一章 望まれない世界と星の申し子

 

 Ⅴ 火と血と世界の夜明け 前

 

 

 ◆

 


 崇めよ、讃えよ。
 世の終末が恐ろしいのならば、祈りをあげよ。
 終焉に慟哭するならば、心の臓を捧げよ。
 暗き闇を拒むのならば、人心を神へ奉れ。
 地に這う作物に恵みを!民に繁栄を!輝きを!光を!身を焦がすほどの栄華を!
 黒曜に鮮血を、命を糧に、忠誠と永遠の誓いを。
 狼煙はうねりの雄叫びと共に、讃歌せよ。
 滅びは死。
 永劫なる生を!
 終わりなき永久を!


 朽ちぬ命を!

 


 ◆


 満天の星々の灯りよりも、今は大地を照らす炎の勢いのほうが猛々しくも鮮やかに映る。
 石造りの里には花の飾りに溢れ返り、どこからともなく甘い花の香りが漂ってくる。
 大きな炎を焚いている集落中心の広場にて、住民達は輪を成して集まっている。石城内の神の像の周りには豪華な装飾が取り付けられ、神官達が控えている儀式の支度をしている。
 あちらこちらから響いてくる太鼓の打音を合図に、厚い化粧を施した踊り子達は地を跳ねる。
 積み上げられたトウモロコシやその他の食物。蜜酒を酌み交わす人々。揺らめく火を光源に、普段は控えめな集落はこの晩のみは真昼のように輝かしい。
 年に一度の祭儀の始まり。
 祭りの歓声が上がれば、神に捧ぐ宴の音頭に民は皆一様に湧き上がる。

 そんな賑わいの中、石城の離れの控えの部屋で、若干苛立ち気味のトクサは柱を少々乱暴に叩いていた。
「フゥ!フゥ!出てこいよ何恥ずかしがってんだよ」
 柱の裏にはフゥがいるのか、松明の灯りによって浮かび上がる影だけがもじもじと動いている。
 床には衣服や装飾品が何点か散らばっており、彼が着替えをしていたということが一目瞭然であった。
 先ほどまで忙しなく行き交っていた女性達はフゥに化粧やら何やらを施していたようだが、全てが済んだ今は彼とトクサの二人しかいない。
 余談だがトクサはつい先ほどここに来たばかりだが、長時間に渡って女性達に体中をいじられていた(決して変な意味ではない)フゥの満身創痍気味に、少なからず同情はしていた。
「もうこの際、恥を捨てて頑張れよ。本番まで時間無いぞ」
「わかってるよ。それに別に恥ずかしがってない!」 
「だったらさっさと出てこいよ。じれったいなぁ」
「だってー……」
「だってじゃねえよお前は女か!」
「……」
 観念したのかはたまたは諦観したのか、嫌々ながらもフゥは柱の陰から出てくる。
 彼が動くたびにしゃらしゃらと飾りの腕輪や足輪が澄んだ音を立てる。
 いつになく仏頂面なフゥだが、身なりだけは勇ましくも美しい。
   羽飾りの冠にきめ細やかな布の踊り子衣装。色鮮やかな宝玉をはめ込んだ装飾類に、魔除けの紐飾りまで、見た目だけなら王族と間違えられそうなほど豪勢だ。
   しかし、肝心の中身はへこたれている少年に他ならない。
    似合っていると言えばリリアンナの見たて通りに似合ってはいるものの、ちゃんと着こなせているとは言い難い。
「ふ、ぷぷぷ……服に着られてる……!」
「うるさいな!いちいち言わないでよそんなこと!」
    口を押さえて必死に笑いを堪えようとするが我慢しきれないトクサに、フゥは慣れない粉を塗られた顔を真っ赤にして怒鳴ってしまう。
「それにしたってリリアンナ様は随分思い立ったな。お前にこんな服装させるなんてさ」
「去年はこんなにジャラジャラしてなかったし、化粧もここまで厚くなかったのに……」
   恨めしそうに溜息をつくフゥだが、ここまできたらやるしかないということは嫌という程理解していた。否、受け入れるしかない。
   一回皆の前で舞を披露すれば終わる。一時の恥ならば手早く済ませて解放されようと、強く自分自身に言い聞かせていた。
  神を信仰する身だというのにこの思考は最低最悪なのではないのかと思い悩むこともあったが、それに関してはランシス神に全力で謝罪したいが、思考の撤回はできない。
  つまりフゥは、尋常ではないほどこの衣装が嫌なのだ!
「ほら、行くぞ。神官様が待ってる。めそめそすんなよ」
「してないよ!泣かないし!」
  憤慨しながらもフゥは、トクサの後を付いていく。
  フゥが外に出れば民達はたちまち彼に声をかけては、じきに行われる神儀の舞の主役に期待を注いでいく。
「フゥ、頑張ってね」
「お前本当にフゥか?男前になったな」
「転ばないように気をつけなさいよ」
 次々と飛び交う声にぎこちなく返事を返すフゥだが、歩くたびに透き通った音を奏でる装飾品達が煩わしく、それどころではなかった。
 この間フゥは正直穴があったら入りたいほど恥ずかしくてたまらず、逃げ出したくなる衝動を無理やり抑えつけてやりすごそうとしていたが、ふと目を逸らした先に見えたモノにはっとさせられる。
(リリィ?)
 広場の奥、長老の館の前で神官達と話しているリリィが視界の端に映ったのだ。
 何やら小難しい内容なのか、リリィの表情がやけに張りつめた厳しいものになっている。
 宴の姫巫女の服を着ているリリィはずっと見ていたくなるほど花のように可憐で、尚且つ野に咲く花とは一線を画した神秘的な輝きを帯びているかのようだった。
(そうだ。リリィはお姫様なんだ)
 当たり前のことをあらためて認識すると、何だか切ない気持ちになってしまう。
(僕とは住んでる世界が違うのかもしれない。でも、何となく近くに感じる)
 前にトクサの話してくれた〝恋〟について、フゥは何度も考え直していたが、結局答えと呼べるモノは出なかった。
(だってリリィは大事な友達だから)
 これからも、ずっとずっと変わらないままの関係で構わない。
(僕はそれで幸せなんだと思う)
 隣でトクサが「出番だぞ!」と背中を押してくれる。
(うん。きっとこれが幸せなんだ)
 手放しちゃいけない、大切なものなんだ。
 とりあえず―――――恥ずかしい衣装のことについては一旦忘れよう。
 やがてフゥは広場の舞台に立ち、人々の内で踊り出す。
 手を伸ばし、力強く跳ね、早期できうる限りの大地を表現する。

