名も無き勇者の冒険 第一幕 飛べない勇者と死ねない愚者

 

XIII VSクローバーのブルーガ

 

 

 ◆

 

 不意に、懐かしいことを思い出す。
 何故このタイミングで記憶が蘇ってきたのかは不明だが、脳裏をスクリーンに、記憶を司る脳の一部分を映写機に例えるならば、思い出は映写機の内でくるくると回されるフィルムそのものであった。
 ソウリュウはほんの一瞬だけ、過去の自分の姿を思い返していた。
 ナナシアと呼ばれた本名無き山の奥深くでひたすら修行に明け暮れていた自分を。
 見渡す限りの鬱蒼とした樹海は空をも隠し、開拓されている部分はほんの僅かという野生の地はソウリュウの唯一無二の故郷であり、芽生えた自我の始まりの地でもある。
 十六年間一度たりとも山を下りず、師匠であるショウイン以外の人物とは一切交流せず、俗世から離脱した世界で生きてきたソウリュウからすれば今でも故郷の景色は鮮明に思い出せる。目を瞑っても駆けまわれるほど、身に馴染んでいる。唐突に山の空気が恋しくなるほど、ソウリュウはナナシアでの隔絶した毎日に懐かしさを抱いている。
 拘束的な日々ではなかったといえば嘘になる。ショウインから聞かされた世間の話に憧れを覚えなかったと言えば偽りになる。  
 それでもソウリュウは来る日も来る日も終わりのない厳しい修行付けの日々に満足していた。
 その習慣、生き方しか知らなかったとはいえど、師匠であり父のような存在であったショウインと過ごした日々はかけがえのないものであった。
 ショウインは厳しくもあり、不器用な優しさを持っていた。
 血の繋がりも縁も無いソウリュウを育ててくれた恩人。
 だからこそソウリュウは恩に応えようとした。
 
 師匠が望むなら、俺は修行しまくるし、めげないし、泣き言も言わない。
 山から出ないし、下界に興味も持たないし、我儘も言わない。
 特訓に没頭して、無我夢中に走って、鍛えて、期待に応えたい。
 努力する。もっともっと努力する。努力するから、もっとすげえ技教えてくれよ。俺、頑張るから。
 師匠が〝人間〟でサイキョーってやつなら、いつか俺が師匠を越えてやるよ。
 俺が〝人間〟で一番スゲー男になるからさ。

 

―――――最初から〝人間〟になれなかったくせに?
 


