ローヴィア王国。西洋の海沿いに位置するここは、周辺の巨大国家と比較すれば大人と子供ほど勢力も国土も弱く狭いが、それでも幾つもの戦争を乗り越えてきている屈強な緩衝国である。
 何よりも他国よりも歴史のある優れた錬金術の知と力による技術開発、戦具製造によってこの国は支えられていると言っても過言ではない。
 魔法学と違い、どの国よりも化学的に特化しているローヴィアは同盟を結んでいる近隣国にとっても要であり、大国間の貿易網を繋げる中間地点でもある。海側の国であることも幸いし、公開技術が著しく発達した今の時代においては、他大陸からも錬金術の学び舎でもあるローヴィアを目指して留学しに来る人々が絶えない。
 ローヴィアは小国ながらもめきめきと力をつけてきており、順調に繁栄の波に乗ってきている。
 遠方の魔法を主とする国との間の亀裂、いがみ合いは長年良好にはならず、近年ではますます悪化してきているのが拭い切れない不安でもあり、分厚い暗雲でもある―――――これがローヴィア王国の現状である。

 ローヴィアの首都ミネヴァを舞台に、物語の前日譚の幕が上がる。
 

 

 ◆

 

 

騎士と不死と黒き塔 一幕  前日譚~ローヴィア王国にて~

 

Ⅰ. 女騎士と赤薔薇の少年 

 

 

 ◆

 


「窃盗行為の悪化?」
 下級兵士から薄い書類を手渡された女騎士ノエル・アッキナーは、訝しげに眉をひそめた。
「はい。警吏の奴らがお手上げ状態でして、数日前に我々が派遣されたのですが……そのー……我々も手に負えなくて、騎士様に要請が……東街道奥の貧民窟から、とんでもなくすばしっこい窃盗犯が出ているとのことで」
 いかにも頼りない様子の下級兵士が疲労感を窺わせる溜め息をつく中で、ノエルははてなと首を傾げそうになる。
「……てっきり連続殺人犯が出回っているのかと思ったんだが」
「え、もしや誤った連絡が?」
「詳しく事情を説明されないままここに派遣された。警吏からの応援要請については粗方理解できた。気にするな―――――つまり、私はこの窃盗犯を捕えればいいのだろう?」 
 困惑する下級兵士に苦笑するノエルだったが、内心では少なからずの苛立ちに歯噛みしそうになっていた。
 今回の要請は良く言えば普段とは違う地域での珍しい仕事、悪く言えば高位騎士であるというのに城下の警備に回された面倒でいて屈辱的な仕事である。
 ただし、ノエルは階級や仕事内容に不満を抱くような人柄ではなく、自分を棚に上げて威張りくさる騎士が多い中でも非常に稀な〝どんな仕事でもしっかりこなし、国の為に尽くす〟を仁義にする型式の騎士なのだ。ある意味、国家への忠誠心の塊と表しても間違っていないほど、彼女は真面目に仕事をこなす。
 何よりも下々の位の民相手にも分け隔てなく接したりと、彼女の心は慈悲深く、階級の格差による価値観に捕らわれていない。
 その為、ノエルは別段今回の仕事場、仕事内容に対して怒りを覚えているのではない。彼女の腸が煮え返る寸前なのは、別の理由があるからだ。
 昨日、改善不可能なほど険悪な関係の同僚騎士にこの仕事を押しつけられた一件が、ノエルを苛立たせる最大の原因である。

 

『ノエルちゃーん。あたしの代わりにお仕事やってよー。あたし今他の件で忙しくてさー。それとも何ー?偽善……おっと、慈悲深くてやっさしいノエルちゃんでも、さすがに城下でのお仕事はしたくないって感じー?お城の警備か戦でびゃんびゃん暴れていたいだけー?やっぱりノエルちゃんは団長のお気に入りだから、望めば楽なお仕事受けさせてもらえるんだよねー?アタシみたいな下級貴族の更に下級上がりの騎士とは違っていいねー好きなだけ楽できてさー』

 

