幻想世界の古道具屋 第一幕 メモライズ・カメラ
Ⅳ 思い出の還し方
◆
アネットとタロ、そしてソウリュウはひたすら歩き続けました。
そこそこ急な坂を登り、小川を越え、微かな道筋を辿りながら前へ前へと足を踏み出していきました。
幸い道中で魔物や亜人に出くわすこともなく、臆病な獣と害の無い虫、アネット達に興味を示さず戯れている妖精を何匹か見かけただけでした。
最初は高かった日もだんだんと沈んできて、夕焼けの茜色が世界を満たし始めていました。
「あ、あそこ」
長時間の移動に疲労の色を窺わせながらも、アネットが指を指しました。
鬱蒼と生い茂る木々が立ち並ぶサーミ森に、終わりが見えたのです。
「よかった。道はこれであってたわ」
「あの先には何があるんだ?」
「あの先には―――――」
アネット達が森を抜けると、そこには一面の花畑がありました。
色とりどりの花々が咲き誇り、そよ風によって揺り籠のように揺れています。
地平線の彼方まで終わり無く、夕日に照らされて一層美しく咲き乱れています。
「わぁ。すごい」
「まさか森の奥にこんな場所があったなんて……すげえ」
初めて見た風景にタロとソウリュウは感嘆の溜息をつきます。
アネットも懐かしそうにほっと胸を撫で下ろしました。
「ずっと前にここへロミに連れてきてもらったことがあるの。この花畑が私が今まで見てきた花畑の中で一番綺麗だったから、ここなら大丈夫かなって」
そう言って、アネットはそっと胸元に吊るしていた映写機に手を伸ばします。
「この子が見せてくれたのは、どこかの綺麗な花畑だったから」
「アネット。だけどこれからどうするの?無事に花畑には来れたけど……」
風に乗って舞う花弁を一つ掴みながら、タロはアネットの脹脛に触れました。
「どうすればいいのかはもうわかってる。この子の望みは、望んだ景色を撮ること」
「撮る?」
興味津々に花を眺めていたソウリュウが首を傾げます。
「そう。写真機は景色を撮るためにあるモノだから。その時だけの思い出を残すモノだから。遠い昔の人が、そうやって大事に使ってたように」
アネットは写真機を紐から外しました。使い方はもうわかっています。電源と呼ばれるスイッチを押して写真機を起動させ、ファインダーで映すべきモノを捉えながらシャッ装置ターを切ればいいだけです。
「―――――ここでいいかな?」
アネットは優しく写真機に訊ねました。
写真機は、はいともいいえとも言わなかったけれども―――――自動的に電源を入れました。
電気は遥か昔に一部を除いて失われてしまった文明の基盤の一つであるというのに、写真機の中に残されていたのかさえわからないというのに、それでも写真機はきゅるきゅると何かを巻き取るような音を鳴らしながら起動しました。
「ありがとう。それじゃあ撮るね」
アネットは慣れた手つきで写真機を構えました。覗き窓が花畑の一部の風景を閉じ込めます。
今ある世界を、永遠にするかのように。
タロとソウリュウが見守る中で、アネットは小さく呟くのです。
それは、ロミが道具を救う時に決まって言う言葉でした。
「貴方の心が、安らぎますように」
かしゃりと音が生じ、映写装置が一瞬だけ黒い幕を下げ、ストロボが光を瞬かせました。
まもなくしてカメラの下部分から、写真が一枚現像されて出てきました。
「すごい。撮ったやつがすぐに出てくる仕組みなのか」
「インスタントカメラ―――――これがこの子の正しい名称みたい。すぐに写真を現像できるように作られた写真機なんだって」
「ふむふむ。俺は機械に関しては無知だから何だかまるでわからないが、とにかく旧時代のすごい発明品みたいだな―――――写真ちゃんと撮れてるか?」
ソウリュウに促され、アネットは現像された写真を撮って確認します。
「あ……!」
写真には花畑と夕焼けの空が綺麗にくっきりと映されていました。
しかしそこには先ほどまでなかった者まで紛れ込んでいました。
「人が映ってる……」
背景と比べると靄がかかったようにぼんやりとしていますが、それでも間違いなく二人の人間が一緒に映っていました。
同じ種類の制服を着て、仲良く身を寄せ合って笑っている男の人と女の人。アネットが写真機の記憶の中で見た人達と同一の人物でした。