 ◆


 人間とはにわかには信じがたい怪力を、ブルーガは惜しむことなく見せつけてくる。

 大槌が勢い良く振りかぶられたかと思えば、ブルーガはすでに助走も付けずに跳躍に移っていた。
 すらりとした足が宙を踏み、ふわりと長いメイドスカートが舞い上がる。危うく中身の様子がまじまじと覗けそうになってしまうが、例えそんな余裕があったとしてもソウリュウの心は全く揺れ動かないだろう。その手の関心には〝この時〟はまだ目覚めていないのだから。
「―――――沈め」
 危ういほど純粋なソウリュウの詳細についてはともかく、ブルーガは彼の脳天目がけて得物を振り下ろす。
 ソウリュウはその動きを見切り、素早く横へ回避する。
 ずどんと、驚くほど鈍い音が響き渡れば数瞬前までソウリュウが立っていた地点が抉れるようにひび割れる。舞い散る床の破片と粉々に砕かれた残骸の煙は、たちまち再度振られた大槌によって吹き飛ばされる。
 あまりの破壊力に後方で弓を構えていたフレイがぞっとしてしまうが、ソウリュウは少々吃驚する程度で怖気づくこともない。
 むしろ「やっと戦いやすい相手が出てきた」と、安堵するほどだった。
 ひょいひょいと軽やかに攻撃を避け続けるソウリュウを追い詰めるように、ブルーガは何度も大槌を振るう。
「戦うのが得意と宣言した割には、逃げることがお上手ですね」
「背は向けてないから逃げてないぜ!」
 薙ぐように振るわれた大槌を跳び上がって回避し、ブルーガの挑発に乗らずに彼女に跳び蹴りを放つ。もちろん手加減して。
 しかし手加減した分だけ勢いと速度は落ち、あっさりとブルーガはそれを回避してしまう。
「おっと」
 まだ着地できていないソウリュウに一撃をおみまいしようと下から振り上げた大槌を、くるりとソウリュウは体を反転させることで無効化する。大槌には悪趣味な意匠が施されており、あちらこちらから鋭い棘が突き伸びているが逆にソウリュウは棘の根元部分を掴み、ブルーガの勢いを利用して別方向に移動―――――着地する。
「何故、手加減するのですか?」 
 すでに何打も打ち合っているというのにお互い全くの無傷で、テンポが悪い。
 虫の居所が悪そうに眉をひそめるブルーガに、ソウリュウは屈託の無い笑顔で肩を回した。
「本気出したらお前に怪我負わせちまうから。勝負は楽しいけど、俺の役目はお前をフレイ達と一緒に街に帰すことだからさ。お前の家族も心配してるはずだし」
「貴方はさっきから何を言っているのです?街?家族?そんなモノ、私は知りません。変な妄言に私を突き合わせないでください。はっきり言って迷惑です」
「もーげん?よくわかんねえけど、お前が忘れてるだけでお前には帰る場所があるんだよ。この館じゃなくて、お前達を待ってる人がいる街がちゃんとあるんだよ」
「……達?何故複数形なのですか」
「決まってんだろ四人いるんだから。一人と四人じゃだいぶ違うだろ」
「は、あ?」
 ブルーガは〝話の根本から理解しがたく、どのように理解できないのかも形容しがたい〟と書かれた用紙を顔面に貼り付けているかのような様子で、脱力気味な声を上げてしまう。彼女からすれば〝四人〟の中にいったいどの人物が属しているのかさっぱり把握し切れていないのだから無理もない。
 メイド戦隊のメンバー数は奇遇なことに話と一致する四人構成だが、主人に記憶を改竄され、肉体の主導権と所有権さえ握られた操り人形同然の彼女には、目の前で快活に笑むソウリュウ―――――客人と言う名の排除すべき侵入者がまさか自分達を救出しに来ているとは想像さえできないことだろう。到底を通り越し、絶対にできない。できるはずがない。
 できるはずがなかったからこそ、ソウリュウとフレイはやむを得ずミーシャとロゼラと戦ってきたのだ。
 今もこうして奇妙な緊迫感を持ってブルーガと対峙しているのは、言葉の力での説得ではもう届かないからに限る。 
 方向性の見えない捏造に等しいちんぷんかんぷんな話題に、ブルーガはますます鬱陶しそうに目尻に皺を寄せてしまう。
 恐れ知らずの来客の場違いな明るい笑顔が、彼女の殺意に更に油を注いで火をつけていく。
「お前とあともう一人連れ戻したらここの主人をぶっ飛ばして……あ、あとマーシアとももう一度戦いたいな」
「私はともかく、マーシア先輩を突破できるとでも?」
「突破する。もちろん、正々堂々殺さずにな」
「……理解できません。全く持って意味不明。いったい何がどうなればそのように支離滅裂で阿呆な思考回路になるのでしょうか。貴方の意識の回路はいかれています。修理、修繕、修正……いいえ、きっとどのような手を加えたとしても貴方の愚かしさは改善されないのでしょうね。馬鹿は死ななければ治らない。だから私がここで壊してさしあげます!」
「ただで壊されるほど、俺は弱くないぜ!」
