名も無き勇者の冒険 第一幕 飛べない勇者と死ねない愚者

 

XII 迷宮と鍵束と螺旋階段 ~赤薔薇の館第二階層~

 

 

 

―――――何故挑戦者よりもメイドのほうが館を壊してるんですか……。
 
―――――それはともかく、さっきよりもひどい勝負ですよこれ。呆気ないどころか薄っぺらすぎてつまらなすぎる!
 
―――――無能は無能でもセンスの有る無しでだいぶ価値が変わりますね。別にここ芸人育成場じゃないですが。
 
―――――後でマーシアに後片付けをしてもらいましょう。庭とダイニングルーム周辺。それと下の書庫の……。

 

―――――……まったくもーぅ、人の日記を勝手に見たら死刑だって学校で習わなかったんですかねぇ?

 

 


 ◆

 

 


『私はまだ忘れていない。何も忘れていない。何も忘れられない』

 

『百年の自己を忘却せよ。夜明けが訪れる前に』

 

『<意味有り気な複雑な数式がぎっしり書き散らされている>』

 

『妖精にさえ知認されなければ、死んでいるに等しいのでは?』

 

『<理解不能な文字の羅列。まるで一つの絵画作品のようだ>』

 

『お前は誰だ。私は知らない』

 

『まだ日が暮れない、働けよ、あくことなく。そのうちに誰も働くことのできない死が来る』

 

『<未完成の魔法の術式のようなものが殴り書きされている>』

 

『ゼネバ機構とエンテレケイア。約束を果たしにおいで』

 

『解放』『怠慢』『寄生』『汚染』『悔恨』『虚無』『財宝』『欲求』『苦痛』『快感』『打算』『接着』『映写』『憎悪』『懺悔』『解答』『光明』『演技』『麻酔』『救済』『呼応』『歓喜』『感情』『肉体』『子宮』『温度』『言葉』『因果』『相貌』『生死』『静止』『制止』『正史』『精子』『せいし』『せいし』『せいし』『せいし』『せいし』『せいし』『せいし』『せいし』『せいし』『せいし』『せいし』『せいし』『せいし』『せいし』…………

 

