幻想世界の古道具屋 第一幕 メモライズ・カメラ
Ⅴ あたりまえの幸福
◆
「ロミ。ごめんなさい。何も言わないで勝手に出て行ってしまって」
星空が瞬く夜。オルバ古道具店に戻ってきたアネットは、タロを抱えながら深く頭を下げて謝罪しました。
ここまで送ってくれたソウリュウとは店の近くで別れました。どうやら彼はサーミの街の宿屋に宿泊しているようでした。
急いで帰宅した二人を迎えたのは、店の入り口に立っていたロミでした。
店を閉める時間にも構わずアネット達の帰りをずっと待っていたのでしょう。
いつもの優しい笑顔はそこには無く、何を考えているのか全く読めない無表情でした。
「ごめんなさいロミ。ボクがいながらアネットを止められなくて」
「タロに言われたくない!」
「ぐえっ」
腕で首元を絞められ、タロは理不尽だと言いたげに呻きました。
しかしこうしていても何も始まりません。
アネットは頭を下げたまま、ロミに言います。弁解でも説得でもない、嘘偽りの無い本音を発していました。
「だけどどうしてもこの子を助けてあげたかったの。私がやらないといけないような気がして―――――私だけで何とかしないといけないような気がして」
アネットは横目でちらりと、店の机の上に置かれているあの写真機を見ました。先ほどロミに返したのです。
ロミもまたカメラを一目見て、口を開けました。
「あれだけ街の外に出てはいけないと言ったのに?」
「い、言い訳の余地が無い、です」
「僕に何も言わないで勝手に行動を起こしたのか」
顔には出ていませんが、ロミがとても怒っているということはひしひしと伝わってきました。
「ロ、ロミ……あまりアネットを責めないであげてよ。アネットはね、ずっとロミに憧れてたんだよ。ロミみたいに道具を助けてあげたいって、誰かの力になりたいって、本当に小さいころから言ってたんだよ」
「それとこれとは話が別だよ。タロ」
「うう」
アネットを弁護しようとしたタロでしたが、次の言葉が一向に出てきませんでした。
自分を庇おうとしてくれてるタロに申し訳なくなったアネットは、余計に俯いてしまいます。
「ロミ。私はロミとの約束を破った悪い子よ。タロは私が無理を言って強引に連れてきてしまったの。だからタロは悪くないのよ。怒るなら私を怒って―――――」
「アネット。顔を上げなさい。言いたいことがあるなら、僕の目を見て話しなさい」
そう促され、アネットは恐る恐る顔を上げました。ロミの青の瞳は、今夜は一層色の濃さを増して鮮やかに見えました。
「私、早くロミみたいになりたかったの。だからロミがいなくてもやらなくちゃって思いが沸いちゃって、ロミに追いつきたくて、ロミの役に立ちたくて―――――だって、私を拾って育ててくれたのはロミなんだから。いつまでも役に立てない子供でいたくなかったのよ」
タロの額に冷たい水が落ちました。塩辛いその水は、涙でした。
いつの間にかアネットは両目からぼろぼろ大粒の涙を零していました。
どんな時でも前向きで明るいアネットが泣くことは、滅多にないことでした。
慰めようにもタロは何も言えませんでした。アネットの涙が切なく、ただただ綺麗で―――――。
「だけどやっぱり私は迷惑ばかりかけて、考え無しの馬鹿で……こんな私、ロミは嫌い?」
嗚咽混じりに目を逸らしたアネットを、ロミはそっと抱きしめました。
「嫌いになるわけないじゃないか。君は僕の大事な娘なんだから。君とタロと僕がいて、初めて家族になるんだよ。僕は家族を嫌うような薄情なやつではない。二人を心から愛しているのだから。役に立つ立たないなんて関係ない。君達が元気でいてくれるだけでいいんだ。僕はそれだけで充分幸せなんだ」
「ロミ……」
「無事でよかった―――――ソウリュウは君達をちゃんと守ってくれたみたいだね。本当によかった」
「やっぱりソウリュウはロミの知り合いだったのね」
涙を拭うアネットに、ロミはそうだよ、と続けました。
「君達がいなくなったことに気づいて、すぐ連絡を送ったんだ。幸い彼は昨日街に来たばかりだったからね―――――そして、君達がどうしても花畑に行くと望んだら、護衛してほしいとお願いしたんだ」
「え?」