 猛然と向かってくるブルーガを、ソウリュウは挑発するように指を立てて迎え撃つ。
「援護するよ!」
「大丈夫だ!今は俺に任せてフレイは下がってろ!お前の矢じゃ跳ね返されちまう」
「別に私は二対一でも構いませんよ。遠慮は無粋……調子に乗らないでくださいねっ」
 フレイを下がらせたソウリュウは、豪速の鉄槌を卓越した反射神経を生かして避けきり、すかさず身を屈めて相手の懐へと迫る。
「くっ……!」
 予想以上のソウリュウの俊敏な身のこなしに圧倒され、ブルーガは歯を食いしばる。
 寸でのところで手刀をかわしても次なる攻撃が迫りくる。
 人間離れ(そもそも人間ではないが)の攻撃速度は眼を逸らせばたちまち位置がわからなくなり、野生動物さながらの移動速度は気配さえも飛び越える。ソウリュウの素早さは伊達ではなく、本物だ。
 放たれた連続パンチを辛うじてさばき、ブルーガは厚底のメイド靴で踏ん張り、大槌による打撃ではなく咄嗟の機転を利かせてソウリュウの左足首を狙って横薙ぎに蹴りをおみまいする。
「当たらねえぞ!」
 しかしソウリュウはあっさりと彼女の足を避け、逆にその細い足首を掴まえてしまう。
「そらっ!」
「……!」
 ソウリュウは意表を突かれて身動きが取れないブルーガを遠心力を利用し、力は抜きつつもそれなりの勢いを乗せて投げ飛ばした。まるで枕投げの枕を投げるように軽々と決して小柄ではない人間の少女を投げるその光景は、夢の中での珍妙な出来事のようにさえ捉えてしまう。
 ブルーガは螺旋階段塔の壁付近にまで飛ばされ、激突寸前のところで何とか体勢を立て直して着地する。ぎっとソウリュウを睨み返すが、心なしか表情は険しい。
「すごい……!」
 猛攻を恐れることなく荒っぽいとはいえ的確に回避し、対応できるソウリュウにフレイは感嘆の声さえあげてしまう。
「さあどうする?まだ来るか」
 にやりと挑戦的に笑むソウリュウはブルーガの睨眼を見据えながら、ゆっくりと構えなおす。いつでも突撃できるような姿勢は拳士として完成されており、隙を与えさせない。
 第三者が唐突にこの状況下に放り出されても、明らかにソウリュウが優勢だと一目でわかることだろう。
 事実、ソウリュウは今までのメイド戦隊との戦いの中で、今回が最も余裕を持って戦えていた。
 何故なら、相手の得物が〝大槌〟であるからだ。
 ただの手合せ、殺し抜きの勝負ならば例え相手がどんな武器や戦法を使ってこようが一向に構わないが、なるべく傷つけずに操られている対戦相手を救出することに徹しなければならない今は、できることならば対策し切れる戦術でかかってこられるほうがありがたいとソウリュウは思っている。否、ソウリュウではなくとも誰もがそう要望することだろう。苦戦して戦いを長引かせるよりは、最初から善戦を推し進めて早急に終わらせる方がこの場合は都合が良いのだから。
 一戦目のキャロリーナの魔道具『メイプルシザーズ』による中距離遠距離からの斬撃攻撃。
 二戦目のジュノーの魔道具『バトルポッド・ミディアム』による遠距離からの毒水砲撃。
 そして三戦目のブルーガはどのような魔道具なのかは定かではないが、使用武器から察するに間違いなく近距離での打撃攻撃を主としている。
 ソウリュウは遠距離技や特殊技に特化した相手と戦うことを不得意としているが、近接武器で戦ってくる相手との戦闘は得意―――――むしろ大好きである。
 猪突猛進を体現したようなソウリュウが好むのは、正面からのぶつかり合いだ!
「……貴方、今、〝このまま押していけば絶対に勝てる〟と考えていますね」
 苦虫を潰したような表情でブルーガは言うが、まさにその通りだった。
 だからと言って図星で取り乱すこともなく、むしろ「ああ、それがどうした?」と言いたげにソウリュウはとんと軽くその場で跳躍した。
「慢心は足元をすくわれるものですよ。その胸糞悪い発想、すぐに後悔させてやります」
「じゃあやってみろよ。でも、長続きはさせたくねえんだよな!」
 鉄槌の柄を握りなおすブルーガに向かってソウリュウは駆け、反撃として振るわれた槌そのものを跳び越えた。
「わりぃな!ちょっくら眠ってくれ!」
 唯一の武器をいなされたブルーガの首元を狙って、ソウリュウの回転蹴りが放たれる。
 間違いなく直撃する―――――そして炸裂―――――するかと思わせたところで、ソウリュウは己の慢心にも似た確信に裏切られることになる。
 ブルーガは冷や汗を流しながらも、邪悪に口元を歪めた。
 〝仕留めた〟と言わんばかりに。
「眠る?私はまだ勤務中ですよ―――――眠るのはお客様です!」 
 ソウリュウが顔色を変えるその刹那まで、彼は気づくことができなかった。
 それは致命的な油断であり、想像だにしなかった方向からの―――――追撃!
「げ……!」
 
