―――――止まることなかれ

 

 

 ◆

 

 燃え盛る炎が大地を包み込み、〝世界の全て〟だと信じていたモノを跡形も無く灰にしていく。
 青々としていた木々も、無数の家屋も、かつては自分と同じように生命活動を行っていた生物の亡骸をも容赦なく焼き焦がしていく。
 世界が燃える。
 世界が焼けていく。
 物の焼ける臭いと血肉の腐臭が混ざり合い、黒煙が天に向かって立ち上る。
 煌々と輝いているはずのつきさえも覆い隠して、世界が赤と黒に染まる。
 この世の終わりだと思った。
 それでも自分だけが焼けない。自分だけが灰にならない。自分だけが死なない。死ぬことを許されない。
 いつしか手には血に塗れた槍が握られ、数多の尊きモノを奪い取ったような悍ましい感触だけが残る。胸に深い穴が穿かれたような虚無感。熱いはずなのに寒い。寒い。寒くてたまらない。体中が痛くてたまらない。そこらじゅうに傷を負っている。痛い。痛い。痛いのに立ち止まることを知らない。
 死なない。死なない。自分だけが死なない。死なない。死ねない。死ぬことができない。
 炎の奥底で花の良く似合う女の子が泣いている。
 煙の深淵で心強かった男の子が静かに目を閉じている。
 自分はそこには行けないのだと、あの二人の隣にはいけないのだと思うだけで、心臓が潰れそうになった。
 この忌まわしい鼓動を止めたい。ああ、止めたい。握り潰して、全て無かったことにしてしまいたい。
 いつしか叫んでいた。
 炎に呑まれていく中で、声を張り上げて泣き叫んだ。

 

 

 ―――――殺してください!殺してください!僕を殺してください!誰か僕を殺してください!誰か……! 

 

 


 ◆

 

 

 

騎士と不死と黒き塔 一幕  前日譚~ローヴィア王国にて~

 

Ⅲ. ノエルとフランシス

 

 

 

 ◆

 


(くそ……またあの夢かよ)

 

 背中から冷たい地面の感触が伝わり、少年はふっと意識を覚醒させる。
 気怠く憂鬱な感覚は長距離を延々と全力疾走した直後の疲弊感に酷似している。
 少年は他人事のようにぽつりと心の内で呟く―――――「ああ、また死んだのか」と。
「―――――大丈夫か?しっかりしろ」
 ここがどこなのか、何で自分は倒れているのか前後の記憶がはっきりとしない中でとりあえず起き上がった少年だったが、しゃがみこんで自分を見下ろしていた女騎士と目が合った瞬間に先ほどの顛末に関しての記憶が一気に蘇り、さっと血の気が引く。
「……」
「……」
「……どこもおかしなところはないか?」
「今この状況がおかしい」
 敵であるはずなのに心配そうに気遣われ、少年はガチガチに凍り付いた表情でいきなりすっと立ち上がる。立ち上がったところでしゃがんだ姿勢のノエルの背丈とほとんど変わらないのが少々情けない話でもあった。
 しばしの沈黙を打ち破り、


「じゃあな!今日のことは無かったことにしようぜ!」
「待て、逃げるな!もう手痛いことはしない!」
「げっ」

 

