―――――回れ 回れ 歯車よ ―――――

 

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騎士と不死と黒き塔 一幕  前日譚~ローヴィア王国にて~

 

Ⅱ. 追う者と追われる者

 

 

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「待て!逃げるな!」

 

 凛とした女性の大声に道行く人々は続々と目を丸くしていく。
 果物を入れた箱を運搬している者も、捌いたばかりの肉を店頭に並べている者も、他愛のない雑談に花を咲かせている者も、貧困に苦しみ薄暗い街角で乞食として恵みを求めている者も、街道の様々な人間達がこの時だけははてなと首を傾げそうになる。人間だけではなく今朝上がったばかりの魚を狙っていた猫や、痩せ細った薄汚い野良犬までもが奇妙な光景に唖然としているようだった。
 それもそのはず、目立つ赤の鎧を装備した見目麗しい女性が声を上げて疾走しているのだから、意識せずとも視線をそちらへと向けてしまう。
 二つに結った長い金髪が後ろに流され、長旗のようにはためく。がしゃりと音を立てる重量感のある鎧の装甲が陽の光を反射し、真珠を想起させる眩しげな光を帯びる。
(まだだ、まだ逃してはいない。辛うじて気配を辿れる!)
 鍛え抜かれた脚力を駆使して石畳を蹴るノエルだったが、その様子はとてもじゃないが軽快とは表せない。むしろ頭の中は途方も無い焦燥と幾つもの疑問がぐるぐると渦を巻いている。
 それでも唯一の道しるべとも言える〝気配〟の残片の跡は追うことができていた。
 姿形も無ければ足音も無い、それでもそこに〝いる〟。ノエルに背を向けて逃亡を図っている。
 姿の見えない窃盗犯。得体のしれない術を使用して人々を翻弄し行方をくらませる謎の人物―――――ほんの数旬だけ垣間見えた不思議な少年の姿。この地方には珍しい褐色肌に、常闇を連想させる真っ黒な髪。幼い外見とは裏腹の年期を感じさせる表情、底知れない瞳。
(あの少年はいったい何者だ?)
 只者ではないのは間違いないが、何よりもあの能力が引っかかってならなかった。
 自身の姿を他人に認識させない。
 ノエルは錬金術に関しても魔法に関しても浅学だが、やけにあの能力は錬金術と魔法、そのどちらにも分類されず、当てはまらないような気がした。これはほぼ直感であり、具体的な理由の説明を求められたらそれまでだが、ノエルは違和感にも似た何かを感じていた。
(錬金術師とも魔法使いとも一戦交えたことは無いが、あの少年はそのどちらでもないような気がする)
 錬金術も魔法使いも裕福層にしか学べない高等分野ゆえに、貧民窟で暮らしていそうな貧相な子供にはとてもじゃないが学習することも、手を出すことさえもできないはずだから―――――はたしてそれが真実なのか?
 では、あの力はいったい何なのか。タネも無ければ仕掛けも無い、手品の一種なのだろうか。
 否、それは断じて違う。現にノエルはあの力を前に隙を突かれ、所持品を強奪されてしまった。 
 何よりもかなり腕の立つ剣士であるノエルをあそこまで惑わせるとなると、ただの奇術とまとめるには少々難しい話になってしまう。
(事実、私はあの少年が突然姿を現したり、急に消えたように見えた。私の目がおかしくなったのではなければ、少年は間違いなく何かの力を操っている。巧みに、使いこなしている)
 自分の前方で今も尚逃走している彼の姿は、おそらく誰の瞳にも映っていない。彼の存在だけが世界から切り離され、隔絶しているかのように。
(幽霊のような異形の類でもない。確かに実体があった。彼は人間だ!)
 塊のような人ごみも、明らかに非常事態に追われているノエルに驚き道を開ける。
「待て!窃盗はれっきとした犯罪だぞ!」
 その先を駆ける少年は何を思ったのか、突然角を曲がり路地のほうへ逃げ込んだのを〝気配〟で察知する。人ごみに紛れても無駄ならば入り組んだ路地を逃走経路にしたほうが良いと判断したのだろうか。
 しかしノエルは内心でその行動は悪手だと、不可視の後姿を追いかけて角を曲がる。
 いくら路地が入り組んでいようとも、人ごみによって制限されていた動きがここなら問題なく行える。
 昼間でも薄暗く、湿気の多い細道を駆けていく。
(幾ら相手がこのあたりの地形に詳しいと言っても、そろそろ体力的に限界のはずだ)
 随分と長い時間追いかけっこをしているため、相手の体かなり削れているのが容易に想像ついた。
 ノエルは女性だが異性と同じ、もしくはそれ以上に厳しい鍛錬を積んできている。この程度でへばるほどの貧弱な肉体も脆い精神も持ってはいない。
 実際にノエルは一向に走る速度を落としていないが、少年側のほうがへたってきているのか、どんどん〝気配〟の根源へと接近することができていた。
(早急に掴まえて……とりあえずどうしよう。妙な能力について言及してみるか?)
 いろいろと今後のことを思案しつつも、ひとまずは相手の確保に徹底しようと更に加速しようとしたところで―――――ヒュンヒュンと風を斬る音。
「!」
 ぶるりと背筋に悪寒が奔り、ノエルは咄嗟に『ファルゼ』を抜刀した。
 キンッ!と、金属と金属がぶつかり合う甲高い音が響き、続けざまに地面に二本の短剣が突き刺さる。
「な……」
 庶民が使うには高級すぎるそれらを反射的に弾いたノエルだったが、衝撃を隠せない。
 