 大槌の軌道を急転回して変えやがった!
 あんなバカでかくて見るからに重そうな大槌を!?
 
 メイド戦隊の筋力を侮ってはいけなかった。
 ブルーガは重量のある鉄槌を床にまで下ろして衝撃を殺すことなく、勢いを乗せたままに別方向への攻撃を展開する。
 大の大人でも下手をすれば肩が外れるであろう荒業を、ここぞとばかりにやってのける。
 むしろソウリュウに自分をわざと追い詰めさせたようにふるまい、確実に的確に仕留めに来たのかもしれない。
 常識に囚われてはいけない。
 ある意味これこそが赤薔薇の館を攻略する最大のヒントであり、口を酸っぱくして反芻させなければいけない言葉だったのかもしれない。
 しかしソウリュウはそんな後悔に駆られる余裕はなかった。
 相手の策中にはまっていようがいまいが―――――時すでに遅し。
 足が地から離れているソウリュウには、後方からの一発を避けきることができない。
「いッ!」
 ゴッ―――――と、鈍い音が響き渡る。
「当たりました、ねえええええええええええぇえええぇ!!」
 大槌の打面はソウリュウの左肩にヒットし、そのままブルーガの雄叫びごと振り切られる。
 バランスを失ったソウリュウの体は面白いほど真っ直ぐ吹っ飛ばされ、かなり離れた位置のステンドグラスの一面に叩きつけられる。
 甲高い音を立てて色とりどりの硝子が衝撃に割れ、花弁を散らせるように飛び散る。
 ソウリュウは苦しげに肩を押さえながら、そのまま床に受け身を取る。だが、雨のように降り注ぐ硝子片までは対処しきれず、体の数か所に破片が突き刺さる。
 鮮やかな光の乱射の中で、やけに生々しい赤色の液体が床に染みをつけた。
「ソウリュウ!」
 すかさずフレイがブルーガに魔法矢を数本連射するが、意にも介さずかわしきってしまう。
 ブルーガはそのままフレイには目もくれず、ガラス片を雑に払い落として立ち上がるソウリュウに突進していく。
「いってぇ……!」
 右腕に突き刺さったガラスが特に深々と刺さったのか、だらだらと血が流れ出ている。
 無論、ブルーガは殺す気で来ているため待ってくれるはずがない。
「でも思ったよりは痛くない、ような……?」
 ソウリュウは違和感に目を丸くしてしまう。
 あれほどの大振りの槌をもろにくらったというのに、肩の痛みはそこまでひどいものではない。普通ならば鬱血の痕や最悪骨が砕けているはずだが、精々不快な痺れ程度の一時障害しか残っていない。
 むしろ刺さったガラス片のほうが痛いくらいである。
「ちょこまか動かないでください。寿命が延びますよ!」
「延びたほうがいいだろ普通に考えて!」
 追ってきたブルーガの大槌の一撃をギリギリのスライディングで避け、ソウリュウは走りながら残りのガラス片を引き抜いて投げ捨て、そのまま螺旋階段の一番下の踊場に跳躍する。
(あれ……何かやけに体が軽いような……?)
 床を踏み切った直後に生じた謎の感覚に首を傾げそうになりつつも、ひとまずブルーガと距離を取ることに成功する。
 階段に乗られたことが不服なのか、ブルーガは忌まわしげにあからさまな舌打ちをする。
 それでも笑みは湛えたままだ。 
「ソウリュウ、血が……!」
 運良く階段の下近くにいたフレイが止血剤を素早く取り出すが、ソウリュウは大したことないと制する。
「こんくらい舐めときゃ治るよ。それよりも……なんか妙なんだよ」
「妙?」
「何て言ったらいいのか、変に体がふわふわするというか」
「ふわふわ?」
 ソウリュウの発言の意味がまるでわからないフレイはきょとんとしてしまうが、ブルーガの表情が更に達の悪い色に変貌したことを見逃さなかった。
(あのハンマーが魔道具の可能性は充分ありうる。さっきの攻撃でソウリュウは何かされたのか?)
「今度は私から行きますよ」
「来いよ!今度こそ打ち負かしてやる!」
 宣言通りに向かってきたブルーガに、ソウリュウは正面から跳びかかっていく。
(避けて軌道を変えられるくらいなら、今度は真っ向から弾き返してやる!)
 ぐるりと体を回転させ、遠心力を乗せた足を鞭のように振るう。
 脚力を駆使した技を放つ瞬間にソウリュウが思ったことは、