 素早く踵を返してとんずらしようとした少年だったが、あっさりノエルにボロ布同然の外套を掴まれてしまう。布の繊維はかなり丈夫なのか、少年が必死で進まない足をばたつかせてもがいても破れる気配すらない。
「うおー放せ!放せ放せ放せ放せよ放しやがれこの野郎ッ!俺様は逃げるんだよ!」
「そんなお前を逃がさないのが私だ」
「くそぉ!ぐぬぬぬぬぬぬぬ……!」
 抵抗も虚しくそのままあっさりとノエルに片手で持ち上げられてしまい、少年は吊り上げられた魚のように激しく暴れ、やがて観念したかのようにぐったりと項垂れた。
「うう、お前本当に女かよ。いきなり殴ってくるなんて卑怯だぞ」
「よく言われる。本気で殴ったのは悪かったが、あれは正当防衛だ。お前は窃盗犯なのだから」
「ほんとかよ。脳味噌すげえ動いたぞ。騎士ってのは皆こんなに怪力なのか?乱暴なのは知ってるけど、子供相手にありゃないだろ。そりゃ俺様は泥棒だけどよ」
「それに関しては本当にすまなかった」
 頬を膨らませて拗ねる少年に申し訳ないと思いつつ、心の内で少年が思った以上に素直なことにノエルはつい微笑みそうになってしまう。ノエルは子供のことは嫌いではない。むしろ好きなくらいだ。だからこそ子供が犯罪行為に奔ることを残念に感じている。
 少年もお世辞でも健康的とは表せない痩せた体つきをしている。こんな小さな子供が飢える世が嘆かわしいと思いつつ、はたして自分風情に力添えなどできるのか、この国をもう少し良い方向へと動かせるのかと自問し、答えが出ない。
「まさか、お前ほど強い子供がいるとは思わなかった」
 賞賛の言葉を受けた途端、少年は誇らしげに胸を張った。足が宙に浮いているせいかいまいち勇ましさが感じられなかったが。
「そうだ俺様は強い!俺様をただの子供だと思うんじゃねーぞ」
「あの剣術は独学か?それとも誰かから習ったのか?」
「我流だよ我流。この辺りの奴らは喧嘩っぱやいからよ、喧嘩して鍛えたよ。あの技は俺様しか使えない俺様だけの技だ。どうだすげえだろ!」
 我流の短剣術で手加減したとはいえ長剣使いのノエルに張り合えるのは相当の才能がある。
 ノエルは尊大でもなければ自惚れやでもないが、確かにこの少年には接近戦に関しては天賦の才があると確信した。
「それほどの実力があるのならば、もう少し鍛錬を積めば兵士として充分やっていけるはずだが」
 ノエルの意見に少年はあからさまに不快感を露わにした。
「兵士だー?嫌に決まってんだろ。あんなの国家の犬さ。神の奴隷さ。俺様は王様はともかく神みてえな雲の上のお偉い野郎が死ぬほど嫌いだから、仕えたくも関わりたくもねぇよ」
 国家や神を信仰する者がいる分、それらに対して反感を持つ者が存在するのは周知の事実だが、この少年は相当宗教的な神、神という存在自体に並々ならぬ嫌悪と憎悪があるのか、猫を想起させる瞳の奥がぎらぎらと炎を滾らせていた。思わずぞっとして手を放しそうになるほど、その炎の闇は暗く深く、淀んでいた。
 だがそれもすぐに終わり、少年は単純に嫌そうに、面倒そうに溜め息をついた。
「……俺様のこと檻の中にぶち込んで尋問とかするんだろ?連れてくならさっさと連れてけよ。今更悪あがきはしねえよ」
 予想に反してすんなりと今後のことを受け入れる少年を、ノエルは一旦地面に下ろす。もちろん逃げられないように腕を掴んでいる。褐色の細腕は傷一つ無く荒れも無く、貧民とは思えないほど綺麗な肌をしていた。 
「その前に一つ訊きたいことがある」
「さっき使ってた短剣も盗品なのか、だろ?もちろん盗品だよ」
 はぐらかすような態度を取る少年をじっと見据える。
「そうじゃない―――――何故、お前の額の傷はすぐに塞がったんだ?あれも魔法や錬金術の一種なのか?それとももっと特別な術による治癒法なのか?」
「あー……」
 ばれちまったかと言いたげに肩を竦める少年だったが、複雑そうな表情で目を伏せてしまう。
「このことは言っても信じてくれるやつはいないけど、一度見たらさすがに信じてくれるよな。別に知ってほしいわけじゃあねえけどよ。でも、お前は騎士だから俺様のこと他の奴らにばらされたらすげえ困るんだよな―――――誰にも言わないって約束してくれるなら言ってもいいけどよ、どうせお前らみたいな騎士ってのは俺様よりも人を騙すのが得意なんだろ?」
 どこまでもなめてかかる少年だったが、いきなりノエルが目の前で跪いたことにぎょっとしてしまう。
 胸の装甲に手を当て、恭しくも信念の籠った言葉を紡いでいく。

「騎士は謙虚であり、誠実であり、寛大であり、崇高であり、裏切ることなく、欺くことなく、弱者には常に慈悲を、強者には常に勇猛に、己の品位を守り、民を守る盾となれ。我が身こそ剣であり矛。真実と誓言に忠実であることをここに誓おう。ノエル・アッキナーの名において……」

