幻想世界の古道具屋 第一幕 メモライズ・カメラ

 

Ⅲ 天狗襲来!旅人参上!

 

 

 

 

 

 防魔装置(シス・マテリア)は大きさは大小あり、大きいモノは巨大な国をすっぽりと覆え、小さなモノは常に旅人や商人が携帯しています。
 防魔装置は魔物から身を守る結界。今の世界には無くてはならないモノです。魔物は人間を本能的に襲ってくるため、どうしたって避けようがないのです。
 命を守る必需品とも言えるので、とても高価で取引される代物なのです。

「道具がコレを用意してくれるなんて吃驚したわ」

「そもそも道具が鞄出してくれる時点で信じがたい話なんだけどね」

 フード付きの外套を身に着け肩掛け鞄を掛け、手には防魔装置を構えて、アネットはタロと一緒に森の中を進んでいました。
 サーミの街の近くにある森は、その名の通りサーミの森と呼ばれています。
森の植物はひびが割れて濁った翠石色をしています。
 底知れない緑は目に焼きつくようで、一度見れば二度と忘れられないほどの深さを持っていました。それは良い意味でもあり、悪い意味でもあります。
 磨けば宝石と同じように本来の光を取り戻し、美しく煌めくのでしょう。けれど、生憎なことにこの地に大昔満ち溢れていただろう素晴らしき景観は取り戻されることがなさそうです。
人が一切手を加えていない自然そのままの森林は実に伸び放題荒れ放題で、まるで朝寝坊をして寝癖がついた髪のようです。整えるものがいなければ、ぼさぼさ髪はそのまま跳ねているしかないのです。
 誰も手入れをしなければ、どれほど麗しい宝玉でも澱んでしまう。魔力も加護も無いこの場所は、好き放題に野性的なままに育ち停滞し、朽ちていくしかありません。

「この森は前に一度ロミと一緒に歩いたことがあるわ。緑が綺麗で、魔物もほとんどいないらしいの」

「それでも不気味だよ……物騒だよ。外に安全な場所なんてないんだから」

「怖いの?」 

「こ、怖くなんかないよ!」

 強がるタロですが、タロがとても臆病であるということは最初からわかっています。
 アネットも多少の恐怖はありましたが、それ以上に胸に突っかかる思いがありました。
 ロミには黙って出てきました。幸いなことにロミはまだジーンと喋っていたようで、気付かれることはありませんでした。

「だけどロミにばれたらすごい怒られるんだろうな」

「当たり前でしょ!それを覚悟でここまで来たんでしょ?さっきからずっとそればっかり」

「だって黙って来ちゃったんだよ」 

「じゃあ帰る?」

「やだ!」

「ほらぁ」

 頭を抱えるタロに、アネットは「でも」と続けました。

「でも、タロが一緒に来てくれてよかった」

「え?」

「だって二人で怒られるなら怖くないわ!」

「そ、そういう問題?もっと危機感持ってさ、命の心配をしてよアネット……」

 アネットの首には首飾りのように紐が掛かっており、その先には写真機が落ちないように取り付けられています。
 写真機は相変わらず悲しそうなままです。アネットは直接伝わってくる写真機の感情に立ち止まっていられないと足を動かします。
 歩き続けていると次第に地面は傾斜になっていき、だんだんと山登りをしているような気分になってきます。
 高い木が空を隠しているせいで日の光があまり入ってこず、森の中はますます薄暗くなってきます。

「本当にこっちであってるのアネット?」

「大丈夫。前に来たことあるからこの道であってるわ」

「何だか不安だなぁ」

 妙に自信ありげなアネットに対して、タロは緊張感が拭えないようでした。
 その時でした。二人の視界を遮るほどの突風が吹き荒れたのは。

「きゃっ!」

「うわわわわわわ!」

 吹き飛ばされそうなほどの激しい風にアネットは身動きが取れなくなり、思わず顔を隠してしまいます。タロに至っては足が宙に浮いてしまい、慌ててアネットの鞄にしがみつきます。
「街の外に一人でやってくるとは、いい度胸じゃねぇかお嬢ちゃん」
 若い男の声が聞こえたと思ったら、風の幕が晴れ、二人の視界は良くなりました。
 眼を開けた二人の眼前には、見たことのない青年が宙に浮かんでいました。
 しかしただ浮かんでいるのではなく、褐色の肌の背中から生えている大きな黒翼が微少に羽ばたいているということにアネット達は気がつきました。
 この人物が人間ではないということは一目でわかりました。
 旧世界の人間と魔物が混ざり合い、進化と共に強化された存在―――――人はそれを獣人、亜人、異人などと様々な称をつけて呼びます。
 この者もその内の一人でしょう。