  祝詞が上がる。
 歌声が夜をなぞる。

  祝福を
  感謝を
  豊穣と
 恵みを
 愛を持って。


 この世界―――――この星には一つの命が宿っていると聞く。
 星から洩れ出る力こそ、生命や自然を循環させる特別な用途として、世界に満ち溢れているのだと。
 それじゃあ、神様はいったい何なのだろう?
 神に踊りを捧げながら、フゥは思うのだ。
 星そのものが、神様というわけではないの?
 難しいことを考えている場合ではないと、踊りに集中する。
 踊りながら、にんまりと笑っているトクサと、心から応援してくれているカトスや、遠くからフゥを見つめているリリィの視線を感じた。 
 家族の愛。
(神様は、全てを見ている)
 さすがに神の視線を直接は感じないものの、何かに見られているような気はしていた。 
 ずっと昔から、遠い昔から―――――記憶の続く限りの日々を見守ってくれているようだった。
 予感でしかないけれど、本当だったならば、感謝しなければならない。
 そういえばこれは、ランシス神に感謝を告げる祭りだった。

(……ありがとうございます)

 これからも貴方の為に、家族の為に頑張って踊りますので、どうか見守っていてください。

 


 ◆

 

 
 フゥの踊りが終われば、祭りも後半に差し掛かる。 
 賞賛の声や拍手もそこそこに、フゥはいつもの木の下にやってきていた。
 トクサとの待ち合わせがあったのだ。
「お疲れさん。お前にしてはよくやったじゃん」
「そう……?ちょっと疲れたよ」
 待ってくれていたトクサは、一つ木の実を投げた。
 フゥはそれを受け止めて齧る。丁度小腹がすいていたのでありがたかった。
「やっとその服とおさらばできるな」
「うん。だけど替えの服が見つからなくて……お手伝いさんが片付けちゃったのかな。早く着替えたいのに」
 憂鬱そうに服の裾を摘まむフゥに、トクサはにやりと笑む。
「全裸かその服で走り回るのどっちがいい?」
「どっちも嫌だ!……けど、何も着ないよりかはこっちのほうがいいや」
「また来年もそれ着て踊れよ。もしくはもっとどぎついやつでもいいからさ」
「どっちも絶対嫌だ!」
「本当に何で嫌なんだよ。一回俺に着せてくれよ」
「トクサにはきついでしょ」
 身長も体格もまるで違うのだから。
「そうだよなぁ万が一破れたら来年着れなくなるもんなぁ」
「来年は自分で作ろうかな……」
「ついに女になる気かフゥ。俺は止めないぞ」
「ならないよ!そりゃあ仕立ては女の人のお仕事だけどさ……」
 そんな会話を続けていた二人に向かって、走ってくる人影が一つ。
「フゥ!やっと見つけた!」
 姫巫女の衣装を夜風にそよがせる、リリアンナだった。
「リリィ?」
「私に黙って勝手にいかないでよ」
「だって近くにいなかったし、忙しそうだったし」
「忙しい?まあ、忙しかったのかもね……」
 何か思うことでもあるのか、一瞬だけリリアンナは表情に陰を落としたが、フゥは気づくことができなかった。
 ちらりとリリアンナが横を見ると、のんびり木の実を齧っているトクサがいたため、きょとんとしてしまう。
「あれ、トクサもいたの?―――――あんたおサボりらしいけど、大丈夫なの?」
「げっ」
 痛いところを突かれたのか、危うくトクサは食べかけの木の実を地面に落としかけてしまう。
「見習い戦士は皆あっちに集まってるけど行かなくていいの?……怖いお叱りを受けちゃうわよ~」
「わわわわわわわわ!!フゥわるいオイラ戻るわ!」
「あ、いってらっしゃい頑張れ……」
