〟のメインメモリからの私は、どの時代の私を映しているのだろうか。 
 明日覚えていたら確認しよう。 

 ああ、愉快だ。
 苦しいのは愉快だ。        
 今なら〝雌蛇〟の腐りきった宗教を一片程度なら共有することが可能かもしれない。 』


「……」
 ソウリュウは二冊目を閉じる。
 ざっとしか目を通していないが、胸騒ぎと不安感がソウリュウの中で渦を巻いていた。
「……これ書いたやつ、大丈夫か?」
 思わず心配してしまうほど、日記の内容は荒れていたり狂気的であったり、文法や文体がめちゃめちゃにとち狂ってきている。おまけに血の染みの量が増えてきている。
 一種の緊張さえ覚えながら、ソウリュウは最後の三冊目を手に取る。
 そして開いた瞬間、後悔することになる。
 日記の作者はちっとも大丈夫ではなかったのだと痛感する羽目になる。
 ぱらぱらとめくったページのどのページにも、表紙裏にも、欄外にも、紙にペンを奔らせられる限界まで、インクの行き渡りの極限まで、息苦しくなるほどぎっしりとびっちりとぐちゃぐちゃに書き詰められた単一の赤き絶叫はソウリュウを戦慄させる。
 恐怖心に関してはとことん疎く鈍いソウリュウでさえも―――――〝見たくない〟と思ってしまうほどの、それは。

 

 


『●●●●●-●-●/試行回数●

 死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい 死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい 』

 

 

 

「……ッ!?」

 

