お姫様は自分のことを世界一幸せだと思っていました。
 お姫様は自分の国を世界一幸せな国だと思っていました。
 お姫様は自分は世界で一番愛されていると思っていました。
 ただ一つ、二つ、両親からの愛を除いて


 ◆

 


GAIA第八章一節 名も無き勇者の冒険 第二幕 呪われし勇者と屍の姫君

 

 Ⅱ.オアシスにて藍色の剣客を

 

 

 ◆

 


「うおおおおおおおおぉ!」

 

 フランシスのお節介なのかちょっかいなのかは判別のつかない助言を頼りに、ソウリュウは砂漠を激走していた。
 その勢いは目を疑うほどであり、彼が走り抜けた道無き道にはくっきりと足跡が残るだけかと思えば爆風じみた砂塵が巻き起こり、それこそ漫画調にもうもうと立ち込めては青空に数秒の濁り雲を生んでいく。
 砂中で身を休めていた生物はソウリュウの堂々とした喧しい足音にぎょっと目を覚まし、何事かと地上に顔を出すころにはすでに疾風怒濤の竜人の少年はとっくに通り過ぎてしまっている。新世界の不安定期である今の時代には列車などという高技術の結集である移動機関は遥か古の失われしモノとして埋没寸前の旧世界の歴史に名称を残しているが、まさに今のソウリュウは暴走列車―――――人型爆走列車(仮)と化していた。
 馬鹿でかい気合の雄叫びを上げて全力疾走するソウリュウは半ば無我夢中状態であり、あまり正常な思考判断ができているとは言い難かった。からからに渇いた喉を張り上げるたびに残り僅かな体内の水分がより一層蒸発していくようにさえ思えたが、ソウリュウは力を引き出すには叫ばずにはいられない性分である。
「これが嘘だったらあいつを地平線の彼方までぶっ飛ばしてやる!」
 フランシスを置いてきてしまったことに欠片も罪悪感を抱かぬまま、ソウリュウは走り続ける。
 人外の中でも卓越した嗅覚と聴覚をこれ以上になく研ぎ澄ませ、進行方向の先にあるはずのオアシスを探っていく。どうあがいても見つけられなければペテン師だったフランシスをぶん殴ろうと心に決めている分、迷いはなかった。
 これはもはや死活問題だ。砂嵐も蜃気楼さえもぶっ飛ばす勢いで走ることが、追い詰められた状況下を脱する唯一の方法(フランシスの手ずから水をもらうことだけは絶対に避けたいからこれだけは論外)はこれしかない。オアシスを見つけ、水を飲む!なんと簡単でいて博打じみた賭けだろうか!―――――ちなみにソウリュウは生まれてこの方合法違法を含めて賭け事全般に手を出したことがないため、賭博運に関しては不明である。
「おっ」
 走り続けてどれほど経過した頃だろうか、ソウリュウはくんと鼻を鳴らした。
 その嗅覚が捉えたのは砂と干からびた何物かの臭いとはまるで違うモノ―――――焦がれて求めてやまなかった、清浄でいて純粋でいて母なるモノ。
 水の香りであった!
「水ううううううぅ!水、水だああああぁああ!」

 後にソウリュウは数多の人物に己の旅を語る時に、あの砂漠で水の在り処を見つけられた時の歓喜は今までの人生で体験した喜びの大きさ順位で三位以内には必ず入ると言うことになる。
 兎にも角にも確実な水の存在を知り、ソウリュウは俄然気力に火がつく。走力は更に跳ね上がり、加速する。
 やがて見えてきたのは青々とした尖り緑の木々が作り出す小規模な森林―――――それらに守られるように淡水を溜めている大きな泉だった。
「よっしゃあ助かった……助かったぞ俺……!」
 フランシスには絶対感謝しないがとりあえず殴ることは保留にしようと心の内で頷く。
 ここに来て一気に疲労が押し寄せてきたのか、ソウリュウはふらふらと覚束ない足取りで森林地帯へと突入する。
 がさがさと草木をかき分けているうちに、ふっと視界の先に植物ではないモノが入り込む。

(―――――髪?)