(しまった。これ結構強めの技だから、それなりの怪我させちまうかも……!)

 咄嗟の行動の後悔による躊躇のそれだった。
 しかし、展開はソウリュウの想像の遥か斜めの方向へと転がる。
 鉄槌を握る手元を狙って蹴り飛ばそうとしたその時。

 

 

 ぽか。

 

 

「へ?」

 ぽか?
 なんだこの状況において非常に不釣り合いな、ふざけているくらい軽い効果音は?
 ソウリュウの蹴りの音が明らかにおかしい。
 それどころか―――――ブルーガに全くと言っていいほどダメージを与えられていない!
「魔道具『リタルダンドクラック』―――――このハンマーを当てれば当てるだけ、貴方様から放たれる衝撃の全てを封じることができる!」
「な……!」
 仰天しているソウリュウめがけて、鉄槌がフルスイングされる。
「うお、ああああああああああ!?」
 寸でのところで胸前で交差させた両腕のガードのおかげで多少衝撃は抑えられたものの、それでも殺しきれない力にソウリュウはぶっ飛ばされ―――――背後の階段の手摺りに激突してしまう。
 ひしゃげた手摺りはクッションの役目を果たさずそのままへし折れ、受け身が間に合わなかったソウリュウはそのまま階段の段差に部分に落下。階段自体に穴が開かなかったことからかなり強度はあるようだ。
 人体と比較してはいけないが。
「あでぇ……!今のはなかなか、堪えたぞ……」
 痛みに苦々しい表情を浮かべたソウリュウは、仰向けの状態から上半身だけ起こして口元を拭う。どうやら口を切ってしまったようで、細く血が流れている。
「さすがに一発だけでは足りませんが、貴方様程度ならば三発も当てれば攻撃威力を赤ん坊以下にできましょう。そして今ので二発目です。ますます貴方は弱くなってしまいましたよ」
 一発目は先ほどの攻撃。二発目は今。
 魔道具の持つ能力の原理やら仕組みやらは把握しかねるが、それでも〝自分の力〟が根こそぎ没収されてしまったかのような虚しい感覚だけは現実味を持ってソウリュウを嘲笑している。
「な、なるほど……何となくわかった。妙に体が軽くておかしいのはそのせいか」
 試しにソウリュウは座り込んだ体勢のまま手近にあった階段の手摺りの残骸―――――拳大のそれを〝粉々にする程度〟で殴ってみる。
 
 ぽか。

 

 案の定、間の抜けるような悲しい音が生じる。 
「ま、まじかよ……」
 さすがに笑えねえぞと、ソウリュウは狐につままれたような様子で―――――砕くどころかヒビ一つ刻めなかった残骸から、殴りつけた状態のまま固まっていた拳を放した。信じがたい光景だが、信じる他ない。
 通常時でその気になれば指一本でも壊せそうな残骸を破壊できない。力勝負の拳士であるソウリュウにとってはかなり―――――否、とてつもなくまずい。
 力が無ければ、戦いにさえならない。
「こんな魔道具があるなんて……!」
 動けないソウリュウに代わってフレイが魔法矢を連続して射るが、ブルーガは小悪魔的な笑みを湛えたまま全て打ち払ってしまう。
「ふふ……『リタルダンドクラック』は人体への破壊力はそこまででもないんですよ。食らった貴方ならばわかるでしょう。この武器の正しい使用用途は一撃で敵を叩き潰して仕留めるのではなく―――――じわじわと相手の力を捻じ伏せて、嬲り殺しにすることなんですよ」
「うげぇええ……悪趣味だなホント。やっぱり一筋縄じゃいかないな」
 立ち上がったソウリュウを守るように立つフレイは、真剣な目で次の矢をつがえる。
「一旦引きたいところだけれど、君の攻撃の威力が失われたのは痛い……無謀かもしれないけど僕が前に出る?」
「いや、その必要はないぜ。俺はたった今秘策を思いついた」
「何だって。秘策?」
「おう。秘策だ!」
 ソウリュウが思いついた秘策―――――今までの経緯を振り返るに、嫌な予感しかしない。
「何をする気です?」
 ブルーガが訝しげに眉をひそめる。
「掴まれ!」
「わ、わかった!」
 すでに手摺りはへし折れているため、ソウリュウがフレイの手を取って階段まで引っ張りあげられるのは容易い事だった。幸い、〝放つ〟のではなく〝引く〟怪力自体は衰えていない。

