―――――絶望する準備はできましたか?

 

 

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騎士と不死と黒き塔 一幕  前日譚~ローヴィア王国にて~

 

End.呪われし物語の幕開け

 

 

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 不死身の少年は鳥のように自由であり、風のように素早く、雲のように掴めない。
 彼は空のように果てしなく、数多の不思議を体現していた。
 ノエルはそんなフランシスを確保することを諦めきれなかった。否、諦めようにも騎士として受けた任務は最後までやり遂げなければならない義務がある。
 何よりもノエルは知りたかった。
 フランシスに興味があった。
 それは決して異性に対する愛のように、いかにも恋多き乙女が抱いてしまいそうな甘酸っぱい感情とは全く別の物であり、知的好奇心と言ったほうがよほど適切だ。
 フランシスの持つ奇妙な能力以上に、彼の存在そのものに惹かれるものがあったのかもしれない。

「今日こそ掴まえてやるぞフランシス!」
「生憎だが俺様は今日も逃げ切る気満々だぞノエル!」 

 ノエルはフランシスを追いかけ、フランシスはノエルから逃げる。
 時には剣を交え、掴まえたかと思えばあっという間に視界から消えていく。
 いつしかノエルとフランシスの追いかけっこにも似た繰り返しの日々は日常と化し、短いようで長い間お互いに街を駆け抜けた。青空の下、潮風の中、石畳みを蹴り、人々の喧騒を振り切り、騎士と不死者は走る。
 追い詰め、切り抜けられ。振りほどかれた先に幾多の狡猾な罠。
 そんな中でフランシスはぽつりぽつりと話してくれた。
 砂のように散らばった記憶の断片を掻き集めて城を作っていくように、気の遠くなるような思い出や経験談を冗談を交えてノエルへと伝える。

「向こうの大陸から渡ってきた時に拝借してきた香辛料は裏取引で随分高値で売れたんだけどさ、後でいろいろあってガラの悪いやつらにタコ殴りにされたこともあったな。まぁその後そいつらの家を突き止めて大量に蛙と蛇を投げ入れてやったけどな!ばれなかったのかって?へへん、俺様を誰だと思ってるんだ」

 時には笑い話を。 

「やられたらやりかえすのは生き方の鉄則だよ。やられっぱなしでただ無駄に死数稼ぐだけじゃ後味悪いってもんだ」

 時には持論を交えた人生論を。

「今日は何にも盗んでないぞ!まともに稼いだってほら証拠!証拠に銅貨があるぞこれっぽっちでも大金だぞ!錆色でも俺様達にとっちゃ黄金さ。黄金の実よりもよっぽど価値がある」

 時にはなけなしの自慢を。

「皮同然の豆の薄味シチューに固い黒パン。メインディッシュに肉があったら最高なんだけどよ。塩漬けの肉……?どうせ煉瓦みたいな味がすんだろ」

 時には拗ねたり膨れたり。

「この街自体は嫌いじゃねえぜ。それに、どこに行ったところで同じような暮らししかできないのはわかってるしな。何より可愛い子分達を見捨てるわけにはいかない」

 時にはどこか寂しげに切なげに。


「俺様のことが知りたきゃ掴まえてみな!」


 フランシスが快活そうに、この世の悩みも迷いも全て吹き飛ばしたような晴れやかな笑顔を見せるたびに、ノエルは思ってしまう。
 犯罪者である少年だというのに、慈悲と情けを混ぜ合わせたような惑いが生まれてしまうのだ。

 
(ああ、この少年は不幸の中で精いっぱいの幸せにしがみつこうとしている)


 腐敗した貧民窟で生き、そこで細々と生きる仲間のために働き、時に違法さえ犯しても尚、誰かの安定の暮らしへの貢献をしようと努力している。
 自分一人のためだけならば多少力を行使すれば暮らしはすぐにでも楽になるというのに、彼は多くの子供のために命を懸けている。
 失わない命を消費して、懸命に今の時代を生きている。
 泣き言一つ言わずに、何十年も、朽ちることなく。 
 
 彼が本当の意味で幸せになれる日は、はたして訪れるのだろうか。
 国の法に従わなければならない騎士である自分が、彼の幸せを願ってしまっていいのだろうか。

 彼は捕まらない。
 手の内から逃げ出し、踊るように消えてしまう。

 いつしかノエルの頭の中には、フランシスがいた。
 雨漏りのひどい薄っぺらな木板の屋根の下で、腐りかけの木の椅子を足場に、オンボロの鍋で煮立ったシチューを小さな器によそり、痩せ細った子分を優先に配膳していくフランシスがいた。
 少量でいて本当に質素な食事の光景の最中で、彼は哀愁を帯びた笑みを浮かべていた。不満も悲壮も無い、満足そうな微笑みだった。