 ふわりと、涼しい風が吹いたかと思えば、長い髪が尾を引く。
 その色は―――――深い藍色。
 髪の持ち主ことオアシスの先客はソウリュウから少々離れた地点にある木の下に腰掛けており、どうやら休憩を取っているようだった。
 高い位置で一つに結われたきめ細やかな長髪。この地方ではまず見かけない男物の和装。脇には〝日本刀〟であろう武器が置かれており、荷物であろう風呂敷包みも傍にある。
(俺と同い歳くらいの人間……だろうけど、男か女かわかんねぇ)
 顔つきは整っており凛々しくも美麗であるが、服装や雰囲気のせいかひどく中性的で、女子なのか男子なのか区別がつかない。体つきも凹凸はっきりしていないため余計である。
(旅人だろうな。それに、かなりの強者って感じがするな)
 彼もしくは彼女の持つ気配はぞっとするほど鋭利であり、不用心に近づけばあっという間に斬り刻まれてしまいそうな予感がした。
(……?)
 ソウリュウは不意に自分自身に違和感を覚える。
 上手く体が動かないのだ。
 それも疲弊や喉の渇きによるものではない。もっと精神的なものから来ている。
(何だ、この感じ) 
 胸の内に沸き上がる〝知らない感情〟に戸惑っていたその時、

「誰だ」
 
 先客がこちらに厳しい目を向けて、刀を手にした。
 想像以上に高く澄んだ声音からソウリュウは理解する―――――こいつは女だと。
 男装の少女は静かに立ち上がり、木の陰に隠れているソウリュウを凝視する。その様子からだと警戒しているだけで、ソウリュウ自体に気づいたわけではなさそうだった。
 それでもこの遠距離から微弱な気配を読まれるとなると、やはりこの少女は只者ではない。
「そこに誰かいるのか」
 再度忠告するように問われるが、ソウリュウは声を出すことも姿を現すこともできなかった。
 決して意図的に身を隠しているわけではない、何故か彼女に返答することが適わなかったのだ。
 それはさながら緊張の糸に縛られているかのようで、意味も無くソウリュウの心臓の鼓動は高鳴っていた。
(何してんだ俺。別に何も悪い事してないし、普通に出て行けばいいのに、なんで……)
 ソウリュウは人見知りではない。それどころかどれほど恐ろしい形相をしている初対面の者にも馴れ馴れしく話しかけられるほどだ。人間であろうが人外であろうが雌雄関係無く、自分の調子を狂わせることなく接することができる。
 それなのに、ソウリュウはこの場において―――――少女話しかける勇気がなかった。
 少女の秘めているであろう実力に恐れをなしているからではない。妙な術をかけられたわけでもない。原因はソウリュウ自身にもわからなかった。だからこそソウリュウは混乱していた。思わずぐっと胸の上で拳を作っている自分の姿を見下ろしては、本当に自分は自分なのかと疑ってしまうほどに。
 どくどくと忙しく鼓を打つ心臓がすぐ耳元で煩く響いてくる。喉の渇きはとっくに忘れてしまっている。
 こんな気持ちを味わうのは生まれて初めてだった。
 ここ数か月で様々な〝感情〟を知ったような気がするが、今回の〝感情〟は今までのモノとは一線を画する異質なモノであった。