  血相を変えて全力疾走していくトクサの後ろ姿を見送りながら、取り残されたフゥと乱入気味なリリアンナは顔を見合わせる。
(そういえばリリアンナに会うの、久しぶりかも)
  姫であるリリアンナにも務めがあるので、祭り開催直前の特に忙しい時期には顔を合わせることはおろかすれ違うことさえなかった。
  二人きりになったのは、リリアンナが気がかりな言葉を残した夕暮れの日以来だ。
「ふふふこれでオジャマ虫は消えたわね。皆フゥのこと好きなんだから。トクサったらフゥのことが心配で心配で気になって抜け出してきたのよ」
  抜け出してきた。
  意地悪く笑うリリアンナに、フゥは妙な既視感を覚えてしまう。以前にもこのような台詞を耳にする場面があったような気がしたのだ。
「何だろう。リリィは前にもそんなこと言ってたような……いや、言われてたような」
「何よ。ずいぶん昔のこと覚えているのね」
「そうだ。あの時……リリィと初めて会った時に、お勉強の時間抜け出してきたって」
「懐かしいわね。そうよ、抜け出して来たのよこの私がわざわざ!だってあんたのことが気になったんだもの。この里はただでさえ人が少ないから、新入りが来るなら楽しみだな〜って思っていたの。でも実際見てみたら犬みたいな子だったから笑っちゃって」
「失礼だなぁ……だから僕に犬の名前つけたの?」
「……もしかしてずっと怒ってるの?」
「怒ってないよ。この名前は、大事な名前だから」
 そう言うと、リリアンナはとても嬉しそうに破顔した。
「えへへ―――――フゥ。これあげる!頑張ったご褒美」
  リリアンナが懐から取り出したそれを、フゥは受け取る。
  布飾りだろうか、多重に薄布が重なり合っている様は、小さな冠を連想させる。花の香料で染色したのか、本来ならば砂色をしている布は淡い桃色に染まっている。
「これ、何だい?」
「見てわからないの?お花よ」
  はてと、フゥは目を丸くする。
  フゥはこの辺りの自然環境については知り尽くしていると言っても過言では無いほど詳しいが、このような奇妙な形の花弁を持つ植物は見たことも聞いたことも無い。
「こんな花見たことないよ。何て名前なの?」
「さあ?知らないわよ」
  あっさりと返され、フゥは呆気を取られてしまう。
「……知らないの?」
「だってその花、想像で作ったモノだもん」
「じゃあ、実際には無い花なんだね」
「そうだけど、こんな花がどこかにあったら素敵だと思わない?」
「……うん。そうだね」
 薄桃色が良く映えるリリアンナには良く似合う花だと、フゥはそんな感想を抱いていた。
 だんだんと印象が強くなり、愛着さえ沸いてくる花を眺め続けるフゥに、リリアンナはちらちらと目をやる。言いたいけれど口にしづらいことでもあるのか、もごもごと唇がぎこちなく動いては閉じるを繰り返している。
「どうかしたの?」
 さすがのフゥもリリアンナが何か言いたいのだと察し、花から視線を外す。そのまま無意識のうちに腰布の物入れに花をしまい込む。
 常時即断即決で優柔不断とは無縁のリリアンナが思い惑っているのはフゥからすれば新鮮だが、数日前の気がかりが悩みの種のように心内で根付いてきているため、少々ドキドキしてしまう。否、ドキドキどころではなくフゥ自身も思考の煮え切らなさにもやもやし始めていた。
「―――――あのね、フゥ」
 しばしの間を開けてから、ようやく話を切り出す決心をしたのか、リリアンナはいつになく真面目な顔で口を開く。
 フゥは彼女の言葉を待つだけだ。
「私ね……フゥにずっと言いたかったことがあるの」