 目の前にいきなり自分めがけて飛んでくる短剣が出現した。

 

 死角を利用されたわけでもなく、正面から直進してきた。この位置では絶対に見過ごさないはずの攻撃に、寸前まで気が付けなかった。
「え、嘘。今の防ぐのかよ」
 驚愕するノエルと同様に驚いているのは短剣を投擲した張本人の少年のようで、相変わらず姿こそ見えないがこの近くに潜んでいることがわかった。
「そこにいるのか」
 短剣に視認不可の術をかけて投げてきたのだということを察し、ノエルは鞘から抜いた『ファルゼ』をそのまま構えた。
「お前しつこすぎ!でも、俺様にここまで追いつけたやつはお前が初めてだぜ。そこは評価してやるよ。えーっと……見るからにお偉い騎士サマって感じだな。金貨がほいほい出てきたからビビったぜ、何で騎士サマがこんな場所に来てるんだよ。もっとこう城とか館みたいなでっかい豪勢な場所で、尊大に鼻高々に振るまって、下々の奴らを見下して嘲笑ってるような……」
 声変わりしていない可愛らしい声音を持っているくせに、随分と口が悪い。
 おまけに、騎士に対しての悪印象が強いようだ。
「お前がこの辺りを騒がせている窃盗犯で間違いないみたいだな。私の荷物を返せ。痛い思いをしたくなければ投降しろ」
「お前こそ痛い思いしたくなければ引き返しなお姉ちゃん。この金貨で勘弁してやるからさ」
 好戦的な態度のままに挑発され、ノエルは若干苛つきながらも正面の何もない路地道を凝視した。
「……どこにいる。姿を現せ」
「敵前に丸腰で出て行けなんて言われてほいほい出ていく馬鹿がどこにいる?」
「丸腰の割には、随分と武装しているようだが」
「武器はさっき投げた分で全部だよ」
「信じられないと言ったら?」
「後悔させてやる。丸腰なんて嘘だからな!」
 少年がこちらに向かって走り出したと思えば、 今度は投げられた小石がノエルの前で続々と出現する。
 本当に手品を見ているようだと、ノエルは一歩踏み込む。
 『ファルゼ』を最小限の動きで振るって礫を跳ね返し、先制攻撃を全て無効化にする。
 相手もそれくらいは予想範囲内だったのか、手に持っているであろう別の短剣でそれを路地壁に向けて振るい、石を砕く。 
(近い!)
 目と鼻の先まで距離を詰めてきたであろう少年の身のこなしは素早く、洗練とまではいかないが並大抵ではない技量がそこには含まれていた。
「騎士と戦うのは初めてだけどよ、これが〝お手並み拝見〟ってやつか?」
 目の前の少年がにやりと笑ったような気がした。
 そして間髪を入れずに斬りかかられ、ノエルは即座にそれに対応した防御策で防ぐ。
 路地裏には不釣り合いな剣撃の音が連なる。
 激しい打ち合いはどちらとも一向に引かず、第三者からは〝女騎士と姿の見えない謎の存在が戦闘を行っている〟ように見えることだろう。
 身軽な体を利用した体重移動と短剣による少年の攻撃は戦士と表するよりは暗殺者と言ったほうが適切な戦法をしているが、それ以上に技の美しさがあった。
 荒々しくもどこか優美で、雄々しくも軽やかで、戦いながら思わず見惚れてしまいそうになる―――――まるで