 

「とりあえず階段を!上るっ!」
「え、ええええええええええ!?僕もおおおおおお!?」

 

 突然階段を駆け上り出したソウリュウに驚きのあまり情けなく叫んでしまうフレイだが、慌てて後を追うように必死になって走り出す。二人分の足音が漆黒の階段にこだまするように響く。
「当たり前だろ俺もお前も飛べないんだから!」
「いやそりゃそうだけどさぁ!」
 ここでタイトル回収をしても少々どころか非常に味気ない。
「逃げる気ですか。みっともない―――――追い詰めて殺すまでです」
「き、来ちゃったよ。そりゃ来るか……!」
 もちろんブルーガも階段を走って追いかけてくる。予想以上に俊足であり、おまけに鉄槌を振り回してくるものだからフレイは振り返るのも恐ろしかった。止まったら、叩き潰された肉になる。それは全力で避けたい。
「正面突破ってやつができないならどうすりゃいい?」
「本当に階段駆け上がることしか考えてなかったんだね君は……!」
「いや、他の策も考えたんだけどよ。どう考えてもアイツに大怪我させちまいそうだからやろうにもやれないんだよ」
「い……今の弱くなった力で?」
「うーんそれが微妙なんだよなぁ」
 その言葉が言い終わる前に、何かが豪快に轢き潰されたような嫌な音が真下から聞こえてくる。
  ―――――ブルーガが階段自体を鉄槌で叩き、殴り、壊しながら刻一刻と二人に追いついてきている。
 彼女が暴力を振るうたびに階段は強い地震に襲われてるかのように激しく揺れ、不穏な軋音を立てる。
「ま、まずいよソウリュウ。階段で勝負に持ち込んだところで、戦う前に段ごと落とされそうだよ。反撃のチャンスどころじゃない!」
「積み木落としか!」
「全然違うよ!」
「でもそれを言ったら向こうも落ちる危険があるってことだろ?いくらメイドでも空は飛べないだろ。なら、なんとかなるだろ!」
「楽観的すぎない?」
「前向きだ前向き!」
「……ここに来てからメイドに対する印象すごく変わったよ本当に。頼むから落ちないでくれよ、ここから落ちたら多分、やばいよ」
 すでに紺碧色の床は遥か下であり、もしも誤って転落したらと想像するだけで鳥肌が立ちそうになる高さだ。
 ブルーガの追撃の影響で抜け落ちた段を何とか飛び越えたところでまだまだ終着点には遠く、改めてこの建物の巨大さを痛感してしまう。縦にも横にも、途方も無い。
「フレイ。万が一落ちたら―――――謝る!」
「どう考えても謝って済む問題じゃないよね!?」
「墓は作る!」
「ここで墓の話題出すのやめようよ!」
「冗談だよ。お前は死なせない。仲間を守れなかったなんて、俺が俺を許せなくなっちまう!―――――先に行け!」
 フレイを先に進ませ、ソウリュウは螺旋階段中央の主柱に手をかけて、勢いを乗せたまま踵を返す。
「!」
「そらよっ!」
 追いついてきたブルーガめがけて拳を振り上げたソウリュウだったが、あっさりと回避されてしまう。
 それどころか背中めがけて『リタルダンドクラック』の特殊効果を乗せた技を繰り出される。
「この……!」
 無理に体をねじったせいで筋肉と骨が悲鳴を上げるが、それでもソウリュウは間一髪で凶悪な一撃を避け、無事な手摺りの上に飛び乗る。
「……そろそろ限界を感じてきているのではないですか?それに、いくらできそこないとはいえキャロリーナとジュノーと続き、私を相手にして肉体的に厳しい状態に追いつめられているはずですよ。どうでしょう。ここらで降参するという手もありますよ」
 ブルーガは不気味に思えるほど息一つ乱れていないが、ソウリュウにはすでに疲労の色が窺えた。体力に自信があるといえども、さすがに無限に尽きない、限界が訪れないということは無い。
「まさか。俺がたったの三戦で疲れるとでも思ってんのか?」
「貴方のタフさは評価しますが、戦い以上にこの館を彷徨っている時点で精神的にも追いつめられているのですよ。自覚していないだけで、結構今の貴方は疲弊しているように見えますよ」
「……」
「今のうちに、最後に言い残したいことを聞いてあげても構いませんよ」
「……この館の主は何を企んでいる?」
「それが最後の言葉?ご主人様に仕えるメイドである私が話すとでも思っているのですか?」
「話してくれたらすげえありがてえけど、な!―――――フレイは言ってたぜ。〝この館は大規模な研究をしている施設みたいだ〟って」
 得体の知れない手記のようなモノ、図形や数式を書き記し書き散らした無数の紙束、何かの記録を書き残したような資料、膨大な書物、広大な空間、華美さに目くらましをされていたが嗜好や娯楽を大きく欠いた設備が施され、それに続く調度品が設置された館内。人を惑わせ彷徨わせ、隠している重要な品を他者の手から守るかのように入り組まれた複雑怪奇な設計。
「この館、おかしいんだよ。どこをどう見たって、普通じゃない。俺達が考えている以上にやばいこと、企んでるんだろ?」
 その言葉にブルーガはぴくりと身を震わせたが、やがて覚悟を決めたように唇を動かしていく。
「……そこまで突きとめられたのならば多少話してもいいとは言われていました。正直、貴方風情に言っても無駄なような気がしますけれどね―――――そうです。ご主人様は研究をなされています。この館はご主人様の研究所であり、観測所です」
「観測所?」
「実験用動物の習性や生態を再確認していたようです。集団行動?―――――長時間原因不明でいて脱出不可能の監禁生活を余儀なくされた〝下等生物〟を」
 にわかにソウリュウは目を剥く。
「まさか……お前ら……!」
 ブルーガの発言に、二人よりも一階分先行しているフレイも思わず足を止めてしまう。
「君達は……この館の主人は本当に何を考えているんだ!?―――――僕らの街の人達で、実験をしてたのか……!?」
「〝そこはご想像にお任せします〟と、ご主人様なら言うでしょうね―――――きっと貴方の理解の範疇を遥かに超えている。だから、貴方は知る必要が無いのです。知る意味が無いのです。知ったところでどうしようもないのですから。貴方は他人。ご主人様と違う。無論、私達とも違う。余所者を招き入れたのはご主人様であり、持て成しを命じたのもご主人様ですが、ご主人様の元に行かせるわけにはいかないのです。ここは〝そのような規則(ルール)〟で安定を保っているのです」
 空気を切り裂いて、『リタルダンドクラック』の矛先がソウリュウに狙いを定める。
「だから貴方と貴方のお連れの方はここで死ぬのです。お分かりですか?この階段は処刑場へと続く階段です。上がれば上がるだけリスクは高くなります。貴方は自分で自分の首を絞め、ギロチン台に首をかけようとしているのですよ。滑稽です。実に滑稽。私は死刑の執行人として貴方を追いかける。追いつめて殺す。館に鼠の侵入を許してはなりません。私は猫ではなくメイドですが、害獣駆除は仕事の一つです。だから、いいかげんに、貴方達は―――――ここで、死ねっ!」
 ばきんと、何かが勢いよく外れるような快音がソウリュウとフレイの耳を貫く。
 そしてお互いに音の出先を確認した途端、目を疑う。
 じゃらじゃらと鉄と鉄が擦れ合う音を鳴らしてどこからともなく出現した黒光りする長鎖が空を裂き、先端部に括り付けられるように繋っている巨大な塊が―――――階上のフレイめがけて飛来する!
「―――――ッ!」 
 戦慄して即座に走り出したソウリュウは謎の鎖の正体を目視することが適わなかったが、ほとんど真上の位置から鎖の全貌を目の当たりにしたフレイは「やられた」と内心で他人事のように呟いてしまう。
 してやられた。一本取られた、と。
 『リタルダンドクラック』の槌部分が柄から分離している―――――内部に仕込まれていた鎖を駆け橋ならぬ、駆け糸にして。
 魔道具でありながら随分と戦闘面に特化している武器だとは思っていたが、まさか暗器を彷彿とさせる隠し機能を未だに潜ませていたとは盲点だった。ブルーガが今の今まで隠していた手の内はここぞとばかり晒され、内部構造の秘密はそのまま凶器として襲いくる。
(間に合わない……!)
 風属性の防御魔法を発動しようにも術式に魔力素を込める時間は無い。術式を使用せずに詠唱したところで紙のように薄い守りしか展開できない。後にも先にも残される危機的状況の回避の唯一の術は単純に体を使って攻撃を避けることだが、残念なことにフレイは常日頃から鍛えているソウリュウとは比べ物にならないほど肉体面においては軟弱であり、運動神経に関しては常人よりも鈍い。
 それもそのはず彼は普段から魔法学関連の分野の勉強に明け暮れ、野山を走り回るなどということをほとんどしなかった。防魔装置(シス・マテリア)の閉鎖的な結界内でしか安全が保障されない時代において、行動的になればなるほど死の危険性が高くなるという考えもあってか、彼は体力をつけることよりも知識をつけることを優先したほうがいいとさえ思っていたほどである―――――ついさっきまでは。
(やっぱりリズの言う通り、もう少し体力つけておけばよかったかも……)
 ソウリュウは〝『リタルダンドクラック』の一撃はそこまでは痛くない〟と言っていたが、戦士ではないフレイが直撃したら少なからずの怪我は免れないだろう。
 避けれれば済む話なのだが、そう上手くいかないからこそ決断しなければならない。
(後遺症が残らない程度で済んだらいいな……!)
 避けきれない攻撃を受けることを覚悟した途端、走馬灯のように大切な妹とのかけがえのない記憶が脳裏で再生し―――――と、ここまでがほんの一瞬での出来事である。

 

「間に合ええええええええええぇ!」

 