「貴方は?」

 怯えるタロを抱えながら、アネットが注意深く問いました。
 アネット達を嘲笑うその男は、己の存在を主張するかのように翼を大きく広げます。獰猛そうな鋭い目から放たれる視線は、研ぎ澄まされた刃物のようでした。

「俺様は泣く子も黙る天狗の清長(せいちょう)様だ!」

「せ、セイチョー?」

 昔ながらの名前には慣れていないため、アネットは余計に目を白黒させてしまいます。

「発音がおかしい!清長だ清長!―――――まぁいい。人間の小娘がこんな場所にのこのことやってくるなんて、死にくるようなもんだぜ?」

「て、天狗だって?アネットこいつはまずいよ……天狗は魔物の中でも上位の力を持ってるやつだ」

 とんでもない相手に目をつけられてしまったと、タロは心底家から出てきてしまったことを後悔しました。最悪ここで殺される可能性さえ出てきてしまったのですから。
 天狗は風を操り自由自在に空を飛ぶ種族。世界が滅ぶ遥か古から語り継がれ。その力は今でも健在であり、人を魔道に引きこむこともあるという。アネットはいつの日かロミからそのような話を聞きました。
 まさかこの辺りにも天狗がいるなんて、アネットとタロには予想外だったのです。

「人間の子供は肉が柔らかくて美味いんだよなぁ」

 舌なめずりをする清長に、タロはひっと悲鳴を上げそうになります。アネットはそんなタロをぎゅっと抱きしめながら、震える心を落ち着かせました。 
ここで立ち止まっているわけにはいきません。逃げるにも、分が悪すぎる相手ですが。 

「どうしても行かなくちゃいけない場所があるの」

「おっと、生憎だが俺様にはそんなことどうでもいいんだ。俺達の祖先は人間嫌いでよ、俺もまたその血を受け継いじまってるから人間を見ると無性に襲いたくなるんだな」

「こっちには防魔装置があるのよ!」

 強気のままアネットが防魔装置を見せつけても、清長は大したことがなさそうに鼻で笑いました。

「そんなちんけな鈍で俺様に対抗しようだって?その程度の防魔装置なんざ何の効果もねえよ」

 小さな防魔装置が作用するのは一般的な魔物のみです。強すぎる力を持つ存在には打ち壊されてしまう可能性があります。それが亜人の天狗となると、もはやただのガラクタも同然です。

「み、見逃してくれない?」

 震える手で防魔装置を突きつけた体勢のまま、アネットは自信なさげに交渉しようとします。

「それは無理な相談だなぁ」

 しかしそれは一言で拒否され、猟奇的な笑みを浮かべた清長が鋭い爪を見せびらかすだけでした。長く尖った十爪は、清長が本気になればアネットの骨もろともずたずたに引き裂いてしまうことでしょう。

「ア……アネットに手を出したらボクが許さないんだから!」

 頼りないけれども必死にアネットを庇おうとするタロでしたが、戦う力の無いタロにはもうどうしようもありません。

「おうおうそうか。なら安心しろ―――――優しい優しいこの俺が、お前らを一緒に葬ってやるぜ!」

 残虐な殺気を露わにして、清長は目を疑うような速度で二人に飛びかかってきます。
 空中最速の種族とも呼ばれる天狗から逃げる術はありません。アネットとタロは抱き合いながら次の瞬間に襲いくる痛みから少しでも逃れようと、ぎゅっと目を瞑りました。 
 アネットの脳裏には、最後までロミの姿がありました。
 最後の最後まで迷惑をかけてごめんなさい。
 もしもアネットがここで絶命していたら、遺言はそれになったでしょう。
 しかし、奇しくも彼女が予期した展開とは大きく物語は逸れることになりました。

 

「弱い者苛めは大嫌いだけどよ、戦えないやつを殺そうとするやつはもっと嫌いだぜ!」

 

 清長の横から割り込む形で、人影が勢いよく横切りました。

「んな!」

 突然の乱入者に驚愕した清長に次の言葉を与えず、その者は彼の脇腹に強烈な一撃を放ちます。空気さえ歪ませるような、隙の無い飛び蹴りでした。

「うげっ!」
 蛙が潰れるような嫌な声を吐き出しながら清長は吹っ飛ばされ、アネット達から少し離れた大木の幹に顔面からぶつかりました。とても痛そうな鈍い音が響きました。

