名も無き勇者の冒険 第一幕 飛べない勇者と死ねない愚者

 

Ⅵ メイドと拳士は激突する

 

 

 ◆

 

 

 マーシアの動きは迅速だった。
 まさに疾風を想起させる速度で、突風を凌駕する勢いを乗せて、あっという間に間合いを詰めてきた。
  竜人であるソウリュウは動体視力が人間よりも圧倒的に優れているため、その気になれば相手が指を動かしただけでも反応できる自信があった。
 しかし、この場合は相手の動きをじっくり観察することは適わない。
 否、どうあがいても現状では無理だった。

 

 戦闘に慣れたソウリュウでさえ、マーシアがすぐ正面まで強襲してきたことに、今まで気づかなかったのだから!

「!」
 一歩誤れば、手遅れになる!
 ぎょっとしたソウリュウは飛び出すはずだった足で地面を強く蹴り、真横の方向に退避する。
 数瞬前までソウリュウが跳躍する際に通過した宙空に、猛烈な斬撃が二重に襲い来る。あと少し遅ければソウリュウの左足は膝下から切断されていたことだろう。

「危ね……!」
 横目で斧の高速軌道を見送り、ソウリュウは斧の攻撃が二十歩以上歩かねば届かない位置に着地する。
 舞い上がる砂埃の向こうには、息一つ乱れていないマーシアが、斧を手に立ち尽くしている。
 攻撃をかわしたことに称賛するでもなく、回避したことを不満気に思うこともなく、マーシアはただ淡々と、虚ろな黒目でソウリュウを見つめている。
 戦意も殺意も闘気さえ伺えない少女に、ソウリュウは若干のやりずらさを感じていた。

―――――今までいろんなやつと戦ってきたけど、こういうタイプは初めてだ。

 体勢を立て直し、再び構え直すと、マーシアはゆっくりと散歩をするような足取りで近づいてくる。物騒な斧さえ手にしていなければ、単純に歩行している生気の無いメイドの娘に見えることだろう。
「避けないで、ください。貴方が避けると、私はまた斧を降らなければなりません」
「悪いな、って言いたいが、黙って斬られるわけにはいかないからさ」
「私が斧を振ると、大抵の方はおとなしく斬られますが」
「抵抗ぐらいするだろ。それともお前は闇討ちが本領発揮ってやつなのか?」
 若干言葉の使い方を誤っているが、特に訂正しない。
「抵抗。そうですね、どの方も抵抗しますね。だけど、そのような方々でもすぐにおとなしくなります」
 マーシアは斧の刃に目をやりながら、何てことなさそうに呟く。
「足か腕を斬り落とすと、大抵はおとなしくなります」

 

―――――この女やっぱりおっかねえ!


 それを聞いて、ソウリュウはげんなりとしてしまう。

「そりゃおとなしくなるわな。逃げられなくなるんだから」
 その斧はいったいどれほどの命を奪っているのか、口に出して尋ねることはしない。
 聞かずとも、おびただしいほどの犠牲者が数字で上がる結末が簡単に想像ついてしまう。
「貴方は、どこを斬ればおとなしくなる方ですか」

「すげえ嫌な質問だなおい!生憎、どこも斬られずに健康に生きてきたから俺でもわからん!」
 どこを斬られても生きているのだから痛いに決まっている。
 そんな単純なことも理解し切れていないのか、マーシアはきょとんとしている。
「今度はこっちからいくぞ!」
 掛け声と共に先ほどのマーシアに負けない速さでソウリュウは特攻し、独特な足踏みで牽制を交え、マーシアの頭上に跳躍する。
「せいっ!」
 回転の際に生じる勢いを右足に乗せ、そのまま振り下ろす。
 常人が直撃すれば頭蓋が割れ、即死は免れても致命的な怪我は避けられない踵落としに、マーシアは臆することなく真下から迎え打つ。
 斧と言うよりも斧の長い柄を棒術のように扱い、防御するだけではなく攻撃も兼ねた攻防一体の技。
 鈍くも甲高い音が響き渡り、砂が舞い飛ぶ。
 足技は斧にいなされ、ソウリュウは斧の柄に軽業師のように乗る形となる。
 それにより、マーシアは斧越しにソウリュウの全体重を支えていることになるが、ぴくりともしない。よろめかない様子は、根強い大樹を連想させる。
「すげえ怪力だな」
 にやりと楽しげに笑うソウリュウは柄を両手で掴み、器用に滑りながら下のマーシアに蹴りをいれようとする。
 しかし先を読まれたのか、マーシアは驚くほどの力で斧を振り回し、ソウリュウを弾き飛ばしてしまう。
「わっと!」
 すぐさま襲いくる連撃。
 驚異的な速さと威力に対応すべく、ソウリュウも拳と足を素早く振るう。
 二人の打ち合いはめまぐるしく、はたから見ているフレイはぞっとしてしまう。