 かろうじて読めたところで、理解はできない。


「……上の字、どうやって書いたんだ?」
 両腕を広げたソウリュウが何十人も並べられるほど大きな壁の端から端まで、床付近から天井付近にまで、落書き帳一ページ分を余すことなく絵や文字で埋めるように文章やら図形やらが書き残されている。随分前に書庫で発見した日記帳と同じく筆跡はどれもこれもまちまちで、大小様々な文字が静かにひしめき合っている様は見ていて落ち着かない。
 脅迫されているような、威圧されているような気分に陥ってしまう。
 壁を見上げて気が滅入ってしまいそうになるソウリュウは、踵を返す。
「扉、開きそうか?」
「駄目そうだ。どの扉も全然開かない」
 幾つもの開かない扉を前に悪戦苦闘していたフレイは、げんなりしつつあった。
 手には細い棒状の道具が握られており、あちこちの扉の鍵穴に差し込んだ形跡も残っていたが、どれも未成功のようだった。
「変な封印が施されていて、鍵開けの魔法が使えたとしても無効化されることだろうね」
 ジュノーことロゼラとの戦闘が終わり、早数時間。
 一旦引き返してミーシャと同じ部屋で彼女を寝かせてから再び探索を開始した二人であったが、難航を極めていた。
 やっとの思いで見つけた二階へ続く階段を昇った先に待っていたのは、これ以上に無く対称的に揃った数えきれないほどの扉と、迷宮のように入り組み果ての見えない廊下だった。 
 屋内なのに屋外にいるような錯覚を覚えてしまう一階よりも狭くなったとはいえ、今度は圧迫感にうんざりしそうになる。
 おまけにフロア全体が騙し絵のように歪んだ構造をしているせいか、じっと目視していると眩暈が引き起こされてしまう。
 そんな厭らしい二階層にて、ソウリュウ達は休憩を何度か取りながらもひたすら進んでいた。
 メイド戦隊が現れる気配も、その他の給仕が現れる様子も一切無い。
「このまま真っ直ぐ進めってことなのかな?同じような廊下ばかりだから、進んだ気がしない……」
「……なぁ、この館の主人ってやつはさ……何がしたくてこんな森の奥に引きこもってんだ?」
 頭を掻くソウリュウに、フレイは苦笑する。
「それがわかったら苦労しないよ。でも、ただのからかいや悪戯で、こんな大事を引き起こしたりはしないだろうね」
「この館、普通じゃないしな」
「うん……何にしてもこの館の主は、狂っている、気がする」
 否、こんな館が存在する時点で〝異常〟なんだと、フレイは諦めて道具をしまいこんだ。
(それじゃああの日記は……)
 縦横無尽に書き散らされた〝死〟への渇望の手記は、いったい誰の物なのだろうか。
 脳裏に焼き付いて離れない真っ赤な文字に、ソウリュウは未だ胸騒ぎを抑えられていない。
(わかんねぇ……―――――〝こういう感じ〟は全然わかんねぇぞ……!)
 何でもかんでも好き勝手に壊せられればどんなに楽か。
 少ない情報量と次から次へと押し寄せてくる疑問感に、首を絞められる。
「あー!まどろっこしい!いっそ片っ端からこの館をぶっ壊すか?」
「駄目だよ!まだ他の子がどこにいるのかわからないのに」
「ならせめて扉だけでも」
「扉だけなら……そうだね。試に幾つかお願いするよ」 
「うっし!やるかあ!」
 とにかく体を動かしたくてたまらなかったソウリュウは、意気揚々と拳を鳴らす。じっとしていられない性分なのだ。
 ソウリュウは手近な扉を突貫せんとばかりに正拳を一発おみまい―――――したところで、扉はびくともしない。
「ん!?」
 ためしにもう一発……だが、扉は全くソウリュウの攻撃を受け付けない。
「……フレイ。ちょっと離れてろ」
「う、うん」
 更にもう一度、今度は全力間際の力を込めて回し蹴りを放つ。
「この扉、硬すぎねえか!?」
 別の扉を破壊しようとしても、結果は同一だった。
「結界ってやつか……?」
「わからない……だけど、君の力が通用しないとなると開けるのは絶対無理そうだね」
「くそー……やっぱり今は地道に進むしかないのかー?―――――面倒だなっ!」
 くるりとその場で素早く一回転し、ソウリュウは駆けだしてしまう。
「え、ちょ、待ってソウリュウどこ行くんだい!」
「決まってるだろ!えーっと……メイドを探す!」
「それは今してるじゃないか!」
「走らないと体が鈍る!」
 茫然とするフレイにかまわず、ソウリュウはそのまま全速力でひたすらまっすぐ走りだす。時折壁蹴りを繰り返しながらひょいひょいと移動していくさまは、室内であるというのに屋外での動き方に酷似している。
「おーいメイド!メイド!出てこい!このままじゃらちがあかないからさー!」
「そう呼んで出てきたら楽……いや、楽でもないな!待ってよ!」
 たちまち離れていくソウリュウを必死になって追い駆けるフレイは、「危ないから離れないでくれよ!」と連呼したい気持ちを抑えている(あまりに必死になって走っているため叫べない)。
 同じような風景に飽き飽きしながらも、赤絨毯は走る衝撃を殺し、音さえ洩らさない。
(日記しかり壁の文字しかり……わけのわかんねぇことばっかりだ!わけのわかんねぇことばっかりなのに―――――何か、前にもこんなことがあったような気が……あるわけがないのに……)
 走りながら湧き上がっていた違和感にソウリュウは悶々としてしまう。
 初めてくる場所だというのに、この〝感覚〟は以前にもどこかで味わったことがあるような気がする。
 何故?―――――理由は一向に明らかにならない。

 

(俺、何かやばいこと忘れてねぇか?)