(おのれジュリーヌめ……!間違いなく貧民窟に近寄りたくないからという理由だけで私に仕事を押し付けたな……!帰ったら抗議してやる!絶対に抗議してやる!)
 この世で一番大嫌いな騎士のにやにや顔と癪に触る猫なで声を思い出し、思わずノエルは手にしている書類を握りつぶしそうになってしまうが懸命に堪え、何とか憤りを腹の内の奥深くへとしまい込む。
「……騎士様、どうかなさいましたか?」
 下級兵士の心配そうな声にはっとさせられ、ノエルは何でもないと慌てて咳払いをする。思慮深いとはいえ、感情が顔に出やすいのはノエル自身は治すべき欠点だと自覚している。
「し、しかし王国騎士に直接要請を出すとは、相当の行為を働いている輩なのだな。その貧民窟は捜査したのか?」
「はい。警吏とも協力して窃盗犯の本拠地を探したのですが、一行に手掛かりが見つからないのです。何せ東の貧民窟はミネヴァ最大の〝迷宮〟ですから……今も警吏が捜査を続けていますが相変わらず難航のようで」
 東貧民窟が〝迷宮〟表されたのは比喩だろうが、実際に迷路のように入り組んでいるためあながち間違いではない。
 路地がそれこそ水路のように入り組み、中には地下に穴まで掘って暮らしている者までいるというのだから闇が深い。 
 貧乏とは無縁の者が東貧民窟に訪れたものならばたちまち道に迷い、浮浪者や窃盗を生業とする者から身ぐるみをはがされてしまうのがオチだ。あそこは部外者が侵入しようものならば獲物として狙われる魔窟であり、犯罪者の巣靴でもある。誰も好んで近づこうとはしない。
 その分警吏達の警戒と警備は厳しいのだが、その眼さえ掻い潜れる狡猾な者は何人も存在する。
 もちろん西貧民窟に住む者全員が犯罪者というわけではなく、半分以上は物乞いや日雇いで何とか生を繋いでいる者ばかりだが貧民窟には貧民窟の暗黙の了解があり、皆口が堅いため聞き込み調査も難儀を強いられることだろう。
「それにしても窃盗か……」
 受け取った書類にざっと目を通しながら、ノエルはぼそりと呟く。
「この書類の盗品類と被害を見る限り、複数犯なのだろうな」
「はい。毎度四、五人くらいで計画的に動いているようです」
「ふむ。だいたいでいいが歳はどのくらいだ?」
「子供です」
「……は?」
 下級兵士の言葉に、ノエルは耳を疑ってしまう。
 子供?こども?コドモ?
 子供がこれほどの所業を一度も捕まらずにこなしている?
 子供相手に騎士を呼ぶほどの被害を出されていると?
「相手は全員子供です。信憑性は薄いですが、目撃情報によると八歳から十三歳くらいまでの幼い子供達だとか。仲間の一人が頭領らしき人物と交戦したそうですが……敵わなかったようです」
「……警吏はともかく、兵士という立場でありながらお前達は子供相手に惨敗を喫したのか?」
「ど、どうやらあの頭領普通じゃないようで……怪しい術を使ってくるらしいんです」
「怪しい術?」
「それこそ魔法のような、奇妙な術です―――――仲間曰く、姿が消えたり、瞬間移動したり……とか言ってました」
「はあ……」
 咄嗟にノエルは下級兵士の同僚の苦し紛れの言い訳なのではないのかと疑ってしまったが、決めつけるわけにもいかない。
「しかし魔法……ただでさえこの国で魔法を使う者は少ないというのに、貧民層で魔の技を習得しているとはにわかには信じがたいな」
「ローヴィアが錬金術を主要とした国家であるということはわかっていますが、錬金術はそんな風にこう……乱用できる術ではないのでしょう?」
「それを言うならば魔法もそうだろう。私は魔法にも錬金術にも額が無いから何とも言えないが」
 これまでの二十年間戦うこと、守ることだけに精を出してきた生粋の戦士であるノエルはそれでも聡い部類に入るが、正直特殊な学問に対してはちんぷんかんぷんである。浅学を通り越して、出だしの部分から理解できなかったりと、錬金術師や占術師には絶対向かない傾向がある。
「まあ、とりあえずけったいな術を使ってくるということは理解した。他は……―――――」
 話を進めようとしたところで、ノエルの言葉が詰まる。
「……ちょっと待て。子供と言ったな―――――子供が何故、大酒樽を盗めるんだ?」
 相手が子供の集団だと把握してから改めて書類の紙面を確認すると、おかしな点が幾つも浮上してくる。
「どんなに大人数いたとしても、かなり重量のある樽を誰にもばれずに運ぶのは不可能だろう。仮にばれたとしても、重い物を抱えた子供の足で、大人の足に適うはずがない。樽だけじゃない。どうしてこんな物まで……」
 その子供達はいったい何者なんだとノエルが混乱したところで、下級兵士は憂鬱そうな声を洩らす。