 

「これが今の生き方だよ」と。 

 

 

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「しかしノエルさんでも掴まえられないとなると、その盗人は相当な場数を踏んでそうですね」
「場数というか、もはやあれは経験の差……生きた年数の違いだな」
「え?」
「い、いや何でもない」
 騎士の宿舎の廊下を歩きながら、ノエルは後輩騎士から慌てて眼を逸らした。
 宿舎の地下部屋で清掃にあたっていた二人はその帰路の最中であり、天井も壁も床も灰色の石で固められている廊下は寒々しく、自然と早足になっていた。
 冬が近づく中で陽光が全く射し込まない地下はさすがに冷える。等間隔に壁に取り付けられている簡素な松明の温かみだけが救いだった。
「応援は要請しているんですか?」
「少しは考えたが、そちらにまで手間をかけさせるのはちょっとな。それにここのところは被害は最小限に抑えられている。この調子で相手に動きがなくなれば何よりなのだが」
「ノエルさんのような方が城下で任務だなんて、災難ですね」
「なに、大したことではない」
 二人が話しているのは城下を騒がせる窃盗団のことであり、無論フランシスのことである。
 しばらくの間ノエルが窃盗犯確保に粘っているというのに一向に捕まらないものだから、宿舎の者たちは口々に噂を始めているのだ。
 ノエルでも掴まえられないとない窃盗犯とは何者なのか。ノエルはいったいいつまで手間取っているのだと。
 少なからずの誹謗中傷も混ざっているのは本人も知っているが、気にすることは無かった。
 何にしても、自分以外の人間でもフランシスを掴まえるのは非常に困難だろうと、心の内で自問自答していた。
 幸い、今の時期は長期遠征や内乱のような戦が勃発していないため、実質ノエルは城の警護と兵士の訓練指南のようなことしかやることがない。そのため、実質窃盗団の確保担当はノエルに一任されているといっても過言ではない。
 明日こそ絶対捕まえようと、ノエルはぎゅっと拳を握りしめた。そこに躊躇がなかったといえば嘘になるが。
「それではノエルさん。今日はお疲れ様でした」
「ああ。清掃の手伝い、感謝するぞ」
 恭しくお辞儀をした後輩と別れ、ノエルはそのまま奥部屋から灯り用の油を持って来ようとしたところで、ふと足を止めた。
(……声?)
 曲がり角を曲がろうとした矢先に、向こう側から誰かの話声が聞こえてきたのだ。人数は声の違いから考えるに二人だろう。ひそひそといかにも訳ありな様子で何かを話している。
(密会だとしてもこのような場所で話すとは)
 内緒話にしてももう少し場所を選べと思いつつそのまま歩みを再開しようとしたところで、聞き捨てならない言葉を聞いてしまった。

 

「計画は順調だ。近い内に奴を〝黒の塔〟に連れていき、実験を開始する」

 

 その言葉を最後に、ぴたりと二人の会話が途切れる。
(黒の、塔?)
 胸騒ぎを覚え、ノエルは咄嗟に角を曲がる。
 しかしその時には謎の人物の姿も形跡も残されていなかった。
 気配を感じ、声も実際に聴いているのだから、ノエルの幻聴のはずがない。
(黒の塔ということは、今のは錬金術師だったのか?)
 だが、ここは騎士専用の宿舎だ。いくら高名な錬金術師であっても入場は基本的に認められず、ましてや地下に来れるはずがない。
 それと同じく〝黒の塔〟も国から選抜された優秀な錬金術師しか入場を許されていない。
 先ほどの謎の人物の発言から考えるに、必然的に二人の内どちらかは錬金術師に断定される。
 そして、計画とは?

 

「何故、錬金術師がここに……?」
 
 その問いに答えてくれるものは、誰一人としていなかった。


 ノエルの疑問が解決され、波乱に巻き込まれてしまうのはここからおよそ一か月後のことだった。

 

 

 

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―――――炎竜の夢は まだ見ていない

 

 

 

 

 

 

 

 

                        第一幕 終

                        

                        第二幕へ続く

 

 

 

 

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 だいぶ駆け足になりましたがひとまず二章一幕はここで終了です。

 ここから先はスプラッタな描写とホラー描写満載になる予定なので注意です。

 同時に仲間キャラや敵キャラがいろいろ出てくるので、この際も楽しんでいただけたら幸いです。