 

 走り、走り、変わり映えの無い道を走り続け、


「―――――あ」

 

 その先でソウリュウは見る―――――レッドカーペットの終点を。
 思い切り赤い床を踏み切り、跳躍。
 ソウリュウが跳び出した先は、巨大な筒状の吹き抜けだった。
 濁った紺碧色の床は氷のように冷たく、壁はどこを見回しても一面のステンドグラスで煌びやかに飾り立てられている。
 色とりどりの透過光にほのかに照らされた空間はどこか寂しげで、神秘的でさえあった。寒々しいと表するよりも、神々しいと表すべきなのかもしれない―――――この世界に確かな神は存在しないけれど。
「高っ……!」
 天井は見上げても視認できず、かろうじて高度から吊り上げられているシャンデリアが見えるだけだった。まるで館から一転した見知らぬ聖堂の塔の中に迷い込んでしまったかのようだ。 
 遥か彼方にまで渦を巻いて伸びている螺旋状の黒階段だけが、唯一の道しるべだった。
「おいフレイ!見ろよ!階段見つけたぞ、しかもすげえ長いやつ!」
「はぁ、はぁ……か、階段……?こんな場所に……?」
 数十秒ほど間を開けてようやくソウリュウに追いついたフレイは、息を荒げて吹き抜けを見上げる。
「二階から先はどうなっているんだ?」
「よし、早速行くぞ!」
 ソウリュウが階段を駆け上がろうとしたところで、かつんと別方向から靴音が響いてきた。


「エンジンがかかりそうなところ失礼します―――――館内で走ることは禁じられています」

 

「……来たかメイド!待ってたぜメイド!さぁ勝負だ!」
 肩に届くか届かないかの瀬戸際で揺れる短髪。凛々しくも冷たい印象を見る者に与える容姿。
 右手にはじゃらじゃらと音を立てる鍵束、左手にはいかにも戦闘用の大槌が握られている。
 ミーシャやロゼラよりも背が高く、少女でありながらすでに体が女性に近づきつつある彼女は、メイド服こそ今までのメイド戦隊とお揃いだが、どこか一線を画している。
 年長者の威厳だろうか。
 モチーフは、クローバー。
「随分と忙しいお方ですね―――――ご機嫌よう。そして、ご愁傷様。貴方達はここで〝通行止め〟です」
「あぁ?通行止め?通せんぼの間違いじゃなくてか?―――――それに、走るなって、すげえ今更だな。俺達今まで結構走っちまったけど」
「そう解釈なされても構いませんが、どちらにしても私は鍵番として、貴方達の行く道を封鎖せねばならないのです。命令ですから―――――誤解を招くような発言をして申し訳ございません。〝私の管轄内〟で走るのは禁じられています」
「あー。そりゃ悪かったな。んで、断るって言ったら?」
「それなりの対応を取らせていただきます。まずは足を切断して―――――」
「うげっ」 
「……君は操られていても手厳しくて、規則を重んじているんだね。イリアナ」
 イリアナ。
 イリアナ・キルス。
 もはや説明をしなくても明白だが、彼女もまた攫われた街の娘の一人だ。
「イリアナ?……生憎ですが私はその名を存じ上げません。私はブルーガ。赤薔薇の館専属の鍵番を務めています。趣味は鍵磨き、特技は錠に合う鍵を突き止めること、短い間ですがどうぞお見知り置きを」
「鍵番ねぇ……こんなでかい館なのに、意外と少ないんだな」
 ソウリュウが鍵束に視線をやるが、そこまで銀の輪に繋がれている鍵の本数は多くない。
 するとメイドはくすりと笑うこともなく、少しだけじゃらりと鍵束を揺さぶった。
「手元にある鍵だけが全てではありません。本当はこれの数十倍はあります。さすがの私でも全部の鍵を所持することはなかなか難しいですが、実際頻繁に使用する鍵はこれだけなので」
 なるほどなーと、ソウリュウは納得する。
「それにしてもキャロリーヌにジュノー……まったく、あの二人は何をしているのか。まさか二人して大した致命傷も与えられずに戦闘不能だなんて、正直失望ものね」
「もう知っているんだ。情報が早いね」
「当たり前です。お客様がいつまでもいつまでも迷っていらっしゃいましたから、時間は余るほどありました」
「現場を見ていませんが手に取るようにわかります。どうせ二人は庭とダイニングルームを悲惨なごみ溜めにしてしまったのでしょう?特にダイニングルーム……せっかくマーシアさんが綺麗に掃除してくれたのに。出来損ないったら……」
「……仲間に対して随分な言い方だな」
「仲間?確かに私達は同業者のような者ですが、別に友人関係を築いているわけではありません。私達は崇高なるご主人様の為だけに仕事をしているのですから、余計な情は不必要です」
「ここの主人もメイドも、何かおかしいぞ。何かずれてるんだよ、嫌になるくらい」
 ソウリュウの言葉が言い終わると同時に、ブルーガは手にしていた大槌を床に垂直に突き立てた。床にヒビがはいらなかったことがもはや奇跡に思えた。
 その場を一蹴するほどの音が鳴り渡り、ソウリュウとフレイは思わず身構える。
 癪に障ったのか、ブルーガはひどく険しい顔つきで二人を睨みつける。 
「我々のことはともかく、ご主人様への罵倒は許しません」
「ご主人様はあらゆる分野、立ち振る舞いにおいて完璧なお方です。完璧なるお方が望むのは完璧な空間と環境、そして完璧な使用人……私達メイドが成すべきことは、ご主人様を満足させる〝完璧〟の提供。それ以外には何もありません。私達は〝メイド〟ですから」
「……それがお前らの生き方なのか?人間は、〝道具〟みたいな生き物じゃないだろ……」