 

「言ったでしょう―――――頭領が怪しい術を使う、と」

 


 ◆

 


(頭領と言っても子供。魔法や錬金術が使えないにしても、かなりの策士と見えた)
 下級兵士と別れたノエルは、ミネヴァ東部で最も栄えている街道を歩きながら今までにない相手の情報に頭を悩ませていた。
 軒を連ねる商屋はどこも活気に溢れており、忙しく道を行きかう行商人や荷馬車とすれ違うたびに、新鮮な気持ちになる。
(そういえば街に下りるのは久しぶりかもしれない)
 戦でもない限りノエルの仕事は城での警護か見習い兵達の訓練感を務めるかであり、城下で働くことはめったにない。
 石畳にどことなく古臭い建物と人々の声は不思議と懐かしさを感じさせる。
 やはり貴族の屋敷が集まる通りの豪華絢爛な雰囲気よりも、平凡でいて平和な雰囲気のほうが好きだと、ノエルは心の内で思った。
 なだらかな坂になっている道を上がれば城の尖塔が見え、更にその後方には青い大海原と港が眺められた。
 ミネヴァの都は海を蓋代わりにした円形の城壁に覆われており、中心部に城や貴族の館などの高位な国民の住居が集まっており、外へ行くほど階級の低い人々が暮らしている居住区である。ゆえに、城から離れれば離れるほど、位の違いがはっきりとしてくる。現在ノエルが歩いている地点は平民の者達が主として暮らしている地域だ。
 彼女が目指すのは更に奥深く、国の暗い面の底。
 ローヴィアは他国ほど貧富の差は激しくなく、大半の人々は平民としてそれなりの生活は送れているだろうが、そこからもはぶれてしまった下位の者が集まる貧民窟は少なからず存在する。
 貧民窟で生きる者が起こす窃盗行為を筆頭とした犯罪行為は彼らの生きる術であり、食い扶持を得るためにやらなければならない〝稼ぎ〟でもある。
 無論、どのような事情があれど犯罪行為は罪とみなされ、城下を取り締まる警吏、時には兵士が動くことになる。
 本来ならば騎士であるノエルが出る幕ではないのだが、稀にとてつもなく腕が立つ犯罪者が悪質な罪を多々重ねることが無いわけではないので、今回のように位の高い王国騎士が派遣されることもある。
 ゆえに、ノエルは窃盗犯をひっ捕らえるために来たのだ。
 飢えに苦しむ貧民達は哀れにこそ思うが、法を破った者にはそれ相応の罰が必要だとも思っている。
(貧しい人々が少しでも減り、全ての国民が衣食住に不自由せずに暮らせる世の中になればいいのだが……)
 それはとても難しいことなのだろうなと、ノエルは溜め息をついた。
 そこで彼女は人々にあちらこちらから注目されていることに気づく。
 紅玉を想起させる赤鎧に、腰に差した長剣、気高い身振りと容貌から彼女が騎士であるということは一目瞭然である。
 それにも増して一つに結った長く美しい金髪や、整った容姿が合わさり、美麗の女騎士として人々の羨望の的として多数の視線が浴びせられる。
「騎士様だ!かっこいいなー」
「女の人だー」 
 小さな子供までもが興味津々に見てくるものだから、ノエルとしては少々気恥ずかしい。 
 ノエルは騎士であることに少なからずの誇りは抱いているが、決して英雄的存在になりたいわけではない。ローヴィアを守る一人の騎士として、名を上げずとも国の支えに貢献できるならばそれで満足だとさえ思っている。
 野心は無く、ただただ正しい騎士のあり方を貫こうとする姿勢はどこまでも真っ直ぐで誠実だが、野望に燃える騎士からすれば愚直だと言われてしまうことだろう。
 地位や名誉よりも国の繁栄と民の安穏を望む―――――〝親の七光り〟として認識されようが、ノエル自身の確固たる意志は変わらない。少なくともノエルはその騎士道を貫き通したいと強く決意している。
(……仕事中だ。余計なことを考えるのはやめよう)
 嫌なことを思い出しかけ、強引に意識を切り替えようとするノエルだったが、その努力をせずとも意識は一瞬で切り替わる。
 