 彼女の声がフゥの耳に入る刹那、

 

「ぎゃああああああああああああああああああああああああああああああ!!」

 

 心臓が止まりそうになるほどの濁った大音声が、二人の鼓膜を激しく揺さぶった。
 直後にどさりと、落下音が正面から生じる。集落の岩壁から何かが突き落とされたようだった。
 胸騒ぎがする。
「え、なに?何よ今の声。誰か酔っぱらってひっくりかえ……」
 煩わしげに落下物を確認したリリィの表情がたちまち凍りつき、蒼白する。
 それもそのはず落下してきたのは―――――腹部を深く斬りつけられた里の戦士だったのだ。
 力任せに叩き斬られたような傷痕からは砕けた骨と内臓が覗いており、苦悶に歪んだ相貌が愕然とするフゥとリリアンナを見上げていた。
 濁った瞳にはすでに精気は無く、屍として彼らを空虚に見つめている。
 土に染み込んでは黒みがかった赤色の水溜りを作っていく中で、ようやくフゥは目の前の現場の恐ろしさを痛感し、

 

「わあああああああああああ!?」

 

 たまらず絶叫した。
 そして隣に立つリリアンナは血の気を失い、衝撃のあまりか卒倒してしまう。
 フゥが腰を抜かずに辛うじて地に足をつけられていたのは、リリアンナを支える気力が微かに残っていたからだった。
 何とか気絶した彼女を受け止めて、フゥはがくがくと震えながら死者に恐る恐る問いかける。
「な、なんで。なんで人が、死……死んでるの……?ここここ……殺され、てるの?」
 もちろん返事などあるはずがない。内心ではこれも何かの冗談だと心底期待していたが、現実はとことん非情であった―――――死体は喋らないのだから。
「リリィ、大丈夫……?大丈夫だよね……?」
 何度か揺さぶってもリリィは一向に目覚める気配が無い。むしろここは起こさないほうが適切な判断なのかもしれない。戦いの世界には一歩たりとも踏み入れていないリリィには刺激が強すぎる。
 それを言うならばフゥも同じようなものだが。
「だ……誰か……」
 助けを求めようとしたところで、集落内から轟く凄まじい破壊音と雄叫びと悲鳴に、か細い声が届くはずがない。
 ぐしゃりと何かが踏みつぶされるような音、肉が断ち切れるような音、岩が砕けていく音、鈍器で堅い物を連続して殴りつけるような音、火が勢いを増して燃え広がっていく音、何かを投擲するような音、飛来物が衝突するような音―――――とてもじゃないが、祭りの中で生じる喧騒とは思えない。
 事実、嫌な予感を通り越して、里内では現在進行形で最悪の事態が勃発している。
 フゥはリリアンナを抱えたまま、何重にもなって奏でられる叫び声に耳を塞げないまま、立ち尽くすことしかできない。

 

 

「何が、起きているの……?」 
 

 

 

 

 


 今より数刻後


 フゥという人間はこの世から去ることになる。 


 もちろん、当の本人はそんなことは知る由も無い。

 

 

 

 

 

 

 

         
                                                   後篇へ続く

 

 

 

 

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