(まるで、踊りのような―――――)  

 

 舞剣と言うべきか。
 少年は独特な剣術と踊りを複合させた特殊戦法を編み出している。どこの流派にも決して存在しない、独自の戦い方でノエルを翻弄している。
 この少年は、本当に何者なのか。
(これは、厄介だ……!)
 本気で殺す剣を振るうことに専念すれば、仕留めることはできるだろう。
 しかし問答無用で斬ってしまえば掴まえるどころではなく少年の命を奪ってしまう可能性もあるため、なるべくは刃を使わないようにしたい。『ファルゼ』は斬れ味に優れた両刃の西洋剣ゆえに、峰打ちは狙えない。
 かと言って油断すれば、隙を突かれて喉笛を斬り裂かれる未来が見えている。
「どうした、これで終わりか?だったら、俺様が年貢の納め時ってやつを教えてやるぜ!」
 苦戦するノエルに対して少年は疲労感こそ窺わせるがどこまでものびのびと、自由に剣を振るう。
 ノエルの柄を使用した打撃技も屈みこむことで回避し、たちまち彼女の懐へと潜り込む。
「そらよっ!」
 『ファルゼ』の柄部分に振り下ろされた短剣の一撃は全体重をかけたもので、予想以上に威力が大きかった。
 衝撃によってノエルの手から『ファルゼ』が回転して離れ、少し離れた地面に突き立つ。
「っ!」
「くらいな!俺様の必殺技!」
 少年が〝必殺技〟と宣言して何か大技を繰り出そうとしたところで、ノエルは瞬間的な行動に出ていた。
 この時少年はノエルから最大であり唯一の武器を奪えたことに慢心し、価値を確信してしまっていた。それが勝敗を分ける分岐点になることを予期せずに。
「えっ」
 がっと、少年の手首をノエルが掴んだ―――――見えないはずの手を、強く掴まれた。
 同時に今度はノエルが確信する。
 勝利の女神が本当に存在するのならば、今は私の微笑んだ、と。


「姿が見えなくとも、そこに〝いない〟ということにはならない!」

 

 そう叫んで、ノエルは少年めがけてきつい掌底を一発お見舞いした。
 少年の過ちは―――――ノエルが女でありながら剣以外でも実戦的な体術もこなせるということを全く警戒していなかったことである。

 

 どの時代でも女性をなめていると痛い目に合う―――――余談だが、後に少年はこの経験を最初に、女性相手にでも絶対に油断しない心情を持つようになる。

 

「ぐえっ!」 
 渾身の拳は見事少年の額に炸裂し、少年は潰れた蛙のような濁った声を上げて転倒する。
 瞬間、奇妙な術も解けて少年の姿がノエルの眼前で曝け出される。
 額から細く血を流し、ぐるぐると目を回して気絶した黒髪褐色肌少年。やはり先ほど街道で垣間見た者と同一人物であった。
「し、しまった。やりすぎた」
 不意を突かれ、特異な戦い方をする相手と言っても子供に思わず本気で殴ってしまったノエルは自責の念に駆られつつ、慌ててぐったりとしている少年を抱え起こした。
「大丈夫か!?すまない!こ、この場合は揺さぶってはいけないのか……?すぐに手当てを……!」
 ひとまずは割れた額を止血をしようとするノエルだったが、ここでとんでもない光景を目の当たりにすることになる。
「……え」


 霧のような靄が視界にかかったかと思えば、みるみるうちに少年の怪我が治っていく。
 まるで殴る前の状況に肉体にかかる時間を逆再生しているかのように、零れ出た血だけを残して全てが元通りに治癒されていく。肉が、血管が、何もかもが復活していく。流れた血さえもが霧のように虚空に溶け消え、あっという間に少年は無傷の体になる。意識は失ったままだが、傷だけが消失した。

 

(これは、幻覚、か?)

 

 ありえもしない衝撃的な〝再生力〟を目撃したノエルは本日で最も仰天し、尚且つ今までの人生で最も度肝を抜かれてしまったのだった。

 


 すやすやと穏やかな呼吸音に戻った少年の胸元につけられた炎のように赤い造花の薔薇飾りから、ほのかに甘い花の香りが洩れ出たような気がした。 

 

 

 

 

 

 

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 多分もうだいたいの人がわかっていると思いますが、この少年は一章のフゥと同一人物です。
 踊るように剣を振るいます。