 ―――――ソウリュウがこの〝感情〟の正体を自分自身の力で見抜けるようになるのは、しばらく先のことになる。

「……気のせいか」
 数十秒かもしくは数分か。少女はいつでも抜刀できるように握っていた刀の柄から手を離し、警戒を解く。
 少女は振り返ることなく木の下の荷物を背負い、そのまま静かに歩いてはオアシスから出て行った。
 僅かに水気を帯びた砂には草鞋の足跡が残されるが、風によってすぐにかき消されていく。
「な、何だったんだ……?」
 少女の気配が完全に遠ざかったのを確認したソウリュウは、肩の荷を下ろすように息を吐いた。
 まだ鼓動は速いが、じきに落ち着くことだろう。
 どうしてこんな風になってしまったんだと、ぐるぐるする頭を何とか整えようとしたところで、何者かに背中から抱き着かれる。
「ニホン人ですね。それも純血の。こんな場所にいるなんて珍しい」
「わああああああああぁ!?」
 何の前触れもなくフランシスに密着され、ソウリュウは本日で一番大きな絶叫を上げてしまう。
 これにはさすがのフランシスも喧しいと思ったのか、怪訝そうに顔をしかめた。
「何ですか騒々しい。水求竜人のソウリュウさん。水はどうしたんですか飲んでないんですか」
 その言葉にソウリュウはようやく「水を飲みにここにやってきた」という最大でいて唯一の目的を思い出す。
 むしろ今までそのことを忘れてしまっていただなんて、相当動揺していたのだと自覚してしまう。
「こ、これから飲むんだよ!つーかお前着いてくんなよ!」
「むー、オアシスの場所を教えたのは私ですよぉ。命の恩人にその言葉は少々無礼なのではなくて?」
「うぐぐぐぐぐぐぐ……」
 確かに反論するのが難しい。
「それにしても貴方以外に徒歩で砂漠を横断している者がいるとは予想外でした。しかも女性で」
「誰だろうな、あいつ」
「おやおや気になるのですか」
「気になるっていうか……」
 胸の内にとあるもやもやとした思いが充満して渦を巻いているのだが、ソウリュウは上手くそれを言葉にして表現することができなかった。今のソウリュウの知恵を総動員したところで言語化は非常に困難である。
 フランシスはニホン人と言ったが、それは今世紀においては死語に等しい言葉だ。 
 旧世界が滅亡し、新世界として新たな文明が築き出されている今、人間の数は過去と比較すれば半分以下の更に下にまで減少しており、かつての国家が跡形もなく崩壊しているがゆえに〇〇の地方の○○人という人種分けもほとんど機能していない。
 実際に今のニホンはキョウト国を覗けば様々な地方の血を引く人間が集まっているため、純粋な〝ニホン人〟にあてはめられる人間は極めて珍しい。
(前にロミがニホンの歴史を話してくれたことがあったが、あの女もブシドーとかサムライーとかそういう感じのやつなのかな) 
 いまいち古来のニホンの知識にぴんとこないソウリュウであったが、少女の姿はまさしくニホンの和装そのものだ。
 彼女の姿は目裏にはっきりと焼きついてしまっており、ますますソウリュウを悩ませるだけであった。
 いつになく首を傾げているソウリュウに、フランシスはにやにやと悪趣味な笑顔を浮かべては彼の腕を指で突っついた。
「ま・さ・か。あの女に見惚れてたとかそういうのですか?」
「みとれるだぁ?」
 その言葉の意味がよくわからねえし。
 誰かに見惚れたこと―――――目が離せなくなったことなら数度あるが、見惚れることは経験していない。
「ま、そんなことはないですよね。貴方はそれこそ野生から現代社会にいきなり投げ込まれた山猿みたいなものですし、そういう感情とは無縁でしょうし」
「お前は俺を褒めてんのか馬鹿にしてんのかどっちだ」
「さぁ、どちらでしょうね」
 楽しげに笑ってから、フランシスは泉に向かってスキップで移動する。
 ソウリュウもその後ろを釈然としないままだがひとまずついていく。
 歩きながらもう一度先ほどの少女のことを思い返す。
 長い髪に和装に刀に。凛とした冷たい表情―――――深い海のような瞳。

(きれいなやつ、だったな)

 〝綺麗〟なんて〝感情〟は、理解できなかったはずなのに。

 ◆

 

 

(それにしてもあの気に食わないくらい隙の無い気配と刀―――――どこかで見たことがあるような)  

 

 上の空なソウリュウがフランシスのお気楽な様子の変化に気づけるはずもなかった。

 

 

 

 

 

 

 

次話へ(準備中)  目次へ