 騎士道の誓いをここに宣言し、ノエルは困惑する少年を見つめる。
 ノエルはどうしても知りたかったのだ。否、ノエルでなくとも誰もが気になってしまうことだろう。超人的な再生力、もしくは聖人をも超える癒しの術に。
「だ、誰がここまでしろって言ったよ。逆に俺様が申し訳なくなるじゃねえか。お前、変なやつだな騎士のくせに……」
 騎士どころか今の今まで他者に跪かれたことのなかった少年は狼狽しながらも、困ったように苦笑した。
「でも、忠誠心のある犬は嫌いじゃないぜ。わんって鳴いてみろよ」
「誰が犬だ。冗談じゃない」
「まさか俺にまで尻尾を振ってくれるとは思わなかったぞ」
「振ってないぞ……」
 苛立ち以上に呆れの表情を浮かべるノエルに、少年は「しょうがねえな。とりあえずはお前の誓言に騙されたと思ってやるよ」と快活そうに破顔する。その笑顔は眩しく、天空の太陽から注がれる陽の光を連想させた。
 

 

「俺はフランシス。まぁその、あれだ。不死身ってやつだ!」

 


 ◆

 


 不死身。
 不老不死。
 決して死なず、朽ちず、老いず、衰えない、あらゆる生命の摂理を完全に反した究極なる存在。
 寿命を持たず、限界も無く、時の許す限り永遠の道を歩むことが許された唯一の生命。
 伝承や伝説、架空の伝記や物語ではたびたび目にする〝数多の人々の最上の理想〟〝最上の幸福〟。
 歴代の研究者達が追い求め、貴族が望み欲する、未来永劫なる魂の器。 
「まさか本当に不死者が存在するとは思わなかった……」
「普通そう思うよなぁ。俺様だって吃驚だ。自分が不死身なんてよ」
 フランシスと名乗った少年が不死者であると知ったノエルは大層驚き、開いた口が塞がらなかった。
 こんな作り物のような話を信じるか信じないかだったら迷わず信じないを選択する程度にはノエルは現実主義者だが、先ほどの幻覚でもなければ奇術でもない傷の再生を目の当たりにしてしまった今では嫌でも信じる他無い。
 確かにこの性質、体質、力を表沙汰にしては様々な方面から標的とされ、集中的に狙われてしまうことだろう。仮に彼が不死の力の代弁者であるのならば、大勢の人間が喉から手が出るほど欲しがることだろう。
「何故不死身の体になったんだ?」
「さぁなぁ……だいぶ前のことだから、覚えてねえや。きっかけも原因もわかんねえしよ」
「……ちょっと待て。お前はいったい何歳なんだ」
 フランシスから時折曝け出される子供とは到底思えないような気配や表情を思い返しては、ノエルは冷や汗を流す。
「おいおいそれを訊いちまうのかよ」
「訊いてはいけなかったのか」
「別にそういうことじゃねえけどさ、詳しい年数なんて忘れちまったよ。えーっとこの国に来たのが五十年、六十年……ひょっとしたら百年も前かもしれねえなあ」
「子供どころか普通ならとっくに亡くなっているか老いている歳ではないか!謝って損した」
「年寄り扱いすんなよ!も子供扱いも腹立つな……ぐぐぐ」
「それにしても随分長生きなんだな。私よりも年上とは」
「当たり前だろ不死身なんだから―――――こちとら早くくたばりたいってのに、本当に厄介な話だよな……おっと、失言!」
「?」
 失言と言われてもノエルには後半の言葉が小さくて聞き取れなかった。 
「お前はこの国出身ではないのか」
「ちげえよ。肌の色見りゃわかるだろ。ここから東の……お前らみたいな西洋人が植民地支配してるような大陸から海を渡ってきたよ」
「お前、たった独りで大西洋を渡ってきたのか!?」
 あんな広大な大海を!?無謀すぎる!と、驚きを露わにするノエルにフランシスは堂々と頷く。
「ああ。欲張りな西の奴らの小舟を奪ってな。ついでに香辛料とかも拝借したぜ。懐かしいなぁ今思い返しても大変だった……数カ月かかったし、おまけに間違って北の海路に進んじまったから途中何回か溺れ死んだり凍死もした。冬の海は危険だな!真似すんなよ死ぬぞ!」
「真似をする以前にお前以外の人間ならばとうに海の藻屑になっているだろう!何て無茶なことを……!」