 気迫がこもった声を上げてソウリュウが階段を踏み切る。下手をすれば真っ逆さまに落下してもおかしくないというのに、躊躇なく空中に身を躍らせる。長い髪が尾を引き、目を閉じかけたフレイの瞳に雪のように濁りの無い白色が鮮明に映る。
 ソウリュウはフレイめがけて発射された鎖を掴み、そのまま一気に引き寄せる。
「な……!」
「どりゃああああぁ!」
 眼下で目を見張るブルーガの望む方向とは全く違う方向へと槌の進路は転換され、ソウリュウの体重を乗せた鎖は魚の重みに負けた釣竿のように軌道を下方向に急転してしまう。間一髪でフレイと槌の接触を防ぐことができたソウリュウは鎖を掴んだままほっと笑んだ。その笑顔を垣間見たブルーガは心底彼に憎悪する。
 それでもブルーガは「ざまあみろ」と心の内で幾つの嘲りをソウリュウに投げつける―――――フレイに当てるはずだった攻撃をその身に受けたのだから。
「……!」
 無理に引き寄せた槌は反転し、ソウリュウの横頭部をかすめた―――――それだけでも『リタルダンドクラック』の特殊効果の対象者として追加影響が加算される!
 頭をかすめた痛みと、渾身の力を込めて鎖を握ったせいで破れた手の皮の苦痛に歯を食いしばるソウリュウだったが、運良く階段と段と段の隙間に鎖が引っかかる。
 危うく宙吊り状態になりかけてしまうが、振り子のように揺れる槌部分を踏み台にして無事に階段へと戻る。
「危なかった……いてて……!」
 血が出ている手のひらを軽く舐めて、ソウリュウは段に引っかかったままの鎖をブルーガに見せつけるように踏みつけた。鎖を元通りに柄の中に戻し、槌を繋ぎあげるのにはかなりの時間を有することだろう。
「でもこれでもう武器は使えないよな」
「……それは、貴方も同じでしょう?―――――これで三発目ですよお客様ぁ!」
 〝三度目〟の攻撃を受けたソウリュウは、実質もう無力化されたと言っても過言ではない。
 ブルーガの武器を一時的に使用困難にしたとはいえ、力そのものを奪い取られたソウリュウにはもはや勝ち目も退路も断たれてしまったに等しい。
 愕然と立ち尽くしていたフレイは血相変えて声を上げる。
「何で……!どうして今庇ったんだ!これじゃあ君はもう―――――!」
「どうして?」
 何でそんなことを訊くんだと言いたげに、不思議そうにソウリュウは答える。
「仲間を怪我させるわけにはいかないだろ」
「は、ぁ?」
 絶句するフレイだったが、割り込むようにブルーガの言葉が入ってくる。
「……自分からぶつかりに来るとは挑戦的なのか、それとも無謀と表したほうが適切なのかは判断しかねますが、そこからどう動きますか?今の貴方の全力の掌底を食らったとしても痛くも痒くもないですね」
「はは……そりゃ好都合ってやつだな」
「はい?」
「俺の攻撃力が最初から下がってるなら、別に手加減しなくてもいいってことなんだろ。だったらそのほうが楽でいいや。間違って大怪我負わせる心配がなくなるなら気持ちも晴れるし」
「貴方、いったい何を言ってるんです?馬鹿ですか?気持ちが晴れる?これから殺されるかもしれないというのに?何を悠長に笑っているんです?」
「悠長って意味が良くわからねえけど、笑いたい時には笑ったほうがいいって師匠も言ってたから笑ってるんだよ―――――ああ、楽しくなってきたなって」
 額から流れ出る血を雑に拭い、ソウリュウは一度だけ拳を鳴らす―――――そして、エンジンをフルスロットルで開放したかのような信じがたい速度でブルーガに殴りかかった!
「―――――ッ!?」
 度肝を抜かれそうになったブルーガは反射的に槌の棒でその攻撃を辛うじて受け止める。
 バキィィン!と、甲高い衝音が響き渡り、僅かに棒が振動で震える。
「あ、本当だ。今、結構〝本気の下〟で殴ったのに全然通用しねえや。それじゃあこれならどうだ?」
 ―――――『リタルダンドクラック』を三度当てていなかったら、確実に棒が粉砕されていた。
 恐ろしい事実とありえたかもしれない悍ましい結末の光景が脳内で湧きあがり、ブルーガの全身が粟立つ。
「ひっ!」
 続けざまに放たれた裏拳もぎりぎりで受け止めるが、ありえないはずのことを想像してしまう。
 
 壊される、と。
 この男に、殺される。
 本気で思ってしまった。

 

「何だ……?」
 フレイの眼下で繰り広げられる攻防戦の中、ソウリュウは突然強くなったように捉えられていた。
 技の精度も速度も上がり、身のこなしも更に研ぎ澄まされている。
 今まで制限していたリミッターを解除したかのような戦い方に言葉を失うフレイだったが、同時に〝恐怖〟にも似た何かが足から胴体へとせり上がってくるのを感じていた。
(ソウリュウ……!?)
 もともと人間離れの戦闘力を持つソウリュウが、もはや人外レベルのパワーとスピードを持ってブルーガに挑んでいる。『リタルダンドクラック』の持続効果が無ければ今頃ブルーガは再起不能になっているかもしれない―――――すでに恐慌に駆られ、戦うどころではなくなっているが。

 