 

「はい。だから私達は〝人間〟をやめました。私達はご主人様の理想の〝道具〟になりました」

 

「……」
 悲哀も無ければ苦悩も無く、あっさりとブルーガは言ってのけた。断言した。 
 ソウリュウはそれに対して、怒るでもなく反論することもなく、人間であるはずのメイド戦隊の少女を見つめていた、
「人間ではない貴方が、何故そこまでして私達の〝人間性〟を重要視するのです?皆目見当がつきません」
「……多分、知りたいんだ」
「知りたい、とは?」
「人間のことをだよ」
「知っても何の意味も無いと思いますよ。少なくとも〝この時代のこの世界〟では―――――……貴方は何者ですか。いったい、何なのですか。髪の色しかり種族しかり……普通じゃない」
「じゃあ俺も名乗らないとな」
 ソウリュウは少しだけ微笑んだ。
「俺はナナシアのソウリュウ。旅人の拳士だ。趣味は強いやつと戦うこと。特技は、戦うこと」
「特技に〝戦うこと〟をもってくるとは、相当腕に自信があると見えます」
「もちろん。俺は強いぜ?ちょっとやそっとじゃビクともしないからな」
「……そちらの方は?貴方は魔力の気配を多少感じますが、人間ですよね」
 いきなり自分に話が振られてフレイはぎょっとしながらも、すぐに咳払いを一つした。
「……フレイ・リント。カシスの街で魔法使い見習いの魔術師をしている。趣味は読書と薬草を育てること。特技は、植物の名前を当てられるくらいしか思い浮かばないな―――――でも、君は知っているはずだよ僕のこと。今は思い出せないだけで」
「―――――丁寧なご挨拶、どうもありがとうございます。これでお客様の名前を彫った墓が作れますわ―――――扉があかないのは私が侵入を許さないから、先へ進めないのは私が侵攻を認めないから。お客様の意志に鍵を刺し、閉じ込めてさしあげます」
 ブルーガが大槌を片手で持ち、すっとソウリュウ達に向けて構える。
 身の丈ほどの長さがあり、相当の重量があるであろうそれを易々と持ち上げる少女の姿に驚くよりも、ソウリュウは別のことに仰天していた。
「メイドの墓作り担当はお前なのか!入り口でマーシアにいろんなこと聞かれて散々な目にあったぞ!」
「君はまだ墓のことを引きずっていたのかい!」
 呆れるフレイだったが、すぐに臨戦態勢を取り戻す。
「まぁいいや!俺達まだ墓に入る気はさらさらないからな」
「絶対に変える術を見つけて、君を連れて帰るよ。イリアナ!」
 彼女は大槌を一度だけ振るい、鋭い睨眼でソウリュウ達を凝視しながら、凛とした声で名乗り上げた。

 


「メイド戦隊が一人、〝クローバーのブルーガ〟―――――眠るよりも早い圧倒的なる死を、お客様に提供しますわ」

 


 

 

 

 

第三回戦 クローバーのブルーガ 戦闘開始―――――

 

 

 

 

 

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