名も無き勇者の冒険 第一幕 飛べない勇者と死ねない愚者

 

 

Ⅱ 嵐の予兆

 



 ◆
 
 
旧世界が滅び、新世界として新たな再興を始めるようになってから、言語も文明も大きく変化した。
 人間種はバベル語という全人類共有の言語を使用し始め、それぞれの地方に残された言語も利用しながらも、万国共通の言葉はバベル語として固定された。
 大陸名も旧世界との発音が変わり、中には完全に変化してしまったモノもある。
 基本的には旧世界こと〝地球〟の僅かに残った情報を最高にし、改変と改良を繰り返し―――――今の世界の基盤が生まれた。

 ユラシア大陸の東ヨーロピアに点在する弱小国々が連合し、いつしか東ヨーロピアの全土を支配するようになった多数国家。それら全てをまとめてセルシア連邦と呼ばれていた。
 少年が今、旅をしているのはセルシアの辺境地域であった


  ◆


「いて、いて、いてててててて!」
 緩く傾斜した足場を滑り落ちながら、垂れ下がるような形で枝を張り巡らさせていた木にぶつかりつつも、ソウリュウは不安定な坂に果敢に挑んだ。 
枝や幾枚の緑葉が体中を叩くが、半ばごり押しで突き進むもとい、滑っていくしかなかった。彼が通過していく地点からは茶枝がぱきぱきと小気味良い音をたてながら折れていく。
 風が後ろに過ぎ去っていくのを肌で感じながら、腕で防御姿勢は取りつつも、目だけはしっかり開けて前方を見据えていく。
そして眩しい光が直接ソウリュウの視界一杯に広がった時、俗世から離れていた緑の過酷な楽園が終わりを告げた。 
「うおっと!」
 逆らいようのない浮遊感。連なる重力。
突然宙に投げ出され、ソウリュウは仰天しつつも咄嗟に受け身の体制を取り、両手両足を折り曲げて地面に着地した。
 下への衝撃を殺したことによって砂埃と木の葉が豪快に舞いあがり、姿勢を低くしていたソウリュウの鼻腔を刺激し、ここでもまた派手なくしゃみを放ってしまう。
「―――――ん?」
 ふと違和感を覚え、ソウリュウは今自分が触れている地面に改めて目を落とした。  
 森の地面と違って個々の地面はやけに硬かった。
 案の定ソウリュウの違和感は的中し、地面は自然そのものの土ではなく、丈夫な材質の石を使用して造られていた。
 つまりは、舗道。
 しっかり整備されているとは言いづらいが、最近人や馬がここを通過した痕跡が残っていたので、今も尚利用されている道なのだろう。
 長時間嫌と言うほどお世話になった樹木と雑草の道がようやく途切れ、多少なりとも整地された細道に出ることができたようだった。
「ふいー。やっと森から出れたみたいだな」
 一安心したソウリュウは、髪の毛や服についた葉や枝の残骸、砂を軽く払って数回その場で飛び跳ねた。擦り傷は少々あるけれども、怪我という怪我は負っていない。まだまだ動ける。
 少し離れた個所に道沿いで立つ細長い木棒に打ちつけられた看板を目にし、ソウリュウは思わずにんまりしてしまう。
 薄板の看板には万国共通のバベル語で、〝この先カシス〟と特殊黒インクで大きく記されていた。カシスは街の名前に違いないだろう。
「あの妖精が言ってたことは本当みたいだな。うっし!そうと決まったら街を目指すか」
 歩きやすい平地なので体力をそこまで消耗する問題はなさそうだ。
 ソウリュウがカシスに向かって歩き出すころには、天辺に昇っていた太陽が西に傾きだしていた。この調子なら理想通り夕暮れ前に街に到着できるかもしれない。
「腹減ってきたな。夕飯食えるくらいの余裕は……あるよな。うん」
 虚しくなるほど厚みの無い財布を懐越しで撫で、飢えを訴えてくる腹に辛抱させながら、早足で独りソウリュウは道路を歩いていく。
 道の周辺は乱雑に林立する木々が数本あるだけでそれ以外には建造物などは一切なく、見晴らしの良い平野になっていた。
 辺境の地はどこでもこのような殺風景で物寂しい雰囲気なので、旅人であるソウリュウには見慣れたものであった。人の気配がほとんどなく、華やかな都市部のように目立つこともない。観光名所でなければ辺鄙な場所としてしか認知されなくなってしまう。国家そのものから切り離され、忘れ去られてしまったかのような―――――そんな印象を持ってしまう静寂の地が、ソウリュウは嫌いではなかった。
 むしろ彼は、貧しくも穏やかな暮らしを送れるような地が馴染み深いのだ。
 そのため今まで散々多くの者から田舎者と小馬鹿にされていたが、本人は微塵も気にしていなかった。
「お?あれが街かな?」
 ソウリュウの視力は狩猟を生業とする民族にも負けず劣らない。まだぼんやりだが遠くに街を守る防魔装置(シス・マテリア)の結界の輪郭が確認できた。
「とりあえず夜になる前にあそこまで行って、宿を取って、飯を食って、寝るか!」
 久々に布団で寝れるな!とソウリュウは気合を入れて、一気に走り出した。
 彼は野宿には慣れているが、やはりふかふかのベッドで寝るのが一番好きなのである。野生児ではありながらも、御布団の誘惑に彼もまた勝てないのだ。
「思い返せばセルシアに入ってから全然ゆっくりできてないよな。まともに寝れたのは馬車だけだ……床が硬いから体は痛くなるし……。首都も遠そうだしな。しばらくあそこで休憩していこうかな」
 しばし走り続け、ようやく街の入り口である街門がはっきりと見えるようになったその時だった。

「あ、れ?」

 ソウリュウは凄まじい眩暈に襲われ、ふらりとよろめいた。
 足に上手くブレーキが掛けられず、減速しながらも蛇行し、ついにソウリュウは地面に倒れてしまう。
「ちょ……ちょっと待て……俺酒なんか飲んでないぞ……体が、動かねぇ……」
 あまり酒類を好まないソウリュウは、自分から進んで酒を飲むということはまずない。その為今ここで酔っぱらって気持ち悪くなるわけがない。
 ぐにゃぐにゃと歪む視界が気持ち悪く。目を開けていられなくなる。どうしようもない眠気も同時に襲ってくる。
 体も鉛のように重く、指先一つ動かせなくなっていた。 
「嘘、だろオイ……」
 速効にもほどがあるだろ。と言おうと口を動かそうとするが、呂律さえ回らなくなってきていた。
 何かをされた気配も無ければ、毒性のある食物や飲み物を摂取したわけでもない。それにソウリュウは非常に胃が強いため、多少の毒は効果が無い。
「ど、どうなってん、だ…………―――――」
 まるでわけがわからず、街に入ることさえままならなかったソウリュウはそのまま意識を失った。
 気を失う最後の最後に彼が思ったことは

―――――ぶっ倒れる前に美味しい飯をたらふく食って、布団で寝たかった
  
 

 という、ロマンの欠片も無いことであった。 
 

 

 

 

 

 

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今回は短いです。
何だかソウリュウが踏んだり蹴ったりで大変そうだなと書いてて思います。