―――――速すぎて見えない……!)

 人間の動体視力、状況把握力がまるで追いつかない。
 舞台が違う。世界が違いすぎる。
 あまりの強さが重なり合えば、生まれるのは圧巻の戦闘。武術の心得があまり無いフレイでさえも見惚れてしまうほどの、戦闘。
「くっ!」
 しかし、互角のように見える戦いだが、ソウリュウは苦戦していた。

―――――見えないわけじゃない、捉えられないわけじゃない。とどかない!

 斧の刃を紙一重でかわし、斧使いが苦手とする極近距離戦に持ち込もうとするが、上手い具合にマーシアはソウリュウの接近を許さない。
 本来斧は近距離から中距離に特化した武器だ。逆に武闘家のソウリュウは体のみを使用して戦うゆえ、接近戦を何より得意とする。否、接近戦でなければ確実な攻撃が当たらない。
 お互いの相性は五分五分だが、マーシア独自の戦術に呑まれつつある今、ソウリュウは押されていた。本人も戦いながら自覚している。
「ソウリュウ様。浮かない顔をしています」
 連続掌底を首の動きだけで避け、マーシアはソウリュウの顔を覗き込んでくる。
 蒼白を通り越して能面のように真白の顔。血が凍るほど美しい少女。
 間近で見ると、世間知らずで異性に無頓着なソウリュウでも、さすがにぞくりとくるものがあった。
 もっともそれは見惚れるなどという色めいたものではない。純粋な威圧に気押されていた。
 触れただけで粉々に砕け散りそうなほと儚げで、触れただけで何者をも容赦無く斬り刻める残忍な少女。メイドのマーシア。
「このままだと、私はソウリュウさんをお掃除できてしまいます」
「……!」
 一迅。
 刻まれるのは斬り傷。
 ソウリュウの左頬から血が流れ出る。
 鋭い痛みに歯を食いしばりながらも、ソウリュウは引かない。
「このっ!」
 反撃と言わんばかり放つのは、打撃技の混成接続。豪快で強力な技の連発に、さすがのマーシアも数歩下がってしまう。
 それでも彼女は、無傷だ。
「お前、本当に人間か?」
 ソウリュウはマーシアから再び距離を取り、乱暴に頬を伝う血を手の甲で拭う。
擦り傷にしても、傷は深かった。
 決してソウリュウが油断した訳ではない。むしろいつも以上に注意を払い、女相手でも普段の戦法を変えないと決めていた。
 マーシアは見る限り人間だが、やはり身体能力は人間の少女ではありえないほど優れている。もはや超人、人間離れとさえ表せた。
 あまりの〝壊れ性能〟は、戦いの場に不可視の波紋を生む。
「ソウリュウ様からそのようなご質問を頂けるとは想像していませんでした。人間……マーシアは、おそらく人間でしょう」
 マーシアから返ってきたのは、確信の薄い回答だった。
「おそらくって、自分のことだろ?」
「ならば、マーシアは人間でしょう」