 弾かれるようにソウリュウは過剰な力で本を閉じ、乱暴に床に叩きつけてしまう。
「……!……?……?」 
 数秒絶句し、混乱してしまうが、本が閉ざされれば赤色の悲鳴は閉じ込められる。
「……誰だよ本当に、これ書いたやつ……!」
 咄嗟に思い浮かんだのは無感情無色のメイドのマーシアだったが、はたして彼女がこんな悍ましい文を書き散らすのだろうか。
「わけわかんねえぞ……」
 血文字で書かれた〝死にたい〟の文字は怨嗟のようで、書き手がこれ以上になく死を懇願しているのが歴然としていた。これほどの血液をインクとして溜めるには、量から察するに重傷は避けられないだろう。
 自らの血で書き殴った、自殺志願書。
 何故、そこまでして死を欲するのか、ソウリュウにはまるでわからない。
「こんなに痛い思いをしても、死ねなかったのか……?」
 悶々とするソウリュウだったが、離れた場所から聞こえてきた自分を呼ぶ声にはっとする。
 ひとまずは本については保留にする。
「来てくれ。廊下のほう」
「どうした?まさかメイド戦隊に出くわしたのか!?」
「それだったらもっと叫ぶよ!……向こうから物音が聞こえるんだ」
 書斎に戻るとフレイが弓を片手に廊下へと続く扉の隙間から外の様子を覗いている。
「物音?」
「何て言ったらいいのかな、食器が擦れ合うような嫌な音」
「あー……キィキィする音はあんまり好きじゃねえな。で、どこからだ」
「向かい側っていうのはわかるんだけど、詳しい場所まではわからない」
「そうか」
 虱潰しに向かい側の目につく部屋を全部回ってみるかと、ソウリュウが動こうとしたところをフレイが制する。
 よく見ると懐から何かを取り出している。
「ちょっと待って。まだ行くには早い」
「何してんだ?」
「索敵の準備。風の精の力を借りて一時的な使い魔を作る―――――どうしたんだい?浮かない顔して」
「いや何でもないぞ」
 精霊と妖精の類にはあまり良い思い出がないと、サーミの街に入る前の森での一件を思い返しつつ、ソウリュウはフレイの手元に目を落とす。手にしている一枚の薄緑色の札には幾何学模様の魔法術式が印字されている。使い魔との一時契約の必需品であり、古式の契約書の代用品だ。
 魔術師は魔法使いと違って魔法を学問的に習う者を一般的には表するが、フレイのように魔術師から更に高みの魔法使いを目指す者はこのように実践的な術も多少は扱えるよう訓練を積んでいる。
「別にそんな手間をかけなくても俺が見に行くぞ?」
「駄目だよ何があるかわからない。広範囲の様子までは感知できないけれど、それでも真っ向勝負を挑むよりは事前に相手の位置は把握してからかかったほうが安全性もずっと高いよ。……僕の勘違いだったらごめん」
「なるほどなー。勘違いだったら勘違いだったで、探す手間が増える……最初から一気に出てきてくれれば楽なのによ。メイドって普通こう……何て言うかずらーって並んでるもんじゃないか?」
「うーん……一気に攻めてこられても嫌だけど、じわじわ追いつめてくるのも嫌だなぁ」
 どちらにしても嫌そうに、フレイはぶつぶつと発動の呪文を唱える。すると彼の手の内にあった札はみるみるうちに融け消え、代わりに薄緑色のビー玉サイズの小さな光が具現化する。これが風の精を一時的に集結させた使い魔なのだろう。
 使い魔はフレイの意識入力した指示に従い、ふわりふわりと蝶を想起させる穏やかな動きで索敵行動に移り、廊下へと旅立っていく。
「すげえなぁ。魔法はさっぱりだけど、便利そうだな」
 およそ二分ほど経過しただろうか、ひたすら目を閉じて意識を集中していたフレイがぴくりと肩を微動させた。
「―――――音の出所を見つけた。僕達の部屋から八部屋先の向かい壁の大扉の先」
「よしきた!メイドは?」
「メイドは今のところは見えない……それに、この部屋何だかおかしい。ごめん、これ以上は僕の魔法がもたない……」
「とりあえず行くしかないだろ!」
 待っていたと言わんばかりにソウリュウは威勢よく跳び出していく。フレイもそれに続く。 
 八部屋先の部屋と言ってもかなり距離があり、いかにこの館の部屋間の距離が離れているかを身を持って実感する。
 行けども行けども終わりの無い真っ赤な絨毯を蹴り、ソウリュウ達が辿りついたのは大人数用のダイニングルームだった。
 何十人も座れるであろう数の椅子、目を疑うほど長いテーブル、何故かテーブル上には等間隔に並んだ燭台の明かりに照らされた食事がぞろりと揃えられている。豪勢な肉料理からパンや果実類、食器も綺麗に並べられており、今にでも食事会が始められそうだ。
 もっとも、無人の館においては異質極まりない光景だが、それを目の当たりにしたソウリュウはうきうきと目を輝かせて本当に場違いな声を上げる。
「あ、飯だ!」
「うん、そうだね……」
 何で君はそんなに嬉しそうなんだい……と、フレイは呆れの溜め息をつく。
「おかしいと思わないかい。まるでついさっき並べられたみたいだよこの料理。見るからに出来立てだし」
「おーこれ美味そう!」
「こんなに大量の食事を何故?」
「あー何だこれ骨がついてねえじゃん」
「しかもこれを準備するには一人じゃ無理だ。複数人いるのか?」
「いただきまーす。むぐむぐ」
「どう思うソウリュウ。ねぇ―――――口に突っ込んでるそれ、何だい?」 
 真面目に思考していたフレイとは裏腹に、作法も礼儀も完全放棄した粗野な食べ方で口に肉料理を詰め込んでいたソウリュウは、目を丸くして首を傾げる。
「肉。むしゃむしゃ」
「いやそれは見ればわかるよ」
「じゃあ何で聞いたんだよ。もぐもぐ」
「そんなに僕にツッコみを入れてほしいのかい?」
「ふぇ?」
 フレイの声と視線は冷め切った紅茶のように冷ややかだった。
 ソウリュウは相変わらずの能天気な表情のまま肉を咀嚼、ごくりと飲み込む。口端についた香草の強いソースはぺろりと舐めとる。

 

「ふぅ。美味いぞこれ」
「敵陣で何が入ってるのかもわからない物を食べるなよ!!」

 