「俺は種族関係なしに、威張らず強さを高め合うのが一番良いと思ってるぜ。人間だからって見下してると痛い目に合うからな」

 器用にくるくると宙で回転して着地したその者は、注意するように清長に言いました。 

「は、羽扇さえあればお前なんざ……」

 しかし脳にも衝撃が与えられたせいなのか清長は起き上がれず、そのままずるずると地面に伸びてしまいました。完全に意識を失ってしまったようです。

「え、え?」

「何?何がどうなったの?」

 つい数秒前まで自分たちの命を狙っていた存在が情けなく倒れているという状況をまるで把握できず、アネットとタロは茫然と立ち尽くします。
「さて、危ないところだったな。街の外に子供だけで出歩くなんてとんでもないぞ。見たところ戦士でも魔法使いでもないみたいだしな。こういうやつらに絡まれたところで文句は言えねえぞ」
 無防備な清長をそのまま放置し、アネット達を助けてくれた彼はここで初めてこちらを向きました。
十代半ばか後半くらいの少年の容姿はひどく奇抜でした。頭部の髪は鮮やかな橙と茶が混じったような明るい色を、前髪は火炎を連想させる赤、うなじ近くで二つに結ばれた長髪は雪のように真っ白です。少なくとも、普通の人間では決してありえない配色の髪色をしていました。  
服装もまた変わったもので、他の大陸の民族が着用するような装束を身に着けています。

「あ……貴方は?」

「俺はソウリュウ。通りすがりの旅人だよ」

 快活そうに笑う少年、ソウリュウはいかにも旅人に相応しい見た目をしていました。あんなに目立つ人をアネット達はこの辺りで見たことさえないのですから。

「ソウリュウ?不思議な名前ね。私はアネット。助けてくれてありがとう!」

「ボクはタロ。助かったよ。だけど君は人間?天狗を一撃でやっつけちゃうなんて……」

 警戒しながらもお礼を言うタロに、ソウリュウは苦笑いをしいます。

「一応は人間……まぁ人間みたいなもんだよ。独りで旅してるんだから、このくらいは強くて当たり前だろ?」

「とんでもない強さだったような気がしたけど……」

「まぁとにかく、どこかに行く途中だったのか?今からでもいい、引き返せ。お前らだけじゃ危険すぎるよ」

「でも、どうしてもいかなくちゃいけないところがあるの」

「命の危険に晒されてもか?」
 ソウリュウが真剣に問うと、アネットは芯の強い瞳で彼を真っ直ぐ見つめ、頷きました。

「泣いてるこの子を、少しでも早く助けてあげたいの」

「泣いてる?」

 ソウリュウが不思議そうに首を傾げると、アネットの胸元にある写真機に目がいきました。
 錆びた銀色に塗装されたそれを見るなり、何かを察したのかソウリュウは「そうか」と言いました。

「目的地はもうわかってるのか?」

「わかってるわ。ここの近くで、もう少しで着くはずなの」

「よし!だったら俺も付いていくよ」 

「えっ、でも……」

「お前らだけじゃ心配だしな。ここら辺の土地をもっと見ていきたかったし、護衛ついでにどうだ?」
 ソウリュウの強さは先ほど見たので充分にわかります。もしもこの先魔物が襲ってきても、彼がいたらとても頼りになるでしょう。

「それじゃあ宜しくお願いします。ソウリュウさん」

「さんは無くていいよ。ソウリュウでいいぜ」

「はい!ソウリュウ。タロ、これで安心だね」

 友好的なソウリュウにまだ心を許せないのか、タロは複雑そうでした。

「大丈夫かな……だけど、それしかないよね―――――よろしくソウリュウ。ちゃ、ちゃんとアネットを守ってよね!」

「わかってるよ。お前のこともしっかり守ってやるから心配すんなって」

「そ……そういう問題じゃない~!」

 どこまでも正直な旅人に、ブリキの人形は翻弄されてばかりでした。


  

 

 

 

 

 

 

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 ◆

 

 ソウリュウは名も無き勇者の冒険のほうでの主人公です。
 実はこっちにも来てたんです。
 清長は噛ませ犬です。
 セイチョウが正しい読み方ですが書いてる本人もキヨナガ!って呼んだりしちゃうのでお好きな方で呼んであげてください。