「アネットの言う、道具を救いたい思いがどれだけなのか、この際はっきりと確かめようと思ったんだ―――――予想通り過ぎた結果になったけどね」
こうなったら仕方がないねと、ロミは困ったように笑いました。
「このまま放っておいても君は危ないことに首を突っ込みそうだし、わかったよ―――――明日から君に本格的に〝こちらのこと〟を教えるよ」
「本当に?」
アネットの涙で潤んで赤くなった瞳が、驚きと期待に煌めきました。
「ただし、君が思ってるほど甘い道じゃないからね。遊び半分で足を踏み入れてはいけないよ」
「うん!うん!わかってる!私、ちゃんと頑張るから!」
「君ならしっかりやり遂げてくれると思ってるよ。だけど今日はもう遅いから軽くご飯を食べて、もう寝なさ―――――」
最後まで言えず、ロミは急に重くなったアネットの体を慌てて抱きかかえました。
「アネット?」
「……寝てるね」
ロミの腕にしがみつきながら、タロがアネットの頬を軽く突きました。
完全に意識が夢の中に飛んでしまったのか、アネットはぐっすりと眠りこんでしまっており、反応一つ示しませんでした。
「たくさん歩いたから疲れちゃったんだね。梃子でも起きそうにないや」
「ははは。やっぱりまだまだ子供だね。タロ、棚から体を拭くモノを何枚か持ってきて」
「うん」
タロはぴょんと床に着地して、近くの戸棚から薄めの布を何枚か出します。
「ねぇ、ロミ」
「何だい」
「大人って何?」
「難しい質問だね」
「ボクはブリキだから、本物の心臓を持ってる人達のことはよくわからないんだ」
タロはロミに布を渡し、ロミはありがとうとお礼を言ってそれを受け取りました。
「だけど人間のアネットにも大人っていうのがよくわかってないみたいだったんだ」
「それはそうだよ。大人というのははっきりと手に取るようにわかるモノではないんだ―――――道具の心みたいにね」
土で汚れたアネットの服を軽く脱がし、彼女の体を拭きながら、ロミはタロの頭を優しく撫で、タロの体も拭いてあげました。
「それじゃあ大人って、本当に何なの?」
「大人はね―――――自分がもう子供じゃないと思えて初めて、大人になれるんだよ」
アネットの体を拭き終えて、ロミは彼女を軽々と抱えて歩き、二回へと続く階段を上ります。タロもそれについていきます。
「―――――アネットは大人になったら、ロミみたいにすごい魔法使いになったりするのかな」
「どうだろうね。この子の成長を見守るのも、僕らの役目だと思うよ」
「そう、だね―――――ロミ。今日アネットは初めて道具の心を救ったんだよ。それに、倉庫の道具達が皆あの子を応援してくれた。アネットはロミと同じで、道具に愛される子だよ」
「案外道具のほうも、お転婆な娘を放っておけないのかもね」
二回に着き、ロミはアネットの部屋のベッドに彼女を寝かせました。タロも手伝って毛布を掛けてあげます。
「ボクもそろそろ休もうかな。ロミは?」
「まだちょっと仕事があるから、もう少ししたら休むよ」
「そっか。無理しないでね。今日はありがとう。おやすみなさい」
「おやすみなさい。タロ」
タロは眠るアネットの傍で、飴玉のような目を閉じ、スリープモードに入りました。
「おやすみなさい。アネット」
すやすやと穏やかな寝息を立てるアネットの髪を撫でてから、ロミは部屋を出て行きました。
階段を下り、また店に戻ってきたロミは、置いていたカメラを持ち上げました。
「どうだい調子は―――――そうか。アネット達にたくさん感謝してるんだね。僕ははらはらしたけど、よかったよ」
カメラに語りかけるロミは、気付かぬうちに机の上に置いてあった一枚の写真を手に取りました。
そこに映るモノを見て、ロミは幸福そうに微笑むのです。
「良い写真だね。こうやって思い出を一つ一つ残していくのも、素敵なことだね」
写真の中では夕焼け空の下で花畑を背に、ぎこちないけれども晴れやかに笑うソウリュウとタロ、そしてアネットが映っていました。
三人とも、心から幸福そうに笑っていました。
いつまでも、いつまでも。
◆
ロミとソウリュウがどこで知り合ったのかは、名も無き勇者の序幕を読んでいただければわかります。