「毒入ってないぞ。それに俺、毒には強いし」
「食べてからじゃ遅いよ!君は図太いを通り越して致命的な馬鹿なんじゃないのか……」
 思わず柄では無い暴言を吐きそうになるフレイだったが、その言葉は中途半端なまま強制的に断ち切られる。
 ―――――ソウリュウが彼を庇うように一気に前に出たからだ。

 

「ひどい!ひどい!ひどいですぅ!毒なんか入れてないのにぃ!」

 

 甲高くヒステリックな少女の声に呼応するように、二人の正面で轟音と共に何かが着弾したのだ。

「なんだよいきなり!ここの連中はどいつもこいつも不意打ちばっかりだなおい!」
 盾代わりに引っ掴んだ椅子を力任せに投げようとしたところで、ソウリュウは先ほどまで上等の代物だった椅子の背もたれ部分がどろどろに融解していることに気づく。 
 不快な音と匂いを放ちながら、かなり硬質だったはずの椅子が水を吸い込みすぎた粘土のように崩れていく。

「と、融け……!?」
「毒液……?」
 
「うっ、うっ、うっ、今日は厄日ですよぉ……お客様をもてなすために一生懸命お料理作ったのにぃ……!お皿四枚も割っちゃったけど、それでも頑張って作ったのにぃ……!こんなのってないですよぉ……!」
 ふらりと、ソウリュウ達から見たテーブルの先端部分の脇に、いつの間にか一人のメイドの少女が立っていた。
 少々見っともない高さ違いの二つ結びに見るからに大失敗している前髪。両手には怪しげな煙を噴いているティーポット。シンプルなメイド服から察するに、メイド戦隊であることは明瞭である。
 モチーフは―――――ダイヤ。
 何が彼女をそこまで鬱々とさせているのかは不明だが、登場して早々つぶらな瞳から涙をぼろぼろと流している。
 どうやら先ほどフレイが聞いた物音は彼女が皿を割った時に響いた音のようだ。
「……ロゼラ」
 フレイが洩らしたその名前は、攫われた街娘の一人に該当する。
「キャロリーナ、じゃなくてミーシャと同じパターンか?」
「想像はしていたけどね。できることなら外れてほしかった」
 おそらくはメイド戦隊は全員館の主人によって操られている街娘達であるとは、すでに察しがついている。
 ロゼラこと、このダイヤのメイドで二人目だ。
「キャロ、キャロリーナさん……お客様達ここにいるってことは、キャロリーナさんを倒したんですぅ……?」
 自信に著しく欠けた口調とおどおどしている態度は、長時間続く偏頭痛に苦しんでいる者のようにさえ見える。
「うっ、うっ、うっ、うっ、ひどいですよぉキャロリーナさん……ジュノーのことを散々めたくたにしたくせにぃ……『ブスのあんたがご主人様の役に立つとか天と地がひっくり返って太陽と月がキスするくらい無理に決まってるじゃーん!』って罵ったくせにぃ……真っ先にやられてるじゃないですかぁ……うっ、うっ、またジュノーは後片付け役なんですねぇ……」
「……なあ、こいつ元からこんなやつなのか?」
「いや、気弱なのはそうだけど……ここまでじゃなかった」
 敵対し、今から本番の戦闘に入るというのに、ファーストコンタクトから泣きじゃくる少女を相手にするというのも気が乗らない。
「上手くやれる自信ないのにぃ……うっ、うっ、うっ、これで失敗したら今度は先輩方に叱られてしまいますぅ……ジュノーは用済みになってしまいますぅ……そんなの嫌ですよぉ……うっ、うっ、上手に殺さなくちゃぁ……」
 彼女はティーポットを掲げ、涙に濡れた泣き顔をソウリュウ達に晒しながら、か細い声で名乗り上げた。

 

 

「〝ジュノー〟……うっ、うっ、メイド戦隊が一人……〝ダイヤのジュノー〟……―――――こんな駄目なメイドですが、どうか見捨てないでくださいぃ……ちゃんと骨まで融かしてみせますからぁ……」

  

 

 

 

      第二回戦 ダイヤのジュノー 戦闘開始―――――

 

 

 

 

 

 

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―――――

 

書きながらジュノーちゃんがとんでもなく可愛いな状態に陥ってきています。