「な、何で人が?この辺りに幽霊でもいるの?」
「どういう仕組みになってんだこりゃ?」
「―――――これは、この子の力だよ。この子の力がここに無いモノを映し出したのよ」
吃驚している二人に対して、アネットは納得したかのように「そっか」と写真機を見つめて言いました。
「貴方はずっと待っていたのね。この二人が笑って戻ってくるのを。また一緒に思い出を撮るのを、ずっとずっと待ってたんだね」
カメラは長らく叶えられなかった願いをようやく成就することができ、とても喜んでいるようで、同時に名残惜しそうでした。タロとソウリュウには伝わらないけれど、アネットにはわかりました。痛いほどよくわかりました。それが胸にちくりと刺さるような、安堵と哀愁の痛みであるということは。
「あ、写真が……」
撮ったばかりの写真は風に溶けるように、花弁が散るように、写真が消えていきます。
「……!」
目を見開いて絶句するアネットの手の中で、未練を断ち切り、過去を時の流れに返すように、写真は跡形も無く消え失せました。
風の音が、全てを洗い流すようでした。
「写真、消えちゃったね」
「……思い出は、いつかは形を失ってしまう。この子は、それをわかっていたんだわ」
それでも心の中で、大切な思い出は永遠に失われない。いつも傍に在る。
道具にも心があるのだから、忘れないように大事に記憶を抱きしめることができる。
だからこそアネットは安心するのです。
これでカメラが寂しいと泣くことはないのでしょうから。
心なしかカメラを纏う負の感情はなくなっており、呪いを生み出す気配はもうありませんでした。
「これで一件落着ってやつか?」
アネットが頷くと、ソウリュウが「よっしゃ。それならよかった」と伸びをします。
「アネット。大丈夫?何か体に異常はない?」
「大丈夫だよタロ。心配性なんだから」
「だって、一時はどうなるかと……」
ようやく緊張が解けたところで、アネットがあっと声を上げました。
「この子が私達も撮ってくれるって!」
「え!まじか」
「え!大丈夫なの?さっきの写真みたいに消えたりしないよね?」
乗り気なソウリュウと比べて、どこまでもタロは不安症でした。
「するわけないじゃない!昔の人たちはよく記念に写真を撮ってたりしてたみたいよ。ほらほら早く!日が暮れちゃうと大変よ!」
急かすようにソウリュウとタロの背を押して、アネットは写真機を構えます。
しかし何らかの問題に気づいたのか、顔を青ざめてしまいます。
「どうしたの?」
「これだと肝心の写真を撮る人が映らないわ!」
「あ……」
「どうする?二人二人で交代して撮るっていうのも……」
「どうせなら全員で映りたいじゃない!」
「そ、そりゃあ……そうなの?」
「いっそのことこうやって腕を伸ばして……!た、体勢が取りにくいし安定しない……!」
写真を撮りながら三人で映ろうと試行錯誤するアネットのカメラを、ソウリュウがさっと取りました。
「待て待てこの中で一番腕が長いのは俺なんだから、俺がやるよ」
「ありがとうソウリュウ。だけど貴方、カメラの使い方わかるの?」
「まるでわからないから説明してくれると助かるぜ……」
「だよねー」
「ここを押せばいいんだろ?―――――早く帰らないと俺がロミに後で叱られるんだよ」
「……え?」
その言葉はアネットにだけ聞こえたようで、アネットは思わず耳を疑いました。
ソウリュウはロミのことを知らないはずです。なのにどうして今ロミという名前を口にしたのでしょうか。偶然とは思えません。
「アネット。ここでいいんだよな?」
「う、うん」
疑問を投げかけたい気持ちはありましたが、ひとまずは抑えることにします。
「一、二、三で撮るぞ」
「あ、カメラが教えてくれたんだけどそうじゃないみたい。掛け声は―――――」
「掛け声は?」
「はい、チーズ!」
合図の直後に、三人分の新しい思い出が写真の中で跡を残しました。
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この世界の写真機は非常に貴重な物なので、一般的に普及していません。