 どうにも腑に落ちないが、ひとまずソウリュウはその言葉を信じることにした。非常に信じがたいことであっても、素直に信じるのはソウリュウが危ういほど純粋であり、同時に物事を難しく考えたくないことを示唆させる。あくまで彼は、正直者をとことん信じる。
「やっぱり世界は広いな。今までいろんな人間と戦ってみたけど、お前ほど強い人間には会ったことないな……いや、待てよ。人間の魔法使いも含めたら、お前は二番目かもな」
「そうですか。お褒めいただき、感謝します」
「別に褒めてるわけじゃないけどよ。でも、男と比べてるわけじゃないんだが、女でもこんなに腕が立つやつがいるなんて、びっくりしたぜ」
「私も、ソウリュウ様ほど強い方は、初めて見ました。ご主人様には到底及ばないでしょうが」
 到底及ばない。
 その台詞にソウリュウは少しむっとしてしまう。
 拳士として実力をとぼされるような言い回しは好まない。
「お前のご主人とやら、どのくらい強いんだ?お前より強いんだろ?」
「ご主人様の強さは計り知れません」
 エプロンについた砂埃を風に払わせて、マーシアは言う。
 無感情な白言葉に、僅かな赤みを覗かせて。
 血のように赤く、身の毛もよだつような煉獄のように。
「ご主人様は、世界を滅ぼせる唯一のお方なのですから」
「世界を、滅ぼせる?」
 ソウリュウは耳を疑う。
 世界の滅びと聞いて真っ先に連想したのは、遥か大昔。一万年前をも越える過去の出来事だ。
 新世界の前の時代、旧世界は人間の影響で滅亡したということは、朧気ながらも誰もが知っている歴史である。これによって多くの魔物や異人は人間を憎悪している。
 ソウリュウの同族である竜人もまたしかり。
 しかし、今の世界さえ滅ぼせる、想像さえできない。
 弱肉強食の世界において、人間も亜人も異人も魔物でさえも、この世の破滅を呼び起こすことはできない。可能だとしても、誰もそれを実行しない。
 何故なら、世界を滅ぼすことは最大の禁忌なのだから。
 二度とあの絶望を復活させてはならない。そんな暗黙の了解ならぬ、不可視の約束の楔はあらゆる種族に埋め込まれている。
 だが、マーシアの主人はそれでもなお〝世界を滅ぼせる〟ようだ。
 嘘でなければ異常であり、危険でしかない。
「ご主人様にとって、世界は矮小な箱庭に過ぎません。ご主人様が力を振るえば、全ては無に帰することでしょう」
「そいつは、でっかいやつだな。すごい自信。そんでもってすごい悪党だな」
「はい。ご主人様は悪党です」
 マーシアは使用人とは思えないほど、躊躇無く断言する。
「おいおいお前の主人なんだろ……」
「ご主人様曰く、自分よりも性格が歪んでいる悪しき生物がいたらそれこそ世界の終わりだと、語っていました