 真冬の大西洋の北海路となると常時厳しい寒波と流氷の餌食となり、常人ならばたちまち体温を奪われて死に至る。そんな過酷な環境の中を目の前の少年は乗り越え、こちらの大陸まで移動したと言う。武勇伝とは言い難い昔話を何てことなさそうに語るフランシスだが、ノエルは驚愕を通り越して唖然としてしまう。
 ……この少年はどれほどの常軌を逸した経験を積んできたのか興味が湧かなかったと言えば嘘になる。
(それにしても大西洋の向こうの新大陸は、交易上の問題で先住民の奴隷化が深刻化していると聞くが……彼のような褐色肌の奴隷はやはり多いのだろうか)
 貿易の盛んなローヴィアにも表立ってはいないが奴隷は商品として取り扱われている。ノエルも数度は売り捌かれる奴隷の姿を見たことがあるが、ほとんどの者が白人の肌とは違う日に焼けた浅黒い肌色をしていた。
「……気に障ったら済まない。お前は奴隷だったのか?」
「ぶー。それも外れだ。俺様は西の奴らが来る前から故郷の集落で普通に暮らしてたよ―――――もう跡形も無くなっちまったけどな」
 どこか寂しげに、切なげに、ここでは無い遠い情景を眺めるように目を細めるフランシスだったが、すぐに話を切り替えてきた。
「さて、もうこのくらいでいいだろ。これ以上は話すことないぞ」
「そうか……なら、お前とお前の仲間の本拠地を教えろ」
「む、ここまで話してやったのに俺達全員掴まえる気かよ」
「それとこれとは別だ。窃盗罪に関してはそれ相応の償いをしてもらわなければ。私だってお前らを警吏に突き出したくて突き出すのではない」
 露骨に顔をしかめたフランシスだったが、小声でぼそりと呟いた。
「なぁ、俺様は捕まって罰せられてもいいよ。だけど仲間のことは見逃してくんねぇかな。あいつらに泥棒させてたの俺様だし、俺様よりもずっとずっと小さいやつらだし、何よりこうでもしないと皆飢えで死んじまう」
「……」
「貧民窟のガキが真っ当に稼ごうとしてもケチな大人は俺達をタダ働き同然で雇ってこき使うくせに、ちょっとでも失敗したらボコボコにされるんだぜ?ひでえ話しだろ。金がないから医者だって見てくれない。一欠けらのパンを手に入れるのも命懸けだ。しくじったら全身に傷こしらえて空腹に苦しんで草の根を齧る。世の中が理不尽とまでは言わねえよ。だけど、神に祈りを捧げる余裕も無いギリギリの奴らがこの世に五万といる。俺様達みたいな卑怯で、意地汚い生き方でしか生き延びされないガキを一匹一匹掴まえたところで何の解決にもならない。何の意味も無いんだよ―――――でも犯罪は犯罪だ。不正行為は発覚したらそれなりの処罰が必要ってのは社会の〝規則〟ってやつだ」
 悪びれることも無く淡々と語るフランシスは、掴まれていないほうの手を広げて無抵抗だということを主張する。短剣も武器も何一つ隠し持っていないことはすでにわかっている。本当に丸腰だ。
「今までの窃盗の主犯は俺様だ。俺様を掴まえれば今後の悪質な泥棒行為は一気に激減するだろうな。この辺りは俺様の縄張りだったし、何よりも〝姿が消せる不死身〟の泥棒を捕らえたのはでかいだろ。お前の成果だ。お前の勝ち。だから今回は俺様だけで見逃してくれないか?他の奴らは俺様よりずっと弱い普通の子供だ。俺様がいなければ何もできない弱者だが、大事な子分なんだ。病気の奴もいるしよ」
「……」
 何だか上手いように言いくるめられているような気がしなくもないが、ノエルは厳しい表情で歯噛みして思考していた。
 飢え渇く子供がたくさんいるのはわかっている。貴族のような金持ちが彼らを拒絶し嘲笑し、神は導きを与えない。毎晩のように寒い思いをしながら不衛生な貧民窟で眠る―――――盗むことでしか命を繋げない弱者なりの正義。
 ノエルは何かを言おうと口を開くが、何も言えなかった。笑うでも怒るでもなく覚悟を決めた様子でこちらを見ているフランシスに何と言えばいいのかわからなかったのだ。
 今ここで警吏や他兵士を呼んで尋問し、仲間を全員容赦なくひっ捕らえるか、それとも……。
 白黒はっきりつけられず、決断力のない自分を叱責するノエルだったが―――――事はその時に起こった。