 人間ではない気配。
 人間ではない力。
 人間ではなく―――――これは―――――まるで―――――〝竜〟の―――――。

 怖い。怖い。
 怖くてたまらない。
 射すくめられるような覇気。
 食らいつくされるような闘気。
 これは、もう、違う。
 存在が、おかしい。

 

 これが本気ではないのなら、彼の本気とやらはいったいどれほど怪物じみているのだろうか。

 

「これも駄目か。そんじゃあちょっと強気にこれでいくぜ!」
「な、ななななな、な、な、なななな……!」
 一旦攻撃の手を緩めたソウリュウだったが、今にも腰が抜けて泣き出してしまいそうに怯えているブルーガにきょとんとしてしまう。
「?―――――何で動かねえんだお前。なぁ、勝負しようぜ。降参する気もないみたいだし、俺を殺したいんだだろお前。なら戦おうぜ。付き合ってやるからさ」
「―――――ばけ、もの……!」
 ガタガタと震えながら、胃液を吐き出してしまいそうなほど慄きながら、体中のあちこちが警鐘を鳴らしている中で、ブルーガは強固な忠誠心とプライドだけでそこに立っていた。
 傷一つついていないというのに、気分は瀕死寸前の重傷者だった。
「化け物!化け物!化け物!化け物!化け物ッ!」
 噛みつくような罵倒。
「何故だ!何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ!?何故止まらない!何故逆らう!何故抗う!?―――――化け物ッ!化け物のくせに!人間の皮を被り、人間を演じ、人間を真似ることに何の意味がある!?こんな矮小で愚鈍な存在を模倣してどうするというのだ!」
「……さあな。俺にもよくわかんねえって言っただろ。それを見つけたいってのもさっき言ったぜ―――――やっぱり、お前にも俺は化け物に見えるのか」
 ひどく悲しげに、ソウリュウは表情に陰を落とした。
「ああ、ああ!あああああああああああああああッ!」
 理解できない!理解不能!理解不可!理解放棄!
 がむしゃらに振り上げた棒をソウリュウの頭部をかち割る勢いで振り下ろすが、あっさりとかわされてしまう。
 怯えのせいで狙いも力の込め具合もまちまちで、まるでブルーガのほうが弱くなってしまったかのようにさえ錯覚してしまう。
「人間が人間をやめたら何になるんだろうな。やっぱりお前らみたいなメイドになるのか?」
 くるりと、ソウリュウがブルーガの背後に回り込む。
「でもよ、人間をやめてようがやめてなかろうが関係なく―――――誰が相手であろうと俺は勝つんだよ!」
「こ、の……!」
 化け物め、と吐こうとしたところで、ブルーガの視点が急遽上を向いた。
「あ……?」
 ソウリュウに背後に回られたことによって無意識に階段を上がってしまい―――――丁度良い具合に伸びきっていた鎖に足を取られた。
 それに気づいたころには時すでに遅し。ブルーガは背中から転倒してしまう。頭も打ったのか、ぐらりと脳が揺さぶられて吐き気を催してしまう。
 そんな中でソウリュウに腕を掴まれ、甲に浮かび上がった契約刻印に手を添えられてしまう。

 

「ごめん。次に浮かんだ秘策はこれしかなかった」 
「の、のろわれて、しま」
 
 威力がなかろうが、脆い繋がりは容易く滅せる。
 振り下ろされた手が、契約の鎖を打ち砕く。
 螺旋階段の渦。
 くるくる、くるくると意識が回り―――――そのまま暗転。
 思った以上に呆気ない、勝敗。

 気を失う間際までブルーガの視界に映っていたのは―――――人を真似た不安定な竜の姿だった。

 


 ◆

 


「……ソウリュウ」
 気絶したブルーガを抱えて長い長い螺旋階段を上り終えたソウリュウは、一足先に待っていたフレイの複雑そうな声を耳にする。
 螺旋階段の先には教会の聖堂を想起させる空間が広がっており、等間隔に並べられた長椅子の列がソウリュウを出迎えた。天井部に樹木のように根付く柱はアーチを築き、荘厳ながらも神聖な空気を醸し出している。
 神仏もモチーフも何一つここには無いけれど。
「はは、さすがにちょっと疲れたぜ。力は元通りになったからよかったけどさ」
 手近な椅子にブルーガを横たえたソウリュウは、そのまますとんと床に腰を落としてしまう。
 ぽたり、ぽたりと、体のあちこちから滴り落ちる血が絨毯を汚していく。
「ソウリュウ」
 息を整えるソウリュウに、フレイは静かに訊ねた。
 そう、静かに。
 

 

「君はもしかして、死ぬつもりなのかい?」

 

 

 

 

 

 この刹那―――――物語は最悪の形へと、錆びついた歯車を噛み合わせていく。

 

 

 

 

 

第三回戦 クローバーのブルーガ   勝者 挑戦者ソウリュウ フレイ

 

                                    四回戦進出決定―――――

 

 

 

 

 

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 更新すごく遅くなりましたごめんなさい。
 ブルーガちゃん戦でしたが本当はもっと結末豪快で、階段から落下したソウリュウさんがフレイの矢を利用してシャンデリアを階段にぶつけるとかそういう展開でやるつもりでしたが没でした(だけどシャンデリア振り回しネタはいつかリベンジしたいです)。
 おそらく後三、四話で一幕は終わるはず?なので、ここからは後半戦です。