 

―――――クソみたいなやつじゃねえかよ!

「そこまで性格最悪なのかよ!逆に見たくなるな。そいつの顔」
「それでは、お屋敷に来て頂けますか?」
「それとこれとはまた別だ!」
 ソウリュウは胸の前で拳を打ち鳴らす。
「中途半端な勝負はあまり好きじゃないからな。早いところ決着をつけようぜ」
「左様ですか。畏まりました。それではこのマーシア、最後までお付き合いさせてもらいます」
 マーシアは深々とお辞儀をし、斧を水平に構える。隙の無い動作は完成されており、安易に近づけば容易く斬り刻まれてしまいそうだ。
「うっし!気合い入れて行くぞ!」
 自分に喝を送り、ソウリュウは深呼吸をしながら構える。こちらもマーシアに一歩も引かない面構えである。
 二人の戦いを見ることしかできないフレイははらさらしながも、祈るようにソウリュウを応援していた。
 フレイだけではなく、この場にいない村人さえも、全てがソウリュウの背中を押していた。
 それがソウリュウの活力に変換されたかはわからないが、強い意志をより強固にする役割は充分に果たしていた。
 ただ一つの、勝利の為に。
「じゃあ、行くぜ!」
 掛け声の直後に踏み切ったソウリュウを、
「逝らっしゃいませ」
 即座にマーシアが迎え討つ。
 かつて無いほどの速度。
 ソウリュウは更に勢いを上げて、加速する。
 かつて無いほどの轟音。爆風。
 ソウリュウの拳とマーシアの斧がぶつかりあった瞬間、広場が爆ぜる。
「うわっ!」
 襲い来る砂の暴風に思わずフレイは腕で顔を覆い、しゃがみ込んでしまう。
 遠く離れている民家の壁が揺れ、地震さながらの衝撃をどこまでも伸ばしていく。
 そのまま何も聞こえなくなるまで、数十秒は有した。
 恐る恐るフレイが顔を上げると、驚くべき光景が広がっていた。
 広場の中心に、小さな隕石孔(クレーター)が生まれている。
 その中心で、砂に塗れた竜人と、手持ちの斧がへし折れてしまったメイド服の少女が、対峙している。
 がしゃん!と、斧の半分から上の部分の柄と刃が地面に落下し、鈍い音をたてる。
 マーシア本人はやはり人形のように反応しないが、折れた斧をじっと凝視している。
 対してソウリュウは少々洗い呼吸だが、気持ち良さそうに快活に笑う。
「勝負あり、だな!」
 武器の破壊。武器を使用して戦う者からすれば、敗北に等しい。
「ご主人がなんやらややこしいことを抜いたら、楽しかったぜ」
 砂埃を適当に払いながらソウリュウは破顔している。
「規則破り(ルール違反)も無し!なかなか楽しいもんだろ?」
 もしもフレイがこの会話に参加していればとんでもない人外的な発言にぞっとしていただろうが、マーシアにとってはどうだろうか。
 もちろん、まともな返答はないが。
「……」
 敗北したマーシアは反論することもあがくこともせずに、墓碑のように斧柄を地面に突き立て、お辞儀をする。
「負けました。そして、お見それ致しました。やはり貴方様は御主人様が選ぶべきお方、相応しいお方です」
 過大評価じみた称賛に、ソウリュウは面倒くさげに顔をしかめる。
「あのよぉ、俺にはさっぱりお前の御主人様とやらのことわからないんだよ。いいかげんにそろそろ、説明してくれてもいいんじゃないか?」
「申し訳……」
「だー!だからそのカラクリみたいな喋りをなんとかしろよ!」
 痺れを切らしたソウリュウは本格的に怒鳴りかけてしまうが、
「ソウリュウ!」
 駆けつけてきたフレイによって、激情は何とか押し留められた。
「お、あ、フレイ。……この広場に大穴開けちまったけど大丈夫か?」
 急に空き地の惨状が不安になったのか、青ざめるソウリュウにフレイが慌ててしまう。
「そ、それは多分大丈夫。それよりも……」
 フレイがちらりとマーシアに目を向けるが、マーシアは顔色一つ変えない。
しかし、マーシアはフレイが自分に訊ねようとしている内容をあらかじめ把握しているのか、静かに口を開ける。

「〝リズ・リント〟 〝イリアナ・キルス〟〝ロゼラ・アンダース〟 〝ミーシャ・レスター〟」

「!」

 抑揚の無い声で紡がれるのは、四人の少女の名前。
 目を見開くフレイの隣で、ソウリュウも驚愕する。
 いくら記憶力の無いソウリュウでも、さすがにその名には聞き覚えがあった。
 リズ。イリアナ。ロゼラ。ミーシャ。
「行方不明の、村人……!」
「全ての謎はご主人様が握っております。謎を解き明かすには死を覚悟してもらわなければいきません。これが私からの、最後のお招きの言葉です」
 今晩の夜。月が一番高く昇る時刻に、森までお越しください。さすれば道は開かれるでしょう。
 言い終えた直後、マーシアは驚くほどの速さで、その場から跳び出してしまう。
「お、ちょ!待て!まだ話は終わってな……」
 ソウリュウがマーシアを掴もうと手を伸ばしたが、掴めたのは白の封筒だけだった。バベル語でソウリュウの名前が記された、招待状。

 真っ赤な薔薇の刻印。

「なんだこのよくわかんねぇ流れはああああああ!」
 空に向かって叫べど返答する者は無く、マーシアもすでに、影も形もない。
 真横で青ざめているフレイを横目に、ソウリュウは「おいおい…」と、苦笑してしまう。
 

「これじゃあ嫌でもご主人様とやらを引きずり出さないといけないな……」



 

 

 

 

 

次話へ 前話へ 目次に戻る