 

 べしゃ。

 

 突如ノエルの頭頂部が嫌な感触で支配される。
「!?」
 咄嗟にそこに手をあてがうが、ぬるりとした粘度の高い液体がへばりつき、彼女にぞぞぞと鳥肌を立たせた。
 鼻につくような腐臭。思い出したように頭から落ちてくる殻のような欠片。髪の毛に張り付いて輝くような金髪を台無しにする濁液―――――腐った生卵をを投げつけられたのだと察した時にはもうすでに遅く、ノエルの頭上から様々な物が落下してくる。
 樽をひっくり返したような土砂降りは激しく、石やら木板、割れた食器やら圧し折れた匙、元が何だったのかわからないが奇怪な臭いを放つ液状化した物質、しまいには忙しなく跳ねる蛙やら鼠の死骸や見るも悍ましい蠢く虫や男女関係なく絶対に直視したくないような物(以下略。もしくは説明不要)まで降ってくる。


「―――――ッ!!!!!」

 

 紳士淑女が卒倒しそうな地獄豪雨にさすがのノエルも声にならない悲鳴を上げてしまう―――――後のノエルは後にも先にもこれほどの醜態を晒したことは無いと忌々しげに語る。
「兄貴!助けに来ました!」
「おのれ騎士め、参ったかー!」
 いつの間にか路地の上の屋根部分に回り込んできていたフランシスの子分である数人の少年達は、それどころではないノエルの隙をついてフランシスの救出するべく縄を下ろす。途端におとなしかったフランシスが威勢を取り戻し、緩んだノエルの拘束からあっという間に逃れ、縄に飛びついた。
「よっしゃさすがは俺様の子分達!一時はどうなるかと思ったぜ―――――さぁ、撤収だ!」
 驚くべき団結力と連携でフランシスを引き上げた部下達は、蜘蛛の子を散らすように屋根から屋根へと飛び移って逃走していく。
「ま、待て!」
 嫌悪感を必死になって練り上げた自尊心で拭い、顔にへばりついていた特大の蛙を強引に引きはがしたノエルは、今まさに姿を消そうとしていたフランシスを呼び止めた。
 フランシスはにやりと得意げに笑んで、ノエルめがけて何かを投げる―――――最初にフランシスがノエルから奪った腰袋だった。中身は入っているようで、どうやら何も奪っていないようだ。
「見逃してくれたお礼だ。金貨も全部返すよ。賄賂代わりってやつだ!」
「賄賂も何もこれはもともと私の物だ!それに見逃すなど一言も言っていない!―――――お前の〝消える力〟についてもまだわかっていないことだらけだと言うのに!」
 その言葉にフランシスはきょとんと目を丸くし、すぐに「やっぱりお前は面白いやつだな」と、楽しげに笑った。

「俺様は神や騎士は大嫌いだけどよ。お前のことだけは嫌わないでやるぜ―――――じゃあな、ノエル!」 

 そしてたちまち姿を消したフランシスを、ノエルは悔しげに見送ることしか適わなかった。
「……必ず捕まえてやるからな。フランシス」
 フランシス。奇妙な少年。不死身の少年。心優しい少年。
 連なる屋根を足場に、彼は軽々と跳躍する。母なる大海と背の高い建物を背景に空へと軽快に飛び出す。
 風を切り、踊るように、誰にも視認されずにミネヴァの街を跳び回る。 

 大地の加護を受けながら。


 ◆

 

 


「……ようやく見つけた。〝不死なる魂〟……!」

 

 何者かが邪悪を孕んだ声で呟き、その場から音も立ち去ることに、ノエルもフランシスも気づくことができなかった。
 


 

 

 

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 次話でひとまず一幕は終わりです。