「泥棒だーっ!」

 

 前方の店先からパン屋の店主と思わしき人物が血相を変えて跳び出してくる。
 響き渡る大声に釣られるようにざわめきが広がりだすが、肝心の泥棒の姿が見えない。
 驚愕しながらもきょとんとしている人々だったが、ノエルだけは例外だった。 
(何だ……?)
 ここでノエルの視点から状況を簡潔に語るのならば―――――泥棒らしき人物の姿は確認できないが、複数人の足音と気配だけを感じるという、実に不可解な状況だった。
(見えないが、何かが来る!)
 騎士としての勘が背中を押す。
 こちらに向かって逃走してきている頭数は三人。歩幅は全員ほぼ同一で、そこまで背が高くない―――――子供!
 怪しい技を使う頭領が率いる窃盗集団にはこれ以上になく一致する。 
「そこにいるのは、わかっている!」
 ノエルは己の感覚だけを頼りに、愛用している剣―――――『ファルゼ』を鞘から抜刀せず、そのまま横に振るった。 
「おっと!」
 声がすぐ近くで聞こえたかと思えば、ノエルの目の前で見知らぬ少年が『ファルゼ』の一撃を回避し、軽やかに跳躍していた。
「……!?」
 今の今まで透明だった人間が唐突に姿を現し、ノエルは絶句してしまう。
 否、それだけではない―――――手加減はしていたとはいえ、それなりの剣速で放った攻撃を子供にあっさりとよけられたことに驚きが隠せなかった。
 そして、ノエルが彼の姿を見たのは本当に一瞬の出来事だった。
 男性にしては長すぎ、女性にしては短い中途半端な長さの真っ黒な髪。この国では珍しい濃い褐色肌。中性的な顔立ち。不思議な色をした猫のような瞳。ボロ布同然の服から伸びた四肢は痩せてはいるがしなやかで、驚くほどの俊敏さでノエルの頭上を跳び越えていく。
 過ぎゆく時の流れと光景の何もかもがゆっくりと視認できた。
 原因は不明だが―――――雷で撃たれるような衝撃を感じたのだ。
 違う、と。

 

 こいつは普通の人間とは違うと、直感的に察したのだ。

 

 遅い世界の中で、少年はにやりと笑う。幼い顔立ちにはひどく不似合いな不敵な笑みだ。
 胸元につけた〝赤薔薇〟を想起させる造花がやけに鮮烈に、色濃く、深く、ノエルの脳裏に焼き付く。 
 少年は笑い、声変わりしていない声音で囁いた。

 

「駄目だぜ騎士様―――――〝周りしか見てない〟と、いつか足元掬われちまうぞ?」

 

 次の瞬間には少年の姿は再び消え、隠しきれていない微かな足音がノエルの背後から離れていく。
「今のが、頭領……?」
 剣を振るった体勢のまま身動きが取れなくなっていたノエルだが、すぐにはっとして後ろを振り返る。
 遠ざかっていく足音はまだ耳に入ってくる。今ならまだ間に合う。
 駆けだそうとしたノエルだったが不意に違和感に気づき、腰に手をやる。
 そこには普段ならば小さな腰袋が必ず携帯されているのだが、布の柔らかい感触が一切伝わってこない。
「ス、スられた……私としたことが……!」
 袋には多少の金や生活必需品が入っているだけで、手放すことになってもそこまでの痛手にはならない。
 それでも騎士である自分が子供にあっさりと所持品を盗み取られてしまったことという事実に、屈辱とは若干異なるがかなりの衝撃を受けてしまう。
 
 してやられた―――――油断したわけではないのに!

 

「ま、待て!窃盗はれっきとした犯罪だぞっ!」

 凛々しくも美しい赤鎧の女騎士は不可視の少年を追いかけ、街を奔走していく。 

 

 

 

 この出会いがノエルの運命を大きく変えていくことになるとは、彼女自身も他の誰も、想像さえしていないのだった―――――。


 

 

 

次話へ  目次へ

 

 

――――――――――

 

もちろんですがローヴィア王国は架空国家です。